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23/27

23話目


 グラフェンになにがあったのかをセレンから聞いたとき、ナノホーンは、血の繋がった実の兄であるとしても第7王子を殺してやりたいと思った。


 凶行を辛うじて制されたナノホーンは、だが怒りを抑えられずに暴れた。

 部屋のカーテンを引きちぎり、テーブルを倒し、なにもかもをなぎ倒す。


 珍しいことではなかった。


 1から7までの王子のストレス発散を身に受け止め、痣だらけになるのが茶飯事なのに比べて、最後の8番である自分は捌け口がない。だから不定期でナノホーンの溜まりに溜まった鬱憤が、爆発する。そのたびに自室を荒らすものだから、ナノホーンの部屋にはこれまでなにも、大切なものも高価なものも置かれてこなかった。


 たったひとつの大切なものを、ようやく手に入れたのに。 


 そのグラフェンは部屋に閉じこもってしまった。


 しばらく眠りたいのだと言っているが、ショックが大きすぎて普通でいられないのだろうとわかる。

 ナノホーンはなんとかしてやりたいのだが、ノックをしても、声を掛けても返事をしてくれないから、どうすればいいのかわからない。部屋に強引に入ることはできるが、それをしてしまえば、もっとグラフェンを怯えさせてしまいそうだった。


 殺す

 殺さねえと気が済まない


 血の繋がりなどどうでもいい。

 これまで兄達にはなんでも譲ってきた。おもちゃだろうが、家具だろうが、服だろうが、とにかく、なんでも。


 けれどグラフェンだけは我慢ならない。


 グラフェンだけは傷付けられたくない。


 傷付けられたぶんだけ、傷付けてやりたい。いや、それ以上に。


 グラフェンが籠城している寝室のドアの前で右往左往していると、セレンがやってきた。


「グラフェン様はいかがでしょうか」

「駄目だ、なにも返事がねえ」

「そうですか……お食事もずっとされていませんし、せめてミルクだけでも飲んでいただければと思っていたのですが……。わたくしがいながら、誠に申し訳ありませんでした」


 セレンは頭を下げたが、ナノホーンは怒る気にはなれなかった。責められるべきは愚兄以外のなにものでもない。

 それ以上に、自分自身だ。

 あの7番が、いや、あの女共がすぐに諦めるわけがなかった。いつだってしつこくて、粘着質なあのゴミ達が。


「謝る必要はねえ。俺が守ってやらなくちゃならなかった」


 公務が増えることで、こんな不安が生じるとは思わなかった。これからはひとりの公務にも付いてきてもらったほうがいいのだろうか。それともセレンを信頼するか。


 いや、自分が守ってやりたい。だが限界がある。


 ナノホーンは出口の見えない悩みに頭が割れそうだった。


 話題を変えよう。


「ていうか、お前は平気なのか? 仮にも王子をサーベルでぶん殴ったのに、お咎めなしなのかよ」

「まさか。もちろん、処罰は甘んじて受けます」


 そうだろうな。あの兄貴のやりそうなことだ。どうせ執事に暴行されたとかなんとか言って、1番夫人がそれに加勢するようなことを言って、あれよ、あれよと処分が決まる。いつもの光景だ。


「鞭打ちか? それとも給与減額? あるいは職種の変更とかか?」

「死刑だそうです」

「あー、死刑か。……はあッ!?!?」


 それでもセレンは顔色ひとつ変えなかった。


「王子殺害未遂のため、即日死刑となります。まもなくわたくしは連行され、外の広場で執行される予定です。その前にグラフェン様にはお食事をと思ったのですが……。


 懇意にしているとお聞きしたシェフのデルタフェにはいつでも食事を採れるようにと指示をしてあります。グラフェン様の体に合ったドレスや普段着も数着、運び込まれる手筈を整えてございますし、靴も数足ご用意しました。香り付きリネンの手配もしましたし、深く眠れるかと思います。


 また、護身術の講師も雇用まで手続きが進んでおります。週に3度の受講予定ですので、グラフェン様にお伝えください。それから──」


 つらつらと事務報告をするセレンに薄ら寒くなる。まさかこれから殺されようとは、俄には信じられない冷静さだ。


「待て待て待て。お前、なんなんだ? これから死ぬんだろ?」

「そうです」

「本当に死刑なのか?」

「そうです」

「なにやってんだよ! もっとやることがあんだろ! 誰かに手紙を書くとか! 情状酌量を求めるとか!」

「なにもございません」

「なにも、って──」

「わたくしが考えているのは、グラフェン様がこれからどのようにお過ごしになられるか。苦痛を感じずに、いかに平和で快適にお暮らしになっていけるか。


 どうすれば、幸せになっていただけるか。


 そのために、なにができるか、それだけでございます」


 セレンの目に、嘘はなかった。澄んだ瞳は、ドアの向こうのグラフェンを見ていた。


 だからこそ、怖くなった。セレンの心の重さが圧倒的すぎる。


「……なんで、そこまで……」

「わたくしの愛はすべてグラフェン様のものでございます。死ぬ1秒前であっても、わたくしはグラフェン様を想います。


 今夜の夕食はお気に召すだろうか。

 美味しいと、笑ってくださるだろうか。

 今日のドレスはお気に召すだろうか。

 可愛らしいと、笑ってくださるだろうか。

 今夜はよく眠れるだろうか。

 朝、太陽の美しさに目を輝かせてくださるだろうか。


 わたくしは、それだけです」


 なんてやつだ──


 絶句していると、ドアがかちゃりと遠慮がちに開いた。


 グラフェンだった。

 真っ白な顔でセレンを見つめている。


「死刑と、聞こえましたが……」

「左様にございます」

「誰が……?」

「わたくしにございます」


 グラフェンの表情が崩れた。白目に浮いた大きな瞳が、左右にがくがくと揺れている。


「どうすれば、助けられますか」


 その問いはナノホーンに向けてなのか、セレンに向けてなのか、独り言なのか、わからないほどに宙ぶらりんだった。


「どうすることも叶いません。これは国王陛下のご命令ですから。それよりも、グラフェン様、なにか召し上がられませんか。顔色が優れないようです」


 セレンはグラフェンに近付いて、その頬を撫でた。グラフェンはその手を取って、もどかしそうに言った。


「今はそんなことを話している場合ではありません! だって、セレンさんは私を助けてくださっただけなのに!」

「それでも、王子を殴ったことには変わりありません」

「王子だからって……!!」


 王子、王子、王子、王子!

 この世界が大切にするのは王子ばっかり!!


 グラフェンの怒りは悲痛なものだった。まだ心が不安定なままのようだ。


(確かになぁ……)


 王子という肩書きだけが大切にされて、人そのものは蔑ろにされている。王子にも順番があって、まるで早く産まれたら勝ちみたいだ。


 なんの思い入れもない。


 この城には、ここにいたいと思う理由がひとつもなかった。

 母に愛された記憶も、父に期待された記憶も、兄と遊んだ思い出のひとつもなかった。


 だから、思い付いた。


「逃げるか」


 呟くように言うと、目を丸くしたのはセレンとグラフェンの両方だった。


「なにを、仰って……?」

「できますか、それが」


 二人の反応は驚きという点では同じだが、考えていることは正反対のようだ。セレンはナノホーンの正気を疑い、グラフェンは手段が可能かを訊ねている。


「できるんじゃねえか? ありったけの金を持って逃げてやろうぜ。どっか遠い国で、俺達のことなんて誰も知らねえ国で新しく家を買って、そこでひっそり暮らすんだ。3人全員で働けばなんとかなるだろ」


 我ながら楽観的だとは思っていたが、案の定、グラフェンが問うてくる。


「いいんですか。働くって、とても大変で自由を奪われるものですよ」

「あんたはそれをやってきたんだろ」

「そうです」

「二度と戻りたくないと思うか」

「いえ、大丈夫です」

「なら決まりだ。とりあえず金だけ持って行くぞ」

「わかりました」


 そして夫妻は手に手を取り合って部屋を出ようとした。


 しかし、それを制したのは死刑を受ける本人だった。


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 セレンの大声は普段の職務に対する姿勢からはまるで想像もできないほど乱れていた。セレンは混乱したように頭を掻きむしる。


「わたくしが処罰を受けるのですよ? それで済みます、それだけです。それで終わりです!


 なのに、王子の座を捨ててまで、どうして、そんな……?


 わたくしがいないほうが、あなたにとっては好都合なはずです!」


 目を丸くするのは、今度はナノホーンの番だった。

 確かにセレンがグラフェンの傍にいるのは気持ちがいいものではない。いつ取られてしまうか、気が気じゃないからだ。グラフェンに近付くすべてが気に食わない。

 けれど、だからといって死を望むほどの恨みを持っているわけでもない。


 それに──


「だって、あんたはセレンに生きてて欲しいんだろ?」


 訊くと、グラフェンはしっかりと頷いた。

 それだけで充分だった。それが、自分が動く理由のすべてだった。


 そのやり取りを見ていたセレンが、愕然とした顔をする。


「たった、それだけで、王子の座を……」

「ごちゃごちゃうるせえな! とにかく迷ってる暇はねえ! 行くぞ!」


 放心状態のセレンを左手に、グラフェンを右手に引いて、部屋のドアを蹴破る。


「連行のお時間となりました」


 だが、部屋のすぐ外には既に執行人達が待ち受けていた。

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