18話 薬の調合
「こんなところか」
手際よく仕事を終わらせたレオが首を軽く捻ると、ポキポキと音が鳴った。
最近、とても調子がいい。
調子がいい理由は自分でも分かっている。
最近婚約した新しい婚約者であるソフィアが、見ていて飽きないのだ。
レオにとって貴族の令嬢といえば、レオの地位と容姿を見て、猫撫で声をあげて自分に擦り寄ってくる目障りなものでしかなかった。
しかしソフィアは違う。
魔術に傾倒しており、他の令嬢とは行動が全く異なる。
魔術の素材を見比べては笑みを浮かべている姿は、とても名家の侯爵令嬢だとは思えない。
だが、今となってはそんな姿ですら仕事に疲れた時の癒しになる。
婚約した当初は、ただ行動が興味深いだけで、それほど思い入れはなかった。
それが変わったのは、ソフィアに自分の夢を話したときだ。
連日の仕事で弱っていたレオは、ソフィアの気迫に押し負けてつい言うつもりのない自分の目的を語ってしまった。
「スラムを失くすのが夢だ」と語った時、「しまった」と思った。
脳裏に蘇るのは「馬鹿馬鹿しい」と笑う元婚約者の顔だった。
しかし、ソフィアは自分の夢を肯定してくれた。
笑わず、ステキな夢だと、そう微笑んだ。
自分でも無理だと思うような大層な夢を肯定されたレオは、救われたような気持ちになった。
それからは、レオの中でソフィアはただの婚約者ではなくなった。
正直に言って、ソフィアに対して自分がただの婚約者以上の気持を抱いていることを自覚している。
だからこそ、勝手に決闘を決めて、その条件に「負けたら妾になる」というのを了承したときは、本当に焦った。
ソフィアが決闘に負けた時のことを思うと、仕事が手につかなかった。
馴染みの文官から「何か気に入らないことでも起こったんですか」と聞かれたくらいだ。
しかし、レオの心配は杞憂だった。
ソフィアは圧倒的な魔術の腕でデルムを倒した。
加えて、ソフィアは魔術の腕だけではなく交渉ごとにおいても非常に強かだった。
レオですら舌を巻くほどだ。
ソフィアは自分が過保護に守る必要はないのだと理解した。
レオはしみじみとそんな事を考えていたが。
(いや、今はそんなことを考えている暇はない)
レオは頭を振って思考を切り替える。
「さて、どうするべきか……」
レオには目下の悩み事があった。
(さて、どうするべきか……外には知らせることは出来ない。しかし信頼できる者に診せると言っても人選が……)
レオは静かに腕を組んで考える。
考えても答えは出ない。
こんな時は息抜きをするしかない、とレオは結論づけた。
それが外に出るための建前であることは本人も自覚している。
「少し出る」
「また婚約者殿のところへ?」
「そうだ」
レオが頷くと文官は苦笑する。
「もうすっかり虜ですね」
「言うな」
自分でもソフィアへの想いは自覚している。
「まさか、宰相様がそこまで婚約者に肩入れするとは思っていませんでした」
「俺も自分で驚いている。では、少ししたら戻ってくる」
レオは執務部屋を出て、ソフィアの元へと向かった。
王立魔術研究所。
つい一ヶ月ほど前まではあまり通うこともなかったこの場所だが、今ではもうすっかり毎日通っている。
始めは宰相であるレオを見て驚いていた門番も、今では至って普通の反応を返してくる。
そしてレオは廊下を歩きながら、婚約者のことを考える。
今日はどんなことをしているのか、と思いドアを開けた。
「レオ様、今日もいらっしゃったのですね」
ソフィアの研究室には先客がいた。
十歳ほどの亜麻色の髪の貴族の子息が来客用のソファに座っており、髭を伸ばした老齢の執事がその後ろに控えていた。
どうやらソフィアに用事があるらしい。
「すまない。取り込み中か」
「いえ、大丈夫です」
「俺もここで見ていて構わないか」
「は、はい。大丈夫です!」
レオが一応尋ねると子供は緊張した表情で返事をした。威圧感のあるレオが怖いのだろう。
いつも通りのある反応なので、特に気にすることもなくレオは近くの椅子に座って、ソフィアを見守っていた。
(やはり、我が婚約者は美しい)
容姿の話ではない。
いや、ソフィアは顔が整っているので容姿は良いのだが、レオが美しいと感じているのはその在り方だ。
魔術を心から愛し、研究に取り組むその姿は、今まで出会ったどんな令嬢よりも美しかった。
「それではアルバートくん、少し診させてもらいますね」
「は、はい……」
ソフィアはアルバートという名前の子供の診察を始めた。
視線を感じるのかアルバートがチラチラとレオを見ていたが、レオが見ているのはソフィアだった。
ソフィアはアルバートの熱を測ったり、口の中を見たり、脈を測ったりすると頷いた。
「うん、特に異常は無いですね。このまま薬を飲みつづけていたらあと数ヶ月後には完治していると思います」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、ソフィア様! 本当にありがとうございます……!」
アルバートと執事は感激した様子でソフィアに何度もお礼を言った。
「それではここでお薬も作ってしまいますね」
「はい!」
そしてソフィアは棚から何個かの薬草や木の根を取り出すと、それらを潰し、混ぜ合わせ始めた。
調合が終わると、布に包んで老齢の執事に薬を渡した。
「これを毎日一回飲んでください。無くなったらまた取りに来てくださいね」
「ありがとうございます。そ、それでですね……」
「どうしたの、アルバート君」
アルバートは俯いてモジモジとし始めた。
背後の執事は「頑張れ、坊ちゃん!」という目でアルバートを見ている。
「あ、あの! 診察じゃないときにもここへきて良いですか!」
アルバートが勇気を振り絞り、ソフィアにそう伝えた。
レオはピク、と片眉を上げる。
レオも男だ。アルバートの考えていることはなんとなく分かる。
だから大人気ないとは分かっていても、自身の婚約者であることをアピールせずにはいられなかった。
「ソフィア」
レオはソフィアの名前を呼ぶ。
出来るだけ親しげに。
その様子を見ていたアルバートがムッとしてレオに食ってかかった。
「あなた誰ですか。それに、そんなにソフィアさんの名前を馴れ馴れしく呼ぶなんて、一体ソフィアさんの何なんですか!」
「婚約者だ」
「え」
ピシ、とアルバートが固まった。
老齢の執事は困ったように天を見上げている。
「こ、婚約者……」
「そうだ、俺はソフィアの婚約者だ」
「そ、そうですか……」
この時、確かにレオの耳には恋が破れる音がした。
「僕、帰ります……」
アルバートは心ここに在らず、といった状態だった。
可哀想ではあるが、初恋とは実らないものだ。
それにレオも大事な婚約者を渡すわけにはいかない。
「失礼します……」
アルバートはソファから立ち上がると生気が抜けた状態でフラフラと部屋から出ていく。
老齢の執事がぺこ、と頭を下げていった。
アルバートたちが出ていくと、ソフィアがレオに注意をした。
「レオ様! どうしてそんなことをするんですか! 彼はまだ子供なんですよ!」
「子供だからこそ早いうちに失恋しておいた方がいい」
「でも、あの子すごく傷ついてたじゃないですか!」
「初恋は実らないものだ」
怒っているソフィアの頬に手を添える。
「すまないな、本当はソフィアを取られたくないという俺の醜い嫉妬だ。許してくれ」
「それなら、別に、構いませんけど……」
ソフィアは顔を真っ赤にしてレオを許した。
そしてレオはソフィアに気になっていることを質問した。
さっきの薬の調合についてだ。
「それよりも、薬を調合できるのか?」
「あ、はい、実は薬の調合も出来るんです。これでも薬がよく効くと評判なんですよ」
「ふむ……」
それを聞いてレオは考え込む。
「薬が調合できるのがどうかしたんですか?」
「いや、少しな……」
そしてレオは顔を上げると、ソフィアに一つ頼み事をした。
「ソフィア、第一王子の婚約者であるアメリア様を診察してくれないか」
「えっ?」
 




