06.イダとオリーヴ-Ⅱ-
それからイダはオトン王の宮廷に滞在し、奉仕に勤しむようになった。ローマの良き王は、常に気配りを欠かさず昼夜を問わず精力的に働く彼女を絶賛し、誰もが彼女の働きに畏敬の念を抱いた。
そしてオリーヴは快い眼差しで彼女を見つめていた。
イダは聖処女に祈りを捧げ、彼女を死に導くような疑惑から免れる加護があらんことを願った。また威厳を持って貧しき者たちと接し、神の名において多くの施しを行ってきた。
そして自由な時間がある時は教会に赴き、彼女の父であるフローレンのために幾度も祈っていた。かの王はイダが汚名と恥辱を与えられ、アラゴンから逃亡しなければならなかった原因である。然るにかの王こそ彼女に血を分けた肉親であるが故。
そうこうするうちに一ヶ月。名高く頑強な城砦都市ローマで、イダはその務めに励み続けていた。
そんなある日。驚くべき勢いで伝令使が王の間へと飛び込んだ。
「ご報告があります」
「陛下、スペインの王が我らの領地を焼き払っております。かの王はローマの王国に闖入し、その軍勢はローマの城砦すぐそばに集結しております。奴らは既に多くのローマの民の首を刈り取りました。スペイン王は二週間以内にローマの城砦を攻め落とし、陛下の娘を凌辱し、また娘を差し出すのを拒んだ国王陛下の首を断ち切らんと宣誓しております」
「陛下、戦場に赴いてスペイン王にお会いになり、王国をお守り下さい。さもなくばローマの町は蹂躙されるでしょう」
オトン王は報告を聞き終えると、イダに尋ねる。
「親しき友イダよ、そなたはどう考える? 不幸な私に助言して欲しい。私はこれまで王国に破壊と蹂躙を齎す敵に対して、軍隊を派遣したり、それを懇願されたことなど一度も無いのだ」
「神に誓って」と応え、イダは続けて宣言する。
「私は武器を身に着け、準備をしてかの王に会いに行きます。スペイン人との戦いに参加する兵士たちを私に預けて下さい」
オトンは言う。
「良くぞ言った」
そして、すぐにラッパを鳴らすよう命令を下した。1万のローマ兵がその音色を聞き、武装してすぐさま王の元へと参じる。
「陛下、ご命令は何でございましょうか? 陛下の命に応じる準備は済ませております」
「我が廷臣よ。私はローマの城砦の外で我が領土を荒らしている狂気に対して正義の裁きを下すことを、そなたらに求めている。ここにいるイダは、すでに武装と支度を済ませている」
「彼と共に大谷へ向かうのだ、騎士イベール。しかし道を誤らぬように注意せよ。そなたの武力によってイダに仕えよ。そうでなければそなたは帰還の報酬として、そなたの父霊によって首を切り取られるであろう」
イダは優れた軍勢と共に馬に乗り、古来からの偉大なる都ローマを後にした。彼女はテヴェレ川を渡るまで、手綱を引くことは無かった。
一方、スペイン人たちは大騒ぎを起していた。彼らはローマが包囲下にあると思っていたのだ。丸一日ローマを包囲し続けていた彼らだが、その事態は別の形で解決されることになった。
イダが戦列に加わったからだ。聖母マリアの子である神への礼拝を済ませると、彼女は華やかな兜の面で顔を覆い、盾を胸元まで引き上げる。そしてモン・カイエに住まう恐るべき敵──傲慢なスペイン王の甥エンブロンシャールに槍の切っ先を向けた。
エンブロンシャールがイダに向かって突撃する。イダはこれに応じて彼に立ち向かった。イダの先制がエンブロンシャールの掲げる花紋章の盾に打ち当てられる。しかしそれどころではなく、その全力の攻撃は盾をも貫き破り、彼の鎖帷子に痛烈な一撃が加えられた。
イダの持つ槍は完全にエンブロンシャールの身体に突き刺さり、彼は落馬して事切れた。
敗者に視線を向けて、イダは叫ぶ。
「お前たちの負けだ。悪党ども! 神の呪いを受けるがいい! お前たちは戦いを始めてしまった。そのために千人以上の男が死ぬだろう。そして私はローマの大地を取り戻すのだ」
その後で、誰にも聞こえぬよう囁く。
「──ああ、まことの神よ。名誉を守るために男に成り変わった哀れで惨めな女をお助け下さい。私は罪から逃れ、私の父と祖国から逃れたのです。聖処女マリア様、私をお守り下さい」
そしてイダは剣を抜いた。
騎士ピエロン・ド・バスの首を断ち切り、それからさらに7人を同じ運命に導いた。彼らが善良か、あるいは邪悪かを問わず、彼女は次々と彼らを切り殺した。
スペイン人たちは虐殺され、そして生き残りは松林へと逃げ込んだ。そこで彼らは三千の兵を率いるガレラン・ドーヴェピーヌと遭遇する。新たな戦いが勃発し、ドーヴェピーヌは果敢に戦った。多くのスペイン人の首が斬り落とされ、スペインの軍勢は逃亡した。
彼らの敗北だった。
スペインの騎士アラール・デュ・グロングは大声で負け惜しみを叫ぶ。
「聖フェーガンよ。我らにとって非常に不味い事態だ。この攻撃は失敗だった。この結果は、破れぬ盾と光り輝く剣を持ったあの金髪の騎士の仕業だ。もしローマにこんな騎士がいることを知っていたのなら、私は一生この地に来ることは無かっただろう! 我らの騎士は果敢に戦ったが、奴はたった一人でその戦いに勝利した。ローマの民衆どもは全く幸運なことだ」
彼らは軍旗と宿営を纏め始める。撤収の準備だ。
イダはこれほどと無く注目と称賛を浴びていた。ローマの胸壁から彼女の帰還を見守っていたオリーヴは、喜びと興奮をその身に抱きながら穏やかに言った。
「きっと彼は私の恋人になるでしょう。私は明日、彼に告げます。男の人に対して私がこれほど心惹かれたことはありませんでした。だからこそ彼にそう告白するのが当然なのです」
騎士たちがローマに凱旋する。彼らはオトン王にすべてを話した。
どのようにしてイダが戦いに勝利したのか、彼がいかにしてその光り輝く剣で全ての敵を屠ったのか、そして何故そのような騎士がギリシャ海に至るまでには存在していなかったのか、を。