Christmas of battlefield
本当ならば、今日の夜は一家団欒を楽しみ、神に感謝し、子供達はプレゼントを楽しみにベッドへ入るだろう。
だが、生憎と、この場所ではそんなものはない。
いや、無くて当然だ。
有るとすれば、プレゼントは飛来する砲弾、聖書代わりの命令、暖炉代わりの焚火、そしてテーブルに並ぶはずの温かい食事は冷たい軍用糧食。
ここは戦場なのだから…。
「…なぁ?」
「あん?」
焚火を囲む二人の男。
その内の一人、戦闘服を着込み、タバコを吸っている金髪の男が、向かいに座って愛銃をクリーニングしている黒髪の男に問い掛けた。
「お前…クリスマスはどうしてた?」
唐突な質問に男−ショウは怪訝な表情をする。
愛銃のクリーニングが終わったのか、それを傍らに置き、次いでタバコを取り出すと焚火で火を点けて口へと運ぶ。
「どうしてた…ねぇ?」
「おう」
ショウは思案するように視線を宙に向ける。
一方の男−オルソンは返答を待ちながら紫煙を吐き出した。
「…殴られてた」
「……はぁ?」
「後は…飯を貰えなかったり…あぁ残飯は貰ったな。外は雪が降ってるのに家から追い出されて、警官に補導された。後は…」
「悪い…聞かなかった事にしてくれ」
「なんだ…もう良いのか?」
「…あぁ、もう腹一杯」
なんとも言えない表情で苦笑するオルソンは、自分の相棒が他人には、おおよそ想像もつかない人生を送ってきた事を思い出した。
いくら戦場でも、聖なる夜にこんな話は不適当だろう。
「ならお前は?」
「俺?」
「あぁ、本場アメリカのクリスマスはどうだ?」
そう返されるとは思っていなかったのかオルソンも思案する。
「う〜ん…俺の家って、そこまで敬謙なクリスチャンじゃなかったからなぁ…」
「でも、祝ったんだろ?」
「まぁな。教会に行ったらミサ、あと…家族で飯を食ったり」
「なんとも…幸せな家族だったんだな」
「羨ましいか?」
「羨ましくない…って言ったら嘘になるか…」
苦笑しながらショウはタバコを吸い込み紫煙を吐き出す。
「なぁオルソン?」
「ん?」
「お前がサンタを信じなくなったのはいつ頃だ?」
今度はショウからの唐突な質問。
「…三歳頃だな。プレゼントを楽しみにベッドでサンタクロースが来るのを待ってたんだけど、来たのは…」
「親父さんだったか?」
「いんや、お袋だ」
冗談に二人は声を上げて笑った。
「ショウ、お前は?」
「…一度も信じた事がない。というより…存在を知ったのは…小学校に上がった頃…だったな」
「…そっか…」
自分の相棒の余りにも悲惨な半生に同情を覚えたオルソンだったが、それを直ぐに打ち消した。
どうって事はない。
何より彼の相棒は同情なんか望んでいないだろうし、世界中を探せば、もっと不幸な境遇にいる人間は見付かるだろうから。
「…来年のクリスマスは、二人で過ごすか?」
オルソンのささやかな提案に彼の相棒は心底、気持ち悪そうな表情をする。
「…野郎だけのクリスマスって、目も当てられねぇな…」
「そう言うなっての。…何処かの安いモーテルで、安いラムとサンドイッチでも買ってよ」
「…女の上で有酸素運動したいが……それも悪くない…悪くねぇな」
「だろ?」
返答を聞いたオルソンは、片目を閉じて悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「…今までクリスマスは…楽しみな行事じゃなかったが…来年は楽しめそうだ」
「そりゃ光栄だ」
クリスマス休戦−始まりは第一次大戦下で最前線の敵同士が非公式ではあるが、その日だけは戦闘をしなかったのが始まりとされている。
それより前のアメリカ南北戦争、クリミア戦争、等々でも同様の事があり、それが始まりだともされている。
彼等が参戦しているこの紛争でもクリスマス休戦は実現した。
それが何処まで通用するかは別として。
彼等の周りで焚火を各々、囲んでいる兵士達も故郷に帰れば、良き夫、良き兄弟、良き恋人、なのだろう。
彼等が今、何を思って焚火を見詰めているかは想像できない。
世の中の人々−とりわけ先進国の人々は、世界で勃発する紛争には無関心だ。
それよりも彼等には、何年後かに影響する環境問題や日々の生活に関係する物価の方が関心があるはずだ。
飢餓や貧しさ、宗教、国境、エトセトラからくる争い事には関心なんか持たないのが普通なのだろう。
だが、考えて欲しい。
今、この瞬間に、銃弾の雨を浴び、家族の、母親の、または恋人の名前を叫びながら散華する人間の事を。
それから何を考えるかは、それぞれが感じ、思った事がその真実だ。
「オルソン…」
「あん?」
「俺、賛美歌ってのを聞いた事がないんだよ」
「おいおい…まさか歌えってか?」
「少なくとも…音痴じゃねぇだろ?」
唇の端を上げて笑う相棒のささやかな望み。
それを無下に断る程、彼は人でなしではない。
「…判った。“Amazing Grace”で良いか?」
「待ってました大統領」
よく判らない囃し立てに苦笑しつつオルソンは咥えていたタバコを焚火の中に放り込んだ。
そして息を吸い込む。
「…Amazing grace. How sweet the sound.That saved a wretch like me」
“Amazing Grace”は賛美歌だ。和訳は“素晴らしき恩寵”
作詞した人物は、元々、黒人奴隷船の船長だった。
奴隷達の待遇は家畜以下。
それを船を降りた頃になって、自分の過ちに気付いた彼は後悔の念から、この歌を作った。
現在では、特にアメリカで好んで歌われている。
教会で聞くならば別だが、オルソンの歌声は低く、賛美歌とは程遠い。
だが、ショウは眼を閉じて聴き入っている。
それは彼だけではない。
陣地に響き渡り始めた歌に幾人かが気付き、オルソンを見ている。
その中には我れ知らず、歌詞を口ずさむ者も。
何人かの兵士は歌を聞きながらポケットから取り出した皺くちゃの写真を見詰めている。
オルソンの歌は続き、ショウも歌詞を口ずさみ始める。
歌が終盤に差し掛かる頃には、呟きのようだった小さな歌声の数々が合唱へと変わっていた。
『Amazing grace! how sweet the sound.That saved a wretch like me.I once was lost, but now I am found.Was blind, but now I see.』
小さく息をついたオルソンは、ポケットからタバコを取り出して火を点けると再び咥える。
陣地の中では、啜り泣く声も聞こえ始めた。
何やってんだか、とオルソンは心中で思った。
ふと腕時計を見ると日付が変わっていた。
12/25になったのだ。
「ショウ」
「ん?」
タバコを咥えながらショウは顔を上げた。
「Merry christmas」
おおよそ彼らしくない台詞。
そう言われるとは思っていなかったのかショウは“今日”初めての苦笑を零した。
「…Merry christmas…“Buddy”」
彼がそう返すと二人はフッ、と小さくだが笑い合った。
休戦は26日まで。
明日には再び放火を交えるだろう。
だが、それでも良い。
こんな人でなしのような職業に就いている傭兵の二人にとって、このくらいの幸せなクリスマスを送っても罰は当たらないだろうから。