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4.ソーニャ、騎士団へ来る


イーゴリの団長室の個別執務室。

昼の光が差し込む中、ケンジはため息をつきながら昨日の報告を終えた。


「――というわけで、あの画家。

家がゴミ屋敷で汚くて、怒りっぽくて殺されかけましたし、ほこりが入ってそうな紅茶をもらいました。

あと性格が破綻していてすぐに切れて殺そうとしてくるので、会話がかなり難しいです。

……ただ、絵画の腕は確かでした。

山のように絵がうず高く積み上げられていて。

整理整頓は下手なようで、めまいがしましたね。

……で、金髪の美人でした。残念です」


机に両肘をつき、ケンジは心底疲れた顔で吐き出した。

まるで長年の宿敵を語るかのような熱量に、イーゴリは目を細めて聞き入っていた。


やがて、にやりと口角を吊り上げる。


「お前に似合いそうだな」


「バカにしてますか!?なんでっ、あんなやばい女っ!!!」


机を叩いて絶叫するケンジ。だがイーゴリは、からかうような金色の瞳でじっと彼を見ていた。


ケンジがこれほど細かく女の話をするのは珍しい。

しかも「残念です」と言いながら、美人であることを強調していた。


(……始まってんな)


野生の勘が告げていた。

――これは、ケンジにとってただのトラブルではない。

厄介で、やかましくて、命がけで関わるような……そんな女こそ、あいつの伴侶になる。


イーゴリは確信し、豪快に笑った。

「いいじゃねぇか!殺されかけるくらいで丁度いい!」


「あ、仕事たまってるんで失礼します。いっぺん死ねクズ」


最後に暴言を吐くとイーゴリが怒って追いかけてきたが、無視して廊下を全速力で逃げた。


舐めてもらっては困る。

こちらは20年近くイーゴリという猛獣を取り扱ってきたのだ。


ーーーやばい女と察知し、絶対に恋などには発展しない!!


ケンジは吠えて、今日の仕事へ向かった。


(仕事に生きる!)


いつからか、独身としての美学はそこになっていた。


画家と出会い数日が経ち、恐ろしい経験も少し忘れて来た頃であった。


第二騎士団の書記官専門の執務室。

昼下がり、慌ただしく報告書を束ねていたケンジのもとへ、若い書記官が小走りでやって来た。

ケンジは視力が落ちてきたせいで最近かけ始めたメガネを直し、声をかけてきた部下に視線を移した。


「なんだ?」


「ケンジ様。本日、イーゴリ様にお会いしたいと……その……ソーニャ・ルビナという方が訪ねてこられました。いかがいたしましょうか?」


「……は?」

ケンジは目を瞬かせ、ペンを止めた。


(誰だそれ。知らない……ぞ?)


「アポなし……?非常識…」

眉間を揉み、ため息をついた瞬間――


「ケンジじゃないか!」


快活な声が響き、執務室の扉が勢いよく開いた。

現れたのは、金の髪を後ろでざっくりまとめ、飾り気のないシャツとズボンに身を包んだ女。


凛とした美貌は一目で人目を引いたが――なぜか顔に白い仮面をつけている。


「……ふざけてんのかあぁぁぁぁーーーっ!?」


ケンジが、顔を引きつらせ苛立ちで吠えた。



「ここでも仮面!?どうなってんだ!?お前の常識はぁぁぁーーーー!!?」


「いや、ちょっと前まで塗料をかき混ぜてたんだよ。危険だったからな!」


仮面の奥から豪快に笑う彼女。

まるでそれが当然だと言わんばかりの態度に、執務室の書記官たちがざわざわと囁き合う。


ケンジはこめかみに青筋を浮かべ、天を仰いだ。


(……この人、マジで来やがった……!なんでアポも取らずにっ!しかも仮面つけて……!職場だぞここはぁぁぁーー!!)



首根っこを掴んで、このまま外へ放り投げてやろうか。

ケンジは完全に画家のソーニャを危険人物と認識し、普段の敬語口調など忘れ威嚇した。

本能で関わりを拒否している。


「メガネだな!」


突然指をさされ、笑顔のソーニャがケンジの顔をつかみ近くまで寄ってきた。


必要以上の近さと、悔しいくらいの綺麗な顔が目の前に迫り、青ざめて悲鳴が上がった。


先ほどから、本能で逃げろと警告音が頭の中で鳴り響いていて止まらない。


「や…やめろおおおおおおーーーっ!!!」


「メガネ姿も色気があっていいじゃないか!!ますます描きたくなった!どんな時に付けるんだ!?このフレームを黒にした意味は!?」


「意味なんかない…ないっです!!何をしに来たんですかっ!?あなたは!?」


なんとかベースを乱されまいと敬語に戻すが、普段のケンジとは様子の違うことに周りはざわめいている。

ソーニャの手から逃げ出すと、ケンジはメガネを畳んで素早く胸ポケットにしまい込んだ。



(欲しいと言うなら犬のおもちゃのように投げてくれてやるが、とりあえず興味のあるものを視界からなくさなくては…!!)



冷静になろうとするが、あまりに非常識で頭痛と苛立ちと息がうまく吸えない。



「嫌だなぁ。言っただろ?団長の絵を描きに話に来たんだ。どこにいるんだ?」


「ご近所にサラッとくる感覚でここに来ないでください!!天下の第二騎士団ですよっここは!」


宮廷画家の肩書を見下されたと判断し、ソーリャも負けじと叫んだ。


「知らん!!偉らそうにするなっお前なんてっ雑用係だろーーー!!」


「国家公務員っっ国立大学出のスーパーエリート集団舐めんなっっ」


ここに来て自尊心が爆発した。



団長室兼執務室。

扉を乱暴に開け放ち、ソーニャが颯爽と入ってきた。

仮面を外し、青い瞳をぎらりと光らせる。


「お前が――クズ団長か!!?」


第一声。空気が凍りつく。

イーゴリの机に控えていた書記官たちの顔が一斉にひきつり、沈黙が広がった。


イーゴリは一瞬ぽかんとしたが、すぐに口角を吊り上げる。

金色の瞳に愉快そうな光が宿った。


「……ほぉ」


次の瞬間。

隣に素知らぬ顔で立っていたケンジの頭を、いきなり鷲掴みにする。


「ぎぃぃぃっ……!? な、なんで俺ぇぇぇっ!?」


握力が容赦なく強まり、頭蓋が悲鳴を上げる。

ケンジは青ざめ、必死に机を叩いた。


「はっはっはっ!お前のこと、俺は好きだったんだけどな!……残念だ!」


豪快に笑い飛ばすイーゴリ。

ソーニャは腕を組み、勝ち誇ったようにうなずいた。


「やっぱりクズだ」


「潰れるっ!!今!頭ギチギチ言った!団長ぉぉーーー!? 俺は何も言ってない!!勝手にそんな感想持ってるだけですからぁぁぁ!!!やめて死ぬ死ぬ死ぬ!!!」


「五月蝿えっっっ! 悪口言ってんだろ!!」


完全に巻き添えであった。

ケンジは泣き叫び、書記官たちは蒼白になって立ち尽くすしかなかった。



仕切り直し、応接間のソファにソーニャを座らせると、彼女はスケッチブックや絵の束を床に無造作に置いた。

埃が舞い上がり、ケンジは顔をひきつらせる。


(……死ぬほど汚いっ……消毒したい……)


イーゴリは顎に手を当て、じろりとソーニャを見やった。

「ソーニャ・ルビナだ!どんな風に描いてもらいたい!?」


「ソーニャか。若いな。いくつだ?」


「たぶん、30だ」


「……たぶん?」


ケンジは心底突っ込まずにいられなかった。

年齢すら曖昧な答えを、彼女はまるで当然のように言い放つ。

イーゴリは逆に面白がって目を細めた。


ケンジは気を取り直し、運ばれてきた紅茶を二人の間のローテーブルに差し出す。

彼の耳には、なおも「たぶん30」という返答が反響していた。


イーゴリは茶を一口飲み、ちらりとケンジにイタズラっぽい目をやる。


(……「お似合い」って顔するな。無視だ)


ケンジは露骨に視線を外した。


「肖像画の希望か……しいて言うなら、神格化したようなやつと、アレクサンドルみたいな威厳に満ちた絵は勘弁だな。親しみやすいやつにしてくれ」


終生のライバル、アレクサンドルの肖像画は非の打ちどころのない英雄画だった。

確かに彼には似合っていたが――自分には合わないと、イーゴリは笑った。


(へえ…そんなふうに考えてたんだ。意外と素敵な注文だ)


ケンジは思わず感心してしまう。


しかし次の瞬間。


「なるほど!では、親しみやすく裸体で寝そべるのはどうだ!?」


「ははっ!分かってるな!!俺の肉体美が映えまくりじゃねぇか!!」


「…………」


二人が意気投合して笑い合う光景に、ケンジは無表情で睨む。

もはやツッコミさえ入れたくない。


(似てる……清々しいほどに、気が合ってやがる……)


イーゴリは本当に上半身を脱いでポーズを取り始め、ソーニャは笑顔で木炭を走らせる。

ケンジは目を逸らそうとしたが――ふと気づけば、ソーニャの動きに釘付けになっていた。


木炭が紙を滑る音。

まるで獣の牙を刻みつけるように、線は勢いを失わず紙を駆け抜ける。


(……は? はぁぁぁぁぁぁぁあーー!?)


速すぎて手元が見えない。しかも、一度も紙を見ずに走らせる手。

その無駄のない動きに、ケンジは目を見張った。


「こんなのはどうだ!?」


ものの五分でラフを仕上げ、ソーニャは笑顔でイーゴリに差し出す。

そこには、今にも動き出しそうなほど生き生きとした団長の姿が描かれていた。


「こんなのもできるぞ!いや、貴方は笑うといいが、特に顎から喉仏と肩のラインが美しいから、角度的にはちょっと上を向いて……そうそう!」


イーゴリとソーニャが子供のように笑いながら、夢中で遊ぶようにスケッチを重ねていく。


ケンジはただ、言葉を失っていた。

怒りも呆れも、いつの間にか遠のいて。

そこにあるのは――危険なほどに強烈な「才能」への畏怖だった。



(……天才っているんだな)


ケンジは心の中で呟いた。


書記官に求められるのは緻密さと勤勉さ。

生まれ持った才ではなく、積み重ねた努力と規律こそが武器だ。

だからこそ、第二騎士団の執務室に並ぶのは秀才ばかり。


だが、この女は違う。

ソーニャは若干三十にして宮廷お抱えの画家となった。

それは決して偶然でも、運の良さでもない。

神から与えられた特別なギフト――その才覚が、目の前で木炭を走らせる音に宿っていた。


ソーニャは木炭を置き、青い瞳を輝かせて言った。


「ここにしばらく通っていいか?」


ケンジは目を瞬かせる。


「私は依頼人のことを全て知ってから描きたい。そうすることで筆に命が宿り、生きるんだ」


豪快に、しかし一切の迷いなく放たれる言葉。

天才の確信に満ちた声音に、ケンジの胸はざわついた。

――また厄介なことになりそうだ、と理性が叫ぶのに。

同時にその在り方を、否応なく認めざるを得なかった。


「…どうぞ。ただ、いらっしゃる時は事前に連絡してください」




ケンジ38歳

ソーニャ30歳


二人は約11カ月後に…ーー結婚する。




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