24話目
私は、なにをしているのだろう。
連れられていくセレンをなにもできずに見送って、広場まで駆け付けて、聴衆の前に立って、絞首台に立つセレンを見て、紐をかけられるまで待って。
私は、一体なにを?
「ちょっと、待ってください……」
声はあまりにも小さすぎて、誰にも届かなかった。
ここは死刑台がある広場だった。死刑台を中心に輪のように広がる空間があって、そこに聴衆が集まる。その様子を王家は専用の高砂から見物できるのだが、ナノホーンとグラフェンは同席を断られた。
そもそも、見物なんてするつもりはない。
「グラフェン!」
自分を呼ぶ声は聴衆の中から矢のように飛んできた。振り返れば、そこには家族がいる。母のダイヤと、気の弱い父と、3人の姉妹達。
皆、一様にグラフェンを見つめている。
その目に安堵があった。
王家で処刑が行われると耳にして、もしかしたらグラフェンかもしれないと心配して駆け付けてくれたのだろう。けれど聴衆の側にいるグラフェンを発見して安心している。
でも、違う。
心配されるべきは私じゃない。
「母さん」
あなたはなんて言うだろうか。
私を助けてくれた人が殺されそうになっているというのに、外から傍観していると知ったら、あなたはなんて言うだろうか。
殴るだろうか。
叩くだろうか。
叱責するだろうか。
その腕っぷしで、女らしからぬ強さで私を諭すだろうか。
母のダイヤは大勢の人に揉みくちゃにされながら、でもグラフェンから目を離さなかった。その瞳の強さが、グラフェンを奮い立たせた。
「待って」
喉が張り付いて、声がうまく出ない。言わなければ、今、言わなければ。
グラフェンは拳に力を込めて、渾身の願いを張り上げた。
「待ってください!」
再び投げ掛けた正義は、執行人の手を止めた。
セレンは、もはや諦念に達した顔をしている。首の縄をまるでネックレスみたいに掛けさせたのは、生きることに執着がなかったからだ。
そんなの駄目だ。
こんなの、おかしい。
グラフェンは踏み出した。腕を取るナノホーンの制止を振り切って、その他の数多の制止も振り切って、13段の処刑台に続く階段を登った。
聴衆がどよめいた。
庶民出身のヒロインを崇めている者も聴衆の中にいるのか、悲鳴さえ聞こえる。なにをするのだ、降りてください、危険です、そんな声が届いてくる。
グラフェンはセレンに抱きつくようにして絞首紐を外した。
ナノホーンも遅れてやってくるが、どうしてやろうか迷っているふうだった。
「なにを!?」
セレンが青褪めた顔で問う。これは王の決定に対する不敬や反逆と見なされてもおかしくない行い。グラフェンまで罪人になるのを、セレンは恐れているらしい。
そんなの、おかしい。
ここには、罰せられなきゃいけない人なんて誰もいない。
それなのに罰すると言うのなら──!
グラフェンは聴衆達に向けて言った。
「セレンは私を守ってくれただけです! 襲われた私を、守ってくれただけ!」
民衆の視線を一様に受け止める。
グラフェンはさらに訴えた
「……いえ、私が助けてと言ったんです! だから、彼が処罰されるというのなら、助けてと言った私も処罰されるべきです!」
「グラフェン様!?」
「わーお。俺の奥さん、やべぇこと言ったぞ」
ナノホーンは面白そうに、くつくつと喉を鳴らしながら笑ったが、聴衆に見せてはならないと気が付いたのか口元を手で隠した。
その顔は死を恐れていない。
「セレンを死刑にするというのなら、私も死刑にしてください! 私は、庶民です! 地位よりも……そんな王位継承順の数字よりも、だから、その、ちゃんと、ちゃんと……!」
どう言えば伝わるのだろうか。
この世界の腐った常識ではなく、自分の道理を貫きたいと、正義を貫きたいと、信念を貫きたいと、なんて言えば?
わからずに言葉に詰まると、国民の目からグラフェンを隠すように、目の前にナノホーンの背中が現れた。
そして、堂々と聴衆に向けて演説する。
「第8王子のナノホーンだ」
風が吹いた。
太陽の光が雲間から射し込み、ナノホーンを照らし出す。ナノホーンの服が風に煽られて膨らみ、髪を浮かせる。
その顔は笑っていた。
「ここにいるグラフェンは、最愛の妻である。だから、俺が妻を守れと執事のセレンに命じた」
今度は民衆は沈黙していた。
先までの興奮が抑え込まれ、固唾をのんでナノホーンの言葉に聞き入っている。
皆が皆、ナノホーンを注視している。
まるで、王がお言葉をくれるみたいな、異様な静けさだった。
それは民衆からの謀反に近かったのかもしれない。
貴族だとか順番だとか階級だとか、そんなものはうんざりだ。金のあるところにばかり金が集まって、貧しい家はずっと貧しく、子どもを望むのに育てられない環境だったりする。
そんな世界が嫌になって、今まで見向きもされなかったナノホーンに注目したのかもしれなかった。
彼なら、この世界を変えられるかもしれない。
そう思わせるほどに、ナノホーンの背は力強かった。
「俺の不在時には、俺に代わって妻を守り抜けと、俺が命令した! だから、その命令を遂行して処刑されるのなら、そして妻も処刑するというのなら、俺も喜んでこの命をくれてやる! それに──
妻のいない世界なんて、もう生きていけない」
言い終えると、民衆達からの割れんばかりの歓声で地面が揺れた。
まごうことなき、判決への非難だった。
まごうことなき、国政への反逆だった。
びりびりとした肌に直接伝わる迫力は、これこそが王家であるという証拠でもあるようだった。
それでいてグラフェンに振り返ってくるナノホーンは、これ以上ないくらいに優しく微笑んでいる。
死を恐れていない、穏やかな表情だった。
「さて、どうやって死んでやろうか」
だが、ナノホーンのその問いは、意味をなさなかった。
民衆達が死刑反対の声を挙げ始めたからだ。
「グラフェン様を殺すな!」
「妻を守ってなにが悪い!」
「雇い主を守るのが執事の仕事じゃないのかー!」
「仕事して処罰されるなんて、おかしいじゃないのよ!」
挙声は止まらなかった。
「おい! 静かにしろ!」
「全員拘束するぞ!」
衛兵達が粛清に励むが、声は衰えを知らない。むしろ熱を帯びてさらに大きくなった。
「ふざけんじゃないわよ! 女性が助けてって言うなんて、なにが起きたっていうの!? ちゃんと事実確認をしたの!?」
「その執事のどこが悪人だっていうんだ!」
「貴族以外は死刑だっつうのか!」
「庶民だって同じ人間だぞ!」
収拾のつかなくなった声は、とうとう王を動かした。
取りやめられた処刑は、さらに民衆を沸かせた。
声を上げれば政治は変わる。
国民が、それを知った日となった。
「グラフェン様ー! どうかお幸せにー!」
「グラフェン様! ナノホーン様! どうか我々庶民にも平和を!」
「どうか!」
「どうか!」
グラフェン達は民衆に押される形で城へと戻った。
◇◆◇◆◇◆
セレンは敗北を味わっていた。
グラフェンを守って死ぬのなら本望であると、心から死刑を受け入れていた。王子に怪我をさせたのは紛れもない事実であるし、むしろ拷問に掛けられなかっただけ幸せとさえ思っていた。
それでよかった。
これ以上、グラフェンが自分ではない男と過ごすのを見なくて済むし、常にグラフェンを考えてしまう狂おしいほどの愛を終えられるなら、そのほうが楽だとさえ感じた。
なのに、ナノホーンは自分を守ろうと、いやグラフェンの望みを叶えようと簡単にその地位を捨て、逃げようとまで言った。自分がいないほうが絶対にグラフェンとの夫婦関係は平穏無事に過ごせるはずなのに、死刑なら私もと、自分を庇ったグラフェンのために、さらに自ら処刑までされようとした。
セレンは左手の痣を撫でる。
出会った順番なんて、関係がなかった。
例え自分がグラフェンを生涯愛する男だとしても、ナノホーンには敵わなかった。
奇しくも、グラフェンを守った今回の出来事はそれを痛感させられた。
「いやー、なかなか楽しかったな」
「なにを言ってるんですか、ナノホーンさん! 不謹慎というか、なにもナノホーンさんまで!」
「結果的に死んでねえじゃんかよ」
「それとこれは話が別です! 本当に3人共に死んでたらどうするんですか!」
「いいんじゃね? ひとり残っても、つまんねえよ」
それは本音のようだった。
ナノホーンは心底、孤独はつまらないと知っている。しかも、満たせるのはグラフェンだけであると信じているようだ。
グラフェンはまだナノホーンを責めたが、その表情には、もはや7番王子に襲われたときの疑心に満ちたものではなかった。
(わたくしでは、力不足ということですか)
それもそうだ。
生涯愛するからといって、愛し合えるとは限らない。
なにより、生涯愛する男が世界でひとりとも限らない。
自分はグラフェンだけでなく、二人を支えていこう。
礼を言わねばと顔を上げたところで、ぎくりとした。
あれは、なんだ。
ここはグラフェンの自室だった。
大きな窓がいくつも壁に嵌め込まれていて太陽光が燦々と降り注ぐ部屋。昼間とあってカーテンも引かれていない窓からは美しい空が見えていた。
そのひとつに、黒い影があった。
ぐんぐんと近付いてくる。
その影が人だとわかると、セレンは仰天した。見覚えがあったのだ。
(あの男は……!)
思うのと同時に窓ガラスが割れた。
影が飛び込んできたのだ。
ごろんと床に転がって衝撃を吸収した男は、両目をバンダナで隠しているくせに迷わずにグラフェンを背中から羽交い締めにした。
グラフェンはまだなにが起きたのかをわかっていない。
なぜ、動けないのだろう?
なにをされているのだろう?
そんな顔だった。
一方で、男がグラフェンを捉えている状況を一足先に理解したナノホーンとセレンが、グラフェンに駆け寄ろうとする。
男が囁く。
「僕を探しているのは、君かい?」
金髪にシルクハット、そしてステッキを持った男は、妖しく笑いながらグラフェンの耳元に問い掛けた。
グラフェンは眉根を寄せている。まだ姿が見えないらしい。
その男だ。
その男が、自分に愛を与えたのだ。
言いたいのに、突進してやりたいのに、言葉も体も重くてうまく動かない。思考に対して、あまりに鈍重な体を殴り付けてやりたいくらいだった。
「少し、事情を聞かせてもらうよ」
その言葉を残して、影はグラフェン諸共、煙のごとく消えてしまった。
遅すぎたセレンとナノホーンの体は空振りして、なにもない空間で交差する。
振り返っても、グラフェンはいなかった。ハンカチひとつ残さなかった。
「なんだ、あいつ……なんなんだ!」
ナノホーンが取り乱している。
だが、やらなくてはならないことを忘れるほど愚かな男ではなかった。ナノホーンはすぐさま人を呼びつけた。
第8王子ナノホーンの妻が拐われた。
それは、王位継承順を鑑みると、驚異的な反響を各国で呼んだ。




