表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

恋人でもないのに私の傍にいる鬱状態

作者: 有未
掲載日:2025/10/20

 恋人でもないのに常に私に寄り添って来る、鬱。鬱状態。平仮名表記が良いのか、漢字表記が良いのか、調べてみても良く分からない。これだけ一緒にいても分からないことだらけの、鬱状態。今日も明日も鬱状態。それは嫌だから私は歌を聴く。


 紅茶を飲み、音楽を聴くと命の灯火が燃える。まるで最後の輝きのようにして綺麗に光る。一時的に。そして私は意欲を燃やし、執筆活動や趣味のことをする。


 でも、ほとんど常に私は鬱状態なのかもしれない。医師から診断は受けている。ただ、病識に欠けるという指摘もされている。だからなのか、私は自分が病気だとはあまり思っていないし、ただただひたすらに生きて行きづらさを強く覚えている。


 しかしながら、鬱状態は私のすぐ近くにいつもいるようだ。恋人でもないのに。私を支えるつもりも力もないのに。むしろ、落ち込ませて来るのに。やって来るのが、BUMP OF CHICKENさんの「ラフ・メイカー」だったら良かったのに。


 扉を、ノック。鬱状態は、そんな礼儀の正しい奴じゃない。急に扉を開けて土足で入って来る。そして、私の存在の中に居座る。こうなると、しばらくは出て行かない。私のコンプレックスや救えない過去を芋づる式に掘り返し、無気力や無感動のスイッチをオンにし、散らかった部屋をそのままにさせる。やりたい放題。気紛れに鬱状態は静かな状態になることもある。でも、帰ったわけではない。私の中の片隅に、じっと暗い目をして座っている。出て行く時もある。だけど、近くにいる。恋人でもないのに。


 それでも、私はずっとむかしよりは回復した方なのだろう。遮光カーテンを閉めたままにすることはなくなったし、食料品や日用品を宅配や通販だけに頼らず、自分の足で歩いて買いに行けるようになった。けれど、すれ違う人間や自動車が怖い。赤信号が怖い。そんなことを思う、私が怖い。世界で一番の臆病者の風を吹かせて私は外を歩く。イヤホンをして。内耳の奥深くに歌よ届けと。


 自分はここまでなのだろう。何百回と、そう思っていた時期がある。小さなアパートの一室で、帰りたいと泣いていた、あの頃。もう帰る場所はなかったのに。派遣社員として仕事を転々とし、もうどこにも行きたくないと泣きながら歩いて。歩けなくなって。湿気だらけの、カビが生える部屋で暮らしていた、あの頃。それを思えば、いまは遥かに幸福なのだろう。帰る場所が、この家しかなくても。


 冬目景さんの「イエスタデイをうたって」という漫画が私は大好きなのだが、その誘引力を持つタイトルを私は繰り返し思い出す。私達は誰しもイエスタデイをうたって生きているのかもしれないと思う。過去、現在、未来に夢をみながら。


 私も、きっと生まれた時からずっと夢をみている。古い一冊のアルバムに収められた、小さい頃の私の写真。そこに写る、両親や祖父母の笑顔。ああ、愛されていたのだと分かった瞬間。私はひとりぼっちじゃなかったんだと。もう私は、それで充分だった。


 小説家になる夢を、ずっとずっと私は追い掛けている。時に、休みながら。夏に青空を飛び、鳴き、斃れて行く蝉の姿に自分を重ねながら。私は季節を渡って行く。


 恋人でもないのに傍にいる鬱状態のことを考えると、文字通り私は鬱状態になる。通院と服薬を始めてから、もう長い長い時間が過ぎた。完治は難しいのかもしれない。無遠慮に鬱状態が私の心の扉をばあんと開けて来るたびごとに、私は溜め息を吐き出す。長く、細く。まるで私の人生の象徴のように息を吐く。私の大切な宝物を守る為に、私は白い線を引いて、鬱状態に「ここからは入って来ないでね」と一応、伝える。返事はなくても伝わってほしいと思っている。むかしむかしのいにしえの頃は、伝わらないようで、鬱状態は私の宝物を踏み付けて行ったりもした。カラフルだったものの色を失わせて行ったりもした。それが私はひどく悲しく、照明を点けない部屋で泣いていることが多かった。


 きっと、いまは幸福だから。私は、自分にそう言い聞かせる。否、事実、幸せだと思う。鬱状態が私の内側にいても。帰る家が、ここしかなくても。父が天国に行ってしまっていても。悲しみを凌駕し、相対的に私は幸福だと私が自分で位置付けている。失ったものが戻らなくても。色が戻った宝物もあるから。思い出が、私の心の中にあるから。航海灯の明かりのようにして私の内側を照らし続けてくれているから。嵐の日も。友達がいてくれるから。


 どこまで歩いて行けば良いのか、考え込んで動けない日もある。道を振り返り振り返り、どこかに帰りたいと、一体、私はいつまで夢を思い続けるのだろう。思い出の中の、温かい家。もう、なくなってしまった場所。時間だけが過ぎて行く。


 私は、鬱状態やその他の病状を抱えてから、紙の本での読書が難しくなった。文字が頭や心の表面を滑って行くようで、意識に残りづらくなった。理解が難しくなった。数年前から、少しずつだが紙の本での読書も出来るようになって来てはいる。得てして、人生とはそういうものかもしれない。心を動かす感動も、喜びも悲しみも、心の表面を滑って行く時期が誰しもにあるのかもしれない。時間だけが、その人を癒すのかもしれない。あるいは、人は人に救われるのかもしれない。私は両方だった。


 恋人でもない、鬱状態が私の近くにずっといる気配があることは、幸せとは言い難いのかもしれない。特に理由などなく、鬱状態は私の心の扉を無遠慮に開けて入って来るし、しばらくは居座って行く。私はきっと、少し細い糸を沢山使って自分を繋ぎ留めているのかもしれない。どこかに。ここに。まだまだ、旅を続ける為に。虹の根元に埋まっているという、宝物を見付ける為に。白い部分が沢山ある地図を手に。私はその旅を、幸せと呼んでいるのだろう。


 もしかしたら、私の生涯を懸けても鬱状態やその他の病状の完治は難しいのかもしれない。寛解(かんかい)が、精一杯かもしれない。それでも、私はずっとずっと遠くまで歩いて行くのだと、夢をみて虹を探して行く。どこかに帰りたいと思いながら。帰る日は、来ないかもしれないけれど。


 今日も私は、ここから出掛けて行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あらまあ、鬱と仲がよろしくないようで。 けれど仕方ないですかね。挨拶もなしに家に入ってくる粗暴な鬱相手にいらっしゃいなどと玄関を開けられる人間なんか居やしません。 私は結構仲が良い方で鬱の語る言葉を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ