表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その女、悪辣につき  作者: 笑春風
2/7

笹の葉

 佳熙(カヒ)の不安そうな様子を感じた花瑩(ファヨン)は優しく言った。

「お兄様……あなたのお父様は王弟殿下に従わないはずよ。何故だか分かる?」

 佳熙はしどろもどろに小さな声で答える。

「それは、道允(ドユン)様がお父様と対立しているからですか?」

 花瑩は首を横に振った。そして佳熙を見つめる。彼女の眼差しはいつになく険しい。佳熙は固唾を飲んだ。

「よく考えてみて?王弟殿下のお妃様は解氏よ」

 王弟殿下こと扶余季(プヨゲ)の妃は解氏()の出身である。そして宣公子(ソン)の生母でもあった。王弟殿下が即位すれば、解氏が王后となる。つまり、佳熙は王后になれないばかりか、父である積徳(チョクトク)の「国舅」への道が潰えてしまうのだ。王弟も積徳もお互い野心がある。

 だが、解氏は王后を輩出する家門でもある。王弟が即位して解氏が王后になってもならんら不自然なことはない。

 しかし、解氏が王后になれば、沙宅氏(サテク)は大姓八族での発言力や朝廷での立場は弱いものになってしまう。積徳が佐平(サピョン)という高級官僚であっても意見は一度、解道允が預かり、審議も何もかもが解氏の目を通さねばならなくなることも考えられた。

 道允が積徳を訪ねたのは沙宅氏が王弟殿下に協力を仰ぐというより、彼は沙宅氏やその周辺の貴族たちに妥協をすすめにきたと佳熙は内心で思った。だが、見当違いでは恥ずかしいと感じて黙っていた。しかし花瑩も同じように考えていた。

「叔母様、今日、宮中に参内するのは止めます。無闇に宮中に行ったら道允様が何か言いがかりをつけてくるやも。でも……」

 佳熙は小さく息を吐いた。そして心を落ち着かせながら恐る恐る花瑩に尋ねた。

「もし、もし……(チャン)王子に落ち度があったら?」

 佳熙のその一言で花瑩は善花公主(ソヌァ)の話を思い出した。花瑩も璋王子と善花公主の話を耳にしていた。彼女はその話に嫌悪感を抱いていた。花瑩の最愛の夫が新羅(シルラ)との戦いで戦死して以来、彼女は新羅に強い憎悪を向けていたのである。そして自分が抱く憎悪の全てを善花公主に向けていた。

 それ故に花瑩は新羅と徹底抗戦を唱える貴族の象徴とも言える存在にまでなっていった。彼女は「女人」でありながら、堂々と男たちに政治を意見できる立場だった。

 佳熙はそれが羨ましかった。容ばあやは政治の話を嫌う。同年代の娘たちでは話しが噛み合わない。誰かと政治を語りたいが、それが不可能に近いと佳熙は歯がゆい思いでいた。しかし、花瑩が実家に戻って来てからは佳熙の歯がゆい思いは薄れていった。

「新羅の公主は王后になれない。敵国の公主に頭を下げるんで真っ平ごめんだわ!その前に大姓八族が許すはずがないもの!璋王子でも分かっているはずだわ!」

 いつもは穏やかな花瑩が語気を荒らげて佳熙に言い放った。その言葉から花瑩が「新羅を許さない」という気概すら感じられた。

 花瑩にとって「新羅」とは最愛の夫を奪ったばかりではなく、鮮やかな色の人生を奪った「許してはいけないもの」だった。夫を戦死してから、花瑩の人生は水墨画のような濃淡しかない人生になっていた。ただ、夢でし会えない夫が夢に現れたとき、彼女は濃淡から解放されるのであった。

 そんな花瑩の周りには彼女を慕う貴族が集まっている。しかし、彼女は孤独であった。夫を失った孤独に目を向けないように悟られないように生きていた。孤独ほど心を漬け込まれやすいものはなかったからだ。

「叔母様、落ち着いてください」

 佳熙は椅子から立ち上がった。その顔には不安が強く浮かんでいる。花瑩は安堵させるように作り笑いをしてみせた。だが、佳熙にはそれがすぐに分かった。

 なぜなら瞳から痛々しいほど何も感じれなかったからである。佳熙は花瑩を落ち着かせるために部屋の外で控えていた侍女に水をもってくるように命じた。

「佳熙、憎悪はうちに秘めるの。気心が知れた人にしか言ってはダメよ。私は新羅と徹底抗戦を願っているの。それくらい新羅が憎い……けれど、それは私情でもあるし、民意でもあると考えているの。聖王(ソン)陛下が新羅との戦争で亡くなった……しかも牢獄の下に首を埋められる辱めを受けたわ。そんな状況で新羅に好感を抱く民がいるかしら?」

「いないと思います」

「民意とは感情に煽動されやすい。民意が新羅への嫌悪と徹底抗戦に向いている今こそ、私にとっては好機よ。扶余季は新羅との戦争は望んでいないと聞くわ。それを知っているから国炫様がやって来たのよ。王弟殿下の話と並行して新羅との戦争の話をしに来たのよ」

「国炫様も徹底抗戦を?」

 花瑩は深々と頷いた。それに佳熙は驚いた。国氏(グク)は大姓八族の中では中立と他の氏族とも均衡を保っている。そんな国氏が新羅に徹底抗戦を示していることが佳熙は想像もつかなかった。

「佳熙、新羅との戦争が私の優先事項だわ。子どもがいないから、そう考えてしまうのかもね。けれど、子どもがいても優先事項は変わらないかもしれないわ」

 花瑩は俯いてしまった。佳熙はどうしようもできなかった。何と言葉をかけてよいのかも分からなかった。


 沈黙を破るように(ヨン)ばあやが水の入った器を持って現れた。容ばあやは呆れたように2人に向かって声をかけた。

「憂いがおありでしたら、寺に参拝すれば良いのでは?国の憂いはお嬢様と花瑩様には無関係ですわ」

 そう言うと容ばあやは花瑩に器を差し出した。彼女はそれを受け取ると水を飲み干そうとした。しかし、器には笹の葉が浮かべられている。

「容ばあや、これは?」

 花瑩は思わず容ばあやに尋ねた。すると容ばあやは明るい声で答えた。

階伯(ケベク)という奴婢が機転をきかせたのです」

 佳熙は階伯の意図が分かった。

「きっと、一気に飲もうとすればむせると思ったのでは?」

 佳熙の言葉に花瑩は納得して容ばあやに階伯を呼ぶように命じた。それには容ばあやは納得しなかった。

「花瑩様、階伯は目通りできる身分ではありません」

「このように機転が利く奴婢は滅多にいないわ。お礼を言いたいけど残念だわ」

 容ばあやの言葉で花瑩は肩を落とした。花瑩は身分にはいささか厳しい側面があった。奴婢に易々と顔を見せることを嫌っていた。だが、階伯がしたことは機転と主人への気配りを感じた。それは佳熙も同じだった。佳熙は会えないが階伯という奴婢の存在が気になっていた。

 そして色々と頭の中で空想を膨らませる。

 実は貴族の隠し子?

 素手で虎を倒した武芸者?

 仏門を追い出された破戒僧?

 それとも……?

 空想に耽る佳熙を引き戻すかのように容ばあやが彼女に声をかける。

「お嬢様、何を考えていたのです?」

「なんでもないわ。ばあや、その階伯って生まれはどこだか分かる?」

 すると容ばあやが眉間に皺を寄せた。どうやら階伯の話題は彼女にとってはしたくないものらいし。だが、佳熙は聞きたかった。空想をどこかで現実にしたかった。

「階伯の話は嫌ですよ。わたくしからは話しません。聞くなら旦那様になさってくださいな」

「なら、今からお父様のところに行くわ!」

 佳熙はそう言うと花瑩と容ばあやの制止を振り切って紅梅色のチマを翻しながら父である積徳のいる書斎へと向かった。すれ違う侍女たちが佳熙の様子を見てひそひそと何かを話していたが、佳熙の耳には入らなかった。

 書斎の前まで来ると中から低い声が聞こえてきた。耳心地のよい静かで重厚感がある声だ。そしてどこかで聞いたような声だった。まさかと思った。佳熙はいけないと分かっていたが聞き耳を立ててしまった。


「積徳殿、璋王子は新羅の公主を隠しています。情報では公主は新羅王から廃されてしまい、どこかで身を潜めていたとか。璋王子はそれを見つけて隠しています。早いうちに始末するべきです……」


 やはり声の主は国炫(グクヒョン)だった。

 次に声を発したのは父である積徳だ。


「身分を失った公主などすぐに始末できる。今は解道允の件を処理するのが先だ。王弟殿下は日に日に勢力を伸ばしている。国王陛下と阿佐太子の為にも王位の継承は国王陛下の王子だけにしいい。道允は王弟殿下の生母から資金を得ているに違いない。それの出処すら怪しい」


 話の様子からして解道允は既に帰っていたらしい。

 佳熙は今は書斎に入るのは得策ではないと踵を返した。ようやく、そこで侍女たちの話しが耳に入ってきた。


「お嬢様は不憫ね。王子が新羅の公主にぞっこんなんだもの」

「婚約を破棄して(ヂョ)王子と結ばれないかしら?」

「ダメよ!照王子の婚約者は内定しているんだから」


 佳熙は侍女たちの噂話ですっかり気落ちしてしまった。

 中庭に立ち寄りると容ばあやが告げていたように梅が咲いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ