49話 裁判(1)
デルムが去った後、ソフィアは悔しげに呟いた。
「やられた……魔術の論文を奪ったのは、これが目的だったんだ……」
デルムはソフィアの持っていた魔術の権利を全て手に入れるためにこんなことをしでかしたのだろう。
魔術の論文は奪われているので、このまま裁判に突入すれば、ソフィアが自分の魔術だと主張するだけの証拠がなく、デルムに権利を奪われてしまうだろう。
「このままだと不味いな……」
レオは苦々しい表情で呟いた。
「やっぱり、そうだよね……」
「ああ、状況はかなり最悪だ」
「決闘で交わした誓約書を見せれば、裁判で有効な証拠になるかな?」
「確かに誓約書は交わした。だが、裁判でその誓約書に従わなくてもいい、という命令が出ればそちらの命令のほうが優先される。それを第二王子は狙っているんだろう」
「つまり、誓約書は……」
「それを覆せるほどの何かを用意しているんだろうな」
ソフィアとレオはしばらく沈黙する。
「恐らく、裁判は罠だ」
「うん、私もそう思う」
ソフィアはレオの言葉を肯定した。
普通、こんなにソフィアの研究室が荒らされた事実があって、決闘での誓約書まであるのに裁判を承認するなんて、異常と言う他ない。
対応の早さにしたってそうだ。ろくな証拠すら揃っていないのに、裁判を開くのも異常と言える。
第三者から見れば、この裁判は相当おかしなものに見えるだろう。
それだというのに、あそこまでデルムに自信があるということは、絶対に負けないだけの理由があるのだろう。
「多分、法務官が言ってたことからして、裁判自体出来レースを仕組まれてる可能性が高い。でも裁判に出ないと……」
「戦わずして魔術の権利を奪われる」
レオは頷いた。
「どの道、裁判には出なければならないということね」
「午後の裁判までになんとか手を考えるか」
「フレッドに証言をしてもらうのは?」
「ある程度効果はあるだろうが、証言がどこまで意味があるのか……。恐らく、強盗に入られたこともまともに取り合われないだろう」
ソフィアは必死に策を考えるが、良いものは何一つ思い浮かばない。
裁判の日付を今日にしたのはソフィアに作戦を練らせず、十分に対応できないようにするためだろう。
デルムは準備万端で裁判に挑むだろうから、ソフィアは相当不利な裁判で戦うことになる。
「どうしよう……このままじゃまた……」
ソフィアの脳裏に魔術を奪われた時のことが脳裏に蘇る。
また魔術の権利を奪われ、ありもしないデマをデルムに振り撒かれることになるのか……。
その時、レオが顔を上げてある提案をしてきた。
「俺に一つ考えがある。成功すれば、確実に裁判には勝てるだろう」
「本当!?」
「ああ、確実ではないし、間に合うかどうかも分からないが……」
「ううん、勝ち筋が見えただけでも嬉しい! お願いできる?」
「分かった。今すぐに聞いておく」
レオは足早に王宮へと向かった。
ソフィアはフレッドを迎えに行き、デルムのことについて証言を頼めないかとお願いした。
フレッドはソフィアの頼みに一も二もなく頷いた。
「そんなの、もちろん証言します! 元はといえば俺のせいですし……」
「フレッド、ありがとう!」
ソフィアはフレッドにお礼を述べて、馬車に乗せた。
そして、ソフィアとレオ、そしてフレッドは午後に開かれる裁判へと向かった。
ソフィアとレオは法廷に入ると、二人に視線が集中するのを肌で感じた。後をついてくるフレッドは大勢の貴族がいることに尻込みしていた。
法廷の席にはこの裁判を聞きつけた暇な貴族や、デルムが呼び寄せたのだろうと思わしき貴族が傍聴席に座っていた。
その中にはロベリアと、ロベリアの父であるオーネスト公爵の姿も見えた。
「オーネスト公爵……」
レオはオーネスト公爵を見て呟く。
オーネスト公爵はレオを見てニヤリ、と笑った。
過去にレオのサントリナ公爵家に宰相の地位を奪われたオーネスト公爵は、未だにサントリナ公爵家に恨みを抱いている。
そんな恨みを持っているサントリナ家に、一泡吹かせすことができるのが楽しみなのだろう。
「……」
対してロベリアは扇子で口元を隠し、ただ静かにレオとソフィアを見つめているだけだった。
その静けさがソフィアの目には不気味に映った。
デルムはソフィアの後から法廷に入ってきた。
デルムの後ろにはデルム派閥の研究者が大勢付き従っており、かつて研究所で幅を利かせていたころに戻ったみたいだった。
法廷にすでに入っていたソフィアを見て、デルムはニヤリと笑った。
「ふん、尻尾を巻いて逃げればよかったものを。無駄に恥をかくことはなかったのに」
デルムはそんな言葉をソフィアに投げかけると、法廷の席に尊大な態度で座った。
最後に今回の裁判の行末を握る裁判長が入ってきた。
裁判長は髪の薄い中年の男性で、でっぷりと太ったお腹が特徴的だった。
いかにも権力を使って私腹を肥やしていそうな男だ。
「不味いな」
ソフィアの隣に座るレオが小さな声で耳打ちしてきた。
「何かあったの?」
「俺の記憶が間違ってなければ、あの裁判長は第二王子の派閥の貴族だったはずだ」
「それって……」
「ああ、裁判長自体が敵だと思った方がいい」
まさかの裁判長そのものが敵だという情報に怖気づくが、ソフィアは首を振って気合いを入れ直した。
(たとえ裁判長が買収されてたとしても、私の魔術を守るためには戦うしかないんだ……!)
裁判長は椅子に座ると、木槌をコンコンと叩いた。
「では、裁判を始めます。まずは今回の裁判を起こした本人である第二王子のデルム様より、説明を」
裁判長に促されると、デルムは椅子から立ち上がった。
「俺はそこの、ソフィア・ルピナスに魔術を奪われた! その上、勝手に魔術の権利を登録されていた! これは許し難い暴挙だ!」
まるで演説するかのように腕を振り上げ、デルムは裁判長と、傍聴席の貴族に訴える。
「ここに証拠もある。これは俺が記した魔術の論文と、証人だ!」
デルムがそう言うと、法廷にソフィアの研究室から奪われた論文と、デルム派閥の研究者が入ってきた。
台車に乗せられた論文を見て、ソフィアは手を挙げた。
「待ってください」
そこでソフィアが異議を挟んだ。
「その論文を詳しく見せてください。私のサインが入っているはずです」
勝手に異議を挟んだので取り合ってもらえないかと思っていたが、意外にも裁判長はソフィアの異議を聞き入れた。
「ほう、それは確認しなければなりませんな。デルム様、見せていただいても?」
「良いだろう」
ソフィアの願いがあっさりと裁判長によって受け入れられたことに拍子抜けしていると、デルムがソフィアのその言葉を待っていたかのように論文を持ち上げてソフィアに見せた。
「おや、そのサインはどこにあるのかな?」
論文に一ページごとに入っているはずのソフィアのサインは一枚残らず千切られていた。
どうやら、サインが入っているところを、一枚残らず切り取ったらしい。
「サインを全て切り取ったのか、凄まじい執念だな……」
論文は大量にある。その中からサインを全て切り取ってまで論文を自分のものだと主張するなんて、桁違いの執念だなとレオは呟いた。
「サインなんて無いじゃないか」
「どこにあるんだ」
傍聴席で見ていたデルム派閥の人間がソフィアに聞こえるようにそう話す。
「その破られたところに私のサインが……!」
「もう良いです。被告は嘘をつかないように。この嘘はしっかりと記録させてもらいますね」
裁判長がソフィアの言葉を遮って話を強制的に終了させると、デルム派閥の貴族から笑い声が起こった。
「ぐっ……!」
ソフィアは唇を噛む。
裁判長があっさりと受け入れたのは、ソフィアを罠に嵌めるつもりだったのだと理解した。
「今度は証人に話を聞きましょうか」
今度は裁判長はデルム側の証人に話を聞いた。
「私はデルム様が魔術を開発しているところを見ています!」
「そうです! 彼女は嘘をついています!」
デルム派閥の研究者は今までソフィアに抑圧されていた鬱憤を晴らすかのように、デルムを援護する。
彼らの瞳の中には、ソフィアに対する憎しみと、ソフィアに復讐ができる喜びの感情が混ざっていた。
「この通り! 俺はソフィアに魔術を奪われてきた! しかしもう茶番は終わりだ! 俺はソフィアに今までの賠償を要求する!」
デルムは大袈裟な、演技がかった身振りと口調で、いかに自分が正しいかを主張する。
その演技は大したもので、真実を知る由もない暇な貴族はデルムの主張を信じてすらいた。
「被告側、何か反論は?」
「その魔術を奪われたのは私の方です。その証拠もあります、こちらがその証言をしてくれる素材屋のフレッドです」
ソフィアはフレッドを手で示す。
フレッドはおずおずと前に出て、説明した。
「はい、私はデルム様に脅されて、ソフィア様が盗賊の討伐に出かけている時間帯を教えました。命令を聞かなければ命は無いと脅されて……。その時に私はデルム様がソフィア様の研究室に忍び込んで、論文を盗み出すつもりだったと言っていたのを聞きました」
「ふむ……あまり、信じ難いですね」
「なっ……!?」
裁判長はフレッドの証言を完全に否定した。
「なぜ信じ難いのですか! 証人がここにいるのに!」
ソフィアは裁判長に抗議する。
「しかし、ここに証拠があるのでねぇ……。それに、平民の証言など、買収すればいくらでも捏造できるのではないですか?」
裁判長は面倒臭そうな表情で肩をすくめた。
デルムの方も買収することは可能なのに、そこに触れようとしない辺り、やはり真面目に裁判を行うつもりはないらしい。
ソフィアは熱くなれば相手の思う壺だと、深呼吸して心を落ち着かせる。
「ですが、強盗に入られたことも、デルム様たちが知るはずのない、私の不在の日に押し入っていたことも確かです」
「ですが、証拠がここにあるのでねえ……」
裁判長はソフィアの言葉を否定した。
ソフィアの方も証拠をきちんと上げているのに、証拠があると何度も繰り返すだけで、ソフィアの主張は否定されてしまう。
予想はしていたことだが、まるで真面目に取り合ってくれない。
「では、判決を下します」
「っ! 待ってください!」
「はあ……何ですか」
「なぜあちらの主張だけ認められるのですか!」
「そう言われましても……それなら、ケチをつけられないような証拠を出してはいかがですか?」
「っ!」
そんなの無理だ。
どんな証拠を出したって、裁判長はあれこれ理由をつけて信用できないと否定するだろう。
「醜い言い訳をするな!」
「自分の罪を認めろ!」
傍聴席に座っているデルム派閥の貴族がソフィアへと野次を飛ばす。
ソフィアがもう駄目かもしれない、と思った時。
法廷の扉が開かれた。
「こんな中途半端な時間に新たな見学者が……?」
誰もがその扉に注目する。
そして、入ってきた人物に驚愕した。
「こ、国王様!?」
裁判長が叫ぶ。
法廷にやってきたのは、国王であるユリオス・エーデルワイスだったからだ。




