各々の未来
今度はこの人も。
クリスティナが歳月を殆ど感じさせない変わらず美しい姿を現すと、次いで後ろからヨルクと息子で6歳のルインが入ってきた。ひとり足りない。
「あれ? リーナは?」
9歳になるふたりの第一子のとても綺麗な女の子。少し褐色の肌にふんわりとした金色の巻きが可愛らしい何とも言えない雰囲気を持った少女だ。
ヨルクが寂しそうに言った。
「ここのところ墨国からの干渉が余りにも増えておちおちひとりで外出もままならなくなりまして、先日白磁国に避難させたところなんです」
「そうか……」
商売を広げていく中、どうしても白磁国との濃い繋がりが目立ってきてしまった時期に墨国の調査が入った事があった。その際にクリスティナの正体がばれてしまった。外見は母親の若かりし頃に瓜二つ。隠し通すのは難しく、ある日父親である墨国国王がお忍びで店に訪れた。
その時にリーナを見た墨国国王はひと目でリーナを気に入ってしまった。是非引き取りたい、手元に置きたいと騒ぐ父親をクリスティナは何とか追い返したが、その後段々とエスカレートしてきているというのが前回聞いた話だった。
「先日とうとう拐われそうになり、即座にクリスティナが判断しました。あの国はご存知の通り男子禁制ですからね。それに部外者は入り込みにくいので。今は巫女見習いとして教皇様が面倒を見ておられます」
「寂しいだろうけど……その方が安全だな」
「リーナは気が弱いですからね、本人が一番安心したようですが」
よかった、とは言えなかった。まだ幼い娘と両親が離れ離れになるのだ、お互い辛くない訳がなかった。
クリスティナが苦笑して肩をすくめた。
「お母さんが言ってた『しつこい』って意味がよく分かったわ」
「話を聞いてると相当みたいだな」
リーナがいないとナナが不貞腐れそうだったが、そこはきちんと説明すればまあ分かってくれるだろう。
そう考えた時、バタバタとナナが走ってきた。
「あ! クリスティナ! あれ? リーナは?」
後ろからニコニコとヒルマがついてきている。ナナを見るときちんと服を着ているので何とか無事に支度が出来たらしい。
「おう、久しぶりだな。座っててくれ、今飲み物を出すから」
ヒルマが軽く手を上げて挨拶をした。長年一緒に組んで仕事をしている内にヒルマもすっかり仲良くなった。ヒルマの当初の無関心さからすると大きな変化である。
「ナナ!」
ルインはナナのことが大好きだ。ナナを見た瞬間破顔して飛びついていった。ルインの肌はほぼ白に近いが顔はヨルク似だ。そして性格はクリスティナ似。つまり元気いっぱいである。
「ルイン! ねえリーナは?」
「リーナは留守! だから今回は僕とだけ遊んでね!」
「えーリーナいないのー?」
「僕がいるじゃない」
ぐいぐいくる。ナナは女の子らしいリーナに憧れているので残念そうだったが、ルインはナナを独り占め出来るので実に嬉しそうだった。
いないなら仕方ないと諦めたのだろう、ナナが言った。何故かなどをあまり深く考えない辺りは父親にそっくりだった。
「じゃあルインに秘密の道を教えてあげるね!」
「ナナ、子供だけで行っちゃ駄目だぞ」
ユサが注意をする。それを聞いてナナはぱっと笑顔になってヒルマを見た。ナナはヒルマがこれに弱いことを熟知している。小さくても女だった。
「父ちゃん、後で一緒に来てね!」
「ヒルマのおじちゃんと一緒? わーい」
ヒルマは苦笑した。
「仕方ないなあ。まだ飲み物を出してないから後でな」
「はあーい。じゃあルイン、ナナの部屋で遊んでよう!」
「うん!」
子供達はそう言うとぱっと走って家の奥へと消えて行ってしまった。ヒルマはその姿を笑顔で見送ると、台所に飲み物を取りに行った。
ユサの横に座ったクリスティナがユサのはち切れそうになっているお腹を触る。
「予定はいつだったかしら?」
「あと2週間くらいだな」
「楽しみねえ。今度はどっちに似るかしらね」
「どっちに似てもいいけど、今度はもう少し大人しいのがいいな……」
ユサは半ば本気でそう言って笑った。ただ、今回は悪阻が一切なかったのもあり、睡眠も肉も十分足りている。前回と違いヒルマがユサを見守る目には不安の色も少ない。ナナの時程ヒルマに全面的に頼りっぱなしにはならないだろうとユサは思っていた。
「ナナの出産の時は大変だったみたいだけど、ふたり目は多分大分楽よ。ルインなんてぽんって感じだったわよ、ぽん」
「だといいんだけどな。にしても、10年前はお互い2児の母になるなんて思いもしなかったなあ」
ユサはしみじみと言った。クリスティナがヒルマから飲み物を受け取り口に含む。ユサも受け取った。甲斐甲斐しい夫だ。ヒルマはいつになってもずっと優しい。
「10年なんてあっという間だったわよねえ。次の10年で今度は子供達が今度は結婚とかいい出すのよ。信じられないわあ」
「結婚はさすがに早すぎないか?」
「分からないわよ、最近の子ってませてるから。ませているって言えばうちのルインよ。もてるくせに周りの女子への扱いが冷たいのに、ナナへのあの態度ってば何よあれ。あれは絶対ナナが好きね」
うんうんと頷くクリスティナ。
「ねえユサ? いっそのことルインとナナを婚約……」
「何を仰ってるんです。駄目ですよそんなの」
「え」
その場にいる全員が声がした玄関を見た。入り口に立つのはひとりの男。目以外を上質な布で覆っていて顔は見えないが、その着ている服と横にいる大きな犬の姿ですぐに誰だか分かった。ユサの顔に笑顔が浮かぶ。
「ルーシェ!」
ヒルマがユサの後ろにぱっと駆け寄ってくると、しゃがんで大きな身体を縮こませた。隠れても無駄だというのにこいつはやはり学習能力がない。ユサは可笑しくなった。
「ワン!」
ふさふさの毛をなびかせながら、犬のユサがヒルマの背中に前足を乗せてヒルマの耳をベロン! と舐めた。
「うああああああやめろおおおっ」
ヒルマが何とも情けない声を出した。何年経っても犬は苦手なままなのに、犬のユサがこの通りとてもヒルマに懐いてしまっている為毎回こんなだ。犬は何年経っても一度嗅いだ匂いは忘れない。ヒルマと散歩をして背中に飛び乗って遊んだことを覚えているのだろう、会う度にヒルマの背中に飛びついてくる。
ユサは可笑しくなって笑い転げた。無論助ける気はない。
「ユサ、笑ってないで助け……ああ、出来ないもんなあ、おいエロガキ! ちゃんと躾しないと駄目だろうが」
巻いていた布を取ったルーシェがヒルマを軽く睨みつけた。
「未だに僕のことをエロガキなんて呼ぶのはヒルマ位だよ。失礼しちゃうな」
布から出てきたのは、リン・カブラによく似たとてつもなく美形の男の顔。だがリン・カブラよりは柔和な雰囲気を持っていた。
「それにユサはもうお婆ちゃんだからね、こうして一緒に来れるのもあと何回か」
少し寂しそうに笑うルーシェ。犬のユサをヒルマから引き剥がすと、クリスティナを見た。ヒルマは尻もちをついて肩で息をしている。
「お久しぶりです、クリスティナさん」
「久しぶり。カブラ族の首長がこんな所に来てて大丈夫なの?」
「またまた。聖女様だって、はは」
お互い全く目が笑っていない。どうも権力者は権力者を排除する傾向にあるようだった。
「お前らわざわざ喧嘩しにきた訳じゃないだろうが」
ヒルマが若干ふらつきながらも立ち上がった。ルーシェがようやく屈託のない笑みを見せた。
「そろそろ生まれるって思ったら居ても立っても居られなくなって来ちゃった」
16歳という年相応の笑顔は途端幼くユサの目に映った。あの時を思い出させる無邪気な笑顔は可愛かった。
リン・カブラが暗殺されたのは3年前のことだった。あまりにも強引で独善的なやり方に反発した他の首長によるものか、外国からの干渉かは結局分からないままだったという。
一番ショックだったのは唯一の家族だったルーシェだっただろう。丁度瑠璃国に遊びに来ていた時に父親の死去の報告が入り、急ぎ帰国していった。あんなのでもルーシェには優しい父親だったのだ。
齢13歳という若さでカブラ族の首長となったルーシェは、ゆっくりと、だが確実にこれまでの慣習を塗り替えていった。必死だったに違いない。だがルーシェはめげなかった。あの枯れた様な爺さんと犬のユサが常に傍らに控えてルーシェを支えてくれたという。その爺さんも段々と足腰が弱くなり、昨年とうとう隠居した。
今、爺さんの後釜は彼の孫が務めている。恐らく今も外で静かに辺りに目を配っている筈だ。
「にしても」
ルーシェがユサとクリスティナに厳しい視線を向けた。
「僕のいないところで勝手にナナの婚約話を進めないでよ」
「いや、別に進めちゃいないけど」
「いいじゃないの、進めちゃいましょうよユサ」
クリスティナが煽る。ヒルマが横から口を挟んだ。
「そういうのはナナが決めることだろうが。それにまだ子供だぞ、早い」
ナナを溺愛している割には冷静な台詞だった。
「ただまあルーシェの義理の父はやだなあ」
ポロッと本音が出た。
「何で嫌なんだよ。いいじゃないか」
ルーシェが不貞腐れた。ルーシェはユサにそっくりなナナを見ている内に将来をあれこれ夢想してしまったらしく、来る度にナナに「大きくなったらお兄ちゃんと結婚しようね」と言い続けている。思えば気の長い話だった。
ユサがふと周りを見ると、そういえば犬のユサがいない。「ワン!」と奥で鳴く声がした。ナナのはしゃぐ声がする。どうもナナを探しに行ったらしい。
するとパタパタと足音を立て、顔いっぱいに笑顔を浮かべナナが居間に駆け込んできた。
「ルーシェのお兄ちゃん!」
「ナナ!」
ナナはしゃがんだルーシェに飛びついた。ルーシェがナナを抱き締めると立ち上がって頬をスリスリしている。後ろからナナを追いかけてきたルインの苦虫を噛み潰した様な顔。哀れだがナナはルーシェに懐いている。今この時点ではルインに勝ち目はなさそうだった。
ユサは笑顔で皆の様子を見守った。幸せだな、心からそう思えた。
すると。
ズン、と下腹部に強烈な痛みを感じた。息が止まる。次いで股の間に染み出す生暖かい液体の感触。しばし痛みが去るのを待ち、液体が何色かを確認した。透明の様だ。よかった、血ではない。
ほ、としたが、全然よくない事に気が付いた。
「ヒルマ」
「おう、どうした?」
犬のユサと距離を置きつつヒルマがユサの顔を見、緩んでいた表情が瞬時に真剣なものへと変わった。急いでユサの元へ駆け寄ってきた。
「破水した。――生まれる」
ユサが告げた。
最終話、すぐに投稿します。




