12話 デルム派閥の嫌がらせ
時刻は昼過ぎ。
ソフィアが紅茶を飲んでいるとレオが研究室へとやって来た。
「ソフィア」
「また来たんですか?」
「ああ、息抜きにな」
レオの目的を聞いた次の日から、レオの態度が変わった。
今まではどこか一線を引いていたように感じていたが、今は距離が近くなって、その一線がないように……思える。
これは全て不確かな感覚の話でしかないが、ソフィアは確かにレオの態度が変わっていると思っていた。
まず始めに、こうして定期的にソフィアの研究室へとソフィアに会いに来るようになってきた。というか、最近は毎日ソフィアに会いに来ている。
次に、ソフィアに向ける表情が柔らかくなった。
表情が乏しいのは変わらないが、笑顔や穏やかな顔が増えた。
最後に、以前と比べて少し過保護になった。
レオはずっと椅子に座っていたソフィアに外に出るように促す。
「ずっと部屋に篭りっぱなしでは疲れるだろう。少し歩かないか」
「良いですよ」
ソフィアはレオと一緒に研究室を出た。
そして廊下を歩いていると、三人の男性の研究者たちが庭園の方向からやってきた。
ソフィアは顔を顰めた。彼らはデルムの派閥の人間で、ソフィアが研究室を奪った一件以来、廊下で顔を合わせると露骨に不機嫌そうな顔で舌打ちをする。
だが、今回は雰囲気が違う。
ニヤニヤと、愉悦の笑みを浮かべてソフィアのことを見ている。
その得体の知れない笑顔に、ソフィアは少し恐怖を覚えた。
すれ違う瞬間、レオがソフィアの肩を抱いて引き寄せた。
「ヒッ」
そしてソフィアを睨んでいた研究者たちを睨みつける。
レオの瞳に射すくめられた彼らは悲鳴をあげ、足早に通りすぎていった。
「大丈夫か」
「……はい」
「それならいい」
ソフィアは高鳴る心臓を抑えようと深呼吸をする。
レオの引き締まっていながらも筋肉のある身体に密着することになり、ソフィアはかなり意識させられることとなった。
研究所にある庭園についた。
研究所の庭園はただ木々や花が植えてあるだけではなく、魔術に使う素材を育てる共有の場所でもある。そのためそこらかしこに温室や畑があり、それぞれの研究者が色んな植物を育てていた。
様々な植物が植えられているこの場所は歩いているだけでも楽しい。
二人は庭園を歩く。
「いつ来てもここは珍妙な植物が沢山だな」
「私の育てている植物もあるんですよ。魔力を主に栄養にする花で、そろそろ咲くんです」
「それは楽しみだ」
「はい、咲いたらお見せします」
「そういえばお前の魔術についてだが、権利について再審議をかけることに成功した」
「っ! 本当ですか!?」
ソフィアは食いるようにレオに近づいた。
「ああ、近々奴の悲鳴が聞けるだろう」
レオがニヤリと笑う。
「凄いです。私がどれだけ訴えても全く取り合ってくれなかったのに……」
「権力には権力だ。元々奴の権利の認定はかなり強引だったからな。再審議に戻すくらい容易い」
「これで取り戻すのにかなり近づきましたね……」
再審議にかけられたということは、デルムがゴリ押してなかった事にした、研究過程のメモや資料の提出を求められることになる。
そして、当然デルムはそれらを提出することはできない。全てソフィアが持っているからだ。
ソフィアは感激しながらレオにお礼を言った。
「ありがとうございます、レオ様!」
「約束だからな」
喜ぶソフィアをレオは穏やかな笑みを浮かべて見ている。
「あ、着きましたよ」
そうこうしている内にソフィアの畑についた。
「ここが私が育てている畑で──え?」
ソフィアが声を上げた。
ソフィアが育てている植物が植えてある畑が、荒れ果てていたからだ。
花は全て掘り返され、引きちぎられており、何度も踏みつけたのか足跡がいくつもついている。
明らかに悪意を持って荒らされている。
「こんな、酷い……」
ソフィアは畑に駆け寄る。
どの花も一本残らず無惨に千切られており、ソフィアに対して相当深い恨みを持っていたことが窺える。
(絶対に、さっきのだ……)
庭園にくる途中、すれ違ったデルム派閥の研究者たちを思い出す。
ニヤニヤと笑った顔。彼らのやってきた方向。
この畑を荒らしたのは恐らく、いや確実に彼らだ。
「奴らか」
ゾッとするような冷えた声だった。
レオもソフィアと同じ結論に至ったらしい。
普段とあまり変わらない無表情なのに、全身から鋭い怒気を放っている。
「教えろ、奴らはどこにいる」
「多分、いつもの研究室に……」
「それはどこだ」
ソフィアはレオの迫力に押され、研究室の場所を教えた。
レオは場所を聞いた途端、足早に歩き出した。
「レ、レオ様!?」
ソフィアはレオの後をついていく。
レオの歩行速度はかなり早く、身長差があるソフィアでは半分走らないと追いつけなかった。
そしてデルム派閥の研究者がいる研究室に到着した。
レオは扉の前に立つなり、扉を──蹴破った。
鍛えられた身体から放たれた蹴りは鍵のかかった扉などお構いなく、紙のように押し開けてしまった。
鍵の壊れる大きな音と共に扉が開く。
レオが部屋の中に入ったので、それまで衝撃的な光景に唖然としていたソフィアも正気に戻り慌てて中に入る。
部屋の中にはさっき廊下ですれ違った研究者たちが固まって座っていた。彼らも突然の出来事に脳の処理が追いつかないのか、ポカンと扉の方を見つめていた。
レオは彼らを見つけると、一直線にツカツカと歩いていく。
「ヒッ」
レオの顔を見た彼らは悲鳴を上げた。ソフィアにはレオの背中しか見えない。
彼らに近づくとレオは胸ぐらを掴み上げる。
「貴様がやったんだろう」
「な、何のこと……!」
「惚けるな。我が婚約者の花を荒らしたことだ」
「お、俺たちじゃない!」
「しょ、証拠はあるのか!」
レオの気迫に押されつつも、研究者たちは誤魔化す。
確かに証拠はない。デルムの派閥は研究所のなかで幅を利かせているので、報復を恐れて証言をする人間はほとんどいないだろう。
それが分かっているのか、研究者たちは勝ちを確信したような笑みを浮かべている。
「黙れ」
しかしそれらを、レオの冷たい怒気をはらんだ声が遮った。
「貴様たちがしたことは分かっている。証拠など、いくらでも作ればいい」
「……っ!?」
研究者たちの余裕のある顔が、一気に真っ青になる。
研究所ではデルムが幅を利かせているから、何をしても大丈夫だと思ったのだろうが、相手が悪かった。
邪道には邪道を。姑息な手を使うなら、こちらも姑息な手を使えばいい。
研究者たちは今目の前にいる人間が宰相であることを思い出したようだ。
「レオ様、もう十分ですから……」
ソフィアはレオの服の裾を引く。
レオはソフィアを一瞥すると、胸ぐらを掴む手に力を込めた。
掴まれている男が小さな悲鳴を上げる。
「言え、自分たちがしたと。それで今日は引いておいてやる」
「わ、私たちがやりました!」
胸ぐらを掴まれている男はたまらず自分たちが畑を荒らしたのだと認めた。
レオは力を緩め、手を離す。掴まれていた男が床に落ちた。
「覚えておけ」
レオは三人に告げる。
「もし、今度また俺の婚約者に危害を加えようとするなら、俺の持てる全ての力を使って地獄を見せてやる。どこへ逃げようとも、地獄の果てまで追う。覚悟しておけ」
「ヒイッ!」
「しょ、承知いたしました!」
「もう二度と同じことはしません! 約束します!」
「ソフィア、行くぞ」
レオは身を翻し、部屋から出ていく。
レオの姿に少し見惚れていたソフィアは、ハッとしてレオの後をついていった。
今日のことはすぐに広まり、レオがどれだけソフィアを溺愛しているのかを表すエピソードとして有名になった。
同時に、研究所の中では「決してソフィアに手を出してはならない」というのが暗黙の了解となった。