7話 魔王の城
「ぎゃあああああああああああっ!!!!」
前回と同じように叫んで飛び起きる。
「また死んだ……」
とりあえず現実ではなかったことにホッと胸を撫でおろす。
目からは涙が溢れており、布団は汗だくだくだ。
「今日……どうしようかな……」
窓に映る空にはすでに太陽が昇っている。
時計は7時21分を指していて、もう眠る時間ではない。
フィアスのところへ行くべきだろうか。
このままでは殺されに行くようなものだけど……。
「……なんで今回は、雪夜の豹変があんなに早かったんだろう」
前回との違いで思い当たるのは、雪夜の部屋へいくときにフィアスを連れて行かなかったことと、野菜炒めではなく肉じゃがを作ったことくらいだ。
「肉じゃがは呪いの料理か何かなのかよ……」
今の俺は心の底から怯えている。
次はもっと早くに殺されてしまう気がして。
ガチャ
「おはよう。そんなに青ざめて、また例の夢を見たの?」
赤砂寮は壁が薄いから、叫ぶと隣の苺には丸聞こえのようだ。
「ああ……。今度はなすすべもなく殺された」
「突破口が見つからないなら、アンタ今日はもう家から一歩も出ない方がいいんじゃない?」
もちろんそうしたい。
でも、フィアスが青月館にいてほっておけないし、それでは何も進歩しない。
「……3回やり直せて、それでまた死んだら多分それは運命なのかもね」
「アンタバカじゃないの!? 逃れられる術があるかもしれないのに、運命なんて言葉に甘えて諦めてんじゃないわよ!」
苺はまっすぐこちらを見て怒鳴った。
確かに、俺は未来を知っている。
知っているからこそ辿り着く突破口があるはずだ。
「ごめん、苺の言う通りだ」
「……フン」
バタン
苺は部屋に戻っていった。
俺だって死にたくない。でも、このまま赤砂寮に隠れているわけにもいかない。たとえ雪夜を止められなかったとしても、せめてフィアスだけは救わないと……。
俺は覚悟を決めて、青月館のフィアスの部屋へと向かった。
◇◇◇
徹夜明けのように、変な汗をかきながらぬかるんだ田舎道を行き、少しずつ、恐怖の青月館へ近づいていく。
ピンポーン
ガチャ
「糸~昨日なんで来てくれなかったのさ。もうお腹ペコペコだよ~……って、どうしたの!?」
「え……なにが……?」
「ちょっと中に入って!」
バタン
「どうしたんだフィアス、俺の顔に何かついてるか?」
「違う! どうしてそんなに黒くなってんの!」
もちろん日焼けとかそういうわけではない。
「黒く……はっ!!」
少し意識すると一目瞭然だった。
いつのまにか、俺の体から、雪夜に負けないくらい暗黒の闇が充満していたのだ。
どうして前回に気づかなかったんだろう。
「落ち着いて。その黒いものが何を意味しているかまだ私には分からない。でもね、なんとなく予想はつく。きっと糸の心が抉られるような何かがあったんだね」
いつものベッドでゴロゴロしているフィアスさんとは違う。
真剣なフィアスの表情に、少し心が救われたような気がした。
「俺は……雪夜に殺されたんだ……」
俺はこれまでに体験したことをフィアスに話した。
無意識のうちに、溢れる色んな感情をさらけ出しながら。
「……それは辛かったね」
フィアスは疑うことなく話を聞いてくれた。
「今の話を聞く限り、おそらく雪夜は他人の闇を吸い取ってしまうんだね。一度目は、街の人々の闇を吸い取ってしまって豹変した」
「でもそれだったら二度目の説明がつかないんだ。二度目は周りに人なんて……」
「いたじゃない。人が」
「いや……俺以外には誰も…………あっ!!」
「そう、一回目の夢で殺されたことによって生じた糸の闇だよ。殺されるという絶望、恐怖を強く体が感じてしまったことで、雪夜を豹変させるのに十分な量の闇を持ってしまった」
「ということは……」
「うん、今の糸が雪夜に会いでもしたら……あれ……糸の体から闇が薄くなってる……?」
「あれ、本当だ。フィアスに話して気が楽になったってことか……?」
「ちがう。人の心の底に住みついた絶望がそんな簡単に消えるわけがないよ。それもあれだけの闇を……。あれ、天井から感じていた闇も消えたような」
「……フィアス……玄関の方から……」
先程までは上の階から感じていた途方もなく黒い闇が、玄関の向こう側から感じる。
「ま……まさか……!!」
コンコン……コンコン……
……ピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!
「ゆ……雪夜だ!!!!!」
「この感じ、やばいよ! 逃げよう!!! 窓から!!!」
バンッ!!!!!
「…………」
雪夜がドアを打ち破ると、フィアスの部屋には誰もおらず、開かれた窓しかなかった。
原型を留めていないぬいぐるみを片手に、無表情でただその虚無の中に立っていた。
「はあ……はあ……っ!!」
青月館からだいぶ離れたところまで走ってきた。
「糸、どうする?」
「杖だ。杖があればあの雪夜とやりあえるかもしれない!俺の杖はあるけど、バスで街へ行って、フィアスの杖を買いに行こう!」
運の良いことに、バス停に着くとすぐに水仙道行きのバスが到着した。
恐怖のあまり、バスの中でもずっと後ろを警戒する。
車内では一言も会話を交わさず、バスは水仙道駅に到着した。
「フィアス、あっちだ!」
マッチョバスが売っている魚屋などには目をくれず、杖屋へ直行した。
「おやじ! 4万円で買える一番良い杖をいくつか持ってきてくれ!」
俺達二人の手持ちからして、4万円が限界だ。
「あいらっしゃい! ん? お嬢ちゃん、白くてめちゃくちゃ綺麗なマナを持ってるな。もしかして、超能力者か?」
「おやじ!! 早く!!」
「ああ、すまねえ! ちょっと待ってな!」
おやじは4本の杖を持ってきた。
フィアスはそれらをじっと見つめ、一つ選んで手に持った。
その時、フィアスの周りの空気が変わったのを感じた。
「4万円の杖を持っただけでこの雰囲気とは。やはりお嬢ちゃん、ただものじゃねえな」
俺たちは杖を買い、チューベローズへ戻ることにした。
◇◇◇
チューベローズに到着して、バスを降りる。
青月館からまだ少し距離はあるが、俺もフィアスも異変はすでに感じ取っていた。
「……糸、これ本当に行くの……?」
「…………うん……」
どんよりとした曇り空。
青月館の方角から、身の毛のよだつほどの闇を感じる。
俺とフィアスは杖を握りしめながらゆっくりと青月館へ進んでいく。
青月館前。
高級ホテルのような大きな建物は、もはや魔王の城のように闇に染まっていた。
「これ……中の住人はすでに無事じゃないんじゃ……」
フィアスがガクガクと震えている。
無理もない、これまでとは比べ物にならないほど漆黒に満ち溢れているのだから。
まだ建物に入っていないというのに、息をするのでさえかなり神経を使う。
気を抜くと俺達まで闇に飲まれてしまいそうだ。
「……雪夜を助けに行こう」
「……糸、やっぱり逃げようよ。多分、一度入ってしまえば命が助からない……」
「俺だって逃げたい。でも俺たちは雪夜のためにこの学校にいるんだ」
「そんなの分かってるよ! でも私達が行ったって何もできないじゃない! 勝算でもあるって言うの?」
「杖で何かの次元に干渉できたら、可能性はあるかもしれない」
「ねえ糸、本当にそんな曖昧な考えで命を懸けようとしているの? 死ぬ夢を見て命を軽く考えてしまっているんだよ。目を覚まして!」
今回は寝た記憶がない。これは現実だ。
失敗すると今度こそ本当に死んでしまう。
「それでも……もうこの悪夢に蹴りをつけたいんだ」
「待って!!!」
俺は手を伸ばすフィアスには目をくれず、入り口の壊れた青月館へ侵入した。
館内は地獄だった。
壁にはひびが入っており、シャンデリアは粉砕されている。
そして……住人と思われる無残な死体が所々に転がっている。
実際は暗くないはずなのに、光のないトンネルのように暗黒に包まれている。
もどしそうな気分の悪さを必死に抑えながら上の階を目指していく。
エレベーターは壊れていたので、階段を使って上る。
上へ進むほど、闇は深まっていく。
3F。雪夜の部屋のある階だ。
鳥肌が止まらない。声も出せないほど全身が震えている。
足を無理やりに動かして雪夜の部屋である309号室へ辿り着いた。
恐怖で気絶しないように心臓周りの服を左手で握りしめながら、ドアノブを捻った。
カチャリ
鍵はかかっていなかったので、ゆっくりと部屋に侵入する。
ぬいぐるみの残骸が飛び散っている。
さらに、ベッドや布団までもがビリビリに引き裂かれ、床中が綿で覆われていた。
しかし、そこに雪夜の姿はない。
お風呂の中、トイレの中、クローゼットの中まで。
ひとつひとつの扉を開けるたびに心臓が止まりそうになるくらいの勇気が必要だったものの、それらは徒労に終わった。
「……これよりも上の階にいるのか……?」
そこらへんのお化け屋敷よりも何十倍も恐ろしい、暗黒の中での雪夜探しが始まった。
4F……5F…………
まだ雪夜の姿は見当たらない。
あるのはあたりに飛び散っている血と、転がっている死体だけ。
死体の顔は怖くて直視できないが、胴体には何かに抉られたような跡がある。所々には刃物で切り刻まれた傷も見られた。
俺が殺されたのも死因が分からなかった。雪夜は一体何を凶器にしているのだろうか。
感覚を麻痺させるんだ。
正気に戻ったらもう動けなくなるぞ……。
6F……7F…………
だんだんと闇が深くなっていくのを感じる。
雪夜へ近づいている証拠だ。
寒い……まるで地獄へ体も心も墜ちていくような感覚。
俺は右手で杖を握りしめ、そろりそろりと階段を上る。
8Fを通り過ぎ、ついに最上階である9Fにたどり着いた。
壊れた扉の前には、レストランのメニューが。
ここが青月館の展望レストランらしい。
ひびの入った窓から見える景色は、曇り空で最悪だ。
ザシュッ!!!
「い……今の音は………!!」
はあっ……はあっ……
心臓が口から飛び出そうな体の震えを必死に抑え、音のなる方へ向かった。
そして暗闇の先には、コックと思われる人を包丁で刺し殺している雪夜の姿が……。
う……うえっ…………。
生々しすぎる……。
本当に雪夜が……人を殺していたのか…………。
「ゆ……雪夜…………どうして人を……殺すんだ…………?」
震える俺の声は雪夜に届いただろうか。
ザシュッ!!!
コックの心臓にとどめの包丁を投げ刺した。
そして…
コツ………コツ…………
雪夜が無言でこちらへ近づいてくる。
ここまで闇を『暗い』や『黒い』と表現してきたが、もはやそのレベルではない。
全てがグチャグチャに混ぜ合わせられた闇鍋……いやブラックホールか…。きっとこれまでに殺された住人の恐れ、苦しみ、悲しみなども含まれて、どんどん肥大化しているのだろう。
雪夜から返答は得られなかった。
俺を俺として認識していないのだろう。
ただの闇を抱えた生き物としか……。
「雪夜……もうやめてくれ…………!」
情けないとは思いつつも、涙を流しながら必死に話し合いで解決しようとする。
「どうしてだよ! 超能力者なら、次元を自在に操作できるはずなのに……どうして次元に飲み込まれてるんだよ……!!」
コツ…………コツ…………
向かってくる雪夜の足は止まらない。
そして雪夜の背後から途方もない闇が俺を飲みこもうとしている。
はい、終わり。ここまでだ。
俺は思った以上に無力だった。
いくら心乃さんのくれたすごい杖でも、振って魔法が出せるわけでもない。
俺はどこかでまだいつもの雪夜を思い浮かべていて、話せば分かってくれるなんて甘いことを考えていたんだ。フィアスの言った通りだった。結局、苦しい現実から目を逸らして無謀に死ぬんだ。
闇に飲まれる。俺はもう…………
シュドォォォォォォォン!!!!!!!!!
「はっ!!!!」
目を開けると目の前にあった忌々しい闇が一掃されて、一瞬目の前が明るい白い光の中に包まれてた気がした。
「なにが……!」
闇が振り払われた方を見ると、キラキラと白いダイヤモンドのような瞳をした少女が、杖をこちらへ向けて立っていた。
「フィ……フィアス…………!?」
それは俺の知っているぐーたら病弱少女ではなかった。
気を奪われた瞬間、また雪夜は闇の追撃を振り撒く。
シュッッドォォォォン!!!!!!!!!
フィアスはそれに敏感に反応し、素早く杖を振りその闇を散乱させた。
「糸……下がっていて……」
そこから凄まじい戦闘が始まった。
闇の攻撃を放つ雪夜。それを杖で防御するフィアス。【闇の次元】に干渉できる者の対決がはじまった。あたりを雲のように覆う闇の流れは乱れはじめた。
漆黒に包まれた戦場のはずなのに、二人はそれぞれ青色と白色の輝きを放っていた。
おそらく、これが杖屋のおっちゃんが言っていたマナなのだろう。
「はあ……はあっ……!!!!!」
ドドォォォォォン!!!!!!!!!
「……」
苦しそうな表情で辛うじて雪夜に渡り合うフィアス。
無言でこれまで蓄えられてきた膨大な闇を使って猛攻を続ける雪夜。
部屋の隅で眺めている俺はなんとかフィアスの力になりたいと考えたが、なにもできない。場違いだ。俺が介入したところで戦況は変わらない。
拮抗した交戦が続いていたが、だんだんとフィアスの動きが鈍くなってきた。
それと同時にだんだんと雪夜の闇も薄くなってきている。
(…………あれは……フィアス……何していますの……?)
(私は、今まで一体何を………………)
(私は…………私は…………!!!)
「はあああああああああ!!!!」
シュドドドドォォォォォォォン!!!!!!!
これまでの中で一番大きい音がした。
その瞬間、あたり一面に覆っていた闇が破裂し、全ての闇はバラバラに弾け飛んだ。
ところどころ壁は崩れ、その割れ目からちょうど曇り空に見えはじめていた西日の明かりが差す。
「フィアス!!!」
咄嗟に瓦礫の中に埋もれたフィアスを救出し、抱える。
しかし先ほどまでの白い輝きは失われており、白みがかっていた髪は真っ黒に戻っていた。
「……糸……無事…………?」
フィアスは弱々しく、かすれ声で俺に尋ねた。
「うん…………。ごめんフィアス…………俺………何もできなくて…………」
「そう……良かった……」
フィアスはそう微笑んだ後、軽く目を閉じて言った。
「……今、一瞬ね……夢を見たんだ…………記憶にはない懐かしい夢……。私は一体……どこで生まれて……どこで育って……何のために生きてきたんだろう…………。それが分からないことだけ心残りかな……」
「これから一緒に探そう。もう死ぬみたいなこと言わないで……」
それ以降フィアスは一言も話すことは無かった。
その小さな体は冷たくなっていった。
「フィアス…………なあフィアスぅ…………!!」
ごめん……ごめんな……。
こんな結末なんて想像できなかったんだ。
「……」
正気に戻った雪夜は絶望のあまり立ちすくんでいる。
今日の全ての残酷な記憶が、雪夜の中で蘇っているかのように。
一体誰が救われたんだ。
俺は3回やり直して何ができた。
「神様……お願いします……もう一度だけ……もう一度だけやり直させてください……!! お願いします…………もう一度…………もう一度だけフィアスに会わせてください…………」
戦闘後の魔王の城の頂上には、儚い夕方の風が吹き抜けるだけ。
感情が身体の限界を超えたように、頭がガンガンして意識が薄れて行った。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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