番外編 イーゴリの婚活
もしも、イーゴリが婚活したら?
の、ifです(笑)
ほぼ本人の妄想ですが
多分ほとんどこの流れかと(笑)
パラレル
「真剣に答えていただきたいんですが、団長ならどう婚活しますか?」
「俺か? ……ふむ」
イーゴリは腕を組み、顎に指を当ててしばし思案した。
その姿にケンジは背筋を伸ばす。
(……やばい。本気で答えるつもりだ。こいつ、学者志望だった頃の知識まで総動員するぞ)
「まず、出会った瞬間の歩き方と姿勢。これは幼少期の生活水準や親の教育方針が如実に出る。次に食事の仕方を観察する。食器の持ち方、噛む速度、左右の噛み癖……そういう“細部”に本性が現れるのだ」
ケンジ「……え、えぇ……」
「さらに声だ。母音の発音の仕方で、その土地の文化的背景が分かる。あと、語彙の選び方だな。“美味しい”と“旨い”をどう使い分けるかで、その者がどの層の人間と長く関わってきたかを推察できる」
「…………」
ケンジはすでに顔を引きつらせていた。
(婚活パーティーを……人類学のフィールドワークか何かと勘違いしてねぇか!?)
「最後に、筆跡だ。必ずプロフィールカードは書かされるからな。字の形や間隔、筆圧は心理を如実に示す。あれを解析すれば、嘘や虚勢はすぐ分かる」
「…………」
「まあ、そうして本当に“正しく釣り合う相手”を見つけられれば、婚活など一度で終わるだろう」
――絶対一度で終わらない、とケンジは確信した。
豪華ホテルのバンケットホール。煌びやかなシャンデリアの下で、男女が自己紹介カードを交換し合っている。
その中で一際目立つ男――イーゴリは、にやにやとした余裕の笑みを浮かべながら、グラスを片手に美女たちを侍らせていた。
「団長さんって呼んでいいですかぁ?」
「さすがぁ~! 背が高いからスーツも似合う♡」
「お肉取ってあげますね♡」
右に金髪美女、左に褐色美女、正面には胸の大きいグラマラス美女。
皿を差し出せば勝手に料理が盛られ、ワインを注がれ、彼はほとんど何もせずとも王様のように扱われていた。
だが――。
イーゴリの視線はちらりと会場の隅に向けられる。
そこには、おとなしく俯きがちに紅茶を口にしている、清楚な銀髪の小柄な女性が一人。
控えめな白いタイトなワンピースを着て、伏し目がちにいる。
派手な装いの中で、むしろ浮いていた。
(……いいな。ちょっとヤりてぇ)
薄く笑い、口の端を上げる。
美女たちの言葉に適当に相槌を打ちながら、すでに頭の中では段取りが組まれていた。
(このあと仲人に言って、この子を捕まえさて後でデートをセッティング。……仮交際から本交際へ。必ず落とす)
グラスを軽く揺らし、赤い液体が照明を反射する。
周囲の女たちの嬌声とは裏腹に、その瞳は一人のおとなしい美女だけを射抜いていた。
――獲物を見つけた獣の目で。
ーーー
会場の片隅。
煌めくシャンデリアの下で、グラスを傾けているのは――銀髪の女性。
華奢な体つきに上品なドレス。小柄ながらも背筋はまっすぐ伸び、どこか近寄りがたい気品を漂わせていた。
ただ、その横顔には退屈そうな影がさしている。
会話の輪に入ることもなく、ぽつりと「……お酒、美味しい」と呟くようにグラスを傾けた。
その姿に、周囲の男たちが黙っていられるはずもない。
「君、初めて見たな」
「綺麗だね、名前は?」
「良かったら連絡先、交換しない?」
三、四人の男が取り囲み、にわかに熱を帯びていく空気。
女性は困ったように微笑むだけで、誰にも応じない。
その瞬間――。
「どけよ、お前ら」
低くも朗らかな声が割り込んだ。
人垣をぐいと押し分け、現れたのは長身の男。
スーツの上からでもわかる広い肩幅、余裕を含んだ笑み。
「よう。こんにちは」
片手を上げ、銀髪の女性に真っすぐ歩み寄る。
その眼差しは、まるで最初から彼女だけを狙っていたかのように一点の迷いもない。
「ちょっと話さねぇか?」
さらりと差し出されたその誘いは、口説き文句というより、もう決定事項のような力強さを帯びていた。
驚いたように目を見開く女性。
そして、先ほどまで取り巻いていた男たちは、気圧されたように黙り込むしかなかった。
――婚活の場に現れた「捕食者」は、ついに獲物を決めたのだ。
ーーー
(大きい人……!ちょっと、怖いかも)
ヴェーラは胸の奥をきゅっと縮めながらも、勇気を振り絞って声を出した。
「……こんにちは。あの、お名前は?」
鈴を転がすような可憐な声。だがその奥には警戒の色が混じっている。
イーゴリは、その音を聞いた瞬間に内心でゾクリとした。
他の華やかに笑う女たちとは明らかに違う。
ただ座っているだけで、纏う空気に上品さと凛とした冷静さが漂っている。
「イーゴリ・メドベージェフだ。第二騎士団の団長をやってる。そちらは?」
ぶっきらぼうに名乗りながらも、すでに目は彼女を捕らえて離さなかった。
差し出されたプロフィールカードを受け取り、自分のを渡す。
「ヴェーラ・メドベージェワです。奇遇ですね、同じ名字だなんて……」
薄い唇が小さくほころび、丁寧に言葉を紡ぐ。
イーゴリは相槌を打ちながらも、心の奥で舌打ちするほどだった。
(……やられたな。これは、いい女だ)
ただの美貌じゃない。
腰をかがめて観察しても、柳のように柔らかでしなやかで、芯の通った気配がある。
外見の華やかさよりも、その奥にある静謐さに強く惹かれた。
(落ち着いていて……冷静で、奥ゆかしい。俺の好み、ど真ん中だ)
テーブルの下で、無意識に拳を握る。
ここに来る前は、婚活などただのゲームだと思っていた。
だが――目の前に現れたこの女は、違った。
ーーー
イーゴリは名を聞いた瞬間、口元をわずかに吊り上げた。
「ヴェーラ、か……いい名だな」
返す声は落ち着き払っているが、その瞳の奥ではもう「獲物は定まった」と告げている。
彼女が手にしたプロフィールカードを自然に覗き込み、仕事や趣味の欄を流し読みした。
「公務員…か。なるほど、そのまんま真面目そうだな」
「え、あの……はい」
褒められ慣れていないのか、ヴェーラは少し戸惑いながらも小さく頷いた。
その仕草に、イーゴリの胸の奥で熱がひとつ強く燃え上がる。
(……いいな。欲しい)
次の瞬間にはもう、彼は未来の工程を頭の中で組み立てていた。
仲人に話をつける → 仮交際へ進める → あとは計画的に落とし切る。
ただの一瞬の邂逅で、すでに「次の段階」まで見通しているのがイーゴリだった。
「さて……少し席を移そうか。騒がしい場所は苦手だろ?」
彼の手が、自然な流れでヴェーラのグラスを受け取り、近くの空いたテーブルへ導こうとする。
その所作は堂々としていて、拒否の隙すら与えない。
ヴェーラは少し戸惑いながらも、気づけばその背に従って歩き出していた。
――銀髪の美女と、猛獣のような団長。
お見合い会場における「最も異質で、最も危うい組み合わせ」が、ここで誕生した。
初回デート
淡い照明に包まれたバーの個室。
珍しい会員制の個室で数時間酒をつまみに、イーゴリとヴェーラは会話した。
イーゴリはヴェーラと対面で目を決してそらさない。
常に余裕たっぷりに笑い、どんな話題でも豊富な知識で回答する。
圧倒される大人の色香を漂わす男。
そんな第一印象と遜色ない。
そして、時折聞き役に回る。
じっとヴェーラを見つめる目は、獰猛な獣のような尖さがあった。
(…っ、どうしてそんなに見つめるのかしら)
狭い個室で時折息がかかるほど見つめられ、ヴェーラは目をそらすしかなかった。
「…ちょっと用たしてくる」
と、そう言って席を外してくれたのはそれからすぐだった。
イーゴリ不在の中、逃れられない網の中へ引き釣り込まれるような感覚に胸が高鳴る。
グラスに口をつけたヴェーラが、ほっと息を吐いた瞬間だった。
背後から伸びてきた大きな影。
振り返るより早く、肩を押さえつけられ、壁際へ追い詰められる。
「っ……!」
驚いて声を上げる間もなく、強引に唇を塞がれた。
苦しげに身をよじっても、圧倒的な力の前には無意味。
手首を軽く掴まれただけで、まるで子供のように抵抗を封じられてしまう。
深いキスはヴェーラの口を無理やり舌でこじ開け、そのまま食べられるように中を犯した。
「ん…っあ…」
絡み合う舌が柔らかさと共に感じたこともない快感を運んだ。
やっとのことで顔を背けると、熱い息が耳元をかすめた。
「……あんた、かわいいな」
「な、にを……」
「お硬そうなとこも……含めて、全部」
低く笑う声。
頬が熱くなるのは、恐怖か、それとも――。
「……俺のこと、まんざらじゃないだろ?」
「ち、違……っ」
「今日一日、一緒にいて……よく笑ってただろ?」
囁きが甘く絡みつき、胸の奥をくすぐる。
ヴェーラの瞳が揺れた。
口をまた犯されながら、イーゴリは優しくヴェーラの項に手を当てさせる。
逃げることを許さない手がヴェーラを捕まえた。
不意に、ヴェーラは一度身体をおおきく跳ね上げた。
「い…嫌…っ」
誰も来ない個室のソファーへ背中が付いている。
伸びてきたイーゴリの手が、服の上からヴェーラの控えめな胸を愛撫していた。
「嫌…?」
にやりとした男はわざと聞き返し、ヴェーラの反応を確認する。
指が巧みに服の上から下着をずれさせる。
そのまま固くなった先端を擦るようにいじめた。
「あっ…あっ…ん!…?」
「気持ちいいだろ?ヴェーラ…っ」
そのままたっぷり上半身を中心にいじめられ、何度も名前を呼ばれてキスで声をふさがれた。
その夜は愛撫だけ。
ヴェーラは快楽の中へと吸い込まれていったようだった。
ーーー
二度目のデート。
カフェの窓際で、ヴェーラは背筋を正して切り出した。
「……この前みたいな、勝手な事はしないでください」
琥珀色の瞳が真っ直ぐに射抜く。
華奢な身体に似合わぬ気丈さ。
イーゴリはグラスを傾けながら、ふっと口元を歪めた。
「いいぞ。なら――したくなったら、言えよ」
「っ……! しません!」
頬が朱に染まり、慌てて声を荒げるヴェーラ。
その反応すら計算済みとばかりに、イーゴリはニヤリと笑みを深めた。
「そう言っとけ。……俺は待つのも嫌いじゃない」
まるで獲物を追い詰める獣のような余裕の笑みに、ヴェーラは睨み返すしかなかった。
逃げたいのに――なぜか、この男から目を離せない。
二度目のデートの帰り道。
王都の大通りに街灯が灯り始め、石畳に影が長く伸びていた。
イーゴリはポケットに片手を突っ込み、もう片方でヴェーラの手元のプロフィールカードをひょいと摘まんだ。
「……仮交際、申し込んどくか」
唐突な言葉にヴェーラは立ち止まった。
「え……?」
「安心しろ。相談所のルールだろ?仮交際は五人までできる。俺はあと四人もいるし、別にそこまで本気じゃねぇ」
ぞっとするほど余裕の笑みを浮かべて、カードを返す。
「お前も色々な男を見て、比べてみろよ。そのうえで……俺に戻ってくればいい」
挑発。
突き放すようでいて、逆に逃げ場を与えない言葉。
ヴェーラは唇を結び、反論しようとした。
だが――心臓が早鐘を打つ。
(……比べて、戻る……? 最初から、そう思っているみたいじゃない)
彼女の沈黙を愉しむように、イーゴリは肩をすくめ、ニヤリと笑った。
「まぁ、他の男に乗り換えるってなら、それはそれで面白ぇけどな」
ーーー
ヴェーラは胸の奥がざわついていた。
(……本当に、来ちゃった)
相談所のルールでは、成婚退所するまで肉体関係は禁止――だが、彼はそんなこと気にも留めないような男だと思っていた。だから「家に行く」と言われた瞬間から、今日どうなるのかと不安でいっぱいだった。
「よう。これ、土産」
扉を開けて現れたイーゴリは、いつものようににやけて口説いてくるわけでもなく、拍子抜けするほど自然体だった。
持っていたのは、包み紙にくるまれた焼き菓子の箱。
そしてその下には、なぜか本格的な大工道具一式。
「……え?」
「ほら、壁の修理するんだろ」
そう言って土足のまま上がり込もうとするので、慌ててスリッパを差し出す。
だが、その一瞬で視線が奪われた。
Tシャツ一枚。
軍服でもなく鎧でもない。
ただの洗いざらしの黒いTシャツなのに、鍛え上げられた腕や肩の筋肉が浮き彫りになり、動くたびに布地が引き攣る。
髪はきっちり撫で付けているいつもの姿ではなく、風呂上がりのようにさらさらと額にかかっていた。
(……だ、誰!? 本当に、同じ人?)
見慣れたはずの団長が、ぐっと年相応の二十三歳の青年に見える。
危険な余裕たっぷりの「大人の男」ではなく、ただの若者。
無防備な姿に、ヴェーラは思わず胸を押さえた。
イーゴリは半壊した壁を見上げて、短く「やべぇな」と呟いた。
道具を床に置く動作も堂々としていて、生活感がない。
(……いつも豪快に笑って、人を圧倒するのに……)
この時のヴェーラには、不思議な違和感と同時に、胸がじんわり熱くなる感覚が広がっていた。
イーゴリは道具を広げるなり、壁をコンコンと叩いて音を確かめた。
「……なんだここ。人間の住む場所じゃねえ」
「ひ、ひどい……!」
「いや、マジで。穴は空いてるし、湿気は溜まってるし……。お前、ほんとうは無頓着なんだろ? 見た目に騙されたな、俺」
わざとからかうように笑う。
ヴェーラはむっと頬を赤らめたが、反論する間もなくイーゴリはハンマーを振りかぶった。
ガンッ、ガンッ!
手慣れた動作で釘を打ち込み、壊れかけていた部分をあっという間に補強していく。
屋根にもひょいと登り、土台の腐食を確かめながら板を張り直していく姿は、普段の戦場よりもずっと真剣に見えた。
(……器用……)
陽射しの差し込む午後、汗が額から顎に伝い落ちる。
Tシャツが背中に張り付き、鍛え抜かれた筋肉の線を隠しきれない。
時折、風に髪がふわりと揺れ、笑いながら「釘、もっと寄こせ」と声をかけてくる。
その姿に、ヴェーラは思わず手を止めた。
まるで――騎士団の団長ではなく、どこにでもいる青年のようだった。
(……あんな風に真面目に直してくれるなんて。からかってばかりの人なのに)
気がつけば、胸の鼓動が速くなっていた。
作業をひと通り終えると、イーゴリは勝手知ったように洗面所へ向かい、シャワーの音が響いた。
ヴェーラはあっけにとられ、居間に残された工具を前に立ち尽くす。
しばらくして――濡れた髪をタオルで雑に拭きながら、きちんと着替えたイーゴリが現れた。
戦場の鎧でもなく、街で見かける洒落た服でもない。
飾り気のないシャツとズボン。その姿がかえって大人びて見えた。
「……水くれねぇか?」
当然のように腰を下ろし、息を整えながら差し出されたグラスを受け取る。
喉を鳴らして飲み干すと、大きく息を吐いた。
「半分は終わったな。……また、今度続きやらねぇと」
汗の残る額を拭いながら、気楽に言い放つ。
ヴェーラはつい問いかけていた。
「……慣れてるんですね。意外でした」
イーゴリは口の端を吊り上げ、少し視線を外した。
「……まぁな。田舎に住んでた頃、汚えボロ屋を直しながら住んでたし」
その言葉に、ヴェーラの胸に温かいものが広がった。
ただの遊び人に見えて――彼には、そんな一面もあったのか。
「……ありがとう」
思わずこぼれた言葉に、イーゴリの手が止まった。
タオルで髪を乱暴に拭いていた彼は、ふと視線を向ける。
その眼差しは、戦場で剣を振るう時よりも不思議と柔らかかった。
「おう」
短い返事をして、空になったグラスを机に置く。
一瞬だけ静けさが落ちる。
ヴェーラは、胸がくすぐったいような、落ち着かない気持ちを抱えた。
だが――。
イーゴリの口元に、あの自信に満ちた笑みが浮かんだ。
「礼なら……次のデートで返せ」
「……っ!」
ヴェーラの頬がぱっと紅潮する。
まるで獲物を追い詰める獣のように、ニヤリと笑って彼女を見つめるイーゴリ。
修繕に汗を流した誠実さと、油断ならない男の色気が入り混じり、逃げ場のない空気が漂った。
「……やっぱり、油断できない人」
小さく呟いたヴェーラに、イーゴリは面白そうに肩をすくめて笑った。
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イーゴリは軍靴を脱ぎ、家の床に広げた板材を最後に叩きつけると、額の汗を乱暴に拭った。
「よしっ、補強してもう雨漏りしないようにしたからな!」
豪快に笑うその顔は、戦場で見せるものとはまるで違う。
どこか少年じみた達成感と、職人のような誇りが滲んでいた。
ヴェーラは思わず見とれてしまう。
屋根から降りてきた彼の姿は、危険な色香ではなく、不器用な真面目さに満ちていたからだ。
その後のデートは、驚くほど穏やかだった。
彼が選んだのは高級なレストランでもなく、にぎやかな舞踏会でもない。
町の本屋で背表紙を指でなぞりながら、分厚い歴史書を手に取るイーゴリ。
静かにページをめくり、難解な一節を彼女に聞かせては「なぁ、面白いだろ」と少年のように目を輝かせていた。
家に戻れば、夕食後に灯りを落とし、二人で同じソファに並んで本を読む。
彼の指先が時折、ヴェーラの手に触れる。
それ以上、何をするわけでもない。
ただ、あたたかく繋がった手の感触だけが、心臓の奥で鼓動を響かせた。
(……本当は、こんなに静かな人だったんだ)
ヴェーラは胸の奥で呟く。
第二騎士団団長としての顔や、ニヤリと笑う自信家の顔とはまるで違う。
ここにいるのは、静かに知を追い求める――学者を夢見ていた青年の顔だった。
本交際に進んでからも、イーゴリは驚くほど慎重だった。
舞踏会の誘いも断り、ヴェーラの希望通り静かなデートばかりを選ぶ。
本屋、図書館、庭園の散歩――まるで古風な恋人同士。
「意外。もっと強引にくるかと思ってた」
ヴェーラがふと漏らすと、イーゴリは肩をすくめて笑った。
「別に、急がなくてもいいだろ。結婚すりゃどうせ俺のもんだ」
あっけらかんとした言い方に、ヴェーラは頬を赤らめ、視線を逸らすしかない。
だが――慎重なのは「最後の一線」だけだ。
ソファで並んで本を読んでいると、不意にイーゴリが片腕でヴェーラを抱き寄せる。
首筋に唇を落とし、耳元で低く囁く。
「……なぁ、こういうのはルール違反じゃねぇだろ?」
唇が触れるか触れないか。
寸前で引いては、からかうように笑う。
「顔真っ赤だぞ。かわいいな」
ヴェーラは抗議の声を上げるが、イーゴリは余裕の笑みを浮かべたまま。
その眼差しは本気で求めているが、同時に理性でぎりぎりの一線を守っている。
(――これが、イーゴリなのね)
獣のような欲と、鋭い理性を同時に抱え込む男。
だからこそ危険で、だからこそ惹かれてしまう。
ヴェーラの家の小さな居間。
夕食を終えて片付けたあと――油断していた。
「お茶でも……」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、ぐいと手首を掴まれた。
そのままソファに押し倒され、目の前に覆いかぶさる大きな影。
「っ!? イーゴリ……!」
狼のように鋭い眼差し。
普段の落ち着きは跡形もない。
あるのは、炎のような衝動と支配欲。
「お前なぁ……」
低い声が喉を震わせる。
「本交際だろ? 俺の女だ。違うか?」
ルールを守らなくては――。
相談所の決まりでは、婚前の肉体関係は禁止。
その言葉を口にしかけたヴェーラの顎を、彼は強引に指で持ち上げた。
「ルールだぁ? ……そんなもん、知るかよ」
唇が重なった。
抵抗する声は塞がれ、抗う手は大きな掌に押さえ込まれる。
熱のこもった深い口づけに、背筋がしびれ、心臓が乱れ打つ。
「やめ……っ、イーゴリ……っ!」
「やめる? 本当にか?」
耳元で囁かれ、頬をなぞる息が熱い。
震える視線を逸らしたその顔を見て、イーゴリは勝ち誇ったように笑った。
「ほらな。嫌じゃねぇ」
そのまま肩を抱き寄せ、首筋を甘噛みする。
ぞくりと背が反り、理性は崩れ落ちていった。
「……俺が欲しいんだろ?」
「ち、違……」
「正直に言え」
腰を押さえ込まれ、逃げ道はどこにもない。
熱を帯びた指先が肌をなぞり、息が詰まる。
「……イーゴリ……」
弱々しい声が、彼を許す合図となった。
次の瞬間、全てのルールは粉々に砕かれる。
その夜、ヴェーラの家には抑え込んできた欲望と熱情が響き渡った。
---
事後――。
乱れたシーツに白い肩を沈め、ヴェーラはシーツを胸まで引き寄せて固まっていた。
その横でイーゴリは欠伸をしながら、腕枕のまま片目を細める。
「……相性いいな、俺たち」
「ど……どうしよう……っこんなこと……」
震える声。
婚活ルールを破ったという現実が、彼女を縛っていた。
「……ルール違反は退所ですよ……!? 私……」
イーゴリはひょいと肩をすくめ、飄々とした顔で言い放った。
「あ? やっちまったもんは仕方ねぇだろ」
「っ、そんな無責任に……!」
「……結婚すんだから、どのみち退所じゃねぇの?」
その言葉は、あまりにもアッサリしていて。
絶望と不安の渦の中にいたヴェーラの思考を、一瞬で吹き飛ばした。
「……なるほど……」
ぽかんと呟いて絶句する。
今まで心臓を締め付けていた恐怖が、嘘みたいに霧散していく。
隣で大きな体温がぬくもりを与えてくれる。
その横顔は、あまりにも自然で、楽しげで。
(あれ……? なんか全然、怖くなくなってきたかも)
胸の奥でじわりと笑みがこぼれそうになるのを、ヴェーラは慌ててシーツに顔を埋めて隠した。
ーーー
後日。
仲人の部屋に呼び出されたヴェーラは、背筋をぴんと伸ばしたままソファに腰を下ろしていた。
真正面には、飄々と脚を組むイーゴリ。
仲人は眉をひそめ、深刻そうに声を落とした。
「……お二人。あの……本交際中に肉体関係を持たれるのは、規約違反になります。ご存じですよね?」
「……っ」
ヴェーラの肩がびくりと跳ねる。
しかし当のイーゴリは、片肘を背もたれに預けて余裕そのもの。
「知ってる」
「……!?」
「だがな。俺たちはもう結婚する。だったらこの相談所に残る必要はねぇだろ?」
あまりにも堂々とした答えに、仲人は一瞬言葉を失った。
ヴェーラは顔を真っ赤にして俯く。
「ま、待ってください! あの、それは……!」
必死で弁明しようとするヴェーラの手を、イーゴリがさっと握った。
低い声でかぶせる。
「退所の手続き、進めてくれ。俺たち、成婚退所だ」
「はぁぁぁっ!?」
仲人の叫びが部屋に響く。
ヴェーラは完全にパニックに陥り、横の男を見上げて目を剥いた。
「イ、イーゴリ……!? 私、まだそこまで言ってない……!」
「なんだよ、嫌なのか? 結婚すんの」
「~~~~っ!!」
仲人は頭を抱えた。
(……この男、相談所史上最強の暴君だ……!!)
「と、まぁ…こんな感じでヴェーラと出会って婚活は3ヶ月で終わるな」
上記のシミュレーションをよどみなく述べたイーゴリに、ケンジは頭を抱えた。
「そんなうまくいくわけないでしょう!?!?」
「そうかぁ?お前、駆け引きとか下手だよな?クソ真面目にやらずに、一発かましてとっとと女捕まえろよ」




