31話 新たな前兆
二章開始です!
(昨日は本当に大変だった……)
温かい紅茶を飲みながら、ソフィアは昨日のことを思い出す。
ソフィアは盗賊に眠らされ、廃教会へと誘拐された。
そこでジルドンと名乗る盗賊団の頭がソフィアに対して『水障壁』の権利を手放すように脅してきた。
当然ソフィアは拒否したが、ジルドンはソフィアに暴力という恐怖で権利を手放すように仕向けてきた。
すぐに気づいたレオがソフィアの捜索に乗り出し、間一髪助けることができた。
なんとか無傷で家に帰ることはできたものの、一つ強烈な出来事があった為、それについて考えてしまい全く眠ることができなかった。
加えて心配した両親がずっとソフィアのそばについていたこともあり、かなり眠たい。
しかしソフィアは研究欲に勝てなかった。
そのため、翌日、ソフィアは研究室へとやって来ていた。
「はあ……どうしよう」
「どうしたんだ」
悩ましげな表情のソフィアがため息をついた。
例の如く研究室にやって来ているレオが悩ましげなソフィアに尋ねる。
「昨日の事件がもう広まってるみたいなの」
「別にいいじゃないか」
「良くない! だって、私たちの噂まで出回って……」
ソフィアはそこまで言って、レオにキスされたことを思い出して赤面する。
ただ、あの出来事に記憶が上書きされたおかげで、誘拐された時のことがトラウマになることはなかった。
それは感謝している。
でも、公衆の面前でキスされたことにより、瞬く間に昨日の出来事は世間に広まってしまった。
一日しか経っていないのに、昨日の事件には色んな脚色がされて広まっており、今ではソフィアは悲劇のヒロイン、そしてレオはそれを助けた白馬の王子だ。
恥ずかしくてしょうがない。
「私、外に出たらすごく見られるんだけど……」
「俺も良く見られる」
「別に共感してほしい訳じゃない!」
ソフィアが叫ぶとレオが笑う。
怒りを込めてソフィアはレオを睨む。
しかしレオは優しい笑みでそれを受け止めるだけだった。まるで手応えがない。
終いには頭にポンと手を置かれ撫でられた。
(どうもからかわれてる気がする……)
釈然としない思いを抱えながらも、ソフィアは大人しくレオの手に身を委ねていた。
レオがソフィアに体調を質問する。
「あれからは大丈夫だったか」
本当は寝不足気味で万全の体調というわけではないが、流石に寝不足の理由を述べる訳にもいかないので、ソフィアは何ともないとレオに伝える。
「うん、大丈夫。それよりも尋問の方は……」
「やはり誰も情報を吐かないな。子分は依頼主を知らないようだ」
「でも、相手は『水障壁』の権利を求めてきたんだから、誰が盗賊を雇ったのかは明白じゃないの?」
ソフィアの問いに対してレオは首を横に振った。
「いや、殆ど特定出来る程度では無理だ。明確な証拠を掴まない限り、しらばっくれられて終わりだろう」
「じゃあ、やっぱり盗賊の頭を見つけないといけないの?」
「そういうことだ」
レオは頷いた。
ソフィアとしては今すぐにでもデルムに捕まってほしいが、現実はそう簡単では無いらしい。
そうこうしている内に、ソフィアの中で燻っていた研究欲も身を潜めてきた。
代わりに眠気が首をもたげ、ソフィアは軽くあくびをした。
「私、今日はもう帰ろうかな……」
「分かった。俺が屋敷まで送ろう」
「いや、それは別にいいよ。レオの時間を使うのは勿体無いし」
自分の送り迎えのためにレオの貴重な時間を使わせるのは申し訳ない。
そのためソフィアがレオの送迎を断ろうとすると、レオはギロリとソフィアを睨んだ。
「昨日誘拐されたんだぞ。一人で帰せるか」
「う……それは……」
昨日誘拐されたばかりで、レオには心配をかけてしまった。
レオが間一髪間に合ったものの、もう少しで盗賊に乱暴されるところだったのだ。
だからレオが送り迎えを申し出るのは全くおかしくない。おかしくないのだが。
(な、なんでそんなに平気そうなの……!)
ソフィアはレオの顔を見る。
つんと澄ました、感情が分からない無表情。
当の本人のであるレオが、全く昨日のことを引きずっている様子が無いのだ。
少しくらい照れる様子を見せても良いのに、まるで気にしていないかのように平然とした顔で振る舞っている。
ソフィアの方は、レオと話していると、ずっと心臓の音が鳴り止まないというのに。
これでは自分だけが意識しているみたいだ。
「? どうした」
じっと見ていたので視線に気がついたのか、レオがソフィアを見た。
「なんでも……」
少し釈然としないものを抱えながら目を逸らす。
ソフィアとレオは研究所の外に出た。
ソフィアは一歩を踏み出そうとして、足が止まった。
「っ……」
研究所を出た途端、ソフィアは昨日盗賊に襲われたことを思い出した。
ソフィアの心の中に恐怖心が広がっていく。
「どうした、ソフィア」
「う、ううん。なんでも無い」
ソフィアは笑顔を作って馬車に乗り込む。
馬車に乗り込んでも、ソフィアの緊張は解けなかった。
誘拐されたのは昨日のことなので、どうしても盗賊に襲われたことを思い出す。
恐怖に襲われる度に対面にレオが座っているのを確認して、ソフィアは安堵するのを数回繰り返していると、ルピナス家の屋敷に到着した。
屋敷へと帰ってくると、ソフィアは馬車から降り、屋敷へと入ろうとした。
「ソフィア」
その背中にレオが声をかけて止める。
「どうしたの?」
「お帰りなさいのハグをしてくれ」
盛大にズッコケた。
いつもの感じでふざけたことを言うから、ソフィアは体の力が盛大に抜けた。
今まで怖がっていたのが嘘みたいだ。
「と、突然何を……! こんなに人目があるところで!」
「俺はこれから仕事に戻るから、ハグして欲しい」
「それだとお帰りのハグではないのでは……?」
「そうだな。じゃあ行ってきますのハグだ」
もう何を言っても聞かなそうなので、ソフィアは観念してレオの言葉に従うことにした。
ソフィアとレオはハグをする。
近くで見ていたメイドたちが黄色い悲鳴をあげた。
ソフィアは、そんな悲鳴が気にならないくらい、リラックスしていた。
レオとハグをしていると、恐怖心が嘘のように解けていって、反対に心の中は温かい気持ちでいっぱいになった。
「今日、研究所を出た時、少し怖かった」
この時、やっとソフィアはレオに本当のことを話すことができた。
「そうか」
ソフィアへの返事として、レオは力強くソフィアを抱きしめた。
「安心したか?」
「うん」
「それなら、俺はもう戻る」
レオはソフィアから身体を離すと、馬車へと戻っていった。
もしかして、レオはソフィアの心の中を見透かして、ハグをしようと言い出したのだろうか……。
無言でレオの背中に問いかけるが、はっきりとした答えは返ってこなかった。
そして、ソフィアはパーティーに出席していた。
アメリアとソフィアの商会が成功したことでお祝いのパーティーだった。
「すごく見られてる……」
やはり予想通り、かなり周囲の貴族から見られていた。
先日の誘拐事件の顛末が広がり、敵意というよりも好奇の目を向けられているようだ。
招待されている令嬢の中にはまるで恋物語の登場人物を見るかのように輝いた目で、ソフィアとレオを見ている者もいる。
「やっぱり出席しない方がよかったかな……」
「そういうわけにもいかないだろう。今日のパーティーの主役はお前なんだから」
隣のレオがそう言った。
レオはいつもの仕事用の服ではなく、パーティー用の服で着飾っている。
いつもよりもキラキラして令嬢の視線を集めているレオも、視線が集中している理由の一つだろう。
「そうなんだけどね……」
ソフィアは渋々レオの言葉を肯定する。
このパーティーは商会の成功を祝うと同時に、貴族同士の繋がりを深める場でもあるので、商会の筆頭であるソフィアが出席しないという手はない。
前々から決まっていたことなので、誰も責めることはできない。
「ソフィアっ!」
アメリアが駆け寄ってきた。
「怪我はないのは聞いてたけど、本当に大丈夫!?」
「はい、大丈夫ですけど……」
「本当は昨日駆けつけたかったんだけど、どうしても手が離せなくて……ごめんなさい!」
「アメリアさんが忙しいのは私も知っていますから」
ソフィアは頭を横に振る。
ソフィアのその態度に、アメリアは何か言いたそうな表情になった。
「……そう言えば、私たちもこうして話すようになって、何ヶ月も経つわよね?」
「ええ、そうですね……」
「そろそろ私への敬語を外してもいいと思うの」
「いや、それは……」
アメリアは公爵令嬢であり、第一王子であるミカエルの婚約者だ。
敬語はかなり外しにくい。
アメリアが首を傾げてお願いしてくる。
「お願い、ダメ?」
「分かった……」
そんな顔でお願いされたら聞くしかない。
最終的にソフィアはアメリアの頼みを断り切れず、アメリアへの敬語を崩すことになった。
それからソフィアはしばらくの間、話しかけてきた貴族の相手をしていたのだが……。
「ソフィア!」
大声で名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声に嫌な予感がしつつも、ソフィアは声の方向を見る。
「デルム様……」
そこには第二王子であるデルムが立っていた。
ソフィアはハッキリ言ってデルムが苦手だ。
婚約者だった時にずっと虐げられていたので、今でも顔を合わせると無意識のうちに萎縮してしまう。
(でも、私はもう恐れない)
今は頼もしい味方もいるのだから。
隣にいるレオの服の裾を握る。
デルムに対して苦手意識はあるものの、ソフィアはしっかりとデルムを見据えて対峙する。
「最近は治安が悪くなっているようで、デルム様は何かご存知ですか?」
分かりやすく探りを入れてみる。
先日の騒ぎはデルムの起こしたものだという共通認識があるので、これくらいなら問題ないだろう。
「何の話だ。俺には分からないな」
(流石にそう簡単には尻尾を掴ませてくれないか)
「それはもしかして、デルム様を疑っているのかしら?」
横から口を挟んできたのはロベリアだ。
「もしかして、デルム様が何かしたとでも言うつもり?」
側に立っていたロベリアが笑みを浮かべてソフィアに質問してきた。
ソフィアの言葉を逆手に取り、不敬だと罰するつもりだろう。
「いいえ、少し気になっただけです」
「あら、そう」
「ロベリア、何の用だ」
レオがソフィアをロベリアから守るように立つ。
「レオ様、私はただ彼女に質問していただけですわ」
「俺の婚約者に気安く話しかけるな」
ロベリアはニコリと笑顔を浮かべるも、レオは冷たく言い放つ。
「っ!」
ロベリアは悔しそうな顔になると、表情を取り繕い、レオに質問した。
「レオ様に、つかぬことをお聞きしたいのですけれど」
ロベリアは親しさをアピールしたいのかレオ様、という部分を強調した。
「あの噂は本当なのかしら」
「何のことだ」
「ほら、今王都中で噂になっているそこの令嬢との仲についてですわ」
ソフィアの名前を呼ばすに、そこの令嬢と呼んだのは恐らくわざとだろう。
ロベリアは理由は分からないが、噂の真相が気になるようだ。
噂はそこそこ脚色がされているものの、概ね事実であり、レオはそれを肯定した。
「ああ、本当だ」
「っ!?」
レオが肯定すると、ロベリアは信じられないものを見るような目でレオを見て平静を装った。
「…………そう」
ロベリアはそう呟いて踵を返すと、去っていった。
最後にソフィアを睨んで。
「まさかデルム様たちが来ているとは……」
「ごめんなさい。私のミスだわ」
ロベリアとデルムが去った後、アメリアが申し訳なさそうに謝ってきた。
「私たちは表向き敵対してるわけじゃないから、どうしても礼儀として招待状は出さないといけなかったんだけど、まさか来るとは思ってなかった……」
「ああ、僕もデルムならこのパーティーには確実に出て来ないと思っていたけど……」
アメリアとミカエルもまさか来るとは思っていなかったと不思議そうにしている。
「謝らないでください。二人が予想できなかったら、誰にも予想できなかったと思うから」
「その通りだな」
レオもソフィアに同調する。
「しかし、デルムはずっと意気消沈して、王宮から出てこないという話だったのに、聞いた話とは随分様子が違っていたね」
「何かあったのでしょうか……」
「まず、間違いなくロベリアだろうな」
レオが断言した。
誰もがうっすら分かっていたことだが、レオがそう言ったことにより、ソフィアたちはデルムの復調の原因がロベリアであることを確信した。
「やはり、彼女が何かを言ったんでしょうね……」
アメリアが顎に手を当てて考える。
レオはアメリアの言葉に首肯する。
「あいつが何を言ったのかは分からないが、これから何をしてくるか分からない」
「警戒しておいた方が良いでしょうね」
「僕の方でも情報を集めておくよ」
三人がいきなり真面目な顔で作戦会議を始めたので、政治的なものに疎いソフィアは蚊帳の外だった。
魔術ばかりを勉強していたせいで、こういう話にはとことん疎いのがソフィアの弱みでもある。
そしてデルムとロベリアという嵐が過ぎ去り、そのままパーティーは平和に終わった。




