地獄を見た日
注意)シリアス、グロ表現有り
俺は創作したばかりの高速魚雷艇-PTボート-の船首で愛飲のタバコを吸っていた。
ふと視線を背後に向ければそれぞれの舷側に据えられた魚雷発射管が眼に入る。
再び視線を前−海に向けて吸い込んだ紫煙を吐き出した。
…今度は俺達が“あれ”をすることになるのか。
「黄昏れてどうしたんだ」
背後が不意に声を掛けられた。
「…オルソンか」
俺の側に近寄った相棒が自身のタバコに火を点ける。
嗜好品が同じで良かったとつくづく思う。
「…いや、“あの時”の事を思い出してたんだ」
「“あの時”…3年前のか?」
「ああ…。おそらく魚雷を帝国艦隊と戦う時に使うと思う。…状況は違うが、“あの時”と似たような事を俺達がすることになると思ってな…」
「…俺も、だ。…てっきり地獄は見慣れたもんだと“あの時”までは思ってた…」
「…あれ以上の修羅場なんか、いまだお目に掛かってねぇ」
会話を交わしつつも思い出すのは“あの時”の惨状。
…俺達が、現世の地獄を見た時の事だ。
−3年前 某国民族紛争−
嵐が去った戦場。
構築された塹壕の中には夥しい数の戦死者の山。
敵兵の眼を潰そうと眼球に爪を突き立てようとしたまま絶命した兵士。
眼球を潰されながらも首を絞めたまま相打ちとなった兵士。
身体の四肢のいずれかが欠損したまま絶命した者。
内臓と血をいまだ溢れ出しながら死んだ者。
死に方はそれぞれだ。
近代戦争において異様とも言える光景。
何があったか、など一目瞭然だ。
白兵戦を行ったのだ。
現代で、もはや使われなくなった戦術。
死体の山を構築した塹壕の後方では急拵えの簡易野戦病院で軍医、衛生兵が負傷兵の救急措置に追われていた。
「チクショオオオ!!後生だ、モルヒネを打ってくれぇぇ頼むぅ!!」
「耐えるんだ!痛いのは生きている証拠だ!!」
「駄目だ!直ぐに切断するぞ。脚を切断する、押さえ付けろ!!」
「痛ぇぇ!!痛えよぉぉ!!!」
「いいか衛生兵、助かる見込みがある奴を選べ。ここにはもう医薬品が無いんだ!仕方ない!!」
「…もう、こいつは助からない。モルヒネを打ってやれ。最期くらいは楽にしてやるんだ」
正しく阿鼻叫喚の図だった。
辛うじて息のある者の何人かは、手に十字架を持ち神への祈りを捧げていた。
軍医は自らの技術の無さを悔やんだ。
衛生兵は、身体の半分を失ってもなお、生きている人間という動物のしぶとさを呪った。
そこから少し離れた場所に彼等はいた。
一人は傭兵であるショウ・ローランド曹長。
そして同じく傭兵であるオルソン・ピアース曹長。
二人は無言で血に濡れた手でタバコを灰に変える作業を繰り返していた。
地獄の釜の蓋が開いたのは突然だった。
運悪く所属部隊が違ってしまったショウとオルソンは休憩時間を利用して雑談をしていた。
その時だった。
彼方から三発の信号弾が上がったのだ。
血のような色の彩煙弾−敵軍の進撃を表すそれが。
ショウ達の友軍陣地に警報が鳴り響き、それぞれが所定の位置へと走り出す。
ショウの持ち場は塹壕の中央の最前線。
オルソンは左翼側の最前線だった。
迫撃砲陣地から発射された砲弾が風切り音を響かせ彼方へと消えていった。
緊張が走る塹壕内。
そして兵士達が眼にしたのは異様な光景だった。
先行する数輌の戦車に続くのは文字通りの人の群れ。
いや、人間津波といった方が正しいだろう。
それらが眼を血走らせ、獣のような咆哮を上げ突撃してきたのだ。
大地は踏み締める足音で揺れ、咆哮は腹を揺さぶる。
戦術も統率も無い異様な光景。
これほどまでの攻勢は今まで無かった。
兵士達が一種の恐怖感を抱くのは当然だった。
そして“殺らなければ殺られる”と思う事も。
「前方に敵“無数”接近中!」
「撃ち方始め!敵軍を近付けるなっ!!」
「撃てぇ!!」
「撃ち方始めっ!!」
「撃ぇっ!!」
部隊指揮官達の号令一下、唸りを上げる大小あらゆる火器。
撃ち出された弾丸の雨が迫り来る敵兵の群れに襲い掛かる。
絶命の瞬間に叫ばれたのは家族の名前か、はたまた恋人の名前か。
だが止まらない。
倒れた味方の屍を踏み越え、乗り越え、なおも突撃を止めない兵士達。
眼に浮かんでいるのは狂気。
ショウの所属するの友軍兵士達は、ひたすら銃爪を引きまくり弾丸を撒き散らす。
だが止まらない。
狂気の突撃は止まらない。
接近してくる敵の群れを止めるのは、津波を止めるなど人間には不可能だ。
敵兵の一人が身体に弾丸の雨を受け、血塗れになりながらも防弾ベストの代わりに巻き付けたプラスチック爆弾を抱え、塹壕に飛び込み、友軍兵士共々、血煙となる。
ついに防衛線の一角が破られた。
たちまち塹壕内で始まる白兵戦。
手にした自動小銃で、銃剣で、シャベルで、ナイフで、果ては素手で殺し合う。
身体の奥底から沸き上がる生存本能のままに。
ショウもオルソンもご多分に漏れなかった。
肉薄してくる名も知らぬ敵兵の身体にナイフを突き立てる。
組み伏せ殴打し、撲殺させる。
ただひたすら、生き残るためだけに殺し合う。
敵軍は捕虜を必要としなかった。
投降する兵士の四方八方から着剣した自動小銃でめった刺しにして絶命してなおもその身体に銃剣を突き刺すのを止めない。
何がそこまで兵士達を駆り立てるのか、ショウとオルソンには見当がつかなかった。
この果てない殺し合いはいつになれば終わるのか。
そう思いつつ、ショウは絶叫しながら襲い掛かる敵兵の身体に着剣した自動小銃を突き刺す。
銃剣を引き抜こうとするが、敵兵はそれを掴みながらショウを睨み付け離さない。
「クッ…汚ねぇ野郎共がっ!…よくもよくも…俺の家族をッ!!」
血の泡を吹き出しながら身体に銃剣が刺さっているのを構わずに、憤怒の言葉を絶叫した敵兵。
戦慄を覚えたショウは片足で敵兵を蹴り飛ばし、銃剣を引き抜いた。
敵兵は地面に倒れ、何かを探し求めるように虚空へと手を伸ばしたが、力が抜けたようにそれは落ちた。
断末魔の叫びの意味を考える間も無く、再び別の敵兵が襲い掛かってきた。
いったい何時になれば終わるのか…。
「…相棒…生きてるか…?」
「…脚は、まだあるぞ」
戦闘が終了し、互いの無事を確認した彼等は安心したように懐からタバコを取り出し火を点けた。
口の中に広がる苦味はタバコ特有のものだけでは無いだろう。
この戦闘で、ショウは左鎖骨を骨折、身体中に軽い打撲を負った。
一方のオルソンも右肩への貫通銃創を負った。
「…何だったんだ、一体」
「判らん。今までに無い一大攻勢だった事は確かだ」
ショウの言葉に頷きながらオルソンは治療された右肩を軽く撫でる。
「ショウ、そっちはどうだった?」
「酷いもんだった。俺がいた小隊は、殆ど壊滅した」
「中央だったよな。…こっちも酷かったぜ。敵の顔を見れば、子供や老人までいた。…何があったんだ…」
その後は無言で彼等はタバコを灰に変える作業を続けた。
後に、この場所は“死者の丘”と呼ばれる事になる。
戦死者は敵味方合わせ、1万を越え、重傷者はその倍の数となった。
実は、この場所だけでなく、あらゆる戦線でも似たような戦闘が繰り広げられたのだ。
これは敵軍の最期の攻撃だった。
発端は、ショウ達が味方した勢力による、民族浄化作戦が原因だった。
敵対する民族が住む都市に対する、無差別爆撃。
子供も、女も、老人も、皆、業火の中で悶え苦しみ逝った。
その報告を受けた敵軍が報復攻撃を敢行。
だが、航空機を全て失った敵軍に残された最期の攻撃は、捨て身の突撃だけだった。
最期の作戦は志願者で構成されるはずだった。
だが、愛する家族を、恋人を失った彼等にとっては志願など、おかしな話だった。
残存戦力約2万名の地獄への行進。
憎しみが憎しみを呼び、その憎しみが新たな憎しみを呼び込む。
ショウ達がその事を知ったのは終戦後のことだった。
「“憎しみの連鎖を絶つ事は不可能”か…」
「…そうだな」
短くなったタバコを携帯灰皿に収め、それをオルソンに投げる。
「…一方的な攻撃、理不尽な攻撃は憎しみの火種を煽り、それは大火になる」
「…狂ってるよな…人間って生き物は」
「違うな」
オルソンの言葉を一蹴する。
「狂ってるのは、俺達、だろ?」
「…そうかもな」
新たなタバコを取り出し、火を点ける。
…今日のタバコは、苦いな。
「…そろそろ戻ろう。哨戒は終わりだ」
「…Aye,sir」