29話 レオの焦燥
レオはいつも通りに仕事をこなしていた。
時刻はもう六時を過ぎているが、今日の仕事を終えるまでにはまだ後二時間はかかるだろう。その他の仕事を含めると、後どれくらいかかるのかは考えたくもない。
多忙といっていい宰相の仕事だが、自分で望んだこの仕事を苦行だと思ったことは一度もない。
しかし、長時間仕事をしていたので流石に疲れてきた。
「疲れたな……」
レオは書類から顔を上げてこめかみをつまむ。
「宰相様!」
慌てた様子の文官が部屋に入ってきた。
「何があった」
レオは簡潔に何があったのかを尋ねる。
「その、宰相様に急ぎで会いたいとのことなのですが……」
「こんな時間に? 誰だ」
「それが、素材屋を営んでいるフレッドと名乗る平民で……」
「素材屋……?」
「至急宰相様にお目通り願いたいとのことで……。どうしましょう、追い返しましょうか?」
文官は追い返そうかと提案してくれる。
宰相という仕事の立場上、平民が直接意見を言いにこようと面会を求めにくることが稀にある。
そのため、今回もその類ということだろう。
「ふむ……」
レオは眉を顰める。
素材屋のフレッドとは確かソフィアと交友がある平民だ。
それがなぜ今ここまで?
嫌な胸騒ぎがした。
「通してくれ」
「え? あ、はい……」
まさか平民を通すとは思っていなかたのか、文官は一瞬驚いていたが、すぐにフレッドを通した。
「宰相様! 大変です!」
フレッドは部屋に入って来た途端、大声で叫んだ。
ここまで走ってきたのか、フレッドは息を切らして、とても焦っている様子だった。
「今すぐに助けないと……!」
「落ち着け、何があった」
「ソフィア様が誘拐されました!」
「っ!?」
レオの目が驚愕に見開かれる。
「それはいつだ!」
「一時間ほど前です。偶然研究所の前を通りかかったら、その時にソフィア様が複数人の男に拉致されているのを見つけて……! 今すぐに宰相様に伝えないとと思って走ってきたんです!」
「どこに向かったかは見たか!」
「王都の南の方角に連れ去られていきました!」
レオはそれを聞いた瞬間部屋から飛び出した。
「宰相様!?」
「動かせる兵を連れて来い! 今すぐにソフィアを捜索する!」
レオは文官に命令すると、兵舎に預けている剣と馬を回収する。
兵舎の中ではいきなりやってきて剣と馬を回収したレオを、何があったのかと兵士が見ていた。
レオは兵士に端的に状況を伝える。
「我が婚約者であるソフィアが攫われた! 今すぐに捜索に向かう!」
兵士たちがざわざわと騒ぐ。
「お前とお前、それにお前! 俺について来い!」
レオは集まってきた兵士の中から素早く精鋭を選ぶと馬に跨り、駆け出した。
精鋭が慌てて馬を用意してその後に続く。
まず向かったのはソフィアが攫われた研究所の前だった。
やはり手がかりとなりそうなものは残されておらず、レオは歯噛みをした。
「王都の南を捜索するように伝えろ!」
「ハッ!」
レオは精鋭にそう伝える。
ソフィアは南に連れて行かれたという情報はあるがどこに連れ去られたのか、詳しい情報は無い。
「南……スラムか」
なぜなら、ソフィアが連れて行かれた王都の南にはスラムがあるのだ。
スラムは入り組んでいて、空き家がいくらでもある。
誰かを隠すのにはうってつけの場所と言えるだろう。
次にレオは王都の南へと馬を走らせた。
それからスラムへとレオと精鋭はやってきたが、案の定ソフィアを探すことには難航していた。
次第に遅れてやってきた大勢の兵士も捜索に参加したが、入り組んだスラムではろくに人を探すこともできない。
時間が経過すると共に、レオの焦燥も加速していく。
「駄目です! どこにいるか全く見当がつきません!」
「くっ……!」
こうしている間にも時間は刻一刻と過ぎてくいく。
「どうしますか。無理やりスラムから住人を追い出して捜索するのは……」
「それは駄目だ。犯人を刺激してしまう可能性がある。それにスラムでも国民だ。無闇に住居から追い出すことはできない」
「それではどうしますか」
「……このまま人手を増やして捜索をする」
レオは時間がかかる方法を取らざるを得なかった。
(まるで俺がスラムにどんな考えを持っているのかを見透かされているかのようだ)
普通の貴族ならスラムの住人のことなんて、全く考えなかっただろう。
レオは思考を読まれているような感覚に陥りながら、ソフィアの捜索に時間がかかっていることに歯噛みをしていた。
『こっち』
その時、レオの脳内に声が微かに響いた。
気のせいかと思うほど小さい子供の声に、レオは顔を上げた。
「誰だ」
「え?」
「今の声は誰だ?」
レオは辺りを見渡して誰が今の言葉を放ったのか確かめようとしたが、兵士たちは不思議そうな顔で首を捻った。
「私たちは誰も口を開いていませんが……」
『こっち』
またレオの脳内で声が響いた。
そして今度は髪の毛を引っ張られた。
「っ!?」
超常現象にレオは目を見開くが、幻覚ではなく、はっきりとした現実だった。
レオが落ち着いてこの現象が何なのかを考える。
何となく、この声はソフィアの場所を教えているような気がした。
「ついてこい!」
レオは前髪が引っ張られた方向に向けて馬で走り出した。
「宰相様!?」
兵士たちはいきなり走り出したレオに驚きながらも、急いで馬に乗ってレオの後を追って行った。
レオは全速力で馬を走らせる。
『こっち』
声が響く。
前髪が左に引っ張られたので、馬を方向転換する。
間違いない、この声はソフィアの方向へ導いている。
言葉では説明できないが、ハッキリとした確信がレオの中にあった。
着いたのは廃墟になった教会だった。
「ここにいるのか……?」
『ここ』
レオの言葉に同調するかのように、脳内で言葉が響く。
レオは廃教会の中に足を踏み入れた。
「危険です!」
兵士が入るのを止めようとするが、レオは躊躇うことなく教会の中に入っていく。
廃教会はボロボロで、屋根が落ちており月明かりが差し込んでいた。
また前髪が引っ張られた。
レオは警戒しながら中を進んでいく。
そして祭壇の前にやってくると、前髪を引っ張られる感覚がなくなった。
レオは祭壇をくまなく調べる。
祭壇にかけられていた白い布を剥ぎ取ると、そこにあるものに目を見開いた。
「これは……!」
祭壇の下には扉がついており、地下へ続く階段があった。
(ここだ。間違いない。ここにソフィアが閉じ込められている)
レオは確信した。
「中に入る。ついて来れるものは俺について来い」
レオは腰から剣を抜く。
剣を抜いた瞬間、レオの全身に殺気が満ちていった。
どんな精鋭よりも鋭い殺気に、周りの兵士はごくりと唾を飲みこんだ。
「宰相様! お待ちください! 先頭は我らにお任せください!」
ベテランの兵士が恐縮しながらもレオに意見する。
周りの兵士もそれに同調した。
「流石に宰相という立場の人間を先頭に立たせて、敵が待ち構えているかもしれない場所へ行かせるわけにはいきません!」
兵士の言っていることは尤もだったので、レオは思案する。
「では、先頭はお前たちに任せる」
兵士が先頭に立ち、レオたちは階段を降りていく。
ピリピリとした緊張感が階段の中には張り詰めていた。
そして階段を下り終わると、通路に出た。
左右に続く通路の先はまるで迷宮のように入り組んでいた。
「まるで迷宮だな」
レオが壁を触りながら答えた。
「これでは捜索にかなり時間がかかりそうですね……」
レオたちは慎重に通路を進んでいく。
角を曲がるとそこには盗賊の格好をした男が一人立っていた。
男は見張りをしているようで、通路の隅に立ち、欠伸をしていた。
兵士が二名音を立てず、しかし素早く男に接近する。
「ん……なっ!? て、敵──」
男はレオと、その後に続く兵士に目を見開くと敵襲を知らせようとしたが、その前に兵士が峰打ちで気絶させた。
その流れるような敵の処理にレオは感心する。
「盗賊……宰相様、これは」
「ああ、ソフィアが連れさられたのはここで間違いないだろう」
この廃教会に似つかわしくない、盗賊と思わしき男。
ソフィアがいる確かな証拠だ。
「こいつを起こして情報を吐き出させておけ」
レオは兵士にそう命令する。
そして通路の先へと進もうとした時。
レオの前髪が強く引っ張られた。
今までの中で一番強い力だったそれは、レオにソフィアが危機に晒されていることを確信させるのに十分だった。
間違いない。今ソフィアは何らかの危機に立たされている。
「ソフィアッ……!」
レオは通路を迷いなく走り出した。




