変換
またまた薬ネタ。
「フワァ……」
寝床であるベッドから欠伸を零しつつ起き上がる人影。
この寝室は“なんでも屋ローランド”の店主である、ショウ・ローランドのそれである。
狭い部屋の内装はいたって質素で、ベッドの他には衣服を収容するクローゼットや、タバコとジッポと灰皿が置かれているサイドテーブルしか目を引く物はない。
所謂、寝る為だけの場所という奴である。
ベッドの横に立て掛けているライフルと愛刀だけが唯一の例外であろう。。
そんな彼が、何かがおかしい、と気付いたのはベッド脇に置いてあるブーツを履いた時であった。
(…あれ…?)
おかしい…何かがおかしい。
寝起きの脳みそで考えると、おかしかったのは先程の欠伸だ。
そう…妙に声が高かったのだ。
(俺って…裏声が出せたか?)
普段の彼の声は低い。どんなに頑張って裏声を出しても、テノールにも及ばない。
だが…先程の欠伸は少しハスキーのアルトだ。
そしてショウは更に気付いた。
いつもより自分の視点が低い事と、妙に体が軽い事に。
(…まさかな…)
一瞬、脳裏に浮かんだ馬鹿馬鹿しいにもほどがある結論。
そう思いつつ、彼は自分の胸を触るべく片手を伸ばす。
そこに触れると…擬音で表すなら、フニッが正しいだろう。
そう…柔らかいのだ。
(ッ!?)
まさか、と再び思いつつも今度は両手で触る。
(ななな何ぃぃ!?)
感触は、やはり柔らかかった。
本来なら鍛え上げられた胸板がある筈の場所が何故か柔らかい。
怖ず怖ずと視線を俯角一杯に落とすと……そこには、見事な双丘が。
「……ってハアァァ!?」
驚愕の絶叫はハスキーボイス。その声音は女のそれだ。
いきなりの事に彼には珍しく取り乱した。
(落ち着け…落ち着くんだ、翔…。そう…クールだ、クール…KOOL…って銘柄になってるじゃねぇか!?)
やはり彼には珍しく混乱している。
そこでショウは気付いてしまった。
…自分の下半身の一点についてだ…。
ゆっくり、怖ず怖ずと、恐いものを見るようにショウは、何故かベルトをしているのにブカブカとなっている迷彩ズボンの前を延ばして、“それ”の確認をする。
……“それ”は残念ながら存在しなかったが、別の“モノ”は存在していた。
「……うん……夢だ」
これは夢なんだ、と自分に言い聞かせ、ベタだが頬を抓ってみる。
…痛みが襲った、という事は夢ではない。
「…ハハハッ…馬鹿なぁぁ!?」
絹を裂くような悲鳴を上げて、ショウは寝室の扉を乱暴に開け放つと、真っ先に洗面台へ向かった。
「……マジかよ……」
鏡に写る自分の姿にショウは愕然となった。
短く纏めている筈の黒髪は、ストレートのロングに。
そして顔の作りは…どうみても女性だ。
少し吊り上がった双眸ではあるが、美女と言って差し障りはない。
そして、ついでに言えば…身長が縮み、170cm代になってしまっている。
(…カツラ…?)
往生際の悪い男……否、女である。
だが無理もない。
昨晩は自身の相棒と、しこたま酒を飲み、途中から気分が悪くなったショウは先に寝たのだ。
(オルソンの奴が…きっと悪戯したんだ…いや、そうとしか思えん!)
試しに髪を引っ張ってみるが、頭皮ごと引っ張られる感触が。
結論、カツラではない。
「大成功〜♪♪」
少なくとも現在の“彼女”の状況には不釣り合いの陽気な声が背後から響いた。
鏡越しに相手を確認し、ショウが振り返ると、そこにはニヤニヤと顔を歪める相棒の姿が。
「…オルソン…」
地を這う低い声…いや実際は高いのだが。
とにかく、相棒であるオルソン・ピアースの名前を呼ぶと彼は軽く手を挙げて朝の挨拶を…。
「おっはよショ…グボッ!?」
オルソンにツカツカと歩み寄った“彼女”は、何処から取り出したのが自身の愛銃であるデザートイーグルの銃口を相棒のだらし無く開いていた口の中に突っ込んだ。
「オハヨー、オルソン?」
顔は笑っているが、その瞳は全く笑ってはいない。
「モガモゴ!?」
「さぁて…ひとつ聞かせてくれ相棒?」
「モガ?」
「なんで“俺”だと判った?」
「!?」
ショウはつまり、こう言いたいのだ。
自分は昨日とは全く違う姿形をしているのに(特に性別と髪型が)何故、一発で看破したのか、と。
「…ついでに言えば、何が“大成功”なんだ?」
「モゴ…!?」
拳銃の規格としては冗談のように馬鹿デカいそれの銃口を口内に突っ込まれて平然としていられる人間がこの世にいるだろうか。
オルソンもご多分に漏れず、顔と背中には冷汗が流れている。
だが、銃口を突っ込んでいる張本人は、太陽のように眩しい笑顔を貼付けている。
…瞳は残念ながら笑っていないが。
「ヘイヘイ…どうしたんだ相棒、膝が笑ってるぜ?」
「!?」
ショウは銃爪に掛ける指先に若干、力を込める。
ほんの数kgだけ力を入れれば、筒先から火が吹いてしまう。
「ほらほら早く白状しねぇか。はい、い〜ち♪」
発砲までのカウントを始めたショウ。
自身の相棒が冗談があまり好きではない事を誰より知っているオルソンは戦慄し、年貢の納め時を悟った。
「…OK、色々と聞きたいが…それまで俺が我慢できるか不安だからな…」
「はい…」
所変わって、居間。
ショウは寝起きのまま…正確には魔法でサイズを合わせた黒い無地のTシャツに迷彩ズボンを履いて、ソファに腰掛けつつ脚をテーブルに投げ出している。
その向かいにある応接用のソファにはオルソンが座っているが…受験面接時の手本になるような腰掛け方だ。
身体が僅かに震えているのは眼の錯覚ではないだろう。
「確認させてもらいたいんだが…」
「えっと…何でしょうか、お嬢さん?」
オルソンの発言が頭にきたのか、ズガンと彼が座っているソファに穴が空いた。
「おいおい…誰が“お嬢さん”なんだ相棒?」
「いえ…失言でした…」
ショウが右手に持つ愛銃の銃口からは硝煙が昇っている。
女性の細腕で大口径自動拳銃の反動をどうやって殺しているのか是非とも聞いてみたい。
「お前は頭を振るか、YesかNoで答えろ」
「…Yes…」
「…確認させてもらいたいのはな…なんで、そんな“薬”を作ったかだ」
気付いた方もいるだろう。
頭を縦に振った男が懲りない野郎だという事をだ。
また性懲りもなく、おかしな薬を作ってしまった訳だ。
「えっと…それ−」
今度は銃口の先にオルソンの額がある。
「言わなかったか相棒?」
「………」
「よろしい。…作った理由は…知的好奇心を満たすため…間違いないか?」
コクン、と頷いたオルソンにショウは溜め息を吐き出した。
「…殺されてぇか?」
「………!」
冗談に聞こえない発言にオルソンはブンブン激しくと首を振る。
誰だって死にたくはない…というか彼等の場合、二度も死にたくはないからだ。
「…とっとと解毒剤を作りやがれ…」
それで無罪放免にしてやる、とショウは投げやりに言い放つが、それにオルソンは挙手して発言の許可を促す。
「…許す」
「…別に解毒剤なんか作らなくても…そうだな今日一日あれば薬効は切れる」
「…本当か?」
「俺は作った張本人だぜ」
「威張んな」
「済みません」
土下座をする勢いでオルソンが謝ると彼の相棒は再び溜め息を零し、次いでタバコを取り出して火を点けた。
「…一日か…」
24時間、1,440分、秒に直すのは面倒なので割愛。
要は、短いようで長いのだ。
「…なんなら作るか?…時間はかかるけどよ」
発言を許してはいないが、タバコを吸っているためかショウの気分はやや右肩上がりになっている。
「…いや…良い」
「…は?」
「これも経験だと思って、な」
その経験がなんの役に立つのかは甚だ疑問である。
だが、理解し難い事もない。
コーヒーに入れる砂糖のさじ加減と似たモノだ。
いくら飲んでも味が気にくわないなら、それを変え自分好みにする為に砂糖を加えるだろう。
だが、それは綿密な数式や計算によって加えるモノではない。
何度かの試行錯誤を経て、自分自身に適した砂糖のさじ加減となるのだ。
その試行錯誤が、経験である。
「…被害者がそう言うなら…」
「…二度と変な薬は作るなよ?」
「了解」
約束は出来ないけどな、とオルソンは心中で付け足した。
話は変わるがオルソン考案の、この薬の名前は“性変換薬”。
まぁ捻りもへったくれも無いネーミングセンスである。
何をどうやって、この馬鹿みたいで非現実的な薬を作ったのかは、彼が手に入れた薬草や魔法の力によるのだとか。
…そんな能力があるのなら、もっと別な事に能力を発揮してもらいたい。
「…で、どうだ?」
「あん?」
「女になった感想だよ」
「…新鮮、な気分だな」
昨夜の仕込み水割りを飲んだ、再びの無味無臭無色透明の薬の被験者となったショウが答えた。
「…何をするにも何を見るにも初めての気分だ。これは銃を撃つのも一苦労かもな」
「ソウデスカ」
ついさっき、大口径自動拳銃たるデザートイーグルを女性の細腕で、しかも片手で派手にぶっ放した本人とは思えない言葉である。
「まぁ…依頼がないのが唯一の救いかも、な」
ショウはそう言うと、テーブルに置かれている吸い殻が山盛りになった灰皿にタバコを押し潰した。
どうやって絶妙なバランスを維持しているのか疑問ではあるが。
「ひとつ良いか?」
オルソンの表情が真剣そのものになった。
何か重要な事でもあるのか、とショウは視線を相棒に向ける。
「…もっとさぁ…その…座り方、どうかならねぇか?」
「…………はっ?」
何を言いだしやがるんだ、とショウは呆気に取られる。
「折角、女になって、しかも美人になったのに…テーブルに脚なんか投げ出して踏ん反り返ってるのは…」
加害者が何を言い出すのかと思えば…。
「なに言って…」
「じゃあ聞くが…お前、“事に及ぶ時”相手にそんなポーズでベッドへ誘われて本格戦闘に入れるか?」
「……無理…だな」
「だろ」
お前には欲情しないが、と再びオルソンは心中で付け足す。
「例えば…脚を斜めに揃え、ゆっくりと脚を組んで…ガーター当たりが覗くと更に良いが…そして頬杖を付く…どうよ?」
「……良いな」
「ヘッヘッ…このスケベ。やっぱ夜お−」
「殺すぜ?」
ニッコリと笑って死刑宣告するショウにオルソンは再び謝罪する。
「…………」
「…フゥ…」
少しの沈黙の後、ショウは溜め息を零す。
そしてと腰を上げると、オルソンが座っているソファへ移動し、彼の横へ腰掛けた。
すると流れるような動作で、ゆっくりと艶やかに脚が組まれ、ソファの肘掛けに頬杖を付く。
我知らず、オルソンは生唾を飲み下す。
まさか、本当にやるとは思わなかっただろう。
残念ながらボディラインが浮き出るドレスの類いではない。
だが、薄いシャツの布地から自己主張する双丘に幅の狭い肩。
そして自分よりも小柄な体躯ときた。
(こりゃ…思ったよりもあるな。91-56-87…いや90!)
スリーサイズを一発で見破るとは、おかしな特技だ。
ちなみに誤差は±1cmで済むとか。
「ねぇ…どうしたの、オルソン?」
「はぁ?」
とうとう薬の副作用が頭に回ったか、とオルソンは不意に考えた。
しかしよく考えると、構造式上では、そんな副作用は身体に現れない。
「…緊張しちゃって…ほら力抜いて、身体を預けて?」
(耐えろ、耐えんだオルソン!相手は相棒だぞ!?しかも男だ!海兵隊での禁欲生活を思い出せ!!)
いくら節操なしだとしても、人並みの自制心はあるらしい。
その節操なしで彼が想い人を泣かせないか、心配でならない。
「フフッ…怯えちゃって…可愛い…」
妖艶な微笑みを浮かべながら“彼女”がオルソンの頬を撫でると、彼の背筋は凍り付いた。
無論、気色悪さにではないのはお分かりだろう。
「…さぁ、横になりなさい」
“彼女”の顔を凝視したままオルソンは、優しくソファへ押し倒された。
“押し倒す”のは得意らしいのだが…。
「…眼を閉じて?…恥ずかしいわ」
この台詞にオルソンのハートは大口径の弾丸で撃ち抜かれた。
恥じらうように微かに頬を染める妖艶で妙齢の女性にしか見えない。
眼前の女性が自身の相棒だという事を頭から追い出してしまった彼は、言われるがまま瞳を閉じる。
「…良い子ね…」
(下になるのは趣味じゃねぇんだがな…)
なんの趣味なのかは…気にしないのが利口だろう。
顔が近付いたのかオルソンのそれに熱い吐息が掛かり体重がのしかかる。
だが間髪入れずに身を反転させ、今度は真逆の態勢になる。
「…なんて、流されるとでも思ったか?」
「…はぁ…だろうとは思ったがよ」
口調が何時ものショウのそれに戻る。
「見くびんなっての」
嘲笑するようにオルソンが顔を歪ませるが、それよりも遥かに凶悪な微笑を“彼女”は浮かべる。
「もっと早く反攻に転じれば良かったな…相棒?」
「は?」
何が、と続けようとしたオルソンの言葉は、玄関のドアが激しく開いた音で途切れた。
「オルソンさん…」
「そんな……不潔です!!」
現れたのは、ベルゼーとジャスミンだ。
二人とも信じられないような表情を浮かべ立っている。
おそらく…否、きっと彼等から見ると、オルソンが見知らぬ女性をソファに押し出して“事に及ぶ瞬間”にしか見えない。
「なっ何やってんですか!?」
「オルソンさん…そんな…」
「ちょっと待って、お前等は誤解してんだよ」
「助けて!!」
「ええぇぇっ!?」
オルソンを突き飛ばし、一目散にベルゼー達の背後に隠れるショウの姿は、か弱い女性そのものだ。
「依頼に来たのに…こっこの人ったら、とんでもない報酬を要求したんです!払えないって言ったら…身体で支払えって!!」
それは初耳だ。
だが、妙に説得力がある。
「オルソンさん、依頼人の方にそんな事をするなんて!?」
「酷い…。大丈夫ですか?」
「はっはい…平気です、助かりました」
「騙されんなよ二人とも!そいつはショウだ!!」
「なに言ってるんですか!?ショウさんは男ですよ!!」
「ッ!?…この服…一体どうしたんですか?」
「…服を着替えろって脅されて…」
収拾が付かなくなってきた。
元はと言えば、オルソンが悪いのだが、流石にやり過ぎたとショウは、ほんの少しだけ反省する。
詰め寄る二人に苦しいとも取れる説得をするオルソンを見詰めながら、“彼女”はポケットからタバコを取り出し、ジッポの火を点けた。
この後、どんな騒動があったかは…想像にお任せしよう。