おまけ(マリス視点)
マリスにとって兄のミヤビはきらきらと輝く光そのものだった。
「神童」の名をほしいままにしていたミヤビは、ピアノとヴァイオリン、水彩画に油絵といった芸術方面のみならず、勉学の面でもぞんぶんに才を発揮していた。
マリスは、ミヤビの半分も上手くこなせはしなかった。
マリスは、ミヤビの残りかすだとか、しぼりかすだとか言われた。
両親も、親戚も、そのようにマリスを見た。
ミヤビだけは――マリスをそのようには見なかった。
「こんな家、いつまでもいなくていい。出ていっていいんだよ」
開かないと思い込んでいた籠の鍵は、ミヤビが外してくれた。
だから、マリスにとってミヤビはいつまでもきらきらと輝く光そのものだった。
そんな光をミヤビからわけてもらって、心に宿して、かき抱いて、マリスは家から――籠から飛び出したのだ。
もうミヤビには会えないと思った。
自分にはミヤビの隣に立つどころか、その影に触れるほどの才能の欠片もなかったのだから、仕方がないとマリスは思った。
生きていくために、マリスは夜の街で仕事を選ばなかったし、そうするたびになおさらミヤビにはもう会えないのだと思うようになった。
「あのさ、しばらく泊めてくんね?」
冬の朝。マリスの部屋の前に、最後に見たときよりも――当たり前だが――ずいぶんと大人になったミヤビが座り込んでいた。
ミヤビは、マリスが最後に会ったときよりも、ずっとずっと疲れて、くたびれて、よどんだ空虚な目をして座っていた。
マリスは一も二もなくミヤビを部屋に招き入れた。
その選択を、マリスが後悔したことは一度としてない。
ミヤビが、どうやってマリスの居所を突き止めたのかはわからなかったし、兄もまた多くを語らなかった。
ただマリスはミヤビの様子から、兄が燃え尽きてしまったのだと悟った。
それでもなお、家族はミヤビに多くのことを求めたのだろうということも。
「兄さん、ずっとここにいていいんだよ」
ミヤビは「しばらく」と言ったが、帰る様子もなくその「しばらく」が二週間続いたあと、マリスはやにわにそう告げた。
ミヤビは、珍しくびっくりしたような顔をして、何度か目をしばたたかせていたが、しばらくしたあと「……そうするわ」とだけ言った。
マリスはミヤビの返答に安堵し――そして歓喜した。
マリスにとって兄のミヤビはきらきらと輝く光そのものだった。
その光は今だって衰えることを知らない。
だから、大切に大切に、籠に鍵をかけてしまっておこうと決めた。
マリスのただ惰性で生きているだけの、色のなかった日々はきらきらと輝き出した。
ミヤビのそばにいられるのが、世話をさせてもらえるのが、いっしょにいられるのが、この上なくうれしい――。
ここにはマリスとミヤビだけ。
ここにはふたりに差をつけたり、不平等を押しつけて仲を裂こうとする人間はいない。
そう、だったのに。
「もういいよ」
行方を知らせず家を飛び出していたマリスの居場所は、ミヤビに突き止められるのだから、ミヤビを捜す家族にだってできることだ。
家族はミヤビを取り戻すためにマリスが借りている部屋へとやって来た。
怒声を上げ、泣き落としをしようとし、マリスをことの元凶だとばかりに面罵する。
家族はミヤビの腕を無理やり引っ張り、マリスの部屋から出すことには成功した。
そんな家族に、ミヤビはただひとこと「もういいよ」とだけ言って――踊り場からマンションの外へと身を投げた。
ミヤビが地面に墜ちると、腹の底まで響いてくるような、ぞっとする音がした。
マリスはなにが起こったのかわからなかった。
なにもわからなかった。
わからなかったから、マリスよりもずっと賢いミヤビに聞こうと思って、同じ場所から兄を追って飛び降りた。
……けれどもマリスのその行動は、正解だったらしい。
「マリス、死ぬまで責任持って世話してくれよな」
だって、マリスの兄は今でも目の前にいる。
きらきらと輝く光は、今もマリスのそばにある。
そして二度と離しはしない。
ミヤビの言葉に、マリスは何度も必死にうなずくのだった。