ユウカ先生のいつもの授業風景・追補版
言葉の使い方は、時代と共に変わることもあるようです。
元々の意味とは逆で使われがちな言葉もあります。
例えば『役不足』『潮時』『情けは人の為ならず』『ロリータコンプレックス』などです。
異なる用法が普及・定着している場合は、誤用というより変化と呼べるかもしれません。
しかしながら、この物語はそのような小難しい話題じゃなくて、とある小学校での授業の一コマでございます。
これは、たこす様主催の『第二回この作品の作者はだーれだ企画』参加作に加筆したものです。
既出小説の登場人物もいますが、独立したお話になっています。
画・秋の桜子様
……カリカリカリ……キュキュッ……
担任の天野ユウカ先生は、チョークで黒板に何かを書いています。
漢字で大きく『膝』と書き、ふりがなで『ひざ』と書きました。
ユウカ先生は生徒たちの方に振り返って言いました。
「みなさん。小学校では習わない漢字ですけど、これはヒザと読みます。じゃあ、ヒザって身体のどこだろう?」
ユウカ先生が言うと、「簡単すぎるー」「知ってるー」などの声があがりました。
何人かの生徒が手をあげました。
「それではイケモトさん」
あてられた女子児童が起立して答えました。
「はい。ここです」
イケモトさんは自分の膝小僧のあたりを指さしています。
「そうですね。イケモトさん、正解です。それでは、他の答えの人はいますか?」
ユウカ先生がきくと、生徒たちから「えー」とか「他のところだとバカだよな」などの声が聞こえます。
一人の髪の長い女子が手をあげました。
「あ、ひとりいましたね。それではケヤキさん」
ケヤキさんは立ち上がって、自分のふとももを指さしました。
「ここです。ひざまくらはここに頭を乗せるんだよ」
「はい。ケヤキさん、正解です。昔は膝小僧からふともものあたりをヒザと呼んでいました。ケヤキさんの言ったひざまくらの他に、『ひざをうつ』という慣用句でも使います。何かひらめいたときにふとももを叩く動作ですね」
次にユウカ先生は黒板に大きく『目』と書きました。
「これは『め』と読みますが、昔は『ま』と読んでいたこともあります。目に関係のある言葉で、いまでも『ま』で始まる言葉があります。わかる人ー」
何人かが手をあげました。
「それではヒラタくん」
「はい。まぶた」
ヒラタくんは目をパチパチさせました。
「まぶたですね。ヒラタくん、正解です。目にふたをする部分ですね。他にはありますか」
手をあげる人が少なくなりました。
「では、ワキモトさん」
「はい。まつげです」
「そうですね。ワキモトさん、正解です。まつげの『つ』は昔の言葉で『何々の』を表しています。目の毛という意味ですね」
その後、『まばたく』『まなこ』『まのあたり』などの意見もでました。
次にユウカ先生は黒板に大きく『手』と書きました。
「これは『て』と読みますが、昔は『た』と読んでいたこともあります。手に関係のある言葉で、いまでも『た』で始まる言葉があります。ちょっと難しいと思いますが、わかる人はいますか」
手を挙げたのは3人でした。
「それではホンジョウさん」
「はい。たたく」
ホンジョウさんは手拍子のような動作をしました。
「たたくは半分正解です」
ユウカ先生は黒板に『叩』と書き、その右に『扣』と書きました。
「この2つは、どちらも小学校では習わない漢字です。左の字が現在の『たたく』という漢字です。これはひざまづいて頭を地面に当てている様子で、手は関係ありません。右は手でたたく意味の昔の漢字ですが、現在は使われていませんね。では、他にありますか?」
2人が手をあげました。
「ではワサビダくん」
あてられたワサビダくんは、鉛筆を持ったまま立ち上がりました。
「えーとね、時代劇とかで馬に乗っているところでね……」
ワサビダくんは左手を振って「ハイヨー」と言い、右手の鉛筆で後ろを方をペチペチとたたくような動作をしました。
そして右手の鉛筆を持ち上げました。
「これ、たづなっ」
それを聞いたクラスのみんなは、そろって頭に大きな疑問符を浮かべました。
先程回答をしたケヤキさんは『いつものタケルくんなんだよ』とつぶやいてます。
「……たづな……ですね」
ユウカ先生は黒板に『手綱』と書き、ふりがなで横に『たづな』と書きました。
そして着席したワサビダくんにたずねました。
「ワサビダくん。さっきのハイヨーの動作で、左手は何ですか?」
「ハンドル!」
「右手は?」
「たづなっ」
……カリカリカリ……キュキュッ……
先生はチョークを使って、人が馬に乗ったイラストを黒板に描きました。
馬の口のところのヒモが、人物の方に伸びています。
「こっちが手綱です。手でもつ綱ですね」
「え? そうなの? じゃあ、こっちはアクセル?」
「それはムチですね。はい。それでは他にありますか?」
ワサビダくんがまた手をあげました。
他には、さっき回答したケヤキさんも手をあげています。
「それではケヤキさん」
「はい。たぐりよせる、です」
ケヤキさんはロープを引っぱるような動作をしました。
「そうですね。ケヤキさん、正解です。ヒモを両手で交互にひっぱる動作ですね。ワサビダくんも同じかな?」
ワサビダくんは「ちがうよー」と言いました。
「えーとね。入学式とかで、花をプレゼントするときに『たむける』って言うよね」
ワサビダくんは花束を渡すようなポーズをしました。
空いている窓から、ひとすじの風が流れました。
クラスのみんなは、不思議そうな表情で首をかしげています。
なぜかケヤキさんだけはニコニコしていました。
「……たむける……ですね」
ユウカ先生は黒板に『手向ける』と書き、漢字の横にふりがなで『たむ』と書きました。
「ワサビダくんは言葉はあっていますが、使い方が逆です。お別れの言葉なので、入学式ではなく卒業式で使うことがありますね」
「え? そうなの? 新しく転校してきた人に花をたむけるとか……」
「それをやるとイジメになりそうですね。他の学校へ転校する人に、お別れの花を渡すことを『たむける』と言います」
他にもユウカ先生は『手おる』『手ずさえる』などの例を紹介しました。
「あら? ケヤキさん、授業中に寝てはいけませんよ」
ケヤキさんは机の上で腕組みをして、そこに頭を乗せて突っ伏しています。
その姿勢のまま、ケヤキさんはユウカ先生に向かってニコッと笑いました。
「これが本当の手枕なんだよ」
* * *
「……てなことが、今日の授業であったんだよ」
暦ちゃんが僕に言った。
安アパートで独り暮らしをしている僕の部屋に、小学生の従妹二人が来ている。
妹の方の槻 暦ちゃんは博識な女の子だ。
「山葵田 タケルくんって放課後クラブで、人形劇をいっしょにやってる子だよね。あの子も暦ちゃんみたいに変なボケをやってるのか。先生を困らせちゃだめだよ」
「あたしは考えてボケてるから、そんなにユウカ先生を困らせてないんだよ。タケルくんのはマジボケなんだよ」
どちらが被害が大きいか判断に迷うな。
まぁ、授業が盛り上がるのはいいことだろう。
暦ちゃんの姉の槻 胡桃ちゃんが首をかしげた。
「ねえ。タケルくんって国語が得意だっけ? 工作がうまいのは知ってるけど、物知りとは思わなかった」
「タケルくんは時代劇が好きなんだよ。他にも手挟むとかも知ってたよ」
それは僕にも意外だな。タケルくんって、物知りだったんだ。
もしかしてユウカ先生って、暦ちゃんたちがいるから難しい漢字を授業で使ったのかな。
いちおう胡桃ちゃんにも言葉の意味を解説しておくか。
「たしか、『手挟む』は刀を手でもつことだね」
暦ちゃんが言ってた『たおる』『たまくら』には別の意味もあるけど、この子たちにはちょっと早いかな。
詳しく説明するとセクハラになりそうだ。
そこで胡桃ちゃんが口を開く。
「ねえねえ、『た』で始まる言葉って他にはないの?」
「『楽しい』も関係があるかも。手を振って踊るとか、てのひらに食べ物を置く様子っていう説もあるんだ。漢字は、棒を打ち鳴らす様子だよ」
「そうなんだ。そういえば、こないだお母さんに靴を買ってもらったの。その時に『まあたらしい』って言ってたけど、目と関係あるの?」
「真新しい、は違うよ。まったく新しいという意味だからね。初めてとか珍しいという意味の『目新しい』という言葉もあるけど、それは『め』と読むよ」
その時、暦ちゃんが「見て見てー」と言った。
彼女は両手の人差し指で目の外側を押し上げて、釣り目になっている。
ネコ?
「ここが目尻なんだよ」
いや、いちいちボケなくてもいいから。