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『彼の日常・非日常【終】』

 

 ◆ ◆ ◆



 黒人たちが立ち去り、いつしかいつもの賑わいを取り戻した商店街。



 彼らの姿が見えなくなってから、女は路地裏に移動していた。



 戦闘の痕跡を見て騒然としている人々の声を、商店の出すゴミを一時的に溜めておくポリバケツが点在する日の当たらない不衛生で冷たい地面に、お尻を着けて座り込んで耳にする。



「……ここまで騒がれちゃうと隠蔽なんかできないわよね」



 もう戦う気もない。



 再び春木黒人に挑んだとしても、あのアガシオンが彼を守護している限り勝ち目など僅かほども見いだせない。



 なれば女にできることは限られている。



「逃げるしかないわよね……」



 世界中に紛れて存在する魔術境界の監視から逃れるのは難しいだろう。だが、それでも逃げ切れる可能性はゼロではない。



 現時点では小数点以下の可能性しかないが、それでも魔術師としての自分を捨てれば、その可能性の話が現実味を帯びる程度には上がる。



 しかし魔術師としての自分を捨てるというのは、魔力を放棄するということ。追い詰められたから戦う、ということもできない『一般人になる』という意味。



 いや、それより問題なのは何代も続いた魔術師の家系を自分の代で潰えさせるということが重大だった。



「今まであって当然だったものを失う……」



 それは形あるものだけの話ではない。



 生活の起点、生きる目標、存在の意味。



 今の彼女を形成する全てと言って過言ではないだけのもの。



「仕方ないわよね」



 声音こそ諦めに似た感情が込められているが、彼女は犬歯を剥き出しにして握り締めた自分の拳を睨む。



 ゴミの臭いが充満する路地裏の空気で肺腑を満たす。目の奥が熱くなった。吐き気に酷似した何かが喉の奥から込み上げる。



 それを吐き出さない為に、彼女は星が自己主張を始めたばかりの空を見上げる。



「――辛いのだろう? 失いたくないのだろう? これまで培ってきた『魔術師、要優実』としての人生を」



 ギクリ!? と。女、要優実の身体が凍りついた。



 今後の身の振り方を考えるのに必死で、これまでの思い出を振り返るのに夢中で接近に気付けなかった。



 商店街からの光を背負い、硬い靴音を鳴らして迫り来る存在に。



 五メートルほど先に立つ、その男に。



「予想以上の成果だ、要優実」



 凪の海を連想させる感情の起伏のない低く静かな声。



「もしかしたら現れるかもしれない、という程度の期待しかしていなかったが……結果はそれ以上だった」



 あと一メートルも離れていない距離に男が立って初めて、その顔が見えた。



 見覚えは、当然ある。



「じゃあ成功でいいのかしら? クライアントさん」



「ふむ。確かに私としては納得のいく結果だった。だが依頼は『春木黒人の拉致、もしくは殺害』だったと記憶しているが?」



 くっ、と要優実は男から顔を反らす。



 助ける気がないと悟ったから。いや、助けるどころか、この男は私を処断しに来たんだ、とすら思った。



「安心するといい。すでに『人払い』はすませてある。だが、予想以上の働きを見せてくれた君の今後に期待したいのも本心なのでな。そんな君に選択権をやろう」



「選択……権」



 こくり、と緩慢な動作で首肯し、男は内容を話す。



「ここで私に処断されるか、それとも私の目的の為に働くかだ」



「その前に質問させて。私と一緒に雇われた男は、どうなったの?」



「殺した」



 まるで昼食に食べたメニューを答える気軽さ。その全ての悪意を凝縮したかのような黒眸に、ゾグン、と強烈な悪寒が走る。



 要優実は、



「私は…………」



 

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