32話 アメリアとのおしゃべり
「昨日、デルム王子について軽く調べてみたけれど、特に情報を得ることは出来なかったわ」
今日は珍しくアメリアがソフィアの研究室に来ていた。
久々に商会の仕事が無くなり、顔を出す事ができたらしい。
「もう調べたの?」
「私は特に何もしてないけどね。手持ちの部下に調べさせただけだもの」
情報収集をすると決めたのは昨日だ。
それなのに商会の仕事と並行してもう既に情報を集め始めている、その行動の速さにソフィアは驚いていたのだが、アメリアは謙遜する。
「ただ、一つだけ、最近は頻繁にロベリアとデルム王子が会っている、ということは分かったわ」
「でも、婚約者なんだから、それはおかしくないんじゃない?」
「ええ、確かにそうね。でも、ロベリアとデルム王子はほとんど会うことがなかったみたいなの。それなのに、ここ最近になって急に会い始めた。これっておかしいと思わない?」
「やっぱり、デルム様は彼女に何かを言われて……」
そしてソフィアにはもう一つ懸念があった。
パーティーでロベリアがレオにした質問と、最後にソフィアに向けたあの視線。
もしかしたらロベリアは……。
ソフィアとアメリアの間に重い沈黙が流れる。
最初に口を開いたのはアメリアだった。
「やめましょう。今こんな話をしても生産的じゃないわ」
「そうだね」
重い空気を振り払うかのように明るく振る舞うアメリアに、ソフィアは同調する。
「それよりも、話は変わるんだけど」
「え、うん……」
「レオとはどうなったの?」
「えっ!?」
思いもよらない質問にソフィアは素っ頓狂な声を上げた。
「だって、とてもロマンチックなキスをしたんでしょ! 女性として、二人がどうなったか気になるじゃない!」
「それは、そうだけど……」
不本意ながら世間で噂になっているように、確かにあれはロマンチックなキスといえば、そうだ。
煮え切らないソフィアの態度を見て、アメリアは首を傾げる。
「あれ、もしかしてキスが嫌だったの?」
「えっ? いや、そんなことはないけど……」
「じゃあ、もっと照れたりしたら良いのに」
「その、あれを認めたら、色々と変わっちゃうような気がして怖くて……」
今の関係がとても心地よいので、何かすると、その関係を壊してしまうのではないか。
そんなことを考えてしまい、中々踏み出せずにいた。
「意気地なしね」
言い返す言葉もない。
アメリアは質問を変えて、レオについて聞いてきた。
「じゃあ、レオについて教えて? 何か変わったことはない?」
「変わったこと?」
「そう、態度が変わったとか、扱いが丁寧になったとか」
「何かあったかな……」
ソフィアは考える。
そして一つ思いついて顔を上げる。
「あ、毎日送り迎えしてくれるようになったかも」
「へーっ! 他には!?」
アメリアは興味津々な顔をしながら至近距離に顔を近づけてくる。
「他には……前までは無愛想な顔だったけど、笑顔が増えたとか」
「うんうん!」
「後は……一日一回ハグされるようになったかも」
「きゃーっ!」
アメリアは嬉しそうな悲鳴を上げる。
「それ、凄く溺愛されてるじゃない!」
「そ、そうなのかな……」
「間違いないわ! レオはもうソフィアにはゾッコンね!」
「ていうか、何でそんなに気になるの?」
「だって、私とミカエル様は婚約してもう十年以上は経つのよ? 私だってたまにはキュンキュンしたいわよ」
「そういうのものなのかな……」
「そういうものなの」
そうして一旦落ち着いた頃。
扉がノックされた。
「はい…………レオ?」
扉から入ってきたのはレオだ。
何だかレオの様子がおかしい。挙動不審な感じだ。
他人から見ればいつもと変わらないレオなのだが、ソフィアにはわかる。今のレオはどこかおかしい。
(もしかして、今の会話聞かれてた……?)
もしそうだったとしたら、かなり気まずい。
だがしかし、レオの態度からはそうとしか考えられないし……。
「じゃあ、愛しの婚約者様もきたことだし、私はお暇させてもらうわね」
「えっ? あっ……」
アメリアはそう呟くと颯爽と扉を開けて部屋から出ていってしまった。
ソフィアはおずおずとレオに話しかける。
「その……今日はどうしてここに?」
「そろそろ帰る時間だと思ってきたんだが」
確かに時計を見るといつもならソフィアが屋敷へと帰る時間だ。
ソフィアを屋敷まで送るために今日も来てくれたのだ。
「帰るか?」
「うん、今日はもう帰る」
レオが立ち上がったので、ソフィアも椅子から立ち上がる。
馬車までレオの隣を歩いて行くが、どうも沈黙が気まずい。
(レオは自分から話すタイプじゃないから、いつもと何も変わらない沈黙のはずなのに、さっき話してた内容のせいか、目を合わせ辛い……)
そして気まずい思いを抱えたまま、ソフィアとレオは屋敷へと帰ってきた。
少しだけホッとして馬車から降りると、レオに呼び止められた。
「ソフィア」
「どうしたの?」
「キスしていいか」
「ふえっ!?」
「嫌か?」
「嫌ではない、けど……」
ソフィアは顔を逸らす。
しかしレオがソフィアの頬に手を添えて、少し強引に前を向かされた。
レオの顔が迫ってくる。
(嫌じゃない。嫌じゃないけど……!)
逃げ場はない。
ソフィアは目を瞑った。
唇に柔らかい感触が──来ない。
代わりに髪がかき分けられ、額にレオの唇が落とされた。
「えっ」
思わぬところにキスをされたソフィアは、目を開ける。
レオがニッと笑った。
ソフィアはまたからかわれたのだと理解した。
「〜〜〜レオっ!」
ソフィアがレオに怒鳴る。
半分くらいは、本気で怒っていた。
「では、また明日」
レオはそんなソフィアを見て笑みを浮かべながら馬車に乗り込んだ。
王都のとある貴族の屋敷。
暗い部屋の中で。
気の強そうな表情の令嬢が、自身の使用人兼情報収集に使う手足である男たちから報告を受け取っていた。
「以上が、私どもの見た光景です」
黒い装束を身に纏って跪いている男たちが、簡潔に報告を述べる。
カシャン、とカップが割れる音がした。
報告を聞いた令嬢がカップを落としのだ。
「そう……」
令嬢の声は少し震えていた。
自分の愛する人に裏切られた哀しみと、怒りに。
「もしかして、ブラフなんじゃないかと思って探らせてみたけれど。そう、あの人は本当にあの女のことを……」
「暗殺しますか?」
忠臣である使用人が、主人の感情を察して、いち早く提案する。
「いいえ、今暗殺するのは至難の技よ。もう既に一度失敗してしまったもの」
一度誘拐して警戒されているから、と呟く。
「では、如何いたしますか」
「私が自分で動くわ」
その宣言に、使用人たちは驚いた。
今まで主人が動くことなど、滅多になかったからだ。
「十年、婚約者だった」
ポツリと呟く。
婚約したのは十歳ほどの頃。
それからずっと、二人は婚約者同士だった。
決して相容れない二人だったが、まさか十年連れ添った婚約者を忘れることなどできるはずが無い。
「取り戻す。絶対に」
まだ、自分に対する情は残っているはずだ。
「私の婚約者を奪われてたまるものですか」
ロベリア・オーネストは顔を上げる。
その目には、憎しみの昏い炎が燃えていた。
「それ以外、私に道は無いのだから」