何のお話かしら? 婚約をどうなさるのでしたか?
「アンネ・ル・ミュラー! 貴様との婚約は破棄する! そして、ここにいる優しき乙女マリア・パブロワとの婚約を結ぼう!」
突然王宮の夜会に男の叫び声が響いた。
夜会に参加していた貴族が一斉に振り返ると、そこにはこのデーモニウム王国の顔だけは麗しい王太子カイン・ド・デーモニウムと見慣れない女がいた。
その王太子に対峙しているのは、侯爵令嬢アンネ・ル・ミュラーと取り巻きの貴族令嬢達だ。
妙な事にアンネは、王太子の言葉を聞いた途端に、小さく握り拳を作り、ドレスの隠しポケットから冊子を取り出した。
「ブルーダイヤモンド、いえ………ここは前から欲しかったサファイアの指輪、水の精霊石の杖……ねえ、どれがいいかしら?」
「え……あの? あら、このブルーダイヤモンド素敵ですわね」
「でしょう? お父様に買ってもらえるの」
「え、これを?」
「水の精霊石の杖が細工も綺麗ですし、魔法の発動にも役に立ちますわね」
アンネは取り巻きの令嬢の一人に冊子を見せながら話しかけている。
うら若い女子達ともなれば、宝石は好きなもので最初は冊子を見せてくるアンネに戸惑ったものの一緒に盛り上がり始める。
「話を聞けっ! 貴様とは婚約破棄をすると言っているんだ!」
冊子を夢中になって令嬢たちと眺めているアンネに、顔を真っ赤にした王太子カインが怒鳴った。
その怒鳴り声に、アンネが一瞬『あれ? 誰この人?』という顔をした後にすぐに淑女の顔を取り繕う。
「聞いております。カイン様は私と婚約破棄をすると仰られましたわね」
うんうん、とアンネは頷いた後にまた忙しく冊子を眺め始める。
「お父様にカイン様から『婚約破棄』を言われたら、この冊子から好きなものを買っていいと言われましたの。もちろん聞いておりますわ。ありがたいことです。……ねえ、ブルーダイヤは絶対に外せないわね。これをネックレスに加工して、後は自分のお金も少し足したらサファイアの指輪も買ってもらえないかしら。そもそも二回も言われたから二個とか……」
「アンネ様、この額を二個は……」
「いえ、アンネ様は『婚約破棄』をされて傷ついたのです。ミュラー家ともなれば、二個も……」
「そうよ、私は傷つきましたわ。『婚約破棄』を二回も言われて。お父様の隠し資産を……おまけで不死鳥の羽飾りも買って頂けないかしら……そうだわ」
悩ましい顔をして考え込んでいたアンネは、何かを思いついたようにカインを見る。
取り巻きの令嬢は、「ま、まさか」という顔をした。
「……あ、あの、カイン様。何のお話かしら? 婚約をどうなさるのでしたか?」
キラキラした菫色の目でアンネはカインを見詰める。
「貴様とは婚約破棄だと言っているんだ!」
まんまとアンネに乗せられたカインが再度、貴族たちの前で怒鳴る。
「おお、怖い。『婚約破棄』を三回も言われましたわ。これはもうブルーダイヤとサファイアの指輪とこのデザインの不死鳥の髪飾り……いえ、こちらの方が可愛らしいわね。これを皆に買ってもらってお揃いにしないと私の心は癒されないわね」
「お揃い! 素敵ですわね、アンネ様」
「アンネ様のお美しい黄金の御髪に緋色の髪飾りが映えそうですわ」
「アンネ様とお揃いなんて光栄ですわ」
「ふふっ、いずれ王妃になっても私たちの友情は不滅なのよ」
アンネの得意げな顔に、取り巻きの令嬢たちは拍手を送る。
周りの貴族はどうしたものかと戸惑った視線を向ける者と、「またか」というような慣れた視線を向ける者に分かれていた。
「いっその事、水の精霊石の杖も買って頂こうかしら」
アンネはポンッと手と拳を打ち合わせると、
「それで、カイン様。婚約が?」
「婚約破棄だと言っているんだ、この馬鹿が!」
アンネに完全に乗せられたカインは、『婚約破棄』を叫んだ。
カインの普段は美形と言ってもいい顔が歪んで醜くなっている。
「おお、本当に怖い事! 『婚約破棄』を四回も言われるなんてなんて幸運……っん、ごほん。いえ、なんて不運で悲劇なのでしょう。四回という数字も不吉な気がしますわ。水の精霊石の杖も買ってもらわなくては。ねえ、皆さま?」
「ええ、本当に。お可哀そうな、アンネ様」
「悲劇の王太子妃アンネ様。あら、このルビーのブローチも素敵ですわね」
「あら、本当に。このぐらいの値段ならばお父様もおまけで買ってくれるかしら」
「今日はアンネ様は本当に頑張りましたから、ご褒美に下さるのでは?」
そのアンネと令嬢たちの話が盛り上がってきた所で、この国の宰相がゆっくりとカインに近づいた。
宰相はある程度、タイミングを見計らっていたようであった。
「あら、残念」
とアンネはこれから起こることを悟って冊子を閉じた。
もちろん、どこからか取り出したのか欲しい物のページには黄金の栞が挟まっている。
「殿下、恐れながら申し上げます。ご存じかと思われますが、このデーモニウム王国では有責側からの婚約破棄請求はできません」
宰相の冷静沈着な言葉にカインはイライラとした表情をする。
「難しいことを言うな。簡単に言え」
「つまりですね。浮気した側からの婚約破棄はできません。王族でもできません。法律で決まっております」
カインのあまりの馬鹿さ加減に宰相は落胆を隠せない。
だが、アンネはそんな王太子をカバーするために婚約者にされたのだ。
アンネは、過度の宝石好きである以外は優秀すぎるほど優秀な令嬢だ。
「もちろん、私は王太子妃の座を誰にも譲る気はございません。それに……私はカイン様をお慕いしております。あなたの中に、脈々と受け継がれる王族の血の結晶を……長い時間磨かれて尊いものですわ」
頬を染めて可憐な少女のようにアンネが頬を両手で抑えた。
それは宝石好きのアンネらしい言葉だった。
続く言葉は誰にも聞かれないように囁かれた。
「それに、性格はいくらでも矯正すれば問題ございません。王族の血は変えようのない尊いものですが、性格はいつでもいくらでも変えられますから。かわいそうですし、結婚するまでは自由にさせてあげましょう」
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