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『彼の日常・非日常【⑨】』

 

 ◆ ◆ ◆



「――閃きなさい!」



 甲高い女の声が、異様な静寂に包まれた商店街の中に響き渡る。



 その声で黒人の緊張は極限にまで一気に昂まり、同時に女の指先は明滅し、紫電を放つ瞬間を目にできたにもかかわらず、しかし黒人の身体はピクリとも動いてくれない。



 それは助かる希望のない拷問に思えた。



 まるで録画した映像をスロー再生するように、刻まれた変えられない過去の記憶を再生するように、ただ紫電を眺めていることしかできない。



 頭では、ここで身体を捻るなり横に跳ぶなりすれば避けられるかもしれないと考えているのに、それを行動に移せない苦痛。



 死が秒速で接近してくる。



 あのレーザーのような一撃に貫かれて死ぬ未来を想像して震える時間すら許されない。



 黒人の視界の端に手を伸ばしている咲が映る。



 せめて最後まで守り通したかったな、という感想を思い浮かべ、悔しさに歯を強く噛む。



「先輩ッ!!」



 咲の声でスロー再生されていた世界が通常の時間の流れに戻る。



 そこに発生した一つの変化。



 咲も、女も、黒人も、その変化に唖然とする。



 身体に痛みや異常がないことを確認してから、黒人は目の前の『異常』に目を向ける。



 目の前に広がる世界は金色と赤色に遮られていた。唖然呆然と立ち尽くす中、黒人と女の間に割り込んできた『異常』が振り返る。



 翻る白ゆりの紋章が描かれた赤いマントのような高級感だけはある生地で身体を包み、そのマントで隠しきれない脚部分は銀色のレギンスで固められている。



 風に流れる細く柔らかそうな金色の髪を押さえる手も、銀色の手甲で固められていた。まるで中世の騎士という風体。



 そんな『彼女』の翡翠のように美しくも怜悧な瞳が黒人の姿を捉え、桜色の唇が薄く開く。



「前マスター春木栄一の命により、本日より私は春木黒人、あなたの剣となる」



「日本語ーーッ!? あ、いや、そこじゃねえよ、俺。春木栄一って、義父さんの命? 俺の剣?」



 突然の出来事に黒人が混乱以外で唯一形にできた反応(ツッコミは無意識な条件反射)、疑問を口にする。



 と、その答えを聞く前に、



「先輩ッ!!」



 咲が叫んだ。



 今さらながら、こんなにも家の外で大声を出す咲は久々だな、などというある種の感慨を黒人は覚えていた。



 その間に、突如として現れた金髪の少女は素速く身を反転させ、その勢いのまま腰に提げた装飾の美しい銀鞘から剣を抜刀。



 不意打ちに女が放った雷撃の槍を剣で『斬った』。



「背中を好んで狙うのはいつの時代も見下げ果てたものだな、ソルシエール(魔女)」



 女は、ただ愕然としていた。自身自慢の一撃が、見た限り霊装でも何でもない鉄の剣に斬られ、そして消滅したから。



 間違えてはいけないのは、斬られて『四方八方へ飛び散った』ではなく、斬られて『消滅した』という部分。



 一億ボルトにも達する電撃を、剣の一振りで完全に消し去った。



 それは青色の絵の具(魔力)で塗った画用紙を、赤色の絵の具で塗り潰した、ということ。



 さらに付け加えるなら、青に赤を混ぜて紫にしたのではない。青色から赤色に塗り替えたのだ。



 その意味を理解している魔術師の女は、威風堂々と仁王立ちする金髪の少女の前に膝を折る。



「あれが今世紀最強の魔術師の誉を受けた春木栄一の『アガシオン』? バケモノじゃない……ッ!!」



 自身の体内を流れる魔力を感知することしかできない黒人には分からないが、金髪の少女の魔力は少なくとも女の数十倍はある。



 目を合わせるというアクションだけで痛感させられた女に、これ以上の戦意は湧こうはずもなかった。



 その姿から全てを理解した金髪の少女は、女から黒人へと視線を向け直す。



「春木黒人、我がマスターの最期の願いを聞き入れてはもらえないだろうか?」



 金髪の少女は膝を着いて自分の剣を黒人の前に差し出す。



 聞き入れてくれるのなら、この剣を受け取ってほしい、という意味だろう。



 若干の混乱状態で、しかも差し出されたものは何でも受け取っておく悪癖のある黒人。それがこの場で発動されたのは懇願するような少女の瞳を見たからか、それとも春木栄一の願いだからか、それは黒人には分からない。



 それでも黒人に受け取ってもらえたことに安堵したのか、金髪の少女が初めて笑顔を見せてくれたのは確かで、その笑顔が見られるなら後悔しないと彼は思えた。



「マスター」



 それが自分を呼んでいるのだと黒人が気付くまでに、短くない時間を必要とした。



 金髪の少女に目を向けてみれば、そこではまだ彼女が片膝を着いているではないか。そんなことを真面目にされた経験のない黒人は焦る。



 わたわたわたーーっ!! と両手を上下に振り乱す黒人を無視するように、凛とした表情の金髪の少女が口を開く。



「本日より私はマスター春木黒人の剣。いかな悪辣な魔術師からも守り抜いてみせる。それは契約の証だ」



「今渡されたこの剣が?」



 こくり、と少女は一つ頷く。



「その剣は、製錬中に刻まれた者以外が手にしても、その本来の能力を発動しない『使い手を選ぶ剣』だ。

 そしてマスターだけでも使えない。こうして私が魔力を流し込まない限り」



 つい先ほどまでは何の変哲もない鉄の剣だったものが、今は溢れんばかりの魔力に満ち溢れていた。



「それはスゲェと思うけど、ただの剣なんだろ? 魔力で切れ味を増すとか、一撃必中、みたいな特殊効果のない」



「そんな効果はマスターに必要ないと判断したのでな。だから敵魔術師からの解析を防ぐ防壁と、その剣自体の強度増幅に全てを回している。春木栄一のいない今、キズを残せる者は片手ほどもいないだろう」



「それって絶対に折れない剣、ってことか?」



「絶対ではない。その剣の蓄積できる最大魔力を超える攻撃が可能な者の一撃を受ければ、それは欠けもするし折れもする。

 しかし、その剣は私の全魔力を込めてもまだ余裕がある」



 そう語る少女の表情は、どこか誇らしげな笑顔だった。



「だが、その剣の本質はそんなものではない」



 じゃあ何だよ? と黒人が問う前に少女は続けて口を開いた。



「形ある物が時と共に劣化してゆくのは、この世の摂理として寿命があるように、世界に物質として存在している以上、逃れられない現象だ。その摂理の一部を歪ませること、それがこの剣の本質だ」



 そんな小難しい少女の語りを聞いて、



「次元への干渉……?」



 顎に手を当てて、そうポツリと漏らしたのは咲である。



 その答えを耳にして金髪の少女は感心したような目を咲に向け、数度頷いてみせる。その反応からして正解らしい。



「この剣の創造者も同じことを言っていた。これは『記憶する剣』だと」



 簡単に説明すれば、この宇宙は一一個の次元が完璧な形で作用して初めて生まれた奇跡の形である。



 一次元は縦。二次元は横。三次元は厚み。四次元は時間。五次元は空間。六次元は誕生。七次元は進化。八次元は記憶。九次元は生命。一〇次元は自由。一一次元は法則。



 これらは個では意味を成さない。バラバラでは働きが分からないのである。



 縦の次元だけでは線に見えるだけ。横の次元だけでも同じことが言える。この個では意味を成さない二つが合わさって初めて『面』が作られる。



 そこに厚みの次元を加えることで、この世界、三次元が完成する。



 そこに時間や空間など他の次元を合わせて宇宙ができている。






※次元の説明を詳しくすると、それだけで一冊の本ができてしまいそうなので、これらはかなり簡略化しております。決して鵜呑みにしないよう、お願いします。






 そして、この剣は中でも八次元を強くイメージして創られている。形状を維持して継続させている根源。



 だからこれは『記憶する剣』なのだ。



「この剣を創られた方は本当に素晴らしいですよ、先輩……。未完成とはいえ一本の剣に宇宙を再現しようとしてるんですから」



「ああ……って、よく分かるな、咲」



「え? あ!? その、ほら、好きなんです! 宇宙とか次元とか、そういうお話……」



 そうなのか、と答えつつ、黒人は違うことに思考の半分以上を使っていた。全くの別事というわけではない。



 考えているのは葛城姉妹のこと。



 魔術師でもない(と黒人は思っている)のに、この世界に関わらせてしまった。それは隠蔽を主とする魔術師の世界ではタブー中のタブー。



 本来ならば、この場で記憶を消すか、それが不可能なら対象を拘束した後、魔術境界に連絡して指示を待たなければならない。



 だがその場合、ほぼ確実に魔術境界から指示されるのは葛城姉妹の処断。



(あ、そりゃ俺もか)



 黒人は素人に毛が生えた程度とはいえ魔術師である。しかし彼は魔術境界に管理されていない、いうなればモグリの魔術師。



 扱いは一般人と同じ。



 つまり黒人も処断対象。



 春木栄一も様々なケースを想定して魔術師の秘匿を一般人に見られた場合の対応を教えていた。



 その魔術師側を自分がしてどーする、と考えを改めつつ、さらに黒人は考えて考えて考え抜いて、そして一つの結論に至る。



「騒ぎになる前に逃げるぞ。後で何を聞かれても知らぬ存ぜぬを貫こう」



「あ、はい」



 あっさりと同意してくれた咲と共に駆け出そうと足を一歩踏み出した所で、



「マスター。あのソルシエールはどうする? ここでトドメを刺しておくか?」



「……いや、放っておけばいい」



「マスターの命を狙った者なのにか?」



「ああ、それでもだ。お前が手を血で染める姿は見たくないし、咲に人が殺される所も見せたくない」



 それは自分への言い訳だと気付きながら、黒人は本心から目を背ける。少女も、それに気付いていながら、それ以上、深く追求してこなかった。



 こうして春木栄一の前アガシオンという少女の登場により、なんとか誰も死なずに済んだ黒人たちは、人数を増やして『人払い』の解けようとしている商店街から足早に立ち去るのであった。

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