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5話目


 グラフェンは暇で暇で仕方がなかった。

 無駄に部屋の片付けをしてみたり、お風呂に入ってみたりと、考えうる暇潰しをしてみたけれどもやっぱり暇で、夕食の時間になったときには幼子のように飛び跳ねた。


(やった! 目的があると嬉しい!)


 それほどに、暇なのは苦痛だった。


 後ろ手に組みながら案内についていく。

 ダイニングは3つあるらしいと聞いている。ひとつは使用人が利用するところ、ひとつは王家が使うところ、残る最後はなんのためにあるのだと疑問に思っていたが、侍女に案内されたダイニングを見て察した。


 どうやらナノホーンは、王家のダイニングも使えないらしい。


 使用人達が使うにしては豪華だが、王家が使うにはあまりにも貧相すぎる。王家だけれど、筆頭ではない家族が使うダイニングがここなのだ。


 既にテーブルに並べられた料理はひとり分だけ。

 だからグラフェンは他の誰かを待つこともなく席につき、誰とも言葉を交わさずひとりで食べていく。


 美味しい。


 美味しいのだが、冷めきっていた。

 ちらりと侍女を見ると、目も合わせずにそそくさと消えてしまう。


 これは、故意の嫌がらせなのだろうか。それとも冷製料理なのか?


 いつもは母と作る熱々の料理を大皿に盛って家族で取り合うものだから、こういった洒落た料理がわからない。けれど、すべてが冷たい料理を出すはずもないから、やはり嫌がらせなのだろう。


 グラフェンは初めてナノホーンに同情した。

 この環境で、さらに結婚だのなんだのと責め立てられたら「結婚したって、なにも変わらないんだから関係ねえだろ」と投げやりになってしまうのは自然な流れだ。


 お腹が痛くなるほどの冷たい食事を済ませる。

 廊下に出ると、俯いた侍女がいた。

 さすがにグラフェンをひとり残して去ってしまうことはしなかったらしい。


「ごちそうさまでした」


 声を掛けても、見向きもされなかった。


(一応、結婚したことは知ってるんだよね?)


 そうでなければ赤の他人を部屋まで呼ぶ親切な心はないだろう。ということは、ナノホーンの結婚相手という認識はあるにはあるのだろう。しかし、それなりの対応を取らせてもらうというメッセージがありありと見て取れた。


「とても美味しかったです。ありがとう」


 やはり、顔をぴくりとも動かしてくれない。

 これ以上はしつこいかと諦めて部屋に戻る。

 洗面やら着替えやらを済まして、早々とベッドに潜り込んだ。



◇◆◇◆◇◆



 目が覚めてしまったのは、どうしてなのか。

 こんな早い時間に眠れるものかと懸念したものの、案外にも疲れていたのか、グラフェンはいつの間にかすやすやと眠っていた。


 しかし、唐突に目が覚めた。


 おぼろげな視界を左右に動かす。

 眠る前となんら変わらない大きすぎるひとりの部屋。

 不慣れなこの場所に、急変した環境に、気が立っているのだろうかと思案するも、あいにく自分としてはあまり気にしていないように感じられる。欠伸をして、もう一度目を閉じようとして、頭上の壁が揺れた。


 どんっ、という大きな物音。


 隣の部屋から壁を殴られたのだ。

 隣はナノホーンの部屋だ。なにをしているんだか、と再び眠気に身を任せようとする。


 どん、どんどんっ!


 二度、三度と鳴る壁にグラフェンは苛立った。

 グラフェンにとって最も許せない行為のひとつが、睡眠を邪魔されることだ。特にこれまでは仕事が早くからあるため、しっかりとした睡眠が欠かせなかった。寝るの大好き。睡眠最強。邪魔する者は誰であろうと許さない。


 睡眠は体調を整えるための基本の基本。


(あいつ、さすがに干渉しない約束だからって眠らせないのは違うでしょうよ)


 怒りに任せて、寝間着のまま自室を飛び出た。廊下を走って、ノックもせずにナノホーンの部屋に飛び込む。


 間取りはグラフェンの部屋と鏡合わせにした配置だった。ちょうど寝室と寝室とが隣り合わせになる部屋配置になっているので、迷わずに寝室の戸を開ける。


「ちょっと! いくらなんでも、うるさすぎ──」


 だが、目の前に広がるのは想像とあまりにも違う光景だった。


 壁が殴られていたのではない。


 ナノホーンが壁に叩き付けられていた。



「……はっ……?」



 見知らぬ男はナノホーンを壁に押さえ付けて、執拗に腹を何度も何度も殴っている。

 グラフェンが入ってきたのにも気付かず、一心不乱に拳を振り上げている。


 男が足を引いた。

 助走をつけているのだ。

 ナノホーンはぐったりとしていて、ぬいぐるみみたいに動かない。


 殺される──!


「ちょ、ちょっと!!」


 グラフェンは振り下ろされようとしていた男の腕に抱き付いた。

 ぎょっとして振り返ってくる男はカルビンによく似ている。神経質そうな眼鏡に、塗り固められた髪がつやつやと輝いていて、香料がきつい。

 男はグラフェンに気が付くと、汚物に触れてしまったみたいに腕を引いた。


 その隙にナノホーンと男の間に割り込む。


 ナノホーンはずるずるとその場に座り込んで、項垂れていた。膝を付いて顔を見る。


 顔は無傷だ。


(この男、わざとお腹を……!)


 膝を付いたまま、ナノホーンを背にして男と向き合った。男の目がゴミをそうするみたいにグラフェンに向けられる。


「誰だ、貴様は」

「ナノホーンの妻です」


 言うと、男は大仰に鼻を鳴らした。ひんむいた目がぎらついている。


「妻!? "これ"の!? 8番に嫁ごうなんて、気が触れたとしか思えないな。どけ、まだ終わっていない」

「な、なにが終わってないんですか。ナノホーンがなにをしたんですか」

「なにも? 俺は4番だぞ。8番をどうしようが俺の勝手じゃないか」


 ナノホーンが、まるで自分のおもちゃみたいな言い方をする。グラフェンはふつふつと沸く怒りを抑え付けるのに必死だった。


 とん、と肩にナノホーンの頭が乗る。


 それほどに、彼は意識を保てないのだ。

 深呼吸をして、努めて冷静に願った。


「……彼は私の夫です。どうか、お辞めください」

「駄目だ。最後の一発が終わってない」

「お辞めください」

「なら、貴様が代わりに受けてもいいんだぞ?」

「そうしましょう」


 男の挑発をグラフェンは受け入れた。


 こんな状態のナノホーンが食らうよりかは、無傷の自分が受けるほうがまだいいと判断した結果だった。

 あの母に育てられたのだ。お転婆な4姉妹の三女として殴られたことなど一度や二度じゃない。


 耐えてみせる。


 グラフェンは絶対に男から目を離さなかった。

 ゴミのように扱われるなら、せめて自分の眼差しだけでも記憶に焼き付けてやりたかった。


 怯んだのは男のほうだった。


 その目の力にグラフェンの本気を見たのだ。


「えっ……えっ? な、殴られてもいいのか? お、女のくせに? 俺は、お、男だぞ」

「構いません」

「本気だぞ!」

「どうぞ」


 しばらく交差していた視線に、くしゃりと顔を不愉快そうに歪めたのは男だった。

 女に真っ向から挑まれたのが初めてで、屈辱に感じたのかもしれない。あとに引けなくなって、どうしようか迷っているふうにも見えるが、答えは決まっているようだ。こめかみに冷や汗が見えるが、強がって鼻を鳴らしている。


「ふんっ。いいだろう。脅しだとでも思ったか? 死んでも知らないからな!」


 男は腕ではなく、脚を振り上げた。その勢いは、虫けらを踏み潰すよりも遥かに速かった。床を踏み抜きそうな力強さだ。


 狙いは、やや上だった。

 腹というよりも胸だ。

 グラフェンはとっさに胸の前で腕を交差した。

 受け止めるとは言ったが、受け身を取らないと言った覚えはない。


 ぎしっ、と奥歯が軋む。

 それは衝撃に耐えんとする無意識の体の強張りだった。


 ──睨むのよ


 誰の言葉だったか。


 ──睨むの


 言葉が頭の中で反響する。

 守らなくてはならない誓いのように、鎖のように、グラフェンは男を睨み続けた。


 だから、抱き締められたことに気付くのが遅れた。


 背後でほとんど気絶していたはずのナノホーンの両腕が、グラフェンをそっと包み込んで抱き寄せる。そして男の足を片手で掴んで、グラフェンの寸前で蹴りを阻止してしまった。


 片足立ちになった男は、ぐっと悔しそうに顔を歪める。引いても押しても、ナノホーンに掴まれた足はびくともしない。


 ナノホーンは、尚も抱きすくめる力を強めた。


 自分の首に埋まるナノホーンの顔が熱い。いや、吐息が熱いのだろうか。


 顔を横に向けて、名を呼ぼうとすると、ナノホーンが僅かに顔を上げた。


 真っ直ぐと自分の兄を威嚇する。


 押し戻すようにして男の足を解放してやると、男はバランスを崩して尻餅をついた。情けない音がしたあとで、束の間の静寂。


 男は状況を理解すると、途端に赤面して逃げるように部屋を出て行った。


 それでもナノホーンは放してくれない。

 無言であるし、なんの反応もないし、がちがちに拘束されたグラフェンはほとほと困ってしまった。


(……死後硬直……?)


 そんなことを思っていると、ナノホーンが囁いた。


「……やめろよ、こういうの」


 生きていた。

 けれど、掠れた声は彼のダメージの深さを物語っている。昼間のような強さはなくて、今あるのは弱々しい末っ子のナノホーンだ。


「ナノホーンさん、怪我は──」

「名前呼ぶの、やめろ」


(この状況で上下関係ですか!)


 舌打ちしてやろうかと思っていると、ナノホーンは予想だにしない本音を呟いた。


「この国で俺の名前を呼ぶ奴は、いないんだよ」

「……え、なんで? ナノホーンって偽名なんですか?」


 言うと、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。ナノホーンの髪と吐息が首筋を撫でてくすぐったい。


「あんた、頭悪いだろ?」

「はい? これでも平均並ですが! 失礼な!」

「だから、8番は名前も呼ばれねえってことだよ」

「ナノホーンなのに?」

「そう」


 意味がわからないな。

 ふうん、と考えてから、呟く。


「ナノホーン」


 それは、彼を呼んだのではない。

 名前であるのに役目を果たさない名前に、役目を思い出させるように呟いてみただけで、そこに他意はなかった。

 そこには、なんの感情も籠もっていなかった。

 けれど、グラフェンの代わりに力を与えるように、ナノホーンがグラフェンを抱く力が強くなったのをグラフェンは感じた。

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