10話 レオをベッドに寝かせるソフィア
以前でのパーティーの一件以来、そこらかしこでレオとソフィアの噂が流れていた。
特に噂されていたのはレオで、かの有名な氷狼宰相に婚約者ができて、しかもかなり大事そうにしていた、となれば誰もが噂するのは仕方がない──。
しかし噂される本人であるソフィアにとっては勘弁して欲しかった。
独り身になったレオとの婚約を狙っていた令嬢たちからは嫉妬の視線を受け、王宮に出向けば文官や武官からヒソヒソと内緒話をされる。
どこに行っても注目されるため、ソフィアはかなり疲れていた。
「どうしてあんなことを言ったんですか……」
「あの場ではああ言うしかなかった」
ソフィアは紅茶を飲みながら、テーブルを挟んで対面に座るレオに恨み言を言う。
少し前までならしないどころか、考えすらも浮かばなかっただろうが、パーティーを経て距離が縮まった今、ソフィアはより砕けた態度を取れるようになっていた。
「どのみち、俺たちが婚約していることは遅かれ早かれ発表しなければならなかった」
「それでも心の準備が必要なんです」
「それについては申し訳なかった」
レオは素直に謝った。ソフィアは少し面食らう。
ただの軽口のつもりで謝罪させるつもりはなかったのに、レオに頭を下げさせてしまったことにソフィアは心から反省する。
「いえ、私の方こそ申し訳ありません。わがままを言ってしまいました。あの場では他に選択肢がなかったのも分かっていますし、それどころか守って頂いたのに……」
「いや、それ程気にする必要は……」
レオが許してくれたことに安心する。
「それと、守ってくれて、嬉しかったです」
そしてソフィアは本心を伝えた。
デルムに言い寄られて、ソフィアは怖かった。腕を掴まれた時は恐怖で固まってしまったくらいだ。
だからレオに助けてもらえて本当に嬉しかった。
「何度でも守ってやる」
レオは少し考える素振りを見せて、またソフィアを見ると頷いた。
それから二人はいつもの調子に戻った。
ソフィアは本題を切り出すことにした。
「それで、今日はどんな用事で私を呼び出したんですか?」
「ああ、重要なことを話し忘れていたんだが……」
「重要なこと?」
「婚約者同士、価値観の共有を忘れていたと思ってな。お互いが何を望んでいるのかハッキリさせておかないと、後々大変かもしれないだろう」
「ああ、なるほど……」
ソフィアは納得した。
確かに価値観の共有は大事だ。
ソフィアとレオは婚約するまでがあまりに早くて、ろくにお互いのことを知らない。
お互いの婚約者について知っておくことは大切だろう。
「そういうことなら、いくらでも」
「何が目的だとか、どんなことがしたいだとか、話せる限りで話して欲しい」
ソフィアは顎に手を当てて考える。
「私の目的は……魔術を心ゆくまで研究することです。それと、出来ることなら人に役立つ研究をしたいですね」
「あの草は何かの役に立つのか」
「もう! だからそれは良いんですって! 一見無駄に思えてもこんな研究が役に立ったりするんです」
ソフィアは抗議の意味を込めてレオの胸を軽く叩く。レオは頬を緩めた。
「レオ様の目的はどんなものなんですか」
ソフィアが質問するとレオは真面目な顔になった。
「俺は……明確な目的を話すなら、この国からスラムを無くしたい」
「スラムを、ですか」
「ああ、この国でスラムで暮らす人々を、出来れば普通と同じ平民の生活をさせてやりたいんだ」
レオは軽く拳を握った。
一見、他人から見ればレオの表情は無表情に見えるだろうが、ソフィアにとっては固い決意をしてその目的を話したのが分かった。
だから、ソフィアは優しく微笑んだ。
「とても立派な目的だと思います」
「……お前は笑わないんだな」
「微笑んでいますよ」
「そうじゃない。馬鹿にしない、という意味だ」
「笑われたんですか」
「ああ」
恐らく、笑ったのはレオの元の婚約者のロベリアなのだろう、とソフィアは思った。
「笑いませんよ。だって、私の夢なんて心ゆくまで魔術を研究したい、ですから。ただ自分のためだけの夢です。誰かのためのレオ様の方がずっと立派です」
「そう言ってもらえると、ありがたい」
婚約者であるソフィアに自分の考えを賛同してもらえたからか、レオはほっとしたような表情になっていた。
婚約者に考えを賛同してもらえなくてもレオならそれほど気にしなさそうなのだが、こんなに気にしているのは余程強く否定されたからだろうか。
「私はレオ様のことを応援していますから」
「感謝する」
レオは頭を下げる。
そして本題も終わったので、ソフィアは研究室に戻ることにした。
レオが見送ろうと椅子を立ったのだが、その時少しフラつく。
「大丈夫ですか」
「ああ、少し眩暈がしただけだ。問題ない」
珍しいレオの行動に、ソフィアはレオに何か異常がないか観察した。
(あれ、顔色が少し悪い……?)
ソフィアはレオの肌がいつもより少し青白いような気がした。
しかし本当に変化は微かで、レオも特に体調を崩しているようには見えない。
自分の気のせいだ、とこの時は思っていた。
しかし──。
数日後、レオがソフィアの研究室に訪ねてきた。
「疲労を回復するための回復薬が欲しい?」
「ああ、最近少し徹夜が続いてな、もう少しだけ気張るために薬が欲しい」
まだ短い付き合いだが、レオがかなり我慢強い性格だということは知っている。加えて滅多に弱みを見せないことも。
見た目には分からないが、本人が体調が悪いと言ったということは、レオは今相当しんどいはずだ。
「そんなものはありません」
「薬が無いなら気つけになる草でも──」
「レオ様に出す薬は無いと言ったんです。そんなものに頼らず、寝てください。ほら」
レオの体調を知っていて、そんな薬を出すわけがない。
ソフィアはレオの背中を押して、研究室に備え付けられたベッドまで連れて行く。
「ソフィア」
「はい、ここに寝てください」
レオの言葉は聞き入れず、レオをベッドの上に寝かせる。
このベッドはソフィアが研究室に寝泊まりする時のために設置したものだが、まさか初めて使うのがレオだとは思わなかった。
「待ってくれソフィア。まだ仕事が」
「レオ様は私と最初会った時疲れていた私をベッドに寝かせました。大人しく寝てください」
「……」
流石にそこまで言われると黙らざるを得なかったのか、レオは静かになった。
「一時間ほどしたら起こしますから、ゆっくり眠っていてください」
やはりベッドに横たわると睡魔が襲ってきたのかレオの瞼が落ちていく。
やがてレオは眠りについた。
寝息を立てながら眠っているレオをソフィアはベッドの横で観察する。
(眠っているといつもの険しさが薄れて、まるで子供みたい)
寝ている時のレオは案外無垢な寝顔をしている、ソフィアはそんな感想を抱いた。
なんとなく、ソフィアはレオの髪を撫でてみた。
サラサラとした感触が手に伝わる。
案外触り心地が良くて、そのまま二、三回ほど頭を撫でるとソフィアは正気に戻った。
「ハッ、私は何を……!」
すぐさま手を引っ込め、ソフィアは顔を真っ赤にする。
「寝てますよね……?」
もしレオに意識があって、今の場面を見られていたら恥ずかしいどころの話ではない。
ソフィアは本当に起きていないのか小さな声でレオに問いかける。
しかしレオはスヤスヤと寝息を立てていて、完全に眠っているようだった。
「良かった……」
ソフィアは安心してほっと息を吐き、そしてもう一度だけレオの頭を撫でた。