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6.初デート?


(……ソーニャ?)


ケンジの足が止まる。


男が軽やかに笑い、彼女の顎を指で持ち上げる。

長い金髪を撫でる仕草――それは、恋人同士にしか見えなかった。


テラス席は舞台のように目立つ。

通りの人々は「絵になる」とでも言いたげに視線を送る。 まさしく、理想的な美しいカップルの図だった。


ケンジの喉がひくりと鳴った。

胸の奥が凍り付いたように、呼吸が浅くなる。


だが――ソーニャは眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌な顔で男の手を振り払った。


そして、偶然通りかかったケンジに気づいた。


「…ケンジじゃないか!」


目が合うとぱっと明るさが目立ち、ソーニャが笑ったことにケンジは一瞬、後ろへ体を引いた。


最近は顔を合わせるたびにこれだ。


かなり人懐っい笑みを向けられると、変に居心地が悪くなるような気恥ずかしさが出てしまう。


突然現れたケンジに「どうしてこんなところにいるんだ?」とソーニャは一緒に座っていた男など眼中にない態度でいる。


「私に会いに来たのか?」

「そうだとしたら、どんな嗅覚してるんですか俺は…いや、ちょっと野暮用で…」


言葉のチョイスが相変わらずおかしいが、ソーニャは当たり前のように空いた席を勧めてきた。


「せっかく会えたんだから、話をしよう。遠慮するな!座れ」

「はぁ!?」


目の前の男を無視し続けるソーニャの言動に、たまらず目をひん剥いて声を上げた。


(デート中じゃないのか!?)


青ざめて男を見ると、すでに立ち上がっていた。


男子は笑い、「じゃあな」とソーニャの頬をまた撫でる。


気安いスキンシップにケンジが固まる。

あまりにも馴れ馴れしい。


陽光を浴びる男は、容姿が際立っていた。

背はスラリと高く、ケンジより頭ひとつ分は上。

無駄のない鍛錬でつくられた筋肉が服の下にしなやかに流れ、飾り気のないシャツとズボンだというのに舞台の衣装のように着こなしている。


その顔立ちは、彫像を削り出したかのように整っていた。

切れ長の瞳はブラネット色に艶を帯び、睫毛は女のように長い。

高く通った鼻梁、形の良い唇――笑えば白い歯がのぞき、その笑みは自信と余裕に満ちている。

街を歩く娘たちが思わず振り返り、顔を赤らめるのも当然だった。


――女を落とすことに一片の迷いもない顔。

生まれながらにして「勝者」の顔。


そんな美男子の視線が、ケンジにふと向けられた。


それは単なる一瞥ではなく――高い位置から見下ろし、わずかに口角を上げた挑発。

まるで「お前では釣り合わない」と告げるかのように。


(……は?)


青筋がこめかみに走る。

ケンジはその侮蔑を真正面から受け止め、奥歯をぎりりと食いしばった。


去って行った男の背中に、殺意が芽生えた。


「なんだ……あのいけ好かないチャラいガキ……いや、男は……」


胸の奥で煮え立つ黒い感情。

苛立ちは、職務上の冷静さでは到底処理できない。


ケンジの言葉に、ソーニャは一言。


「……チャラいよな」

「そうですね!!って…イチャイチャしてませんでしたか!?さっきのチャラ男と!!」



顎をすくわれたり、頬や髪まで撫でさせていたではないか。

そのまま席に残ることになったため、音を立てて席に座る。

年下のチャラチャラした男に値踏みと喧嘩を売られたのは、初めての経験だ。


(彼氏か…!?だとしたら最悪の趣味だ!)


ソーニャが誰と付き合おうがどうでもいいが、あからさまな牽制と喧嘩を売られたら、どんな男も腹が立つだろう。


「お客様、御注文は?」

「コーヒーで」


ケンジが臨戦態勢で低く唸ると、ソーニャが続けた。


「まぁ、軽い奴だけど。あれでなかなか、男気のある奴でもはあるんだ。ただ、久々に会ったが…」


ソーニャは淡々と言い、グラスを指でなぞった。

普段は重い甲冑を身に着けている男の背中を思い出し、在りし日の思い出に少し目をほそめた。

感謝はしている。

が、非常に冷めた感情しか出てこなかった。


ソーニャの含みのある言い方に、ケンジは思わず眉をひそめる。


「……彼氏、ですか?」


気がつくと勝手に口にしていた。


自分でも驚くほど低い声だった。


「……違う。知り合いだ。私がこの国に来たとき、色々と世話を焼いてくれた」


ケンジは言葉を失う。


「……この国に、来たとき?」


思わず繰り返したその一言に、ソーニャは一瞬だけ目を細めた。


「まあ、細かい話はまただ。今日は描きたい景色がある。お前も一緒にどうだ?」


「はぁ!?俺もそんな暇じゃ…」


断ろうとする唇が勝手に震える。さっきの馴れ馴れしい男の手つきが蘇り、胸の奥が再び煮え立った。


「……まぁ、ちょっとだけなら」

気づけば、そう答えてしまっていた。



馬車を使い王都の中心から約1時間半…そこは、国境の山脈がほど近いのどかな牧草が映える田舎であった。


青い晴れ渡った空と、濃い緑の大地のコントラストが美しい。

ソーニャは馬車から飛び降りるなり、花畑を踏み鳴らして奥へと笑いながら走る。


手に持ったスケッチブックには、道中からかいながら描いたケンジの姿であふれていた。


柵の中で放牧された牛の群れを見つけ、仁王立ちで叫んだ。


「ここだ! 景色も牛も最高だ!」


ソーニャは得意げに腕を広げ、追いかけてくるケンジに笑った。


「牛!? なんで牛なんですか!?」


ケンジは顔を引きつらせたが、返事を待つ間もなくソーニャは柵を飛び越え、牛の群れにずかずかと近寄っていく。


「おーい! お前たち、じっとしてろ!描いてやる!」


青い瞳がきらきらと輝き、まるで遊び相手を見つけた子供のように声を張り上げる。


ケンジはソーニャの信じられない行動に背筋が凍った。


「や、やめてください!刺激しないで!ぎゃあああ!!」


悲鳴を上げた瞬間、のそのそ動いていた牛の一頭が突然ぶるるっと鼻息を鳴らし、ソーニャを睨んだ。

次の瞬間――突進。


「来たぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


ケンジは叫び、必死に柵にしがみつく。

ソーニャはというと、大笑いしながら軽やかに駆け出し、牛と追いかけっこを始めていた。


「やめてくださいっ!!」


突進してくる牛の前に飛び出したケンジは、反射的にソーニャの腰を羽交い締めにした。


「危ないでしょうが!!」


だが次の瞬間、ソーニャの青い瞳に異様な光が灯る。

完全に画家として創作のスイッチが入っていた。


「うるさいっ!!!」


がつん、と頭突き。


「ごふっっ!? ちょ、ちょっと!?!?」

ケンジの頭蓋に衝撃が走り、視界がぐらぐら揺れる。


「私の邪魔をするなァ!嫌なら帰れっ!殺すぞ!!」

「あなたがここに誘ったんでしょうが!!え、なに!?ここまで来る馬車代浮かせるために俺を利用したんですかっ!?」


逆ギレ気味に叫ぶケンジ。

しかしソーニャは青筋を浮かべて吠えた。


「うるさいいいーー! お前より稼いでるんだぞっ私は!!!」

「はぁ!? 何を根拠に……」


ケンジが呆れ顔で言いかけたその時、ソーニャはごそごそとポケットから紙束を取り出した。


「ほら!今月の給料?明細!!」


目の前に突きつけられた数字を見た瞬間、ケンジの目が飛び出した。


「……軽く、億……!? ハイクラス案件だと!?!?!?」



信じがたい金額が、堂々と桁数を並べている。

第二騎士団の上級書記官兼参謀のケンジ、38歳。

己の人生で初めて「自分より遥かに稼ぐ女」を前に、衝撃で石像のように固まった。


ソーニャは勝ち誇ったような高笑いをして、そのまま「この国の芸術家の好待遇は最高だ!」と手を掲げていた。


もはや、ケンジは悟った。


この世には、努力なんかしても遥かに恵まれた天才がいて、決して敵わない…と。



空がそろそろ夜の準備を始め、夕闇へと色を変え始めていた。

いったい何時間ここにいたのか…ほとんど怒鳴りあい、ソーニャに振り回されていたせいで時間が一瞬で去っていた。


冷たくなってきた風が頬を触り、空へ流れる。


(帰りてぇ……なんで俺、こんなとこで牛に囲まれて、変な女と牧場に……)


ケンジは牧草に膝を抱え、体育座りで遠くの山並みをぼんやり眺めていた。


疲労がやばい。

ここのままここで寝れそうだ。


「ケンジ、ケンジ」


呼ばれて顔を上げた瞬間――。

バサッ。

頭に何か柔らかいものが落ちてくる感触。


「……は?」


見上げれば、ソーニャが満足げに立っていた。

手には野の花で編まれた花輪。彼の黒髪の上にちょこんと載せられている。

赤や黄色の大ぶりな花が絶妙な配置で重なり合い、妙に芸術的だ。


「はは……似合う。黒髪に映える」


ソーニャの青い瞳がきらきらと輝き、笑みが零れる。

ケンジは顔を引きつらせた。


「……おぢさんなんですけど」


ケンジは、花冠を頭に乗せられたまま呻くように言った。

ソーニャは目を細め、平然と返す。


「そうか? 私の国では、恋人同士はよく花冠を付けてデートしてるぞ? 老いも若きも」


「こ……!?」


絶句。

次の瞬間、反射的に顔が赤くなった。


そのケンジの狼狽を楽しむかのように、ソーニャも自分の頭に花冠をかぶる。

まるで女神のように美しい。


そして――ドカッと音を立てて隣に座り込み、肩が触れ合うばかりの距離に。

青く澄んだ大きな瞳が、からかうように彼へ寄ってくる。


「お似合いじゃないか? 私たち」


「なっ……な、な、何言ってんですかっ突然!? た、単なる知り合い同士でしょうっ、お、俺たちは!?」


耳まで真っ赤にして声を裏返すケンジ。

その必死の否定がまた面白いのか、ソーニャは口元をゆるめて笑っていた。



「ケンジは優しい。穏やかなところが、好きだ」



――好き。


その言葉が脳裏に焼き付いたまま、気がつけば帰宅していた。

どうやって帰ってきたのか、道中の記憶がぽっかり抜け落ちている。


ケンジは靴を脱ぎ捨て、シャツのボタンもそのままに、シワひとつないベッドへ体ごとバタリとダイブした。


(……シャワー浴びて、歯を磨いて、寝間着に着替えて……)

頭の中ではいつもの手順を反芻する。

このまま寝るなんて、野生児じみた真似は自分の美学に反する――あのソーニャみたいに。


だが、体はびくとも動かない。

全ての気力を持っていかれた。


そして。

遅れて胸の奥から込み上げてきたものが、顔を烈火のごとく赤く染め上げた。

声にならない声を真っ白な枕に押し当て、息を詰める。


「~~~~~~~~ッ!!!」


目の前が真っ赤に弾けるほどの羞恥と動揺。

脳裏に蘇る「好き」の一言。

耳の奥で反響して離れない。


(認めるか……っ、認めるもんか! こんなの……っ、恋じゃない!!)


必死に叫ぶ理性。

だが、胸の鼓動は裏切るように高鳴り続けていた。



ケンジ38歳、独身。

ソーニャと約8カ月に…結婚する。




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