03.ヒルデガルドとリヒャルディス-終-
リヒャルディスが去ったことで大きな動揺に襲われたヒルデガルドは、彼女の母親に手紙を認めた。
「どうかお願いします。私の最愛の娘たちリヒャルディスとアーデルハイトのために悲痛な涙を流すほどに私の魂を激しく乱したり、私の心を引き裂かないで下さい。私には今、彼女たちが美徳の真珠で飾られ、夜明けに輝いているのが見えます。
あなたの意思や助言、そして支援によって彼女たちの尊い感性と魂を奪わないように注意して下さい。あなたが彼女たちに期待している修道院長の地位は、確実に、間違いなく、絶対に、神の御心ではありませんし、彼女たちの魂の救済とは両立しません。もしあなたが娘たちの母親であるならば、彼女たちの魂を滅びに導かないように注意して下さい。何故ならたとえあなたが望んでいなくとも、いずれあなたは苦痛と嘆きに苦しむことになるからです。
あなたの束の間の人生のうちに、神の威光があなたの感性と魂を高められますように」
この煽り度の高い手紙に対して、リヒャルディスの母親からの返信は無かった。
ヒルデガルドの手紙は数百通が残っているが、こうした感情的なものはあまり無く、対立教皇を擁立したフリードリヒ1世に対する非難や、敵対的なディジボーデンベルクの修道院長にきつい諫言をするのを除けば、多くの手紙の内容は説教的かつ道徳的で、ときには塩対応ですらある。
大抵の場合、彼女は各代の教皇、各地の司教に対しては賞賛を与えたり、あるいは訓戒を添え、聖書に関する解釈を求められればそれに応じてレポートを送り、隠棲を望む修道院長たちに対しては本来の使命を放棄すべきではないと注意し、カタリ派に対しては批判を加えた。
彼女は教皇やマインツ大司教にも手紙を送ったようだ。教皇への手紙は残っていないが、マインツ大司教には聖職売買を疑うような手紙を送っている。
そして教皇からの貴重な返信の内容は、この事態をリヒャルディスの兄ハルトヴィヒに一任するというものだった。
1122年のヴォルムスの和約は皇帝と教皇の叙任権闘争を決着させた。この和約によって、教会が修道院長と司教の任命権を持つことになる。修道院長は選挙によって決定され、それから任命されるが、選挙はその修道院を管轄する司教の権限によって実施されることになっていた。
バッスム修道院はブレーメン大司教であるハルトヴィヒの管轄下にある。
ヒルデガルドはハルトヴィヒに対して手紙を送る。
それは金銭トラブルの相手だったディジボーデンベルクの修道院長による陰謀を訴えつつも、ハルトヴィヒ個人を疑う様子は無く、また幾分落ち着いたものだった。
「──あなたの母、そして妹、そしてヘルマン伯※のように私の言葉を無視しないで下さい。私は神の意志との調和やあなたの妹の魂の救済に対して害を与えるつもりはありません。けれど私は、私の心を通して彼女の心を慰め、彼女の心を通して私の心が慰められることを望んでいます」
(※ライン宮中伯ヘルマン3世であればマインツ大司教と領地を接する高位貴族で、皇帝フリードリヒ1世の親戚にあたる。彼と彼の妻ゲルトルートはヒルデガルドの支援者の一人だった。ヴィンツェンブルク伯ヘルマン2世ならばマインツ大司教傘下の貴族で、リウトガルドの三番目の夫であり、アーデルハイトの義父になるが、1152年初頭に殺害されている)
ヒルデガルドからリヒャルディスに向けて送られた手紙は一通だけ残っている。他者への手紙が疑いをかけるような内容だったのに対して、この手紙は強く彼女を求める内容だった。
「私の娘よ、あなたの母が聖霊によって語りかけるのを聞いて下さい。私の嘆きは天の国まで昇っています。私の悲しみはかつて人々に抱いていた大きな信頼と安らぎを破壊しつつあります。
詩篇に『君主を頼らず主を信頼せよ』と言います。高貴な生まれの人に依存すべきではありません。そのような人々は必ず花のように枯れます。そしてそれは私自身が、とある高貴な人への愛故に犯した罪そのものでした。
あなたに告げます。私がこのような罪を犯すたびに、神はその罪を私に示しました。あなたがよく知っているように、神があなたに対して今しているのと同じように、ある種の困難や嘆きを通じてです。
ああ、私は悲しみに包まれている。母よ、娘よ、何故私を孤児のように見捨てたのですか? 私はあなたの高貴な性格、知恵、純潔、精神、そして多くの人々が私に語るような、あなたの人生のあらゆる側面を私はとても愛していました。
あなたは今何をしているのでしょうか?
神の愛において、私のような悲しみを抱える全ての人々と共に私は嘆いています。
私があなたに対して抱いていたような、心と精神の内にある誰かに向けた大きな愛を抱き、そしてあなたが私から奪われたように、瞬く間に誰かを奪われた者たちと共に。
けれど、それでも、神の天使があなたの前に降り、神の子があなたを守り、彼の母親があなたを見守りますように。
あなたの幸せが色褪せませんように。あなたの母である不幸で孤独なヒルデガルドのことを心に留めておいて下さい」
前述のハルトヴィヒへの手紙に無視されたとあるように、リヒャルディスへ向けて他にも手紙を送っていたことは確かだろう。
そしてそのとき込められていただろう情熱は、リヒャルディスがルペルツベルクに帰って来るという期待が失われてから神の愛へと結び付けられ、疑いや恨み言もなく、祝福を捧げようと無理しているヒルデガルドの様子が伺える。
しかしそのような祝福も届くことは無かった。
ハルトヴィヒから手紙が届いていた。
「私は、私たちの妹──すなわち肉体的には私の妹であり、精神的にはあなたの妹であるリヒャルディスについてあなたに告げねばなりません。彼女が、私の授けた名誉を重んじることなく生涯を終えたことを。
彼女は、彼女の君主──天の王に従順でした。
私は、彼女が高徳で敬虔な最期の告解を行い、それから聖油を塗布されたと告げられることを喜ばしく思います。彼女はキリスト教徒の精神に満たされており、あなたの修道院への憧れを心から涙ながらに申し述べていました。それから主の母、そして聖ヨハネを通じて自らを主に献身しました。
そして十字を三度切り、三位一体の神秘を告白し、10月29日にキリストの恵み、神の愛、そして精霊の交わりと共に旅立ちました。
以上のことから、私から真剣にお願いするところですが、もし私にその権利があるのならば、彼女があなたを愛したようにあなたも彼女を愛して頂ければと願っています。
もし彼女に何か不徳の致すところでもあるのであれば、それは実際には私のものであり、彼女のせいではありません。少なくとも彼女があなたの修道院のために流した涙を尊重して頂きたい。そのことは何人もの人々が証言しています。
もし死が彼女を阻むことが無ければ、そして許可さえ得られれば、彼女はすぐにあなたのところに来たでしょう。
あらゆる善行に報いる神が、この世界で、そして将来において、親族や友人たち以上にあなた一人だけが彼女のために行った全ての良き行いに対して、十分な報いを与えて下さることを願います。
あなたの姉妹一同のあらゆる優しさに、私からの感謝を伝えてくださいますように」
1152年10月29日、リヒャルディスはバッスム修道院で永眠した。
リヒャルディスに対するヒルデガルドの強い感情は、彼女の死によって預言へと還元され、ヒルデガルドの神聖さを引き立てることになった。多くの作品が制作され、現代まで伝えられている。
ヒルデガルドは1179年に81歳でこの世を去った。列聖の動きは早くも13世紀から起きていて、彼女の教え子たちがいくつも奇蹟の証言を残しているが、正式に聖人として認められたのは21世紀になってからだった。
ヒルデガルドが1151年頃に作った最初期の歌劇「オルド・ウィルトゥトゥムOrdo Virtutum」にはまだ離別する前のリヒャルディスに対する想いが込められているという。
美徳Virtutesと悪魔Diabolusの対決を描くこの歌劇には、リヒャルディスへの手紙に引用された彼女の象徴たる高貴な花が登場する。
登場人物の一人、純潔Castitasが魂Animaに向けて語りかける。
「ああ、処女の魂よ。あなたは王の寝室には入らない。王の抱擁の中で心が高揚するときも、太陽があなたを照らすときも、高貴な花を決して散らさないように。優しき乙女よ、あなたは散った花に影が落ちることを決して知ることはないでしょう」
そして多くの美徳たちVirtutesがそれに続ける。
「野花は風に散り、雨は降りかかる。されど処女は天の人々の交響曲のうちに留まるのです。あなたは決して枯れることのない優雅な花なのだから」