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9.ケンジの告白

雪がしんしんと舞い落ちる。

石畳は白く薄く覆われ、馬の吐息が白い靄となって漂っていた。


ケンジは無言で馬の首を撫でながら、旅装束の荷をひとつずつ点検していく。

金具の締め具合、手綱の革の滑り、鞍の具合――ひとつひとつを確かめる仕草は、職務に慣れた者の無駄のない動きだった。


その背に、声がかかる。

「どれくらい、帰ってこないんだ?」


振り返らずに耳を傾けると、ソーニャが雪片を受けて立っていた。

薄い外套の裾を押さえ、真っ直ぐに彼を見ている。その大きな青い瞳に、不安の色が隠しきれず浮かんでいた。


ケンジは少し思案してから、淡々と答える。


「……はっきりとはしませんが、大規模な事にはならないと思います。色々含めて……二、三ヶ月ほどかと」


「……冬の間は、ずっとか」


ソーニャが低く呟いた。

王都の冬は長く厳しい。西の暖かな国で育った彼女にとって、雪に閉ざされる季節は孤独と不自由の象徴だった。ましてや、親しく語らえる相手も少ない。家にこもる時間が長くなると、その孤独はさらに濃くなる。


ケンジは手を止めて振り返った。

彼女の肩や髪に雪が降り積もる。けれど、払おうともしない。立ち尽くしたままの姿は、どこか幼子のように見えた。


「次に会えるのは……春頃でしょうね」


そう言ってケンジは、ふっと笑みを浮かべた。


「その時までに、団長の絵が仕上がっているといい。――あなたなら、きっと描き上げられますよ」


柔らかい声色。いつものように相手を気遣う、穏やかな笑み。

けれど、それが次に見られるのは、数ヶ月先になる。


「……そうだな」


ソーニャはわずかに俯いて、白い吐息を雪に散らした。

この温もりにしばらく触れられない――その寂しさを、苦笑で覆い隠すしかなかった。



あからさまに寂しがるソーニャの珍しい姿に、ケンジはしばらく何も言えずに言葉を探して黙った。

このまま去るべきか。

それとも――ずっと探していた言葉が、ようやく形となって浮かび上がってきた今こそ、口にすべきか。


しんしんと降り積もる雪の中。

二人の間に沈黙が流れる。

惹かれ合いながらも、互いにうまく距離を測りかねていた。


「あの……」


先に口を開いたのはケンジだった。


「俺がいない間……寂しいからって、他の男に気を紛らわせたりは……しないでください」


言った瞬間、自分の声がやけに低く響いた気がして、ケンジは思わず息を呑む。

38歳の男としてはあまりに青臭い台詞だが、それでも本心だった。

誠実でありたいと思うからこそ、彼女を信じたいと願うからこそ――釘を刺さずにはいられなかった。


ソーニャの瞳がぱちりと瞬いた。

「……」


「あなたが本気で、誰かを描きたい、誰かと生きたいと思うなら、俺はその人に勝てるよう努力します。でも……ただ寂しいから、なんとなく手近な相手で心を紛らわせる。そういうのは、俺は耐えられません」


馬の背に手を置いたまま、ケンジは真っすぐに言い切った。

「……俺は、あなたが好きです。あなたを尊敬してるからこそ、安っぽい扱いは許せない」


吹きつける雪風。

ソーニャは一瞬だけ驚いたように瞳を揺らし、そして――ゆっくり笑った。


その笑みにカッと烈火のように赤面したケンジは、視線を逸らして声を裏返した。


「……じゃあ、そういうことなので」


踵を返す。

雪が降っていてよかった。年甲斐にもなく動揺した顔を隠し、火照った頬を冷やしてくれるのだから。


何も言わないソーニャの横を通り過ぎた、その時だった。


「ケンジ」


不意に肩を掴まれ、ソーニャの体重がかかる。

振り返った瞬間、長く波打つ金髪が目の前で揺れた。


少し引っ張るように下を向かされ、近づいてきた顔が綺麗に傾いてくる。

触れるように、ソーニャの唇がケンジの口を軽く弾ませた。


「……分かった」


微笑んだソーニャはこの上なく嬉しそうに破顔し、花が咲くように顔を向けてきた。


「お前以外、誰ともこんなことはしないぞ。絶対だ!」



そして、ぱっと肩の手を放すと、長い金髪を揺らしながら笑顔で言った。


「じゃあな!」


雪の中を軽やかに駆け去っていく背中。

ケンジはその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。


ふっと息を吐いた瞬間、全身の力が抜ける。

胸の奥で、心臓が烈しく暴れている。


「……っ、はぁ……」


ため息をついた途端、耐えきれずに両手で顔を覆った。


「あああああああーーーーーーーっっ!!!」


頭の中で爆発が起きるような感覚。

そのまま雪に埋もれたい衝動を抑えつつ、崩れ落ちるように膝をついた。


(……行きたくねぇ……!!)


仕事を放棄したいと思ったことは過去にも何度かあった。

だが、これほどまでに強く、心の底からそう思ったのは――初めてだった。


そこへ、背後からひょいと顔をのぞかせたイーゴリ。

にやにや笑いながら言い放つ。


「出発ちょっと遅らせてやるから、そこの物陰で一発ヤッーー」


「てっめぇぇぇぇ!!っと一緒にすんなっっ!!んなことしなくても平気だっボケっっ!!」


過去最大に口悪く吠えた。



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