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盗賊は宵闇に祈りを捧ぐ  作者: ミドリ
第四章 墨国
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罪滅ぼし

昔の男の罪滅ぼしとは。

 紅国(こうこく)皇子がユサのことをまだ探している、というのは翠国(すいこく)の首長のひとりであるリン・カブラも言っていた。


「他の奴にもそれは言われたな」


 アキが糸目を少しだけ開けてユサを見つめる。


「それはもしかして翠国の首長のひとりの」

「そう。リン・カブラが言ってた」


 ユサが肯定した。肩にあるヒルマの手に少し力が(こも)った。あの時ヒルマはこの話を聞いていただろうか? 確か寝起きで欠伸を噛み締めていた筈だ。


 ユサはチラリとヒルマを見ると、ヒルマと目が合う。記憶を探るような目。


「お前まさか忘れてたのか?」

「ははは」


 ははは、じゃない。駄目だこりゃ。ユサはヒルマに何かを求めるのは諦めて、自分でアキと対話することに決めた。


「お前がそれを知ってるってことは、リンの奴そっちに俺の情報を流したんだな?」


 アキが頷く。


「皇子の耳までは入れませんでしたが、私の所までは上がってきましたね。それらしき人物を見かけた程度の情報でしたが」


 まああれだけ堂々と目前で逃げられたのだ。あのプライドの高そうな男はそういう話は他人にはしまい。


「皇子は確証のない話はお嫌いですから」


 アキがあくまで真面目な顔で言う。ユサもそれは身に染みて知っている。あいつは噂話の(たぐい)が大嫌いだった。噂話を皇子に聞かせた者達がどうなったのか。ユサも何人かの末路は知っていた。


「話はそれだけか? 何を言われようが俺はもうあそこに戻る気はないからな」


 それだけははっきりと伝えておきたかった。アキがこくりと頷いた。


「ユサ、すでに結婚されていたとは思いもしませんでしたが、私はそれでも貴女に罪滅ぼしをしたいのです」

「……どういうことだ?」


 アキが身体を乗り出してきた。


「皇子の命とはいえ、貴女を騙したのは事実です。私を切りつける程心に傷を負ったのだと思うと、申し訳なさに胸が張り裂けそうです。それ程までに私の事を想っていていただけたのかと」

「ユサはもう気にしてないぞ」


 ヒルマが横から口を挟むがアキはそれを無視した。


「私はずっと後悔していました。出来たら貴女とふたり、逃げたかった。だからせめて、あの後どうなったのかの状況をお伝えしたいんです。その上で、今の私に出来ることがあれば貴女の力になりたい」


 アキがユサの手を握り締めると、ヒルマがふたりの手首を掴んで引っ張って剥がした。アキのこめかみがまたピク、と動いた。ヒルマが冷めた目でアキを見る。


「触るなよ」

「……心の狭い旦那様ですね」

「これは普通の反応だよな? なあユサ」

「は、はは」


 ヒルマが絡むと途端に雰囲気が緩くなる。いいんだか悪いんだか。笑って誤魔化してとにかく話を進めることにした。


「で、あの後どうなったんだ?」

「私が刺されてユサに逃げられたことで、皇子は大変お怒りになられました。ですがそもそもご自身の下した命令のせいなのは理解しておられましたので、私はお咎めなしでした。ユサと私の関係が深いことをご存知なかったので助かりましたね」

「おいおいおい」


 ヒルマが腕を捲くって抗議し始めたが、ユサはそれを止めた。


「ヒルマ、話の方が先だ」

「だってさ、あれわざと俺に聞かせようとしてないか?」

「いいから」


 ヒルマが膨れっ面になった。ユサが先を促す。


「で?」

「ユサが逃げ出したことを知った皇子は手下の者にユサを探させましたが、見つかりませんでした。一体どこに逃げたんですか? 皇子は腹いせからか、私が臥せっている間にユサに害を与えることがあった女達を皆処分されておりました」


 ユサは顔を(しか)めた。処分の意味はよく知っていた。殺されたのだ。あの男がよく使う手だった。


「残った者も追い出されました。その後皇帝陛下が新たに数名皇子の下に侍らせましたが(ことごと)く退けられてしまい、2年経った今も寵姫と呼ばれる方はおりません」


 嫌な予感がした。


「皇子は他に女がいたから貴女が悲しんで逃げてしまったのだと思っています」

「ちげえよ」


 思い違いにも程があった。全てはあの男の残虐性がユサに植え付けた恐怖心からの逃走だった。他の女のところに行ってくれ、ずっとそう思っていた。


 アキが納得顔で頷く。


「私は分かっていますよユサ。貴女は私のことが好きだったから裏切られてショックだったんですよね」

「ちげえよ」


 これはまあ本当は違ってはいなかったが、ヒルマが横で苛ついている今のこの状況で肯定でもしたらとんでもないことになりそうだったので否定しておいた。それに別に肯定する必要も今更ない。アキとよりを戻すつもりは皆目なかった。


「ざまあみろ」


 ヒルマが鼻で笑った。アキがまたこめかみをピクリとさせた。ユサがヒルマの膝をペチンと叩くと、ヒルマの口が尖る。


「またすぐ叩く」

「いいから黙ってろ」

「だってさあ」

「アキ。話を続けてくれ」


 アキを促した。ちっとも話が進みやしない。アキが苛々を隠しきれぬまま話を続けた。


「そうですね、続けましょう。――皇子は、貴女に与えたのに置いていかれてしまった一粒石の指輪を片時も離さず、再会したらそれを貴女の指にはめて結婚を申し込むのだと日々仰っておられます」


 そういえばそんな物をもらったこともあったが、それを未だに持っているとは何とも未練がましい。ユサは頭が痛くなってきた。


「勘弁してくれ……」

「まあそう仰るとは思っていましたが、このままだと一生追いかけられますよ」

「大迷惑だ」

「まあそうだとは思いますが」


 ヒルマがまた口を挟んできた。


「そもそも何でユサはそんなに執着されてるんだ? まあ俺もそうだけど、それにしてもちょっと異常じゃないかそいつ」


 一国の皇子が売られて侍らせた女に夢中になっている。逃げられてもまだ追いかけている。話だけ聞くとただ好かれている様に聞こえるかもしれないだろう。だが違う。ユサもアキもよく知っていた。


「皇子は、いつまでも自分になびかないユサを従えたいのです。あれを愛情と呼んでいいのか私には分かりません」

「愛情だとしたら随分と歪んだ愛情だな」

「変態なんだよ」


 マージが言っていたではないか。これは愛ではなく、支配だと。


「それでお前の話はこれでおしまいか?」


 追いかけられていると分かったのだけでも今後の身の振り方に関係してくるのでよかったとは思うが、ちっとも嬉しくない。むしろ不快だ。不快度はピークに達していた。もうこの話は終わらせて石を探して帰りたかった。


 そしてふと上を見た。感じる、ヒルマの欠けたものの光。まさか。


「まさか、あいつこの上に居るのか?」


 ユサに与えた指輪。ユサはルーシェのことを思い出した。言っていたではないか、ユサの物だと思った、と。もしあの皇子が同じことをその指輪にはまる石に感じていたとしたら。


 アキが重々しく頷いた。


「おります。そこでご提案なのですが、皇子にお会いになられませんか?」

「嫌だ」


 条件反射で否定の言葉が口をついて出た。


「私が協力致します。ですので、お会いになって皇子を振っていただけませんか」

「はあ!? 何でそんなことしないといけないんだよ」

「このままですと、紅国(こうこく)に世継ぎが出来ないのです」

「そんなの俺には関係ねえ」

「そうそう」


 ヒルマも乗っかってきた。指輪は気になる。気にはなるが、でも嫌だ、どうしても嫌だった。あれは恐怖なのだ。そんなもの、二度と対峙したくなかった。それに指輪じゃないかもしれないじゃないか。そう、きっと別の物だ。


「うまくいけば、もう追いかけられなくなりますよ。その粗野な男と安心して暮らすことも出来るようになりますよ」

「ユサ、行こう。こんな話に乗る必要はない。ちっとも罪滅ぼしなんかじゃないじゃないか」


 ヒルマがユサの手を取って立ち上がった。ユサがヒルマの青い目を見上げる。


 そうだ、こいつは欠けている。まだ欠けているものがある。全部揃ったら、ユサと並んでイカの捌き方を教えてくれると言っていたじゃないか。指輪は違うかもしれない。でももしそうだったら? そしてその可能性は高い。光は上から差している。


 一緒にイカを捌く安心な暮らし。解放されたヒルマとユサの、ヒルマが指し示してくれた底抜けに明るい未来。


 ユサの口が開く。声を出そうとするが、震えて出てこない。喉の奥が痛くなる。泣きたくはなかった。裏切りたくはなかった。


「ヒルマ……」

「ほら、行こう」


 にこ、と笑いかけてくるヒルマ。これのどこが対等だ。自分のことよりユサのことばかり優先して、馬鹿じゃないか。やっぱりヒルマは考えなしの阿呆だ。底抜けの阿呆だった。


 ユサは覚悟を決め、立ち上がった。アキを見下ろす。


「アキ、あいつを振ってやる。その代わり、あいつが持っている指輪が欲しい」


 ヒルマがはっと息を呑んだ。恐らくユサの意図を理解したのだろう。


「ユサ……」


 ユサはヒルマの手を握り返した。怖いが、でも今はこの手がある。こいつだけは信じられる。ヒルマがユサの手をきつく握り返してきた。


 勇気が、湧いてきた。


「あとついでに、そこの本棚も見たい。その両方が条件だ」

「本棚……? よく、分かりませんが……分かりました」

 

 納得がいっていないようだが、それでもアキは承諾した。

後ほど次話投稿します。

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