53話 歪んだ愛
本日3回目投稿。まだ読んでない人はそちらからどうぞ。
「オーネスト公爵邸……」
ソフィアはロベリアの待つオーネスト公爵邸へとやってきた。
門番に名前を告げると、すでに話は通ってあるのか、ソフィアを屋敷の中へと通した。
オーネスト公爵邸の中には、さすが過去に宰相をしていただけはあるというか、価値のありそうな骨董品がたくさん置かれていた。
派手な印象を受けるのに、どこか屋敷の中は暗い雰囲気が漂っていた。
「こちらでございます」
使用人がソフィアを丁重に迎え、案内した。
ソフィアは使用人に従って、その後をついていく。
「ロベリア様はこの部屋の中でお待ちです」
使用人が扉を開ける。
扉を開けた瞬間、甘い匂いがした。
部屋の中には甘い香りのする、異国のお香がたきしめられていた。
「あら、一人で来たのね。半信半疑だったけど、本当にアメリアのことを大切にしているのね」
ロベリアはテーブルに座り、紅茶を飲んでいた。
「約束通り、解毒薬をください」
ソフィアはまずロベリアに解毒薬を要求した。
ロベリアはこの屋敷に来た時点で解毒薬を渡すと手紙に書いていた。
「ええ、勿論。これが毒の解毒薬よ」
ロベリアは使用人に合図をする。
すると使用人はソフィアに解毒薬が入っていると思われる瓶を用意した。
「心配なら私がそれを飲みましょうか?」
「いえ、帰ったら私がちゃんと調べてから渡すので」
「そう」
ロベリアは端的に相槌を打つ。
ソフィアはロベリアの印象に違和感を持った。
以前会った時とは印象が変わっている。
前にレオに近づいてきた時は、どこか焦っているような、慌てているように見えたが、今は落ち着いていた。
(──いや、覚悟を決めている?)
そうだ、ロベリアは覚悟を決めているのだ。
これから何が起ころうと、自分のすることは変わらない。
そんな強い意志をロベリアからは感じる。
「さあ、そこに座ってちょうだい。立っていてはお話もできないわ」
ロベリアはそう言って自分の対面の椅子を指差した。
ソフィアは警戒しながらも椅子に座る。
使用人から紅茶を出されたが、当然ソフィアは口をつけない。
毒を盛られている可能性は十分にある。
紅茶に口をつけないソフィアをさして気にした様子もなく、ロベリアは扇子を口元に当てた。
「さて、何から話しましょうか」
ロベリアは頬に手を当てて思考している。
「なんでアメリアに毒を盛ったんですか」
ここは先手を取り、ソフィアから質問をした。
ロベリアは肩をすくめて答える。
「あなたをこの屋敷に呼び寄せるためよ。友人に毒を盛られて、解毒薬を私しか持っていないと言われたら、必ずくると思っていたの」
「っ私を呼び寄せるためだけにアメリアに毒を……!」
「ええ、それしかなかったのよ。私の目的とお父様の目的が一致する場所はね」
「目的……?」
まるで自分と父の目的が違う、というその言い回しにソフィアは眉を顰めた。
「私はあなたと一対一で、邪魔されずに話がしたい。お父様とお母様は公爵家として、かつての栄光を取り戻したい。そのためにはアメリアを毒殺して、新しい王太子妃の座に私を据える、そのためにはアメリアに毒を盛るのが一番だったの」
(私と話をするためだけに、アメリアに毒を……!?)
ソフィアはロベリアがソフィアと一対一で話がしたいがために、アメリアに毒を盛ったということに驚く。
確かにそうでもしないとソフィアは会いもしなかっただろうが……。
「なぜそこまでして私と話を……」
「私の愛するレオ様を奪って行った女と話がしたいというのは、そんなにおかしいことかしら」
「えっ……」
ソフィアはロベリアの言葉を反芻した。
「愛して、いた……?」
「ええ、ずっと愛していたわ。婚約してから、レオ様のことをずっと……」
ソフィアはロベリアの言葉を聞いて困惑していた。
ロベリアの行動の辻褄が合っていなかったからだ。
「この前レオに近づいてきたのは、デルム様から鞍替えしたからじゃ……」
「愛する人と少し離れていたら、新しい婚約者を作って、恋愛していたんだもの。焦るに決まっているでしょう」
「そ、そんなのおかしいです。レオを愛しているって……婚約破棄したのはあなたじゃないですか!」
「そうね、婚約破棄したのは私。でも、婚約破棄は必要なことだったの」
「必要なこと……?」
「オーネスト公爵家を潰すためによ」
「っ……!?」
ソフィアは予想外の言葉に驚愕する。
オーネスト公爵家を、潰す?
何のために?
ソフィアの疑問を察したのか、ロベリアが説明をした。
「この家にはサントリナ家に対する憎しみが渦巻いている。両親は宰相の座を奪ったサントリナ家にいつまでも恨みばかりを抱いて、私にレオ様の弱点を探れといつも命令してきた。そんな家で、私とレオ様が結ばれると思える? 私が本当にレオ様と結ばれるためには、オーネスト公爵家を潰すしかなかった」
ロベリアはカップを包み込む手に力を入れる。
その頭の中には当時の記憶が蘇っているのか、苦い表情をしていた。
「だから、私はオーネスト公爵家を潰すことにした。両親の意見を誘導して、沈みゆく船であるデルム様と婚約するように仕向け、両親もろとも没落するように仕向けた」
ロベリアは説明を続ける。
「そのあとは今回みたいに誰かに毒を盛るように両親を誘導して、それを密告することでオーネスト公爵家を潰して、私だけは無事に生き残る。そうして私は本当の意味でレオ様と結ばれるつもり……だった」
だった、というのは過去形だ。
それはつまり目的が果たされなかったことを意味する。
そして、ソフィアは誰がロベリアの目的を邪魔してしまったのかを知っている。
「唯一の誤算は、婚約をして数ヶ月しか経っていない女と、恋に落ちていたこと。ねえ、あなたは予想できる? 十年連れ添った婚約者の私を、たった一ヶ月で忘れて、他の女性と恋人になっていたなんて」
「っ……!」
ソフィアはロベリアの瞳を見て息を呑んだ。
ロベリアの瞳の中にはソフィアに対する黒い憎悪に満ちていた。
しかしロベリアはすぐに妖艶な笑顔に戻った。
「これで分かったでしょう? 私がレオ様を本当に愛していたと」
ロベリアは自分の胸に手を当てる。
「ああ、そうだ。戻ってもオーネスト公爵家が毒を盛ったってバラさないでね? 私から密告するから」
「もし私から密告したら……?」
「死ぬ前に暗殺者を送るわ」
ロベリアに脅され、ソフィアは決して自分からはロベリアのことを話さないことにした。
そして、ソフィアは代わりに話を聞いていて気になったことをロベリアへと質問した。
「あなたもオーネスト公爵家なら、レオを恨んでいたんじゃないの……?」
「……」
ソフィアの質問にロベリアは目を伏せた。
「ええ、恨んでいたわよ。幼少期からずっと私はサントリナ家に負けた家の子供として笑われ続けた。レオ様を恨んでいるに決まっているじゃない。今だってレオ様のことを恨んでいるわ」
「なら、どうして愛しているって……」
「憎しみと愛は両立しないの?」
「……」
「私は確かにレオ様を憎んでいた。私の不幸は大抵はレオ様のせいだった。でも、同時に、それ以上にレオ様を愛していたの。心の底から。それこそ、自分の家を潰してでもレオ様と結ばれたいと思うくらいには」
どろどろと渦巻く、歪んだ愛憎に、ソフィアは息が詰まりそうになった。
しかしソフィアは負けじとロベリアに聞き返す。
「愛してるなら、なんでレオの『スラムを無くしたい』って夢を否定したんですか!」
ロベリアがレオを愛していることは身に染みて分かった。
だからこそ、なぜ、レオの夢を否定したのかを質問しなければなかった。
彼女がレオの夢を否定さえしなければ、レオはもっと──
「そんなの当たり前じゃない」
ロベリアは紅茶を口に含む。
「目の前にいる婚約者一人愛せずに、そんなにたくさんの人間を救えるなんて思えなかったもの」
「それは……!」
「目の前に私がいるのに、あの人は私を見ようとはせず、その他大勢のことばかり考えていた。誰よりもレオ様を愛している人がここにいるというのに、そんなことには目もくれないで」
ロベリアの声色にはレオに対する恨みが乗っていた。
自分を見てくれなかったことに対する恨みが。
「確かに、私の複雑なこの気持ちのせいで、レオ様には酷い態度をとってしまったこともあるわ。それは反省してる。でも、これでも、私は精一杯『愛してる』って伝えてきたの。あの人は私の言葉を一度も信じたことはなかったけどね」
ロベリアは自嘲する。
それは全てを諦めたような、投げやりな笑みだった。
「だから私はあの人の夢を否定した。私を見てくれると思ったから。オーネスト家の娘だと、どんな言葉も信じなかったあの人に唯一振り向いてもらえると思ったから。でも、確かにあの人の苦しむ顔を見たいと思ったのも事実だけどね」
つまり、ロベリアは愛しているレオに振り向いてもらうのと同時に、憎むレオを苦しめるために、レオの夢を否定したというのだ。
「そんなの──」
「歪んでいるでしょう? でも、これも確かに一つの愛の形なのよ。私はこうすることでしかレオ様に愛を伝えることができなかった」
歪な関係だからこそ、ロベリアは歪な方法でしかレオに愛を伝えることができなかった。
普通に愛を伝えても、レオには信じてもらえなかったから。
ロベリアの心中を聞いて、ソフィアは何も言わなかった。
ロベリアの気持ちを自分に投影してしまった。
愛している人に誰よりも近くにいたのに十年以上振り向いて貰えなかったというのは、どれほど辛いのだろうか。
ソフィアは自分がもしレオに振り向いてもらえなかった時のことを考えて、胸が痛んだ。
「……そう、共感してくれるのね。それに否定もしない」
表情を歪ませるソフィアをロベリアは少し意外そうな目で見ていた。
そしてソフィアとロベリアの間に少しの間沈黙が訪れた。
ロベリアは紅茶を飲んで口を開く。
「聞いてくれてありがとう。自分の気持ちなんて初めて人に話したから、とてもスッキリしたわ」
「……そうですか」
「……一つ何かが違えば、私たちは良い友人になれていたのかもしれないわね」
「…………そんなの、無駄な仮定です」
「研究者らしい、現実的な答えね。でも、確かにそうだわ。仮定に意味はない」
ロベリアも冗談のつもりなのか、そこから更に話すことはなかった。
しばらくの間ソフィアとロベリアの間には沈黙が流れる。
先に口を開いたのはロベリアの方だった。
「ねえ、最後に一つ、勝負をしない?」
「勝負……?」
「お互いに、同時にレオ様に対して恋文を出すの。恋文の最後に同じ日付と時間に自分の元に来て欲しいと書く。そして実際にレオ様がどちらを選ぶかを勝負する」
「そんなの、勝敗は決まってますよ」
レオは婚約者である自分を選ぶに決まってる、ソフィアはそう思った。
いや、確信していた。
「そうかしら、私は十年分の気持ちも、思い出も、全て書くわ。その上でレオ様はどちらを選ぶかしら?」
「…………それでも、レオは私を選びます」
ロベリアの言葉を聞いても、過去を知っていたとしても、ソフィアは、レオが自分を選ぶと確信していた。
たとえ数ヶ月間の仲だったとしても、ロベリアに十年分の気持ちが積み重なっていようと、ソフィアとレオが積み重ねてきたものはこんなものでは崩せない。
「そう、なら勝負しても良いわよね。それとも、最後に悪あがきすらさせないつもり?」
「………………分かりました。その勝負、受けます」
熟考の末、ソフィアはその勝負を受けた。
この勝負を受けるメリットはない。
しかしこの勝負を受けなければ、ソフィアの何か大事なものが失われてしまうような気がした。
「あなたは、レオ様を愛しているのね」
「ええ、愛しています。心の底から」
「私も愛しているわ。この命をかけてね」
自分の実家を潰して、アメリアに毒を盛る危険まで犯してもレオを愛している、という意味だろう、とソフィアは思った。
後にこの言葉の本当の意味を知ることになる。
「私はもう帰ります」
「ええ、気をつけてね」
ロベリアは不穏な言葉と共にソフィアに手を振った。
しかし、それからは特に何か刺客を送られるということはなく、ソフィアはルピナス家の屋敷に帰ってきた。




