表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盗賊は宵闇に祈りを捧ぐ  作者: ミドリ
終章 未来
71/71

盗賊のふたりの話はこれにて完結。

 ヒルマがナナとルーシェに指示をする。


「ナナ、マージを呼んで来てくれ」

「分かった!」

「ルーシェ、一緒についていってくれるか」

「当然」


 ふたりが玄関を飛び出して行った。犬のユサもその後をついて行った。


 実はマージは産婆をしていて、前回ナナを取り上げたのもマージであった。今回の取り上げもお願いしている。


「僕も行く!」

「ルインはここにいよう、ね」


 慰めるようにルインの肩に手をおき、ヨルクが言った。


「私はお湯を沸かしてくるわ!」


 クリスティナが立ち上がる。ヒルマがユサをそっと抱き上げてくれたが、顔を見るとあの青い目がまたゆらゆらと揺らいでいる。ユサはそんなヒルマが愛しくてつい笑ってしまった。腹は張って半分しびれた様な感覚であるが、次の陣痛まではまだ間がある。2回目ともなると慣れたものだった。


「ヒルマ、大丈夫だからそう心配すんな」

「分かってる、分かってるんだけど」

「お前は肝心な時はいつもそうだな」

「ユサの肝が据わり過ぎてるんだよ」

「そうか?」


 ヒルマはユサを寝室に連れて行った。一旦ベッドの端に寝かせ、シーツとタオルを大量に敷き詰めた後その上にユサを寝かせ直した。上から薄手の毛布をかけ、ベッドに腰掛けユサの手を握った。


「俺はここに居ていいか?」

「前回ひっくり返った奴が大丈夫かよ」


 前回立ち会ったヒルマは、ナナの頭が出てきた段階でへたへたと座り込んでいたのだ。


「だって、ナナの時はユサが弱ってただろうが。なかなか生まれないしユサは弱々しくなってくし血はどばっと出るしユサは叫ぶし、俺はユサが居なくなるんじゃないかと思うと不安だったんだ。それが20時間だろ、ありゃ心労だ」

「まあぶっ倒れないならいいけど」

「倒れない。今度こそユサの隣にずっといる」

 

 ヒルマはそう言うとユサに小さく口づけた。まるで迷子になるのを怖がる子供のようだったが、気持ちは嬉しかった。


「じゃあ手を握っててくれ。俺の傍にいてくれ」

「おう」


 ヒルマの大きな温かい手がユサのおでこを撫でた。ユサはその手を上から触って堪能した。ずっとこうしていたかった。すると、また陣痛が襲ってきた。先程の陣痛から大して間が空いていない。これは大分近いだろう。


 しばらく耐えているとまた陣痛が去っていった。居間の奥から賑やかな声が聞こえてきた。マージが到着したのかもしれない。バタバタとこちらに走ってくる足音が聞こえてきた。


 マージが顔を覗かせた。大分年を取ってきて白髪も増えたが、それでも美しさは衰えない。美しい年の取り方をしているのがマージという人だった。ユサの目標でもある。凛としていて力強く、とても逞しく真っ直ぐな人だ。


「ユサ、状況は?」


 その場で髪をまとめ、頭にスカーフを巻く。お産用のエプロンを身に着けた。


「陣痛の間隔が狭い。さっき破水した」

「分かった。――ふたり目だからね、早いわよきっと」


 それは前もマージが言っていた。


「何でふたり目だと早いんだろう?」


 クリスティナがお湯を持ってきた。それを見てマージが優しく微笑む。手に持っていた大量のタオルをベッドの空いたスペースに積み上げつつユサに伝えた。


「ナナが道を切り開いてくれたからよ。ナナが貴方の身体の中に道を作ったの。次に生まれてくる子が少しでも楽に生まれてこれるように」

「ナナが、道を……」


 そんな風に考えたことはなかった。でもその考えは、素敵だ。


「見るわよ。この先は男子禁制。ヒルマは……」

「俺はここに居る」

「じゃあひっくり返らないでね」


 マージにも同じことを言われてヒルマの眉尻が下がった。ユサは可笑しくなってまた笑ってしまった。


「確認するわよ」


 マージが服の中から子宮口を確認する。


「もう大分開いてるわね。あともう少し開くまで待ちましょう。ヒルマ、飲み物持ってきてあげて。後向こうにいる男達にこっちに来るなって注意しておいて」

「分かった。――ユサ、ちょっとだけ行ってくる」

「ああ」


 少しでも離れたくないのだろう、ヒルマは駆け足で出ていった。それを見送ると、またきた。息が止まる。


 マージがユサの背中を優しくさすった。


「力を入れない。息をゆっくり吐く。まだ出しちゃ駄目だから」


 そう言われても痛いものは痛い。汗がどばっと出てきた。力が籠もると目の前が白く霞んだ様に見えた。ズル、と腹の中で移動しているのが分かった。


「降りてきてる」

「早いわね」


 マージはちょこちょこと確認してはユサの背中をさする。ヒルマがコップに水を入れて持ってきた。


「ユサ、飲むか?」

「……起き上がれない」

「任せろ」


 ヒルマはそう言うとコップの水をカパッと自分の口に入れてユサに口移しし始めた。そういう意味じゃなかったんだが、まあ、いいか。ユサは大人しく生暖かくなってしまった水を飲み込んだ。本当は冷たい方が良かったが、まあ。


「相変わらず仲いいんだから」


 先日自分の孫も取り上げたマージがくすりと笑った。ジェイは孫にメロメロになっていると聞いた。あのジェイがと思うと何だかそれも面白い。


 そんなことを考えていたら、またきた。ユサの様子を見てマージが覗き込んで確認する。ユサに頷いてみせた。


「あら、もう開いた。いいわよユサ、いっちゃいましょうか」

「はは……! いっちゃおうっていいな……!」


 襲いかかる激痛の中、ユサは楽しくなってつい笑ってしまった。


 ヒルマに会うまでは、自分に未来があるなんてこれっぽっちも思っていなかった。ヒルマに拐われても怖くて、逃げ出したくても逃げる場所もなく、ずっと孤独だと思っていた。


 人はいつか裏切る、ずっとずっとそう信じていたけど。


「ああ……! いってえええ……!」

「ほら、声出さない、力を込めて」

「マージの鬼いいい……!」


 マージの笑う声がするが、もう目が開けられない。目を閉じてるのに目の前は真っ白、歯を食いしばるギリ、という音がした。ヒルマの手を握る手に力が籠もる。ヒルマもユサの手を握り返した。ヌル、とした。これは一体どちらの汗か。ユサの汗をひたすら拭いて励ますヒルマの声がするが、それもどこか遠いところから聞こえてくるかのようだった。


「あ、頭出てきたわよ。頑張れ頑張れ」


 マージが軽く言う声だけがやけに現実的だったが、あとは全てが光の様だった。


 どれ位経っただろうか。時間の間隔が麻痺していたその時。


 ツルン、と身体の外に出る感触があった。マージが羊水を吐かせる音が聞こえた。オギャア、と小さく泣く声がした。視界が急に現実に戻った。ああ、帰ってきた。帰ってこれた。ユサの目尻から涙が溢れた。ずっと手を握ってくれているヒルマを見上げると、ヒルマの青い目からはユサ以上の涙が溢れていた。ユサが握りしめていたヒルマの手には血が滲んでいた。ユサの爪が突き刺さっていたのだ。ヌルヌルの原因はヒルマの血だった。


「ヒルマ、血……ごめん、痛かっただろ」

「何言ってる、ユサの方が全然痛いだろ」


 涙でぐしゃぐしゃの笑顔でユサのおでこに小さく口づけた。


「お疲れ様、ユサ」

「まだ終わってないわよ。胎盤出さなきゃ。――ユサ、可愛いおちんちん付いてるわよ」


 フフ、とマージの笑う声と、飛んできてタオルで赤ん坊を拭くクリスティナの動く音の中に赤ん坊の泣く声が響いた。マージがユサの身体の中から胎盤を取り出し、身体を綺麗に拭いてくれた。


 それを見届けたクリスティナは、赤ん坊に産着を着せるとユサの上にうつ伏せに寝かせてくれた。赤ん坊はユサの上に乗った瞬間にピタリと泣き止んだ。目はむくんで開いていない。気持ち程度生えている髪の毛は青黒かった。


「はは、小さいヒルマだ」


 ぎゅっと握りしめた小さな手に人差し指を当てると、思ったよりも強い力で握り返された。胸がきゅ、と締め付けられる。ああ、可愛い。


「私、皆に報告してくるわね!」


 こちらも目が少し潤んでいるクリスティナが居間へと消えていった。しばらくすると歓声が聞こえてきた。パタパタ、とナナの足音が聞こえてきた。


「母ちゃん!」


 小さいながら心配していたのか、ボロボロと泣きながらナナが入ってきた。ユサは微笑んで駆け寄ってきたナナの手を握った。


「ほらナナ、弟だぞ。今日からナナはお姉ちゃんだな」

「うわあ! 可愛い!」


 はしゃぐナナ。マージがそっと部屋から出ていった。


「お疲れ様ユサ、本当に本当に……」


 ヒルマが言葉を詰まらせた。ユサはヒルマに言った。


「なあヒルマ、俺と居てよかっただろ? あの時俺がお前の未来を盗んで正解だっただろ?」


 ヒルマは言葉もなくこくこくと頷いている。ああ、よかった。心からそう思った。ユサの目も涙で滲んで、前がよく見えない。


「俺もヒルマもずっと孤独だったけど、今こうして一緒にいる。ヒルマが俺を闇の底から引っ張り上げてくれた。ヒルマは俺に未来を見せてくれた。だから俺、思ったんだ」

「ゔん」


 ヒルマの頬を撫でる。相変わらずの無精髭。大好きな顎、首。


「俺はひとりじゃない。ヒルマもひとりじゃない。気付かなかっただけで、皆見守ってくれたり隣を歩いたり背中を押したりしてくれてたんだな。俺は生まれたばかりのこの子にも、勿論ナナにも、どんなに小さくても光は必ずあるんだって教えていきたい。ヒルマと一緒に」


 ヒルマの青い目は溶けてしまいそうだった。ヒルマの泣き顔の中に安堵が見れて、そこにはユサ達家族に対する愛情が溢れていて、この考えなしの図体ばかりでかい不器用で優しい夫に新しい家族を作ってあげることが出来て嬉しくて、ユサの涙も止まらない。


 そして気が付いた。ユサは今、ヒルマの為に泣いているじゃないか。ユサだって、人の為に泣けるじゃないか。ユサだってほら、ちゃんと成長していた。


 ユサは嬉しくて嬉しくてヒルマに微笑みかけた。


「早くイカ食べたいな」

「任せろ。――ぐしゃぐしゃでも怒るなよ」

「うん」


 ヒルマがユサの頭を撫でると口づけをした。ナナも真似してユサの頬にちゅ、とした。ユサは破顔した。


 ユサ達はこれからも泣いて笑って喧嘩しながらも一緒に台所に並んでイカを捌いていくのだ。あの時見た明るい未来は今、現実のものとなっている。今度はこの未来を子供達に伝えていこう。



 足を止めるな、諦めず光を探して自分の未来を奪い取れと。

最後までお読みいただきありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ