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本編

「めっちゃ迷惑だよなー」とミヤビは思い返す。


 なにがと言えば、マンションの上階から飛び降りて自殺したことについてである。


 オートロックなどという上等なものがついていない、外壁からして見るからに古びたマンションの価値は、ミヤビが飛び降り自殺をしたことでさらに下がったことだろう。


 だから「めっちゃ迷惑だよなー」とミヤビは己の発作的な行いを思い返し、自省したのだ。


 そんなミヤビが今いるのは、病院でも斎場でも、あの世でもない。


 異世界である。しかも魔法学園とかがある、典型的ラノベファンタジーな。


 そしてたしかに股間に男性器をぶら下げていた男であったミヤビは、今はミーヤという名の少女になっていた。男性器はない。


 そう、ミヤビは異世界転生を果たしたのだ。


 だが目の前にいるのは――


「兄さん! 本当に兄さんだ!」


 ……貞淑な女子制服を身にまとったミーヤを「兄さん」と呼ぶ男子生徒は、他の生徒たちに遠巻きに、しかしあからさまにヒソヒソとされているにもかかわらず、喜色満面の笑みをこちらに向けてくる。


「マリス……」


 ミーヤもといミヤビは、男子生徒を――前世の弟を前にして、すべてを思い出した。


 かつて「神童」と呼ばれた子供時代を送りながら、見事に燃え尽きて、「二〇歳過ぎればただのひと」を体現したこと。


 それでもミヤビが「神童」と呼ばれた過去の栄光が忘れられず、必死に更生させようとする家族から逃げ出したこと。


 実弟のマリスが暮らすマンションの一室に転がり込んで、彼に養われるヒモニート生活を送っていたこと。


 けれども家族に居所を突き止められ、連れ戻されそうになったこと。


 それが嫌で、発作的にマンションの踊り場から外へと飛び降り自殺したこと――。



 そしてなぜか「あの世学校」とかいうところにいたこと。


 「あの世学校」にはなぜか弟のマリスもいたこと。


 マリスから後追い自殺をしたと告げられたこと。


 「いっしょに転生しようね♡」とマリスと指切りげんまんさせられたこと。


 そんなマリスが面倒くさくて、マリスと約束した転生先ではなく、この異世界に転生する選択をしたこと――。



 そのような経緯をなぜ今の今まで忘れていたかも、ミヤビは思い出した。


 生まれ変わるときには、前世とあの世の記憶を失う……。


 そういう決まりなのだと、生前の罪をそそぐために送られた「あの世学校」で説明された覚えがある。


「なんでお前、俺のこと覚えてるんだよ」

「え? 愛の力?」


 ミヤビが当然の疑問をぶつければ、マリスはそんな答えを返す。


「兄さんだって、思い出せたじゃない! じゃあ僕が覚えていても不思議じゃないよね?」


 ミヤビは「そうかなあ?」と思ったが、面倒くさくなって口には出さなかった。


 あの世の技術とやらも、結構欠陥があるのだということにして、ミヤビはそれ以上の思考を放棄した。


「そうか、じゃあ」

「ちょっと待ってよ兄さん! どこに行くの?!」

「どこって……昼メシ食いに行くところなんだが」

「僕も行く!」

「……勝手にすれば」

「うん!」


 ミヤビはマリスに別れを告げたつもりだったが、マリスは前世の兄と「じゃあ」で別れるつもりは一切ない様子。


 ミヤビはそんな弟を鬱陶しく思いながら、さりとて強く拒絶することもまた面倒くさく感じて、マリスのしたいようにさせることにした。


 ミヤビ……ミーヤと、新入生のマリスの取り合わせは、先ほどのやり取りも相まって他の生徒には奇妙に映っただろう。


 絶えずヒソヒソとした、ささやき合う声が聞こえてきたが、ミヤビは面倒くさかったのでなにも言わなかった。


 マリスは兄に夢中なのか、同じように気にしていない様子だ。


 思えば前世からマリスはそうだった。


 なにがそんなに兄のことを気に入っているのか、マリスはミヤビに夢中なのだ。


 突然転がり込んできたミヤビの世話を苦もない顔でせっせと焼き、女を部屋に連れ込むようなことだってしたことがない。


 邪険にするなどもってのほかで、それどころか下にも置かない態度で、こちらの機嫌を常にうかがっていた。


 ミヤビはマリスに、誓って暴力など振るったことはない。意地悪をした覚えもない。


 ただ実家では、マリスは実の両親から明確にミヤビと区別……いや、差別されて育てられた。


 両親が一番大事なのは「神童」と呼ばれたミヤビで、マリスはどうでもいい存在だったのだ。


 高校卒業と同時にマリスは実家を出て、以来戻らなかった。


 そんな経緯があれば、普通はちやほやされてきた実兄など疎ましく思うものだろうが、なぜかマリスは違った。


『兄さん、ずっとここにいていいんだよ』


 そのときには燃え尽きて、既に「ただのひと」に成り下がっていたミヤビだったが、これでも一応「神童」と呼ばれた過去がある。


 マリスがそう優しく言って、ミヤビに選択肢を与えるような物言いをしながら、その実マリスのほうには明確に選んで欲しい選択肢があるのだということを、ミヤビは見抜いていた。


 マリスは、ミヤビにずっとこの部屋にいて欲しいらしい。


 ミヤビはそのマリスの本心に乗っかり、一切働かず弟の部屋に居続けた。


 それでもマリスの心は変わらなかった。


 もし家族がミヤビを連れ戻そうと、マリスの借りていた部屋に押しかけなければ、今もその生活は続いていたことだろう。


「――つかお前、今世でも『マリス』って名前なの?」

「うん。改名したからね」

「改名?」

「うん。だって兄さんと会うんだもん。やっぱり、元通り『マリス』って名前のほうがいいかなって思って」

「ふーん……」


 ミヤビはマリスの行動力に、内心でちょっと引いた。


 昼時ということで、学園内にあるカフェテリアは騒がしい。


 それに拍車をかけているのがミヤビとマリスの取り合わせだということを、ミヤビはきちんと理解していた。


 それまで接点などなかった男女が、突然親しげにテーブルを共有しているのだ。


 加えて、新入生である男のほうは、女子制服に身をつつんでいるほうを「兄さん」と呼んでいる……。


 センセーショナルだ。ミヤビは完全に他人事の態度で思う。


「――おっと失礼!」


 突然、ミヤビに向かって中身の入ったグラスが、しぶきをまき散らしながら飛んできた。


 しかしそのグラスも、中に入っていたアイスティーも、中空でぴたりと制止する。


 さながら一瞬を切り取った芸術作品のような様態を呈したグラスとアイスティーに、周囲からどよめきが起こった。


「すげえな。さすが主席」


 ミヤビが完全に他人事、といった調子で言えば、マリスはほのかにはにかむ。


 一瞬のうちに完璧な魔法を披露したマリスが、入学試験で満点を取ったという事実をミヤビはゆるゆると思い出していた。


 マリスと出会ったことで前世とあの世の記憶が蘇り、なんだかそれに引っ張られて、防衛魔法をとっさに使えなかったミヤビだったが、マリスは別世界の記憶を保持しながらも、完全にこの魔法のある世界には馴染めているらしい。


「な、なんだよこいつ――」

「それはこちらのセリフです。明らかにわざとこちらに投げてましたよね?」

「わざとじゃねえよ。偶然に決まってるだろ!」

「こんなにもひとがいる場で、よくもそんなことが言えますね」

「わざとじゃねえって言ってんだろ!」


 マリスはグラスを投げた男子生徒に冷静に対処しているように見えたが、その声はひどく平坦で、内に燃え盛るような怒りを隠しているということは、ミヤビにはよくわかった。


「やめろよマリス」

「ですが、兄さん」

「俺がやめろって言ってるんだけど」

「! ご、ごめんなさい、兄さん」


 ミヤビに咎められると、マリスは一転して顔を青くさせ、男子生徒を見逃す。


 男子生徒は大きな舌打ちをして、忌々しげな視線をミヤビ――ミーヤとマリスに投げかけたあと、大股で去って行った。


 突然の「トラブル」によって膨れ上がったカフェテリア内の喧噪も、それで徐々に落ち着いてくる。


 けれども多くの生徒が、ミヤビもといミーヤとマリスの会話に耳を立てているのは、よくわかった。


「あいつ、俺が気に入らねえんだよ。俺のほうが成績いいから」


 前世「神童」と呼ばれていたミヤビの魂が宿っているからなのかは定かではないものの、ミーヤの成績は幼少期からすこぶる良く、「天才少女」などと呼ばれていた。


 だがもちろん、それをよく思わない人間はたくさんいる。


 面倒なことに、ミヤビとして生きた記憶が蘇る前のミーヤは、成績面では優秀だったが、コミュニケーション能力は低く、内気で引っ込み思案な性格だった。


 いや、そういった内向的な性格だったから、ひとり勉学に励んでいたのか。


 ミヤビとしての記憶が蘇った今となっては、そのあたりの詳細なディティールは思い出せなくなっていた。


 しかしミヤビとしての記憶があろうがなかろうが、マリスを除いた他人からすれば、ミーヤはミーヤのままだ。


 つまり、いじめられっこのまま、ということである。


「兄さんの口ぶりからすると、教師は役に立たないの?」

「ひとによるかな~。俺のこと、面倒くさく思ってる教師もいるしな。まあ面倒くせえなあって思ってるのはお互いさまってことで」

「兄さん……」

「てかこんなひと前で『兄さん』呼びは勘弁してくれ。ただでさえ浮いてるのにますます浮いちまう。面倒くさい」

「ごめんなさい!」

「別に謝らなくていいんだけど……」


 マリスはあからさまにほっとした顔をして、「それじゃあ『ミーヤ先輩』って呼んでもいい?」と猫なで声で問う。


 ミヤビがそれを了承すると、マリスは至極うれしそうな顔をした。



 そんなこんながあり、ミヤビもといミーヤは前にもまして学園中の生徒からヒソヒソされるようになった。


 だがされるがままのいじめられっこだったミーヤと、ミヤビは違う。


 ミヤビは、面倒くさいので自らに対するいじめを放置した。


 他人が怖くてまったく身動きが取れなくなっていたミーヤと、ミヤビのそのスタンスはまったく違うわけだが、しかし外から見えるぶんには差がない。


 ゆえにミーヤは、前世とあの世の記憶を思い出しても、相変わらずいじめられっこのままだった。


 とは言えども、ミヤビとして生きた記憶を思い出したミーヤは、たしかに変わった。


 突然、男言葉を話すようになり、いじめにもまったく反応しなくなったミーヤから、一部のいじめっこは離れていった。


 単純にミーヤの態度をつまらないと感じたのか、あるいはミーヤの気が触れたと思って、その責任から逃れるためか。


 いずれにせよ、特別なにか行動を起こしたわけではなかったものの、ミーヤとしての生活はいくらか快適になったので、ミヤビとしては万々歳である。


 そんなミヤビがほんのちょこっとだけ気にしているのは、マリスのことである。


『兄さん。しばらく兄さんのお世話が出来なくてごめんだけど、僕はちょっとやることがあるから』


 マリスは、兄が異世界転生して性別が変わってもまったくひるむ様子を見せず、それどころか前世同様に世話を焼きたがっている様子だった。


 それでもなにやら「やること」とやらがあるらしく、あの日、カフェテリアから女子寮の玄関へ送ってもらって以降、ミヤビはマリスの姿を見ていない。


 マリスのことはほんのちょこっとだけ気にかかるものの、わざわざ捜し出すのもミヤビとしては面倒くさいことこの上なく、結局放置している。


 どうせこちらから捜さなくても、あのマリスのことだ。いずれまたミヤビの前に姿を見せるだろう――。


 ミヤビはうすらぼんやりとそう確信していた。


 だが、こんな形で再びマリスを見ることになろうとは予想だにしなかった。


「尖塔のところにひとが立ってる!」


 昼休み。中庭の日陰になっているうすら寒いベンチでぼんやりとしていたミヤビの耳を、女子生徒の悲鳴じみた声がつんざく。


 その声を皮切りに、本来であれば立ち入り禁止となっている尖塔のてっぺんの部屋に、ひと影があることに気づいた生徒たちが、にわかに騒ぎ出した。


 その尖塔の部屋のいわくは、ミヤビもといミーヤも噂ながら聞き及んでいたので知っている。


 いじめられていた女子生徒が、その尖塔の部屋の窓辺から飛び降りて亡くなって以降、不可思議なことが起こるということで、立ち入り禁止になったともっぱらの噂だった。


 そんな部屋の窓――いや、正確には窓枠に、ひとが立っている。


 当初は幽霊だと言っていた生徒たちだったが、だれかがそのひと影の後ろにも影が並んでいることに気づいた。


「あれ、マリスくんじゃない?!」


 窓枠に立つひと影は、幽霊ではなくマリスだということに生徒のだれかが気づくと、中庭はさらに騒々しさに揉まれるようだった。


「自殺?!」

「ええっ、入学してきたばかりなのに?!」

「ねえ、見て、マリスくんのそばにいるの、二年生の生徒よ!」

「本当だ!」

「これっていじめ?!」

「そんな、犯罪だろ!」


 口々にやかましく叫びあう生徒たちの目が、中庭のベンチに座るミーヤに向けられた。


「行かなくていいの?!」

「止めなくちゃ!」

「えっと、君は彼とは親しいんだろう?」


 戸惑いまじりではあったが、そんな声がミーヤに飛んでくる。


 ミヤビは――面倒くさいと思った。


 けれども、ここでまったくミーヤとして動かなかったあとのことを考えると、ミヤビは面倒くさいと思いつつも動かざるを得ない。


 深い、それは深く重いため息をついて、ミヤビは寒々しいベンチから立ち上がった。


「兄さんっ♡」


 のろのろと尖塔の先にある部屋へと向かったミヤビを出迎えたのは、満面の笑みを浮かべるマリスだった。


 マリスは窓の近くに手を置き、窓枠の上に器用に立っている。


 マリスが羽織っているローブが、風に煽られ、ひるがえる。


「兄さん、来てくれたんだ! うれしい♡」


 表情のみならず、声にすら喜びをにじませるマリスに対し、その周囲にいる二年生の男子生徒たち三人は、恐怖と絶望に顔を引きつらせていた。


 ミヤビには、この男子生徒たちに見覚えがあった。否、ありすぎた。


 ミーヤを執拗にいじめていた生徒の筆頭が、この三人の男子生徒なのだ。


 その中にはもちろん、あの日マリスとカフェテリアにいたときに、中身入りのグラスをわざとらしくぶん投げてきた男子生徒もいる。


 ミヤビは、そんな連中が雁首そろえて震えている姿を見て、すべて悟った。


「マリス、あぶねーからひとまずそこから部屋に降りろ」

「うん」

「ここに来る前に一応教師には声かけてきたから、たぶんそのうちこっちに来ると思う」

「うん」

「マリス」

「なあに、兄さん」


「……やっぱ、お前って結構役に立つな」


 部屋の中に戻ってきたマリスの髪を、ミヤビは乱雑に撫でる。


 マリスは、開け放たれた窓へと吹き付ける風と、ミヤビの手とでぐしゃぐしゃになった髪を意に介する様子もなく、また花が咲いたかのような満面の笑みを見せた。


 そんな兄弟を、三人の男子生徒は幽霊を前にしたかのような顔で見ることしかできなかった。



 ――新入生を尖塔の部屋から飛び降りるように脅した、悪質な事件。


 あの一件はそのように処理され、三人の男子生徒は自主退学ないし、よその学園へと転校し、この学園からは全員姿を消した。


 三人の男子生徒が学園内で執拗ないじめをしていたのはたしかだったため、だれもくだんの事件が被害者と言われているマリスによって作り出されたものだとは気づいていない様子だ。


 あの場にいたミヤビは、当然真実を知っていた……というか察していたが、物的証拠を持っているわけでもないし、そもそも真実を暴き出すことに意味を見出せなかったので、黙っていた。


 ミヤビは、マリスがどこからかあの三人の男子生徒を脅して、退学もいとわないような行動にすら、言うことを聞かせられる情報を手にしたことは察した。


 マリスの今世の実家が、裏社会と通じているだとか、色々と黒い噂があることをミヤビが知るのは、まだあとの話である。


 とにもかくにも、ミーヤをいじめていた筆頭の生徒たちがいなくなったことで、他のいじめっこたちも賢明なことに恐れをなしたらしい。


 ミヤビは快適な学園生活を送れるようになった。


 それに一役買ったマリスはと言えば、さすがに男子生徒ゆえに女子寮に立ち入れないし、学年も違うものの、それでも時間を縫ってはミヤビに会いに行き、せっせと世話を焼いているのだった。


 ミヤビはマリスがこれほどまで兄に執着する理由を知らない。


 知らないが、わざわざ聞き出すのも面倒くさいし、このままでいいと思っている。


「マリス、死ぬまで責任持って世話してくれよな」


 その言葉にはさすがのミヤビも多分の冗談を含んでいたが、マリスは至極うれしそうな顔をしたまま、何度もうなずいたのであった。

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