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過ぎ去りし記憶



ショウの過去話です。






狭い宿舎の中で、新兵達が一心不乱に俺達から支給された、マウザーKar98kを分解、組み立ての作業を繰り返している。


本日の天気が雨なので、屋外での訓練が中止になったためだ。


組み立てのタイムが早く、それに喜ぶ者。


作業方法がうまく理解出来ずに苦心する者。


反応はそれぞれだ。



それを横目に、俺は窓に近寄り外の景色を見る。


雨は相変わらず降っている。


農家は喜ぶだろう。


恵みの雨、と称される気候現象。

それが命を育み、新たな命を生み出す。



だが、俺は雨が嫌いだ。


屋内と外界を隔てるガラスには雨粒が伝り落ちていく。

それを見遣りながら、再び視線を外に向ける。


…やはり…雨は嫌いだ。








−2年前 某国 国境紛争−




崩れ落ちた瓦礫。

よく見れば、それが原型を留めていない家屋だと分かる。


その中へ、被っていたヘルメットを脱ぎながら、ゆっくりとした動作で入って来る人影。


長身の黒髪黒眼の男。


あまり休んでいないためか、彼の目元にはくっきりとした隈が表れ、うっすらと生えた無精髭が彼の顔立ちを強面へと変えている。


この男は民間人では無い、と一発で分かるような格好だ。


周囲の色に溶け込むような濃い灰色を基調にした都市型迷彩服。

手にしているのは、旧ソ連が開発した自動狙撃銃であるSVD-ドラグノフ-に、腰には大口径拳銃デザート・イーグルと予備携行のベレッタM92FSをホルスターに収めている。


開発国も生産メーカーも異なる、不統一の装備。


彼の職業は傭兵。


ショウ・ローランド、本名を桂木翔。


傭兵の世界で“猟犬”の通り名で知られる、仕える国なき放浪者の一人だ。



それまで止むことを知らなかった銃声と砲撃のBGMが鳴り止み、原隊と逸れた彼は少しの休息の為に、この眼に付いた家屋…瓦礫の山へと足を運んだのだった。


崩れ落ちたコンクリート片に腰掛け、巻いている弾帯から水筒を取り出す。


カバーにあたる布生地は擦り切れるようにして破れ、水筒本体のアルミの地金が顔を覗かせている。



戦闘開始から約2時間。


最後に食べたのは湿気った数枚のビスケット。

すでにそれは、彼の胃袋には残っていない。


空腹を満たすため、バックパックから携行食を取り出す。


これもビスケット、それも一枚しか残っていない。

だが、無いよりはマシ、と結論付け、彼は最後の一枚を口内へ放り込み、咀嚼し始める。


手が埃やオイル、手汗で汚れているため、ビスケット特有の甘味は全くしなかった。


水筒の注ぎ口に直接、口を付けて、口内に残っている噛み砕いたビスケットを胃袋へ送るために水を流し込む。


これが文字通り、最期の食事になるかもしれない。


不意に浮かんだ考えを自嘲するように彼は顔に皮肉った微笑みを浮かべた。


何故なら、彼は既に死んでいるからだ。


あの日−彼自身が彼の叔父を殺した日から、桂木翔は社会的に死んだ。



今ここにいるのは、本名がそれの、ショウ・ローランドという名の傭兵。



ふと、彼の視界に入った物。


近寄って、手に取るとそれは、ガラス張りの写真立てだった。


本来の役割を果たすように、その中には一枚の写真があった。


穏やかな微笑みを浮かべる中年の男性と同年代の女性。

そして、その間に挟まれるように少年がいた。


これは家族写真なのだろう。


彼が得られなかったもの。


幼い頃に夢見た、ごくありふれた家族の姿がそこにはあった。



突然、鈍い痛みが指に走る。


見れば、ガラスが割れていて、それで指を切っていた。


まるで、写真が主人達以外の者が、それに触れるのを拒絶するかのように彼には感じられた。



それを元の場所に戻し、指の応急処置を始める。


怪我の程度がどうあれ、早急な手当ての結果が、戦場では重要になるのを彼は知っていた。



手当てが終わると、彼の顔にポツリと一滴の雫が落ちる。


この地方特有の長い乾季が終わり、短い雨季の訪れを知らせる雨粒。



降り出した雨粒は、戦場の大地を黒い斑点で埋め尽くしていく。


次第に激しくなる雨足。


埃と煤に塗れた彼の顔の目尻から顎に向かって流れ落ちていく一本の筋。


まるで、涙を流しているようだ。


それが本当に涙なのか、それともただの雨粒なのかは判らない。



激しい雨音は、世界に一人ぼっちなのでは無いかと、錯覚させる。


彼は、これが嫌いだった。


守ってくれるのは、手にしている冷たい鉄の固まりと己自身の能力のみ。


何かに縋るように彼は強く銃把を握り絞めた。




雨音に紛れるように耳を打ったのは風切り音。


それが途切れた瞬間、腹を揺さ振るような轟音。


再び戦端が開かれたのだ。



それに呼応するように、あちらこちらから銃声が響き始める。



彼は残弾を確認した後、瓦礫と化した家屋から出て、戦闘の激しいであろう前線へと向かった。



後に残ったのは、ひとつの写真立てのみだった。







…雨は嫌いだ。



…一人ぼっちだと錯覚してしまうから…。








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