35話 誤解
レオとロベリアが二人で会っている所を目撃してしまった。
ソフィアは別に何も悪いことはしていないのに、廊下の角に身を隠した。
「どうして……」
身を潜めながらソフィアは考える。
(なんでレオがこんな時間にロベリア様と……? そもそも、なんで二人が部屋から……!?)
まさか、と思った。
レオは自分を愛してくれていると、言っていた。
でも、夜遅くにレオの部屋から出てくるロベリアは、見間違いなんかじゃなかった。
嫌な考えが頭の中でどんどんと広がっていき、思考を支配する。
「嘘……」
考えれば、不思議なことじゃない。
婚約してたかだか数ヶ月のソフィアと、十年寄り添ったロベリア、時間の重みはあちらの方が遥かに重い。
レオにだって情はあるだろうし、ロベリアを選んだとしてもおかしくはない。
これ以上考えてはいけない。
頭の中で別の自分が叫ぶ。
しかし思考を止めることはできなかった。
「違う……レオは愛してると言ってくれた……!」
もしそれが「他に愛している人がいて、ソフィアは二番目に愛している」と言う意味なら。
『レオが本当に愛している人は、私ではないのではないか』
「あ……」
思考が明確な言葉になった瞬間小さな、小さな声が漏れた。
幸い、その声はロベリアとレオには聞こえることはなかったようだが、ソフィアは慌てて口を手で塞いだ。
ソフィアは廊下の角から二人の様子を覗く。
丁度話が終わったのか、ロベリアがソフィアの方へと歩いてきた。
ソフィアはハッと正気に返り、バレないように馬車へと戻ろうとした。
「っ……!」
その時、焦っていたせいで足を挫いてしまった。
ソフィアは足首に走る痛みに顔を顰める。
コツ、コツと足音が大きくなってきた。
(まずい……!)
しかし足音が迫ってきたため、ソフィアは足首の痛みを我慢して、馬車へ急いで戻った。
翌日。
「ソフィア。今日も来たぞ」
「レオ……」
レオはいつも通りに研究室へとやってきたが、会話は少なかった。
ソフィアがいつレオから別れを切り出されるのか怯えていた為だ。
レオに話しかけると、別れを切り出されそうで、それなら黙っていた方が良いのではないかと思った。
「……」
ソフィアは遠慮がちにレオの様子を窺う。
レオはいつも通りで、ソフィアに隠し事など全くなさそうな表情だ。
もしかして、昨日ソフィアが見たことは幻だったのではないか、とソフィアは淡い希望を抱いた。
しかし、足首の痛みが現実なのだと知らしめてくる。
(昨日見たのが夢だったら、どれだけ良かっただろう)
そう言えば、昨日からレオのことに気を取られていて、足を直すのを忘れていた。
ソフィアはこっそりと治癒魔術を使って足首の捻挫を治す。
元々口数の多い方ではないレオと、昨日の出来事が気になっているソフィアでは全くと言って良いほど会話は生まれない。
結果として、帰る時間になるまで、二人が交わした言葉は手で数えられるほどだった。
それはソフィアとレオが婚約してから初めてのことだった。
レオがソファから立ち上がる。
「帰るか」
「……うん」
ソフィアは立ち上がり、レオの横を並んで歩く。
しかし、いつもなら会話が弾んでいるはずの二人は、一向に話すことはなく、どこかぎこちない。
昨日ソフィアが見たものについて尋ねようとした。
真実は何か、はっきりしておいた方がいいと思ったのだ。
「その……」
「なんだ?」
レオが振り返る。
レオの顔を見た瞬間、喉まで出かかっていた言葉は、再び引っ込んだ。
所在の無くなった手を下ろす。
「──ううん、なんでもない」
ソフィアはあげた腕を下ろし、元気のない笑みを浮かべて頭を横に振った。
聞きたいのに、聞けなかった。
もしもレオから「未練がある」と返ってきたらと想像するだけで──
「……っ!」
泣きそうになったので、涙を堪えた。
「どうした」
ソフィアの異常に気がついて、レオが尋ねてきた。
「大丈夫だから」
「さっきから顔色が悪いぞ。本当か」
レオがソフィアの顔を覗き込みながら聞いてくる。
「…………その、昨日足を挫いちゃって」
ソフィアはレオから目を逸らしながら、本心とは別の言葉を話した。
「なんだと」
レオはソフィアが足を挫いた、と聞いた瞬間、眉を寄せた。
そしてソフィアを抱き抱えた。
「レ、レオっ……!?」
レオはソフィアを抱えたまソフィアの部屋へと運ぶと、ソファの上にソフィアをそっと下ろした。
「見せろ」
「えっ」
「足首を見せてみろ。簡単な応急処置をする」
「えっ、あっ。だ、大丈夫、ほら」
ソフィアは足首に手を当て、治癒魔術を掛け直す。
「治癒魔術をかけたから、もう痛くないよ」
「本当か」
「うん」
ソフィアは何度も頷く。
「良かった……」
レオはホッとした表情になる。
ソフィアは目を逸らした。
「…………そんなに心配することじゃないよ」
「いいや、心配することだ。俺の婚約者に何かあったらどうするつもりなんだ」
「っ……!」
(どうして、そんな……)
ソフィアの胸に愛おしさと、悲しみで締め付けられるような痛みが走った。
(私に気がないなら、何故こんな思わせぶりな事をするの……)
ぎゅっ、とソフィアは拳を握る。
そして勢いよく顔を上げると、レオに質問した。
「レオは、まだ未練があるの……!?」
「なに?」
レオは何を言っているのか分からない、という顔で首を捻った。
「正直に話して欲しい。もしそうなら、私は、諦めるから……!」
話しているうちに涙が出てきた。
ソフィアの涙を見て、レオは動揺する。
レオが悲しそうな表情でソフィアの肩を掴んだ。
「なんでそんな勘違いをしているんだ……」
「私、見たのレオが昨日夜遅くに二人で会ってるところを……」
「……っ!」
レオは息を呑んだ。
同時に悔いるように、目を閉じた。
全てを理解したレオは、ソフィアに説明をした。
「説明させてくれ。あれは決して逢い引きなどではない。俺の愛する女性はソフィア以外には絶対にあり得ない」
レオはソフィアの瞳をしっかりと見据え、ソフィアを愛していると断言する。
レオの瞳は嘘をついているようには見えなかった。
ソフィアは瞳から雫を零しながら質問する。
「じゃあ、どうして……?」
「昨日、夜遅くにロベリアが部屋を訪ねて来たんだ。あまりにもしつこかったから、話だけ聞いてさっさと追い返したんだ。それ以上のことは何もしていない。誓って本当だ」
「…………分かった、信じる」
長考の末、ソフィアはレオを信じた。
「本当にすまない。俺は全くソフィアの気持ちを考えていなかった……」
「もう謝らなくていいよ」
レオがソフィアの髪に触れる。
「ソフィアに嫌われたら、もう二度と立ち直れなかった」
ソフィアは目元を拭い、苦笑する。
「もう……冗談ばかり言って」
レオはムッとしてソフィアを抱きしめた。
「俺がどれだけソフィアのことを愛してるのか、全く分かっていないようだな」
いつもなら照れるソフィアも、今日は大人しくレオの腕の中に収まっていた。
レオの腕の中は安心した。
ソフィアはレオに謝罪する。
「疑ってごめんなさい……私、不安で」
「いいや、勘違いさせるようなことをした俺に非がある。決して二人で会うべきではなかった」
レオは自分に非があるのだと言って、首を振る。
ソフィアが抱きしめている腕の力を強める。
「ねぇ、レオ」
「何だ」
言葉にしてしまえば、この幸せが壊れてしまうのではないかと思っていた。
だけど、もうそんな心配は要らないと分かった。
だから、ソフィアは安心して、初めて自分の気持ちを形にした。
「レオ、私も愛してる」
レオの腕の中で幸せを改めて噛み締めた。




