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6話目


 しばらくの沈黙は、グラフェンにとってそんなに気まずいものではなかった。

 荒波が去ったあとの凪が安堵させたのか、眠気が這い寄ってくる。ナノホーンの高い体温にも助けられて、うつらうつらとしてきた。

 グラフェンの首筋にまだ顔を埋めているナノホーンはぴくりとも動かない。


 怪我をしているのだから助けてやらねばならぬと思うのに、身じろぎできないほど抱き締められているのだから眠くなるのは致し方ないだろうと言い訳をしたい。

 いよいよ抗いきれずに船を漕ぎ始めては、無理矢理に瞼をこじ開ける。

 何度かそれを繰り返していたときだった。


 今度は後ろから、がっつりと頭を鷲掴みにされた。


「……まさかとは思うが、寝てんじゃねえだろうな?」


 はっ。

 瞼を押し上げる。


「……まさか」

「そうだよなぁ? こんな状況で寝る奴なんざいねえよなぁ?」

「ええ、もちろん。このとおり、おめめパッチリ」

「嘘付け!」

「ごめんなさい!」


 ナノホーンはするりと腕を解くと、何事もなかったように立ち上がってすぐ横にあったベッドに倒れ込んだ。汗が額に滲んでいるところを見るに、やはり痛むらしい。

 そのまま眠るつもりなのだろうか。

 眉をひそめて強引に寝てしまおうとしているナノホーンを見下ろし、しばし考える。

 自分達は契約結婚。互いに干渉しない、触れないがモットーのはず。しかし、これは夫婦というより人として行動を起こすべきではなかろうか。面倒だけれど。


(うーん)


 さっさと自室に戻ろうか悩んで葛藤した末、良心が勝った。


「こういうときは冷やしたほうがいいんですかね? それとも温めたほうが? 鎮痛だとやっぱり冷たいほうが……? いや、内臓が傷付いてるかもしれないし、医者を呼んで……?」

「大丈夫だ。医者は呼ばなくていい」

「でも……」


 了承も得ずに服を捲ると、やはり腹部の数カ所が赤黒く変色してしまっていた。黄色くなっている痣も散見されるから、日常的に暴力を振るわれているらしい。

 グラフェンの考えを見抜いたのか、ナノホーンは身を捩るようにして丸くなってしまった。傷を隠したい意図もあったのかもしれない。


「医者はいらねえ。あいつも馬鹿じゃねえから、手加減はしてるし、呼んでも医者は()ねえ」

「えっ、()ない?」

「この城にいるのは王室お抱えの医者だ。見るのは王家だけ。使用人は使い捨て。具合が悪くなったら即行廃棄。8番目の俺も同じだ」


 よくわからない制度だなとつくづく思う。医者に患者を選べと命令する君主がいるのだとしたら、それはもはや人の上に立つ器ではない。家族に順番を付けるのも不思議な世界だ。


「とにかく、なにか持ってきます。冷やせるものとか」

「あったかいのがいい」


 ベッドの上で猫のように丸まるナノホーンを見詰める。痛むらしい腹部をぎゅっと抱いて、吐き出すように呟いた。



「つめたいのはイヤだ」



 吐息と一緒に夜闇に溶けてしまいそうな儚い声だった。


 それは彼に用意される料理について言っているのか、周囲の態度について言っているのか、わからない。変えられない状況にうんざりして、


せめて痛みを癒やすのは温もりであって欲しいと望むのか。


 グラフェンは「わかりました」とだけ告げて、熱い湯を取りに厨房に向かった。



◇◆◇◆◇◆



 深夜だというのに厨房には人がいた。

 朝食の仕込みをするためなのか、若いシェフが真剣な眼差しで食材を飾り切りしている。金髪を短く刈り上げたシェフは、突然の闖入者に目を見開いていたけれど、グラフェンをナノホーンの妻とは認識しているらしく、挨拶しようか無視をしようか、一瞬だけ躊躇いがあったのをグラフェンは見抜いた。


 つまりナノホーン夫妻を冷遇しろという、お達しがあるのだろう。


 そうでなければ挨拶をすべきか迷うことはない。礼儀を重んじるなら挨拶すればいいし、嫌いなら無視すればいい。迷うのは挨拶したいけど、駄目だと言われているからだ。

 ただ勝手に行動しようにも、シェフでもないグラフェンが厨房を引っ掻き回すのはマナーに反するので、見向きもしない若いシェフに事情だけ説明した。


「熱いお湯がいるんです。お忙しいと思いますので、勝手に沸かして持って行きます。どれか、使っても問題ないお鍋はありますか? 安価で、今日の料理ではあまり使わないもの」


 シェフは黙々と作業を続けている。

 新人なのだろうか、シェフコートにソースが飛び散って汚れている。偉くなればなるほど、シェフコートは汚れを気にして純白を守る。それが一流の証拠なのだと、どこかで聞いた気がした。汚れは三流。


 無視をされてしまった。


 どうしようかと、しばらく悩んでいると、新人シェフが眉を歪めた。無視をすることに我慢できなくなったというような顔で、無言で、親指で鍋のある棚を差した。


「一番下」


 ぶっきらぼうな物言いは、せめてもの抵抗だったようだ。


 グラフェンがごそごそと棚を漁って、一番汚れている鍋を取り出して見せると、ちらりと視線を寄越して僅かに顎を引いた。

 水を半分ほど入れて、火に掛ける。


 沸騰するまでの間、ぼうっとしていた。


 新人シェフの食材を切るシャリシャリとした音と、火花が散るパチパチという音が、どこか焚き火に似ていて心が落ち着く。


 確かにグラフェンも、温かいほうが好きだった。

 料理も、何もかも。


「……あのクリーム、食べたいなあ」


 パーティーのときに食べた、クッキーの上に乗ったオレンジ色のクリーム。魚介の味のする滑らかなクリームはグラフェンを感動させるくらい美味しかった。おかわりできなかったのが悔やまれる。早業を駆使すれば、もう一度くらいは食べられたかもしれない。


「……ビスケットに乗ってるやつ?」


 シェフが応えてくれた。

 まさか独り言に乗ってくれるとは思わなかったので驚いてしまう。けれど、ここは三女の経験値。素直になれない四女には敢えて理由を聞いてはならない。流れで会話を続けるべし。そうでなければ、照れてまた臍を曲げてしまう。


「そうです。ピンクとオレンジ色の中間みたいなクリーム。パーティーのときに出てたやつです。端のほうに置かれてたやつ」


 言うと、シェフは満足げに頷いて、言おうか迷ったふうの表情をした。


「あの前菜は……俺が作った」

「え! 凄いですね。本当に美味しかったですよ、あれ。ふわあって香りが広がって、滑らかで。並んでた料理の中であれが一番美味しかったです」

「……並んでた料理、全部食ったのか?」

「おっと、お湯ができたようだ」


 危ない、危ない。

 乙女らしからぬ悪の所業が知られてしまうところだった。タイミングよく沸いてくれたお湯に感謝しつつ、服の袖を引っ張って鍋つかみ代わりにする。


「それじゃ、お邪魔しましたー!」


 足で厨房の戸を開ける。これも乙女らしからぬとは思いつつも、両手が塞がっているから問題ない。……はず。



◇◆◇◆◇◆



 部屋に戻ると、まだナノホーンは猫のままだった。

 湯で温めたタオルを適度に冷まして、ナノホーンの肩を叩く。


「はい、お腹見せてください」


 渋々といった(てい)で、ほんの少しだけ足を伸ばした。すかさず服を捲り上げて、温かいタオルを乗せる。その上から擦ってやると、緊張が解けたみたいな重くて長い吐息が漏れた。


「楽になりました?」

「……いや、このタオルのおかげではねえな」


(なんなのこの人、素直じゃないな!)


 それでも懇切丁寧に腹を擦り続けてやると、ぽつりぽつりと言い訳を始めた。


「多分、1番のカルビンの機嫌が悪かったんだ。そうしたらカルビンは他の奴らに当たるから、4番が不機嫌になって、その八つ当たりが8番の俺に回ってくる。俺の下は誰もいねえから、俺が最後だ」

「へー」


 心底、無意味な順番である。

 生まれた後先でこうも待遇を決められてしまっては当人達もやるせないだろう。


「興味なさそうだな」

「まあ、そうですね」

「最近は落ち着いてたんだけどな、夜這い」

「まあ、ある意味では夜這いですね。隣に私がいるんですから、大きい声で呼んでくれれば聞こえますのに」

「なんで呼ぶんだよ」


 それを聞いてグラフェンは、ああ、この人は助けてもらうという発想がないのだなと悟った。

 誰も助けてくれずに、見向きもしてくれない。手を差し伸べてくれない。だからとっくの昔に助けて欲しいと言うのを忘れてしまった。忘れるよりも前に、覚えもしなかったのだろう。

 可哀想な人だ。

 強がって生きて、強くなったのに、立ち向かってはいけないなんて。


 グラフェンは思い付いたように言った。


「では、私の部屋で寝たらどうです?」

「……」

「いや無視かい」

「あんた、なに言ってんだ?」

「だって、さすがに私の部屋にまで殴りに来ないでしょう」

「そういう問題じゃなくて。男と同じ部屋って意味わかってんのか?」

「え。まさか、女嫌いなのに女を襲ったりするんですか?」

「……しねえけど……」

「なら、いいのでは? 私も静かな安眠が欲しいですし、物音がするたびにまた殴られてるかもしれないとヤキモキするより安心です。さ、そうと決まったら寝ましょう! 寝るの大好き! 3度の飯と睡眠大事! 眠い! とにかく眠い!」

「……わかった、わかった」


 そうしてグラフェンはナノホーンを半ば引きずるようにして隣の自室へと戻った。ひとつのベッドに背中合わせで眠るのは、幼少期の頃、四女として以来だった。


 温かかった。

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