ニンジン
パートを終えて、家に帰ると、七歳になる娘が玄関まで走ってきて、
「あのね、ニンジンで笛が作れるんだって」
とはしゃいだ様子で言った。ニンジンで笛。ああ、昔、何かで見た記憶がある。あった。野菜の中、中身をくりぬいて、うまい具合に穴をあけると、リコーダーみたいになるんだ。尺八の様になったりするのである。その事を娘は言っているのだろう。
「どうしたの。作ってみたいの」
そう尋ねると、娘はこくりと頷いてこちらを見た。ニンジンが欲しいのだ。野菜で笛。作ってみたいのだ。そういう顔をしていた。しかし今どきの子供がねえ。そんな事をねえ。そう思った。今どきの子供がそんな事をしたいと思うなんてなあ。不思議な気がした。親も子供も終始スマホを眺めている様な昨今で。
「ニンジンねえ」
ニンジンで笛。そういうのを見た記憶はある。しかし、随分昔の事だったと思う。子供の頃、何で見たのか定かではない。思い出せない。その当時、スマホは無かった。携帯電話はあったかもしれない。ガラケー。メールアドレスをしょっちゅう変える級友がいた。その度にメールアドレスの変更を登録して。電話帳開いて。なんかしてた。面倒だった。その頃に、何かで、何だったかな。野菜で笛。ニンジンで笛。見た事があった。あったかもしれない。でも、その当時ですら、
「へえ」
という感じだった。正直。正直に言って、メンコとかベーゴマとか、あやとりとか、そういうものと同じように思えた。野菜で笛。だってリコーダーもあったし。アルトリコーダーもあったし。別に。野菜で笛を作らなくても。
でも、それを、娘がやりたいのだという。作ってみたいのだという。パートから帰って来るなり、玄関まで走ってきて、幾分かの興奮と共に伝えるくらいには。
「今日やりたいの」
娘に尋ねると、出来れば、と言う。その日、冷蔵庫にはニンジンは無かった。ニンジンの事は考えていなかった。大根でも作れるのではなかったか。しかし、大根も無かった。サツマイモも無かった。ちょうど、ネギを買い忘れていることを思い出した。あと、しょうがも。
「買い物に行く」
「行く」
娘と手を繋いで近所のスーパーに買い物に行った。どれにしようか。ネギを選んでいると、娘はニンジンを持ってきた。そんなにやりたいのか。本当にやりたいんだな。そう思った。今このスーパーでニンジンを持っている娘を見て、この子がまさか、このニンジンをリコーダーにしたいのだと、考える人はいるんだろうか。いない気がした。
「包丁、気を付けてね」
「大丈夫、油断しない」
晩御飯の支度をしている横で、台所で、まな板の上で、娘がニンジンの中身をくりぬいている。スーパーでくりぬかれたニンジンについての処理方法を尋ねると、
「筑前煮とかにしてもらえますか」
と娘は言った。筑前煮ね。ああ、なるほど。分かりました。それで行きましょう。手を打ちましょう。私は筑前煮を作ることにした。タケノコは水煮のパックになっているものを、あと、ごぼうとか、レンコンとか、ササギとか。あれ、エンドウっていうのか。ササゲだったか。いや、子供の頃、親はササギって言ってたと思うなあ。確か。
鶏肉、こんにゃく、シイタケ。
そして、ニンジン。
娘は器用な手つきでニンジンの中身をほじくり返していた。この子ってこんなに器用なんだ。そんな風に思ってしまう位、器用。危なげが無い。娘が油断しないと言った通り、油断しない限り、怪我の心配はないだろう。そう思えるくらいに、器用。ニンジンの中身をほじくり返している。親の贔屓目だろうか。それがあるにしても。こんなにうまいかな。普通。学生時代、美術だったか、工作だったかは覚えていないが、版画を作るという授業があった。木の板を彫刻刀で削って、モチモチの木の絵のようなものを作るのである。最後に木の板に墨を塗って、それを紙に押し当てて、それで作品は完成する。彫刻刀を使う時、自分の側に刃を向けてはいけない。教師はそう言っていた。しかし、場所によっては、状態によっては、日によっては、状況によっては、メンタルによっては、それが聞けない時もあった。
作品を回して彫刻刀を使いなさい。それはわかっていても、気がせいてしまう。そんな時があった。夢中でやっているうちにか、あるいはふざけていたのか、ある生徒が、確か男子だったと思う。何度目かの版画作成の時に彫刻刀で自分の指の先を削った。血が出た。先生がタオルを持ってきた。赤い血だった。私はその生徒の席からは離れていたけど、でも、タオルが赤くなっているのは見た。それを見て誰かが、女子だったか。気分が悪くなったと言って、早退した。
娘は、ニンジンの中身をくりぬいている娘は、ふざけてはいなかったし、気も急いてはいなかった。ただ、夢中にはなっている。そう見えた。夢中でほじくりかえしている。ニンジンの中身をほじくりかえして、穴をあけて、時々口に当てて、吹いてみて、最初の音が出た時、こちらを嬉しそうに見た。
「よかったね」
と言うと、頷いて、微調整を行って、音を出してみては、微調整を行って、音を出してみては、微調整を行って。
職人というのはこういう感じなんだろうか。見ていてそんな事を思った。
娘の部屋からニンジンで作った笛の音がするようになった。控えめな、七歳にしては気を使ったような。そんな音で、音量、音色で、娘はニンジンの笛を吹いた。笛になったニンジンが痛んでくると、またニンジンを買ってほしいとせがむ。今度のニンジンはどうやって料理しようかと尋ねると、
「しりしりにしたらいいよ」
と娘は言った。ニンジンのしりしり。にんじんしりしり。ああ、なるほど。その次は、グラッセ。その次はきんぴらごぼう。娘の口からニンジン料理が次々に出てきた。
彼女のニンジン笛工作の技術も向上してきているように思えた。前のよりもうまく。彼女の手つき、真剣な表情から、それが伺えた。一本前のよりもうまく。もっと綺麗に、形を整えて。
加えて笛の演奏の技術も上がっている気がした。彼女は部屋でエーデルワイスなんかを演奏したりしている。しっかりとした音がしている。
学生時代の自分よりも上手だなあ。
聞いていて自然とそう思っていた。学生時代。中学校の頃だったと思う。音楽の授業でエーデルワイスを吹くという課題が出た。普段持ち帰らない笛、アルトリコーダーだったかな。を持ちかえって練習した。一晩中練習した。それでも、授業の時の演奏は及第点くらいだったと思う。音程も外れたし、つっかえつっかえだったし、間違ったりもした。一人一人、教師の前で、ピアノの前でアルトリコーダーをふかせるタイプの、課題のやり方だった。それも嫌だったなあ。音楽の、気難しい音楽の教師が最後に、
「うん、はい」
というようなリアクションしかしなかった。気を使うとかは絶対に出来ない感じの教師だった。音楽の教師だからかもしれない。あるいはあの教師は出来ない人間の気持ちはわからなかったのかもしれない。自分が出来るから。頑張らなければよかった。終わった後思った。一晩中、家族に迷惑をかけてまで、笛を持ち帰ってまで、練習したけど、でも、そんな事しなかった方がよかったかもしれない。そう思った。
それなのに、娘は、ニンジンで、ニンジンで作った笛で。
綺麗にエーデルワイスを奏でている。単に鳴らしているとかじゃなく、奏でている。ニンジンで。エーデルワイス。
急に。
どうして急に。
娘はニンジンで笛を作りたいと言いだしたのだろうか。何がきっかけで。教育テレビか何かで見たのだろうか。あるいは学校の授業でそういうのがあったのか。Youtubeで見たりしたのだろうか。
どうして急に。
何故。
何で、あんなに真剣に。真剣な表情で。目で。
ニンジンをほじくりかえすのだろうか。来る日も来る日も。
ニンジンをほじくりかえしては、筑前煮、しりしり、グラッセ、きんぴらごぼう、肉じゃが、サラダ、なます、ナムル、ポタージュ、ガレット、ニンジンスティック、蒸し野菜という。
そして部屋に籠って、笛を、ニンジンで作った笛を吹く。
まるで、何かに憑りつかれたかのように。
最近、娘の演奏が二重、三重になっている様に聞こえる。リコーダー、小学生の時に使った、ソプラノリコーダーと、そして中学校で使ったアルトリコーダー。それから時として、バス、あるいはテノール。それらが同時に。二重奏、三重奏になって聞こえてくる。そんな事はあり得ない。絶対に。あり得ないと思うから、だから、時々、娘の部屋のドアをノックして、
「ねえ」
と言って、ドアを開ける。
「どうしたの?」
娘は不思議そうな顔をしている。一人で。ニンジンの笛を持った娘が、一人で。
一人で。
いつも一人で。
一人しかいない。
娘は一人しかいない。
部屋には娘一人しかいない。
何時開けても、一人。
娘一人。
ニンジンの笛を持った娘が一人。
ニンジンの笛が彼女の前に複数個。
娘が真剣な表情で作ったニンジンの笛。リコーダー。こだわって作ったニンジンのリコーダー。ソプラノリコーダー。アルトリコーダー。バスリコーダー。テノールリコーダー。
録音、スマートフォンとか、そういうものの類はまだ、持たせていない。娘には。小学校高学年になったら持たせようと思っていて。
だから、彼女が動画とかを見たいという時は、こちらのスマホを貸してあげて。でも、ニンジンの笛を作るようになってからは全然貸してとかって言わなくなったなあ。
この子は。
「演奏上手になったね」
と言うと、娘は、にっこりと笑う。
「ありがとう」
という。
ドアを閉めると、またエーデルワイスが聞こえてくる。
エーデルワイス
エーデルワイス
それが二重奏に、あるいは三重奏になって聞こえる。ソプラノリコーダー。アルトリコーダー。バスリコーダー、あるいはテノールリコーダー。
娘は一人。
口は一つ。
手は二本。
指は十本。
それなのに二重奏三重奏になってエーデルワイスが聞こえてくる。
エーデルワイス
エーデルワイス
娘は一人。
口は一つ。
手は二本。
指は十本。




