9話 妾の誘い
そして端の方でレオと会話をしていると音楽が流れ始めた。
ダンスが始まったのだ。
何人かの男性が女性に申し込むと、真ん中の方へ歩いていく。
「ダンス……」
ソフィアはポツリと呟いた。
侯爵令嬢として、ソフィアはもちろんダンスの教育も受けている。
デルムと婚約してから何回か踊ったことがあるが、踊っている最中デルムはずっと嫌そうな顔をしていたので良い思い出とは言えない。
ソフィアはその光景を静かに見ていた。
「俺たちも踊るか」
「え?」
踊っているのをソフィアは見ていると、レオがそんなことを言ってきた。
ソフィアはその言葉に考え込む。
ダンスにはあまり良い思い出はない。
だけど、レオとなら嫌な思い出にはならないかもしれない。
「では……お願いします」
「手を出せ」
レオはぶっきらぼうに腕を差し出した。
ソフィアは緊張しながらレオの腕に自分の腕を絡める。
そして真ん中まで歩いていくと、レオとソフィアは踊り出した。
踊るのなんて久しぶりなので、曲が始まった瞬間少しもたついてしまったがレオが上手く先導してくれるので、それに乗っかりソフィアは踊る。
踊っているとだんだんと息が揃ってきた。
くるくると二人は回る。
「どうだ、楽しいか」
「はい……楽しいです」
ソフィアは笑顔を浮かべてそう言った。
デルムとダンスするのは、ただただ婚約者としての義務で全く楽しくなかった。
でもレオと踊るのは楽しいし、レオもそう思ってくれているのがなんとなく分かる。
繋いだ手、表情、仕草、息づかい全てからレオの気持ちが伝わってくる。
──楽しい、と。
デルムとは違って、レオとのダンスはちゃんと心が触れ合っている。そんな気がする。
『見て、綺麗……』
『はぁ……私があそこにいたら……』
レオが踊っているのは珍しいらしく、注目を浴びているのを感じる。
彼らの目に自分たちはどう映っているのだろうか、とソフィアは考える。
デルムとロベリアを虐げていた悪役だろうか、それとも──。
(いや、そんなのどうでも良い)
周りからどんなことを言われようと、自分は自分なのだ。
ソフィアは周りからどう思われようともう気にしないことにした。
ダンスが終わる。
この幸せな時間が終わることに少しだけ寂しさを感じながら、ソフィアとレオはまた隅の方へと戻ってきた。
「ありがとうございました。とっても楽しかったです」
「ああ、俺も楽しかった」
柔らかい笑みを浮かべてそう言うレオは、嘘をついているようには見えない。
やはりダンスをしている時、心が触れ合っているような気がしたのは気のせいではなかったらしい。
先ほどのダンスを見ていた人間が大量にレオの元にやってきた。
「宰相様、先ほどのダンスは見事でした」
「私ともぜひ一曲を」
「そういえば、今は婚約者が……」
次々と話しかけられ、ソフィアが居心地が悪そうにしていたので、レオは一度ソフィアから離れることにした。
「少し外すが大丈夫か?」
「分かりました。行ってらっしゃい」
ソフィアは笑顔で送り出す。
「……もうちょっと一緒にいたかったな」
レオがいなくなった後、ソフィアはポツリと呟いた。
ソフィアが一人でいる時のことだった。
「随分楽しそうだな」
デルムが一人でやってきた。
デルムは何か気に食わないことでもあったのか、少し詰まらなそうな表情をしていた。
「ロベリア様はどちらに?」
邪険に扱っても面倒なことになりそうなので、ソフィアは当たり障りのない言葉を返す。
「あいつは今友人と話している」
デルムはソフィアの隣にやってきて、ソフィアと同じように壁に背中を預けた。
ソフィアはさりげなく距離を離す。
「デルム様、一体どういうおつもりですか?」
ソフィアはデルムに何が目的なのかを聞いた。
「目的も何も、言葉の通りだ。お前が望むなら俺の妾にしてやるぞ?」
自分から婚約破棄をしておいた身で何を言っているのだろう。
急に近づいてきたデルムに対してソフィアは困惑と、疑問を抱いていた。
自分の質問に答えないソフィアに焦ったくなったのか、デルムは短気な方法をとった。
デルムはソフィアの頬に手を添えると、耳元に近づいて囁いた。
「お前が望むなら、妾にしてやってもいいぞ?」
ソフィアの背筋に寒気が走った。
「っ!?」
すぐさまデルムから距離を取る。
何を言っているのだ、この男は……?
デルムはため息をついて、ソフィアに馴れ馴れしい声で話しかける。
「ソフィア、今まで邪険にしていたからそんな態度なのか? 今ならまだ許してやるから、早く「妾にしてください」と言うんだ」
「私はあなたの妾になんてなりません!」
ソフィアはデルムを拒絶する。
デルムはギリ、と歯を噛み締めた。
「下手に出てやれば──!」
「きゃっ!」
デルムがソフィアの腕を乱暴に掴む。ソフィアの顔が苦痛に歪められた。
その瞬間、ソフィアは気がつくと腕の中にいた。
デルムではない。視界に映る服装は黒だった。
「レオ様……!」
ソフィアが顔を上げると、レオがソフィアの肩を抱いていた。
「何をしている」
レオの温度を感じさせない青い瞳がデルムを貫く。自分に向けられたものではないと分かっていても背筋が凍るような寒気を覚える。
だが、ソフィアの肩に触れているその手は温かった。
「何って、元婚約者に話をしていただけだ」
デルムはレオの目に射抜かれても全く動じる気配はなく、笑って肩をすくめる。
「ソフィアに触れるな」
「おいおい、俺は話していただけだぞ。これは俺とソフィアの問題だ。お前は関係ないだろ」
挑発するように笑いながらデルムはレオにそう言った。
「いいや、関係はある。今は俺の婚約者だ」
「……は?」
デルムはポカン、と口を開けた。
レオの突然の宣言に周囲がざわめき始めた。
「え……」
「今のは本当なの?」
「宰相様とルピナス家の令嬢が、婚約?」
「どちらも先日婚約破棄されたばかりではないか」
ざわめきが伝播していき辺りがザワザワと騒がしくなる。
「あら、それは本当なの?」
ロベリアは騒ぎを聞きつけて戻ってきたのか、いつの間にかデルムの側に立っていた。
「ああ、本当だ。俺はソフィアと婚約した」
レオはロベリアの瞳をまっすぐと捉えると、こくりと頷いて断言した。
「行くぞ」
レオはソフィアの肩を抱いたまま、くるりと方向転換しその場から退散した。
道が出来るように人が割れていき、その中を歩いていく。
誰もがレオとソフィアを見ているが、異様なほど静かだった。
そしてパーティーの会場から出る。
翌日から、レオとソフィアの婚約は衝撃的な事実として知れ渡ることとなった。