エマとアルベール
王国は劣勢。
事前にそう聞かされてはいたけれど、現実はそんな生やさしいものではなかった。
王国の陣地の後方には傷兵がところ狭しと並べられ、うめき声が絶えない。医者は足りておらず、止血しただけで放置されている者が大半だ。
「エマ、すまない。これは本来の任務ではないと思うのだが……」
アルベール殿下は険しい顔で傷兵の並ぶ天幕を見ている。
「お任せください」
この惨状を見て何も思わないほど、私の心は枯れて無かったらしい。
それに、私のことを知らない人を癒すのは気が楽だ。後から嫌な顔をされるだろうけれど、それには慣れている。
私は天幕に入り、手に癒しの光を灯す。そして端から一人ずつ、手をかざしていった。
折れ曲がった手足は元通りになり、土気色だった顔に血の気が戻る。
「これが……聖女の力……」
後ろで見ていたアルベール殿下が呟く。褒められたような気分になり、少しだけ嬉しい。
私は体力の続く限り、傷兵を癒し続ける。
意識を取り戻した兵士達は私を睨みつけ、その様子を見た殿下が寂しそうな顔をしていた。
「どうぞ行ってください。軍議があるのでしょう?」
「すまない」
アルベール殿下はいなくなり、私は黙々と癒しの力を行使する。
やがて、今すぐ対処が必要な傷兵はいなくなった。もう陽は落ちかけていた。
疲れ果て、何もない地面に座りぼうっと中空を眺めていると、アルベール殿下がやって来た。何一つ気取ることなく、自然と私の隣に座る。
少しだけあたたかくなった。
「エマ。ありがとう」
「いえ、私に出来ることをしただけです。もう軍議は終わったのですか?」
「あぁ……。明日から、私が王国軍の総大将となる。この戦場の空気をひっくり返すには、私が先頭に立つしかない」
「危険では……ないのですか?」
「安全な戦争などないさ。それに、私は武神に愛されている。私が奇跡を起こすしかない」
確固たる意志の灯った殿下の瞳を見て、私は何も言えなくなった。
#
その日は嫌味な程の晴天だった。
私は兵士に守られながら、遠見の魔道具で戦況を見つめている。
国を隔てる平原で、両軍が対峙している。王国軍の先頭には近衛兵に脇を固められたアルベール殿下がいた。
突撃の銅鑼が鳴ると地響きと共に土煙が上がる。
アルベール殿下率いる王国軍は矢のような速度で騎馬を進めた。昨日とは全く雰囲気が違う。これが……武神の加護?
騎兵が帝国軍を削り取り、歩兵が戦線を押し上げる。王国軍全体に黄金色の光が差していた。
「凄い……」
このままいける! そう思った瞬間だった。王国軍の上に巨大な火球が現れたのは。
火球は分裂して火の矢になり王国軍に降り注ぐ。
帝国軍の攻勢。魔法の神様の加護を授かるという、王子の仕業だろうか?
また巨大な火球。それが降り注ぐかと思われたが──。
空を割る斬撃が火球を真っ二つにした。そのまま火球は消える。アルベール殿下だろう。こんなことまで出来るなんて、武神はよほど殿下を愛しているに違いない。
魔法と剣。何度かやり合っているうちに、帝国軍の中から一人の男が出てきた。王子なのだろう。一目でそう感じた。
騎兵の中から、一騎抜け出す。アルベール殿下だ。
平原の中央で、両者が対峙した。
魔法と斬撃が交錯し、大地が揺れる。
「お願い! 勝って!!」
自分でも驚くほどの大声。それは私だけではなかった。王国の兵士達からの歓声が殿下を後押しする。そして遂に──。
斬撃に一人の男が倒れる。
──静寂。そして大歓声。大気が震える。
しかしアルベール殿下も無事ではない。騎馬の上で崩れ、近衛兵が駆けつける。
「私を殿下の所へ連れて行ってください! 早く!!」
剣幕に護衛の兵が驚き、私を騎馬に乗せる。
二人乗りの騎馬はもどかしいほどゆっくりに感じた。この一瞬一瞬が殿下の命を刈り取っている。早く……お願い……早く。
殿下は担架に乗せられていた。
身体のほとんどが炭のように黒くなっている。こんな風になるまで、戦うなんて……。
焼け爛れた顔からはみるみる血の気が引いていく。
絶対に私が助ける。
手に癒しの光を灯す。今まで見たことない程、強い光だ。
「アルベール殿下! どうか、目を開けてください!!」
おかしい。いくら手をかざしても傷が癒えない。
「なんでよ! ふざけないで神様!!」
グッと力を込め、焼けるように輝く手を殿下の胸に当てる。
「お願い!!」
──ドクン。拍動を感じた。そして時を巻き戻すように傷が消えていく。
手を握ると、しっかり温かい。脈もある。大丈夫だ。
ふっと冷静になり、アルベール殿下から離れた。目覚める前に立ち去らないと。
私の脳裏には父親の言葉が浮かんでいた。
『お前は誰だ』
#
王都では至る所に国旗が掲げられている。王国軍の勝利を祝うものだ。
流石に今日は教会での務めもない。枢機卿からも「自由にしてよい」と言われている。
大通りまで歩くと、群衆で溢れかえっていた。皆、凱旋するアルベール殿下を一目見ようと集まっているのだ。
あの日、殿下を癒した後、私は護衛の兵士に頼み込み戦場を離れた。私の癒しの力は一人につき一度きり。任務は完了したと自分に言い聞かせて。
王都に逃げ帰り、枢機卿に事情を説明すると、いつも通りの生活に戻った。そう。道具としての氷の聖女に。
人垣の中に身を埋めていると、どんどん熱気が増してくる。そして、歓声が近づいてきた。
背を伸ばして見ると、騎馬隊が堂々と進んでいる。
戦場から戻ってそのままなのだろう。煌びやかなパレードというより、平原での覇気を纏ったまま荒々しい行軍。その雰囲気がより人々を熱狂させているように思えた。
騎馬隊が私の前を通る。
その中央には脇を近衛兵に固められたアルベール殿下の姿。
あぁ。良かった。ご無事だった。
私はホッとして気が抜ける。そして、教会に戻ろうと人混みを掻き分け──。
「エマ!」
私を呼ぶ声がした。おかしい。そんな筈はない。
「エマ! 待ってくれ!!」
どよめきが起こる。パレードに背を向け立ち去ろうとする私の方に誰かが来る。
後ろから手を握られた。ゴツゴツとしてあたたかい。私はこの感触を知っている。
そのまま抱き寄せられた。何が起こっているのだろう? 私は確かに殿下に癒しの力を使ったのに。何故、私のことを覚えているの……?
「ありがとう。エマ。君のおかげで私は無事だ。帝国を退けることも出来た」
物凄い歓声が沸き起こる。
「エマ。私と一緒にいてくれ。ずっとだ」
殿下の顔は真剣だ。断ることなんて出来ない。それに、私もずっと側にいたい。
「……はい。喜んで」
手を引かれ、そのまま殿下の騎馬に乗せられる。二人乗りになってパレードは再開した。
「皆! 私とエマを祝福してほしい!!」
殿下の声に人々は応える。勝利のパレードはいつしか、私達を祝福するものへと変わっていた。
#
アルベール殿下曰く、「あの時、私は一度死んだのだ。それを君が呼び戻してくれた」ということらしい。
癒しの神様の私への啓示はこうだ。
『癒しは一人に対して一度だけ。癒しを受けた相手は死ぬまで、お前のことを忘れたまま。そして、お前のことを避ける』
なるほど。生き返った者のことまでは考えていなかったらしい。
なんとなく神様を出し抜いたような気分になる。
「あら、エマ様。楽しそうですね」
教会の個室。私の荷造りを手伝ってくれていたシスターが、揶揄うように言った。
「そうね。新しい暮らしが待っているもの」
教会で暮らすのは今日まで。国王にアルベール殿下との婚姻を認められた私は、居を王城に移す。
「エマ様の笑顔は素敵です。ずっと笑っていてください」
「きっとそうなるわ」
もう、私が氷の聖女と呼ばれることはないだろう。アルベール殿下とずっと一緒なのだから……。
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