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『裏切りの魔術師【④】』

 

 ◆ ◆ ◆



 黒人が布団で眠り、その隣に正座した状態で舟を漕ぐジャンヌ、葛城家の書斎で咲が初心者用魔術を一回で成功させ、それに舞が仰天している頃。



 彼女は地下にいた。



 雷撃の魔術師、要優実。



 彼女は選択したのだ。クライアントの男の手を取る選択を。



 正面には銀の西洋鎧で全身を固め、銀のバフォメットで顔を隠した人間が立っている。



 クライアントの男の命令で要優実の身辺警護をしているという話だが、それはあくまでも便宜上の話。



 真実は彼女を逃がさない為の見張りであり、それと同時に有事の際に備えての処断役である。



 ちらり、と要優実は中世時代の騎士のような人物に目を向ける。落ち着かない。四六時中一緒にいるのに、一度も言葉を発する場面を見たことがない。



 それに身動きもしなければ、生理現象も全くない。トイレも食事も睡眠も。



(人間かどうかも怪しいわね……)



 だから彼女は勇気を出して話しかけてみる。暇すぎるから、という理由も大きく見え隠れしているのだが。



「ねえ、お兄さん……でいいのよね? 膀胱とか大丈夫なの?」



 空腹、睡眠と話題は他にも多くあるだろうに、要優実がチョイスしたのはトイレの話題だった。



 その結果は無視。ちょっとムカッとする。放っておこうと決めるのだが、やはり退屈で目が向いてしまう。



「それにしても暑いわね……。汗臭いなんて女の子としてアウトだと思わない?」



 遠回しに、シャワーくらい浴びさせなさいよコンチクショウ、と平和的に訴える。



 そして返ってくるのは心を虚しくする沈黙。



 だが、初めにチョイスした話題が尿意についてだった時点でトリプルプレー並みにアウトだと、どこかの誰かは思う。



 何なのよコイツ……、と思わず吐いて出るため息も、この静寂な空間では大きく響いたように感じられた。



 しかし、その静寂は彼女が望んだ通りに破られる。



 それは少し遠くから徐々に近付いてくる靴音。カツンカツンとゆっくり一定のリズムで。



 それはまるで彼女を追い詰める靴音に聞こえる。事実、要優実はその靴音を耳にした瞬間から僅かに唇が震え、奥歯が鳴り止まなくなってしまう。



「死にたくないあんなに惨たらしく殺されるのはイヤよイヤなのイヤイヤ……」



 ついには頭を抱えて屈み込んでしまう。



 そうしている間にも靴音は接近し、彼女の部屋の前で止まる。恐怖で肩が強く震えた。



 そして室内に響くノックの音。



 要優実に開けるつもりは微塵もない。なのに扉の正面に控えている騎士風の人物が訪問者を迎え入れてしまう。



「気分はどうかな」



 その声は男性。しかし低く重い、死を連想させるクライアントの声ではない。



 そこには長いのに清潔感のある金髪碧眼の少年がいた。年齢は高校生ほどだろう。



 ほっ、と安堵の息を吐く。そして強く少年を睨んだ。



「最悪よ! せめてシャワー付きの部屋にしてよね!!」



 強気な態度に出たのは単なる照れ隠し。先程の姿を見られたという羞恥からきた発言。



「そっか。じゃあ、あの人に伝えておくよ」



 すぐに後悔した。



 少年の言う『あの人』が誰なのか考えるまでもない。



 要優実をここまで連れてきて、その途中で目を瞑ることも、歯を食いしばることも許されないまま、全身を三〇本以上の剣で貫かれて尚『生かされている』パートナーだった男の末路を彼女に見せしめた人物。



 クライアントである。



 逆らったらお前もこうなるぞ、と教えるように。



 その男にさっきの言葉が届く? と考えただけで喉が干上がる。なのに全身から汗が滝のように噴き出す。



「い、いえ、今のは伝えなくていいわ。彼も忙しいだろうから。それより私に何か用?」



 先程までは恋しくて恋しくて仕方がなかった話し相手。だが、今は一秒でも早く一人にしてほしかった。



 その気持ちは少年にも伝わる。



「そう邪険にしないでよ。そこにいる彼に話しかけてるみたいにフレンドリーにしてくれてもいいんだよ?」



 そう言われて要優実は顔を赤くする。



 要優実が見張り番の彼に平気で話しかけられるのは、壁に話しかけているのと同じだから。



 つまりは独り言のようなもの。



 それを聞かれていたと知り、羞恥に頬を染め、そして今度は顔色を青くして部屋の中を見回す。



 監視カメラや盗聴器があるんじゃないかと。



 この部屋に魔力を拡散させる魔術陣が仕掛けられていなければ、魔力を電磁波にして探し当てることもできるのだが、それも今は使えない。



 探す手段がない。目で見て探すしかないのだが、見える範囲にそれらしいものはなかった。



「安心しなよ。あの人はキミの独り言を知らないし、監視カメラも盗聴器もないから」



 信じられるはずがない。だが、ここで文句を言えば言っただけ、この少年は話を聞くという理由で部屋に居座るだろう。



 もちろん嫌がらせで。



「……私をからかいに来ただけなら早く帰って」



 要優実は少年から目を背け、ただそんな言葉を口にした。無駄な話をしすぎたみたい、と少年も反省し、



「いや、用がないわけじゃないんだよ。ちょっと本番前にやっておかないといけないことを思い出したから」



「やっておくこと?」



「あ、別に卑猥なことじゃないから安心して。ただ、今のままじゃキミは使い物にならないから、もう少し強い駒に変身してもらおうかなってね」



 は? と要優実は怪訝な顔で少年を眺める。



 駒扱いされたことに対する憤りはない。初めからその程度の扱いだと理解していたから。



 だが今より強くなろうにも、それは一朝一夕の問題ではない。



 外道的な方法を使わなければの話だが。



 予想通りの反応だったのか、少年は痛快に笑う。そして彼女の手を取った。要優実は咄嗟に手を引き戻そうとしたが、華奢な身体からは想像もできないほど少年の力は強い。



「さすが裏の魔術境界のさらに裏で仕事をしてただけあって情報通だね。きっと想像通りだよ。今からキミを『改造』する」



 一度負けてるキミが相手なら油断を誘えるだろうからね、と付け加え、目で扉を塞いでいる騎士に命令する。



 その命令を読み取り、騎士風の男は道と扉を開ける。



「お前もこい。改造が終わったら彼女を部屋に連れ帰るんだ」



 少年の言葉に騎士風の男は頷くだけで、やはり言葉を返さない。



 要優実は抵抗も虚しく引き摺られるように部屋から連れ出される。ここでは誰も彼女の味方はいない。



「十分に恐怖という感情を味わっておくといいよ。もう一時間も後には、その感情がどういうものだったのか、自分が何だったのかすら思い出せなくなっちゃうからね」



 少年の言葉で要優実の恐怖は絶頂に達し、その後、地下室中に彼女の悲鳴が響き渡る。



 それから男が宣言した一時間後に彼女の悲鳴は消えた。



 それから部屋に連れ戻された要優実は、光を灯さない虚ろな目で天井を眺めるだけの人形に変わっていた。



 

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