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02.ヒルデガルドとリヒャルディス-中-

 1147年、トリーア公会議において、教皇エウゲニウス3世は自らスキヴィアスの一節を朗読した。


 まだ未完成だったこの書物は、1146年にディジボーデンベルク修道院附属聖母マリア教会の奉献に携わったマインツ大司教の知るところとなり、彼の手から教皇に渡った。教皇は官吏を送って書籍に関する調査をするように命じる。

 一方でヒルデガルドは第二次十字軍の結成を宣伝していたクレルヴォーのベルナルドに手紙を送り、著作についての助言を求める。ベルナルドはそのテキストの預言的性質を認める。

 そしてトリーア公会議において調査を済ました書籍が再び教皇の手に渡り、ベルナルドは教皇にこの著作を用いて権威を強化することを提案した。



 スキヴィアスは世に知られることになり、ヒルデガルドの名声は著しく高まった。彼女を慕って多くの修道女が集まり、従来の小さな回廊の小部屋では足らず、女子修道院が必要となったとして移住が計画される。

 これに助力したのがリヒャルディスの母親だった。シュポンハイム伯家出身でシュターデ家に嫁いだ彼女の支援を得て、ヒルデガルドはビンゲンと呼ばれる町付近の領地を購入する。

 移住に同意した18人の修道女はみな貴族の娘で、その中にはヒルデガルドの姉クレメンティアや、リヒャルディスとその姪アーデルハイトがいた。他には世話係の年寄ベルタ、そして男の修道士ヴォルマールもいた。


 名声あるヒルデガルドが移住することに対しての抵抗もあったようだが、伝記によれば修道女たちからヒルデガルドに贈られた嫁資が問題にされていたので、大金を積んで解決したという。その後もヒルデガルドとディジボーデンベルク修道院長との連絡は続いたし、嫁資を巡る争いも1158年にマインツ大司教が介入するまで続いた。



 1150年、ディジボーデンベルクより北東に数日歩いた先。ライン川沿いの不便で荒れ果てた丘で新しい生活が始まった。

 移住先の近郊にあるビンゲンの町はヒルデガルドたちを歓迎する。

 ヒルデスハイムのベルナルドの個人的な礼拝堂がルペルツベルク修道院に改装されて1152年に奉献されるまで、彼女たちは幾つかの個人宅を買い上げて仮住まいとしていた。


 男女が共に暮らしつつ別々に分けられるディジボーデンベルクのような修道院──二重修道院の時代は終わりを迎えつつあった。12世紀中葉は女子だけ(※ただし一部男性が必要とされる)の修道院が建てられるようになる時期である。

 この頃、男女の修道士は共に暮らすべきではないと考えられ始めていた。この時代の規則として1123年の第一回ラテラノ公会議で決定した司祭が女性と同居することの禁止、1139年の第二回ラテラノ公会において定められた修道士と修道女が讃美歌を一緒に歌うことを禁じる規範がある。

 また修道院では貴族に限らず庶民を受け入れる傾向も生じていたのだが、ルペルツブルクでは貴族だけを受け入れていた。この排外的な思想はベネディクト会派の特徴である連帯感を強める一方で、一定レベルの教養の維持にも繋がった。少なくともヒルデガルドの著作の写本製作はここで行われていたようである。


 一日のスケジュールはディジボーデンベルク修道院と同じくベネディクト派の教義の下にあったが、ルペルツベルクで獲得した新たな環境は大きく違っただろう。

 完成した修道院には水道が全ての部屋に配備され、トイレがあり、客人の為の部屋も設けられていた。またスキヴィアスのヴィジョンでは修道院に繋がる二つの立派な塔が描写され、聖ルペルトのための讃美歌では鮮やかなステンドグラスが称えられている。

 修道女たちは、礼拝堂の身廊に集まってヒルデガルドの作った讃美歌を歌い、共同で詩篇を唱えることが出来た。修道女たちは平日に作業部屋で写本を作り、裁縫し、休日には私室で聖書を読み、讃美歌を学び、詩篇を暗唱した。

 世俗領主たちによる多くの支援を受けて近隣の畑とブドウ畑を購入し、新たな収入源とした。農作業は彼女たちの仕事ではないが、生産技術の指導は修道院の仕事だった。

 修道女たちは、ユッタとは対称的に豊かな暮らしを享受していたようだ。同時代の女子修道院長テンクスヴィントは、ルペルツベルクの修道女たちが休日の礼拝の際に白く長い絹のヴェールや金のティアラ、金の指輪を身に着けていること、また髪を束ねないことに言及している。


 食事に関して、ヒルデガルドのフィジカは実在非実在を問わず薬用として多くの食材を提示している。基本的には病人食だが、健康的な人の食事も見える。

 例えば小麦やライ麦のパン。菜園で作ることが出来たと思われるえんどう豆とそら豆、そしていくつかのハーブ。塩漬けニシンやカワカマス、パーチなどの一般的な魚、ガチョウやカモや鶏といった一般的な鳥、その他の小型の野鳥類。鹿や羊、ビーバーなどの動物も挙げられるが、牛や豚といった一般的な肉は含まれないから、あまり動物の肉は食べていなかっただろう。

 薬の材料には存在しない生物(※ドラゴンやユニコーンなど)が用いられることもあるが、健康な人向けの食材はいずれも実在する。幾つかは調理されて食卓に上ったかもしれない。修道女たちは共同で食事をとった。


 ヒルデガルドは、隠者のように引き籠って暮らしていたユッタの生き方を何度となく批判している。その行動範囲はとても広かった。

 彼女はローマ皇帝やローマ教皇と書簡を交わし、各地の修道士や信者とも手紙を交換していた。

 そして4度の説教旅行を行い、様々な町を訪れていた。ゴットフリート修道士の伝記によれば、ケルン、ヴュルツブルク、メス、トリーア、ケルンやヒルサウ、さらにはビンゲンから400km近く離れたクラウヒタールまで足を運んでいる。行く先々の修道院はベネディクト会派に限らなかった。故に教義を論じるものではなく、道徳と神秘を説教していた。1165年にはライン河を挟んで対岸に新しく女子修道院を設立し、ボートで往来したという。



 ギベールはルペルツベルクの修道女たちが母親と娘の関係性のようであると書き記す。こうした表現は修道院なら珍しくない。司教や修道院長が父である一方で、女修道院長は母だった。

 またヒルデガルドの生涯において、テオーデリヒは彼女が修道女たちと衣食住を共にし、時に優しく時に厳しく自身と彼女たちを律し、言い争いや悲嘆、無気力、無精があったとき、愛情と母の優しさを持って彼女たちを罰したと記す。

 いくつかの書簡ではその役職に悩む余所の修道院長への助言として、娘が泣いているときには慰めること、怒っているときには叱ること、思いやりを持って良き助言をすることを告げている。


 そうした修道女の中でも、ヒルデガルドにとってリヒャルディスは特別な友人だった。彼女は他の修道女と同じように娘だっただけでなく、母親でもあったという。

 1151年、スキヴィアスが完成する。このときのことをヒルデガルドは回想する。


「私はパウロがテモテに抱いたのと同じように、彼女に深い愛着を感じていました。彼女はあらゆる面において誠実な友情によって私と結び付けられていました。そしてスキヴィアスを書き上げるまで私と一緒に苦しみを耐えてくれました」と。



 リヒャルディス・フォン・シュターデの兄ハルトヴィヒはブレーメン大司教付の主席司祭であり、ザクセンの有力者だった。

 1144年、ヴェルフ家のハインリヒ獅子公がザクセン大公権に基づくザクセン全土の封建的支配を求めて地元貴族を吸収する中で、ザクセン有数の貴族シュターデ家との対立が起きた。

 それはハルトヴィヒの兄弟がみな死んだ後、シュターデ伯領など多くの領地の継承権を彼が引き継ぐことになり、将来的にこれをブレーメン大司教に遺贈することを決めたためだった。

 ここでハインリヒ獅子公はシュターデ伯領を奪取し、伯領の継承権が自らにあると諸侯会議で訴え出る。その正当性は疑われ、武力で訴え出ることになった。


 ハルトヴィヒには、修道女になっていた妹リヒャルディスの他に、デンマーク王家に嫁いでいた妹リウトガルドの子供たちもいた。しかしハルトヴィヒはリウトガルドの子供たちへの継承権を破棄させていた。その子供たちの父親が、近親婚を理由に離婚させられた前夫ゾンマーシェンブルク家のザクセン宮中伯フリードリヒ2世であり、彼がハインリヒ獅子公の支持者だったためだ。


 対立はあっさりとハルトヴィヒの敗北に終わり、ハインリヒ獅子公は教会守護権を盾にしてザクセンの修道院を手中に収めていく。

 しかし1149年、ハルトヴィヒはブレーメン大司教に選出される。彼は各地の司教座を選任し、ハインリヒ獅子公に抵抗する。

 そうして1152年、ハルトヴィヒの世俗的な意図によって訪れた名誉の機会に、リヒャルディスはブレーメン司教領に近いバッスム修道院の修道院長に選出され、その姪アーデルハイトはゾンマーシェンブルク家の影響下にあるガンダースハイム修道院の修道院長に選出された。

 彼女たちはルペルツベルク修道院から、そしてヒルデガルドの下から離れることになる。

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