36話 レオの拒絶
ソフィアが、レオとロベリアが会っているのを見た夜。
レオが夜遅く、仕事をしている時だった。
コンコン、と扉がノックされた。
「誰だ」
ここで文官や部下なら自分の名前を名乗るはずなのだが、扉の前に立っている人物は名乗らない。
(ソフィアか?)
今日は遅くなると伝えているはずだが、待ちきれずに迎えに来たのかもしれない。
そう考えると悪い気分ではなかった。
警戒心は解かず、扉へと近づき、開ける。
「レオ様……っ!」
「ロベリア……」
レオは眉を顰める。
扉の前に立っていたのはロベリアだった。
また抱きつこうとしてきたので、避ける。
名前を聞かれても答えなかったのは、レオに扉を開けさせるためだったようだ。
(本当にしつこいな……)
ロベリアの執着具合に飽き飽きしつつも、レオはロベリアをどうするべきか考える。
この時間帯に二人でいるところを見られて勘違いされても困る。
「夜も遅い。帰ってくれ」
「そんなことを言わないでください! 今日も折角色んな人に相談してきたんです。私の気持ちを聞いていただけませんか?」
ロベリアは並の男なら勘違いしそうな表情でレオに媚びてくる。
しかしレオは目の前の女性が心の中に、邪悪で、ドロドロとした魔物を飼っていることを知っているので靡くことはない。
(チッ……俺を脅しているつもりか)
レオは心の中で舌打ちをした。
相談してきた、とロベリアがわざわざ言ったのは、レオを脅すためだ。
もし部屋に入れなかったら、夜遅くに部屋を訪れたことや、あることないことを言いふらす、と脅そうとしているのだ。
付き合いが長いレオには分かった。
別に事実無根だが、言い触らされるのも面倒だ。
余りにもしつこいので、一度だけ話を聞いて追い返そう。
レオはそう結論を出した。
「……手短に言え」
「はい!」
レオはジロリとロベリアを睨む。
しかし肝が据わっているロベリアは少しも動じることなく受け止め、部屋の中に入った。
ロベリアは鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌で、軽い足取りでソファへと向かった。
「紅茶は無いのですか?」
「そんな物はない。お前には必要ない」
ロベリアが来客用のソファに座っても、レオは紅茶も出さずに対面に座る。
レオは明らかに歓迎していない雰囲気を出しながら、足を組み、ロベリアに用件を聞いた。
「どういう風の吹き回しだ? 何故俺に付き纏う」
最近、ロベリアが媚びた笑顔を浮かべて付き纏ってくることについて、レオは質問した。
ロベリアが付き纏う理由は大方分かっているが、それでも改めてレオは尋ねる。
「どういう風の吹き回しと言われても、私はレオ様を愛しているだけで……」
「そんな嘘を言うためにここまで来たのか?」
レオはじろりと睨むが、ロベリアははぐらかすように首を傾げるだけだった。
このままではいくら質問しても誤魔化されるだけだと悟ったレオは、ロベリアに本題に入るように促した。
「さっさと本題に入れ」
「私と婚約を戻しませんか?」
「断る」
レオは即答した。
ロベリアは少し眉をピクリと動かしつつも、笑顔で食い下がる。
「私と婚約すれば、オーネスト公爵家で、レオ様の夢を全力で支援いたし──」
「俺はソフィアとメリットデメリットで婚約したわけじゃない。断る」
「ですが、私の方が由緒正しく、女性としても優れていて……」
「しつこい。俺はお前と婚約しない。それとお前よりもソフィアの方がよっぽど魅力的だ」
「……っ!」
にべもなく断り、その上自分よりもソフィアの方が魅力的だと言うレオに、ロベリアは歯噛みをする。
「この際だからハッキリと言っておこう。俺の愛する女性はソフィアただ一人だ」
レオは面と向かって「お前を愛していない」と断言する。
「お前は俺を否定して、ソフィアは否定しなかった」
それはロベリアとソフィアの明確な差だった。
「……なぜですか」
ロベリアがレオを睨む。
「私とあなたは十年間婚約者として連れ添った仲ではないですか!」
「……」
「あなたには私に対する情がないのですか!」
ロベリアは手で顔を覆い、啜り泣く声でレオの情に訴えかける。
ロベリアの計算では、ここでレオが幾分か動揺を見せるはずだった。
しかし顔を上げて見えたのは、酷く冷めた目でロベリアを見るレオだった。
「どうして動揺していないんだ、とでも言いたげな顔だな」
「……」
図星を突かれたのか、ロベリアは目を逸らして何も話さない。
「情だなんだ、と言うが、先に婚約破棄をしたのはお前だろう」
「それは……」
「あの時、俺とお前の関係は完全に破綻した。もう二度と修復などできない」
それはただ突き放すだけの言葉ではなかった。
十年の時間の重みを理解した上で、もう二度とは元には戻らないのだと、レオの言葉にはそんな重みがあった。
「わ、私は、そんなつもりでは……」
ひどく怯えたような目でレオを見るロベリアを見て、レオは冷笑を溢した。
「どうせ、それも演技なんだろう。俺に取り入るための、ただの泣き脅しだ」
レオは呆れてため息をつく。
絆されない。心を動かされることはない。
なぜなら、レオは目の前の女の本性を知っているのだから。
「大方、王座を手に入れるのが絶望的になった、沈みゆく第二王子に見切りをつけ、また俺と婚約し、没落を免れようとしているのだろう?」
レオはお見通しだと言わんばかりにロベリアを睨む。
ロベリアは焦ったような表情になった。
「違っ……」
「図星か。否定しなくていい。お前の腹が真っ黒なのは分かっている」
否定しようとしたロベリアを、レオは遮る。
「どちらにせよ、お前に対する気持ちはもう欠片も残っていない。俺がお前と婚約することは、二度とない」
レオは断言する。
そしてソファから立ち上がると扉を開けた。
「話は終わった。帰れ」
「待ってください! もう一度だけ! もう一度だけ私にチャンスをください!」
「チャンスはない。俺が愛しているのはソフィアだけであり、決して裏切ることはない」
レオはロベリアを部屋から追い出す。
「本当に、私のことはなんとも思っていないのですか?」
「ああ。お前だって、俺のことを何とも思っていないだろう?」
「わ、私は本当に──」
ロベリアはレオの言葉に傷ついた顔になり、レオに手を伸ばそうとした。
しかしすぐに手を下ろして俯く。
「…………そうですか」
そしてそのまま振り返ると、ロベリアは扉から出ていった。
「待て」
最後にレオはロベリアを引き止める。
ロベリアは少し希望を込めた目で振り返る。
しかしレオから漏れ出していたのは、冷えつくような殺気だった。
「もし、また今度ソフィアに危害を加えようとしたら。お前を殺す」
「…………何の事でしょうか。私は一度も彼女に危害を加えようとしたことなんてございません」
ロベリアは力なく笑って、レオの言葉を否定する。
そしてロベリアは今度こそ廊下を歩いて去っていった。




