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『裏切りの魔術師【終】』

 

 ◆ ◆ ◆



 家を飛び出した舞は、ルビア大司教の話を思い出しながら、怒りに任せて走っていた。



 自分の煤けた格好も気にならないわけではないが、それでも今は着替える時間も惜しかった。



 だからせめて自分が出掛けたことを教える為に玄関も門も開けっ放しにしてきた。決して面倒だったからではない。



(絶対に見つけてやる……ッ!!)



 苛立ちに満ちた自分の声が頭の中に響く。事実確認をすれば、いや、仮に事実確認ができたとしても、この憤りが収まることはないだろう。



 ルビア大司教の話が嘘でない限りは。



『――実は霞ヶ丘市の監督役からの連絡で魔術の痕跡を残した遺体が、今朝早くに発見されたことが発覚しました。その遺体は若い男で、魔術境界の裏の仕事を請け負い、研究資金だか生活費だかを稼いでいたチンピラです』



 俗語がルビア大司教の口から飛び出したことに驚きながら、それでも舞は口を挟まずに彼女の話を聞く。



『それ自体は、個人的には問題ないと思っています。生きる為の手段は人それぞれですし、それに口を挟むのは個人の傲慢ですから』



 それには舞も同感だった。



 物乞いだろうが大会社の社長だろうが暴力団の大幹部だろうが、それは日々を生き抜く手段の一つでしかない。



 個々の生き方なのだ。ここでこうして働け、と強要されているわけではない。自分の責任で仕事をしているのなら何も問題はない。



 それに他人を巻き込まなければ、だが。



『ですが、その遺体に問題が発生しました。身元不明死体ということで様々な人が確認に呼ばれ、その中に祭司にも連絡があり、その男の遺体を確認したそうです。その遺体から――』



 ひどく嫌な予感がした。



 受話器を持つ手汗がヒドい。



『――その遺体から葛城舞の魔力が検出されました』



 ドキンッ、と心臓が跳ねた。



 心当たりは一人しかいない。昨日、下校の時に襲撃してきた男。



 だけどっ!! と舞は思う。



 あの時、一分一秒も惜しかった中で、舞は『人払い』をして教会に連絡を入れたはずなのだ。



 魔術師に襲われて返り討ちにしたから隠蔽と捕縛をお願いね、と。それなのに、その遺体が警察に発見された。



『どうやら心当たりはありそうですね』



 隠しても意味はないだろう、と舞は昨日の出来事をルビア大司教に話した。春木黒人のことは丁重に包み隠しておいたが。



『そうでしたか。つまり舞は確かに教会へ隠蔽をお願いしたんですね?』



「はい、間違いないです。なんなら私の携帯の通話記録を調べてもらって構わないですよ」



 魔術境界に連絡する専用端末には、その時の会話を録音しておく為の盗聴器が取り付けられている。



 それはまさに、こういう時に効果を発揮する。



『落ち着いてください。私は舞を疑ってなどいません。ただの確認です。それに通話記録でしたら、すでに調べています。だから本人である舞に『事の真偽』を直接お聞きしたいんです』



「確認したなら私に直接聞くまでもないと思いますけど?」



『…………ないんです。その通話記録がどこにも残っていないんです』



 え? と舞は唖然と固まる。



 ルビア大司教の言葉の意味を理解し始めると、徐々に舞の表情が驚愕に染まってゆく。



『ここまでを聞けば限りなく葛城舞は黒です。でも、だからこそ頭のいいあなたが犯人だと私は思えません。あまりにも『簡単すぎる』んです』



 そうルビア大司教が思ったのは、これが舞に何のメリットも与えないからだ。むしろデメリットしかない。



『私は魔術境界内部に裏切り者がいると思っています。おそらく個人も特定できたと思います』



「私の話だけで裏切り者の特定が可能なんですか?」



 疑わしい気持ちを隠しもせずに舞はルビア大司教に訊ねる。



『では舞に質問しますけれど、魔術境界への通話記録はどこに残しておくかご存知ですか?』



 逆に質問されてしまった。舞は静かに答えを模索する。



 魔術境界の本部が怪しいのだが、本部があるのはロンドン。通話記録などを残すことは可能だろう。



 だが連絡を受けてすぐ隠蔽に動かなければならないことがほとんどなのだ。一番近い支部に転送される。つまり日本国内に限定される。



 そして霞ヶ丘市には、ちょうど支部がある。



「…………教会? そうよ。だって、あの時、私が頼んだのは――」



『霞ヶ丘支部、月宮礼司祭司。彼が裏切り者である可能性が高い。でも動機がハッキリしないんです……』



「そんなの簡単ですよ。春木栄一が遺したアガシオン。月宮礼司は昨日の早朝、春木家を訪ねていますから」



 なるほど、と呟くルビア大司教の声が小さく届く。



 そして、



『月宮礼司の狙いが春木栄一の遺したアガシオンだというのなら、今夜にでも再び狙いにくるでしょう。そうなる前に奇襲を仕掛けたい。だから舞も彼への奇襲を手伝ってください』



 それがルビア大司教からの命令。



 断る理由はない。むしろ舞としても願ったり叶ったりである。



『それに彼の狙いがアガシオンだとするのなら、早急に舞は家から離れた方がいいでしょう』



「な、何でよっ!? ここで待ち受けた方が確実に……」



 自分で言っていて疑問を覚える。



 なぜ家で待ち構えることが『確実』なのだろう? と。その答えは簡単だ。月宮礼司は昨日も家を訪ねてきているから。



 それはつまり、また訪ねてくる可能性が高いということ。待っていれば高確率で現れる。



 そう至った理由は、魔術師ではない冴子にアガシオンのことを伝えるわけにはいかないから。



 だから月宮礼司は「外人の少女が訪ねてきたら連絡してほしい」くらいにしか伝えられなかったはずだ。



 しかし冴子は魔術師の世界を多少だが知っている。外人の少女が春木栄一を訪ねてくるかもしれない、という可能性だけでジャンヌの可能性に行き着けるほどに。



『月宮礼司は自分の目でアガシオンが居る居ないを確認したいはず。そこで手っ取り早いのが葛城舞の存在です。

 あなたという魔術師がいれば理由を適当にでっち上げて葛城家に居座ることも可能です。そうなれば、いざという時に咲さんが人質にされる可能性もあります。ですが、それは魔術師である舞がいなければ強制力を持ちませんから』



 つまり咲か黒人だけなら断れるが、そこに舞がいると上がり込む正当な理由を作られるのだ。



「でも力に訴えられた時、私がいなかったらマズいような気がするんですけど……」



『大丈夫です。葛城家は私直属の部隊に監視させます。あ、安心してください。そこに金髪の女の子がいても見ないフリをさせますから』



 こ、こいつ……、と舞の口元が痙攣する。すでにジャンヌが現れて、春木黒人と再契約していることも知っているのだろう。



「いいわ。それを見逃してもらう対価に私はルビア大司教の命令を狗のごとく遂行してみせるわ。なんなら尻尾も振ってみせますよ」



『それは頼もしいですね。では霞ヶ丘駅前で事件現場を確認。そこから魔力残滓を追跡してください』



「了解」



『返事は可愛らしく『わん』でお願いしますね、舞』



「……………………わん」







 それがあの時の電話の内容。



 着替えたいのを我慢して、くーくー泣く空腹も我慢して、舞が町を駆けている理由である。



 舞が霞ヶ丘駅前に到着した頃、現場はまだ騒然としていた。日中の駅前ということで野次馬で溢れている。



 遺体発見は早朝にもかかわらず、まだパトカーが何台も北口のバスロータリーを占拠し、数人の警官が無言で周囲を調べて回っている。



 警官とパトカーに占拠された霞ヶ丘駅前の中で何よりも目につくのは、『霞ヶ丘駅』という名前を隠すようにかけられた青いビニールシート。



 それが突然の突風で捲れ上がり、隠されていた部分が公開される。数人の警官が慌てて押さえるが、もう遅い。野次馬たちの目に映ってしまった。



 地面に残る夥しい血痕。そしてテレビなどで観る被害者の倒れ方を白墨のようなもので残す印が、駅名の看板に描かれている。



 そこから推測するに、おそらく殺された男は、そこに磔にされたのだろう。イエス・キリストのような姿で。



(これは……、いくらなんでもあからさまに過ぎるんじゃない? 挑発してるのか、それともただ顕示欲の強いバカなのか。後者なら救いようがないわね)



 騒然としている野次馬たちの声の中、舞は静かに思考に没頭していた頭を切り替える。



「――Dror・Ikra」



 小声で呟き、その現場を霊視する。魔力の残滓を視る為に。



 かなりの時間が経過しているせいで、ずいぶん細く頼りない残滓だが、ギリギリで視えないこともない。



(でも一二方向に分かれてる。正解は一本。どれを追跡すればい…………ん?)



 舞は気付いた。一二方向に分かれている残滓の他に、それを追うようにさらに薄い残滓が残されていることに。



(だから『協力』なのね。この中で誰も追跡してない残滓を追えばいいのね。そんで運がよければクソったれな神父をブン殴れる特典付きなわけよね)



 そして舞は、その中の一本。誰も追跡していない残滓を追う。



 この先に月宮礼司がいることを願って。



 

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