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22/27

22話目


 ナノホーンが寝入った真夜中、グラフェンはぱちりと目を覚ました。というよりは、眠らないように注意して起きていたのだけれど、ベッドの上であるのと、ナノホーンの温かい体温に包まれているので危うく眠気に負けそうになった瞬間もあった。


(我ながら頑張った……)


 睡眠大好きを自負している身として、存分に褒めてやりたい。


 ナノホーンを起こさぬように、ナノホーンの手からすり抜ける。ぽとりとベッドの上に落ちた手が、なんだか罪悪感を覚えさせた。

 音を立てずに部屋を出る。


 そうして向かったのは厨房だ。扉を開けると、案の定、デルタフェがひとりで食材の下処理をしている。


「デルタフェさーん」


 扉を開けて、顔を覗き込ませた状態で小さく呼ぶとデルタフェはすぐに気が付いて振り返ってきた。包丁と食材を置いて、手を拭きながら歩み寄ってくる。


「なにやってんだ? いつも豪快に入ってくるくせに」

「お淑やかな私がそんなことをするはずがありません」

「どの口が言ってんだ。で、なに? 腹減ったのか?」

「違うんです。実はお願いがございまして……」

「うん。なに?」

「明日、一緒に街に行きませんか?」


 言うと、デルタフェは目をぱちくりとした。

 腕を組んで訝しげな表情をする。


「王子と喧嘩したのか?」

「いえ」

「執事になにかされたとか」

「いえ」

「じゃあ、なんで俺?」

「ナノホーンさんは明日単独の公務なのです。セレンさんにはそらに別のお願いをしておりまして、この屋敷の中で他に話を聞いてくださる方がデルタフェさん以外に思い付かなかったのです」

「あ、そう。ふうん。まあ、いいけど、街に行くくらい。朝食終わってすぐ。昼の準備が始まる前には帰ってくるけど、それでもいいか?」

「もちろんです!」

「じゃあ部屋迄迎えに行く」

「ありがとうございます! お待ちしております!」


 扉を閉めると、デルタフェの鼻歌が聞こえた。


(いきなり上機嫌だな)


 と思いつつ、寝室に戻った。



◇◆◇◆◇◆



 次の日、ナノホーンを公務へ見送ったあと、グラフェンもすぐに外行きの服に着替えをした。それから迎えにきてくれたデルタフェと共に徒歩で街に向かう。


「人探し?」

「そうなんです。こんな人なんですけど」


 道中、グラフェンはデルタフェに一枚の絵を手渡した。セレンから聞いた特徴をまとめて、グラフェンが描いた男の似顔絵だった。


「……なんだ、これ。オムレツか?」

「失礼な! 男の人です! ブロンドで、少し髪がボサボサで、目を黒い布で隠してる姿です」

「いやいや、絵のセンスよ。下手すぎ。俺が描いてやるから」


 デルタフェは言って、きょろきょろと周囲を見回して手頃なベンチを見付けた。


「あそこに座るぞ」

「わかりました」


 横長のベンチに並んで腰を落ち着けるとデルタフェはノートと色付きのペンをキッチンコートのポケットから取り出した。


「いつも持ち歩いてらっしゃるんですか?」

「そう。料理の盛り付けとか思い付いたら書かないと忘れるから」


 ベンチの上で胡座をかき、グラフェンが描いたものを参考に新たに似顔絵を作る。その線の滑らかさは、絵を描きなれている人そのものだった。


「うわあ……絵がお上手なんですね!」

「こんな料理にしたいって料理長に報告もするし、自分でも考えるのに役に立つんだよ。んで、ボサボサの金髪と目隠しの他に特徴は?」

「はい! えーと、身長が高くて痩せていて、とても色白。外見には無頓着そうで、前髪は鼻の下まで伸びてて……えーと、あとは……」

「服は?」

「あ、そうですね! 服は、黒のシャツに黒のズボン、黒革の靴で左手の中指に大きな指輪を嵌めていたそうです!」

「ふむふむ」


 デルタフェは顔だけの絵と、さらに全身像を描いた絵の2種類を描き上げた。

 まるで生きているみたいな写生だった。


「ほれ」

「すごーーーーーー! デルタフェさん、すごいですね!!」

「まあな。料理人はだいたい絵がうまいんだぞ」

「初めて知りました! ありがとうございます! これを街の人に聞いて回りたいのですが、よろしいですか?」

「ああ。俺が聞いてやるよ。お姫様が聞いたら悪目立ちするだろ」

「お姫様? 私ですか?」

「一応、グラフェンはその立ち位置なんじゃねえの?」


 姫と呼ばれるのはなかなか自分に似合っていない気がする。そう呼ばれるのも、扱われるのも気が引ける。


「んー。なんだか気持ち悪いですね! とにかく行きましょう!」


 今は愛を与える男探しだ。グラフェンは先に立ち上がって、デルタフェの上着の袖を引いた。


「わかったから、引っ張るなって」


 しかし、そう諌めるデルタフェの顔は楽しそうだった。




◇◆◇◆◇◆




「知らねえけど、見掛けたら教えるよ! (あん)ちゃん! 今日はなにか買っていくかい!?」

「いや、今日は買わねえんだ。次の買い出しでまた大量に買うよ」

「あいよ!」


 同じ回答を貰ったのは何度目だろうか。

 デルタフェの知人を手当たり次第に訪ねているのだけれど、男の風貌はおろか、そんな男がいるという噂すら聞いたことがないらしかった。


「ふうむ。人探しというのも、難しいものなのですねえ」

「名前も年齢もわかんねえんじゃぁ、難しいだろうな。悪い、そろそろ時間だ。戻って昼食の準備しねえと」

「あ、そうですね! すみません、付き合っていただいて」

「いいよ、全然」


 そうしてふたりは屋敷へと足を向けた。

 少し歩いたころだった。デルタフェが上着のポケットに両手を突っ込みながら問うてくる。


「もう、()()()()ことねえのか?」

「……()()()()?」


(はて。なんのことだろう)


 思い付かずに訊ね返すと、言いにくそうな顔をした。


「あの、ほら。女の世界の暴力みたいなの」

「ああ! あの昼食会のようなことですね。そういえば、ないですね。皆さん忙しいみたいですから、私達に時間を割く暇もないのかもしれませんね。実に平和です」

「……いやぁ……俺も2年くらいしか屋敷に務めてねえけど、1回で気が済むような奴らじゃねえんだよなあ」

「いつか再び昼食会みたいなことがありましたら、またデルタフェさんに助けてもらいますから大丈夫です!」

「……え? 俺、助けたっけ? なにもせずにダイニング出ただろ?」

「え? だって、ダイニングまで来てくれましたよね?」


 立ち止まったデルタフェに倣って、グラフェンも立ち止まる。ふたりは横並びになって、互いに顔を見合わせた。


「俺なにもしなかったよな?」

「え? 来てくれましたよね? はっっっ!! ま、まさか、双子……?」

「ふざけんな。俺はひとりだ。つまり、俺がダイニングに行っただけで助けてもらったと思ってんのか?」

「そうです」


 デルタフェは心底、訳がわからないと表情を崩し、首を傾げた。グラフェンに向き直る。


「だって、俺、呼ばれたんだぞ? 昼食会で一番若いシェフをお呼びですって言うから、行っただけだぞ? 呼ばれて、行くのって当たり前じゃねえか」

「うーん。考えてみたら、そうですね。でも、私はあのとき、ちゃんとデルタフェさんが来てくれて安心したんです」

「安心……?」

「はい。なんとなく……デルタフェさんなら私の注文も聞いてくれるような気がしまして。さ、帰りましょう。支度に遅れたらデルタフェさんが怒られてしまいます」


 グラフェンは先に歩き出した。しばらく歩いてもデルタフェの気配を感じなかったので振り返ると、デルタフェはまだ先の場に留まっていた。


「デルタフェさーん? 行きましょーー?」


 手を振ると、デルタフェは相変わらず不思議そうに首を傾げて、ポケットに両手を突っ込みながら歩いてきた。


「あんた、お人好しって言われないか?」

「私ですか? よく冷たい奴だって言われますよ」

「そいつら見る目なさすぎだわ」

「いやぁー、案外合ってる気がしますけどねー」


 ふたりは屋敷に戻ると「じゃ」と手を上げて分かれた。



◇◆◇◆◇◆



 グラフェンはデルタフェと分かれたその足で図書室に向かった。


 魔女達はこの国にいるとは限らない。自分ひとりが街を歩いたところで、その効果はたかが知れている。ならば書物でそういった類の魔女が載っていないかを探すほうが、より有意義だと考えたのだ。それにセレンやデルタフェを街に付き合わせるのにも気が引ける。

 だから午前中は街で人探し。午後は図書室で情報集めということだ。

 もちろん、ナノホーンにはすべて秘密である。



(他人から与えてもらった愛を、相手は喜ぶだろうか)


 考えてみると、どちらの可能性もある。

 受け入れてくれる可能性と、そんなまがい物はいらないと拒絶される可能性と。

 だから、ナノホーンには黙っておいたほうがいいだろうと思ったのである。


 伝説や神話などの本を手当たり次第に開く。


「ないなぁ……」


 似たような話としてはインキュバスとサキュバスの紹介があった。

 これらふたつの魔物は同じ個体で女性型のサキュバスで集めた男の精を、男性型のインキュバスで女に与えるとある。

 仮にあの魔女がサキュバスだとしたら、男の精の代わりに愛を集め、男の姿になって愛を与える、そんなところなのだろうか。


 同じ術を使う男が今の(せい)にもいるとしたとしても、姿を変えられてしまったら、見つけようがない。

 せっかくセレンに手配を掛けてもらい、デルタフェにも絵を描いてもらったが徒労に終わってしまうかもしれない。


 どうすればいいのだろう。


(うーん……)


 悩んでいると、ふと背後に気配があった。



 振り返ると、1番夫人が立っていた。若い執事付きだ。腕を組んで、蔑んだ目をグラフェンに向けている。あの気品漂う表情を取り繕うのはやめたらしい。

 グラフェンの前にある本を覗き込んで、ふんっと嘲笑を浮かべた。


「お気楽なものですね。少しは庶民臭さを払拭するために嗜みに必要な知識でも取り入れているのかと思いきや、そんな駄作を読んでらっしゃるの? 文字はおわかりになって?」

「はい、ゆっくりとではありますが、かなり読めるようになりました」


 むっとした表情を見せた。嫌味が通じないとでも思ったらしいが、グラフェンとしては質問に答えただけのつもりだ。他になんと言えと。


「あのね、私達夫人は幼い頃から婚約をしていたりして、それはそれはとてつもない量と時間の教養を受けましたのよ。各国の知識だけでなく、お酒や料理の種類、素材の名前、産地、語学、建築様式、絵画、音楽、テーブルマナー、ありとあらゆるダンス。毎日、眠れないほどでしたの」


 そういうものなのか。

 庶民は庶民で朝から夜まで働きづくしで、ああ、さぞや貴族は楽な生活をしているに違いないと羨んでいたが、貴族には貴族の苦労があったらしい。


「それなのに、あなたはなにか学びまして? 簡単に夫人の座を手に入れただけでなく、下世話な方法で民衆を味方に付けて、なにを企んでらっしゃるの? 私達、1番夫妻に反旗を翻すおつもり?」

「いえ、そのような考えはありません。ただ、私はここにいられればいいのです」


 ナノホーンの傍に。

 毎日、楽しく。いつまでも。


 ただ、言葉が足らなかったのか、夫人には誤解を与えてしまったらしかった。


「ああ、そう? (ここ)にいたいのね? それだけ?

お見逸れしたわ、狡猾なのね」

「いえ、その──」

「ちょうどよかった。あなたに用があるという方がいらっしゃるの。あなたが(ここ)にいる理由になるわ。せいぜい、()()()を果たしてくださいな」


 そう言って、夫人は執事と共に出て行ってしまう。入れ替わりに誰かが入ってきた。

 誰だろうと注視していると、それは7番王子だった。その目が妖しく光っている。


 嫌な予感がした。



◇◆◇◆◇◆



 嫌な予感がした。

 セレンはふと作業していた手を止めて、振り返った。

 ここはグラフェンの部屋だ。グラフェンの足にあった靴を買い揃え、備え付けのクローゼットに並べていたときに、その悪寒を感じた。首筋を撫でるような、そんな薄ら寒さ。


 隙間風でも吹いているのだろうか。


 部屋の窓を確かめるも、すべてがぴしゃりと閉じている。


 だが、どこかが痺れて、どこかが冷たくて、嫌な感じがする。


(気のせい?)


 部屋には誰もいない。


 ここで、毎夜グラフェンと男が眠って過ごしているのかと思うと、すべてを八つ裂きにしてしまいたくなる。あと少し早く出会っていれば、自分がグラフェンを大切にできたのに。


 そこまで考えて、いやいや、と否定する。


 どこでも、どこからでもグラフェンを大切にすることはできる。


 近頃は公務も増えてきたし、魔女探しで夜な夜な図書室に通っているとあって、グラフェンは寝不足のはずだ。リネンを香り付きのものにして、安眠を促そう。夜には白湯。ネグリジェはゆったりとして、締付けのないものを。グラフェンの身長にしては、枕が少し高すぎるかもしれない。


 ぞくり


 思考に耽っていると、また悪寒がした。

 どこが痛むのか、どこが痺れるのか、どこが冷たいのか。

 わからない。


 部屋を歩き回っても根源はわからなくて、ふむ、と腕を組んだ。

 そのときだった。

 左手の甲が鋭く痛んだ。


 ──まさか


 セレンは走り始めていた。

 グラフェンの居場所は知っている。



◇◆◇◆◇◆



「やめてください!」


 嫌な予感は的中するもので、第7王子はグラフェンの純潔を奪おうとしていた。入ってくるなり、いきなり抱き付いてきたのだ。なんとか逃れたが、次に捕まれば二度目のチャンスはない。


 だだっ広い図書室には誰もおらず、先から抵抗しているのに助けが来る様子はなかった。


 いっそ外に逃げてしまいたいのに、グラフェンは壁際に追い詰められていた。


 ドアは王子の背後にある。すり抜ける前に捕まってしまうのは目に見えている。


「8番とヤることヤったんだろ? なら、いいじゃないか。俺とも()()()よ」

「なにを仰ってるんですか……!?」


 グラフェンはテーブルを挟んでぐるぐると逃げていた。第7王子の凶行の理由がわからない。


「愛されたい。でも、妻の交換に応じてくれない。だから、無理矢理に奪う。それだけだ。俺も愛されたい」


(馬鹿なことを)


 この男は相変わらず、欲しい、ばかりだ。欲しい。欲しい。欲しい。


 7番王子は醜く笑った。


「子どもなんて、できちまえば誰が父親かは関係ない。問題は、産んだのは誰かだ。父親なんて、いくらでもでっち上げられる。


 よかったなあ?

 人気が出てさ。


 さらに妊婦姿を見せれば国は祝福モード。国家間の祝賀会も開催されて、産まれたのが女だろうが男だろうが愛される。


 羨ましい。


 1番王子、2番、3番は男を望まれて、他はどうでもいいはずなのに、8番のくせに子どもを求められるなんて。俺達なんてなにも求められないぞ。公務でさえ。なのに俺より格下の8番は忙しくしてる? おかしいじゃないか!


 だから8番の大切なものをめちゃくちゃにしてやる!」

「そんなことで……」


 結局はナノホーンが妬ましいのだ。

 これまでずっと自分の下にいたのに、いつの間にか遥か上にいるから穢してやりたくて堪らない。そんな感じだった。



「少しくらい、分けてくれたっていいだろう……!?」



 第7王子はとうとうテーブルを乗り越えてグラフェンに掴みかかった。


 本棚に後頭部と背中を打ち付ける。


 悶絶するより先に床に押し倒されて服を胸元から破かれた。スカートの裾を託し上げられる。


 グラフェンは男を睨み付けた。


 ──けだもの


 やはり女は性欲を処理するだけの道具なのだ。女は男の下にねじ伏せられ、弄ばれる道具でしかなく、道具の傷なんて、道具の意思なんて気にもされない。


 力が弱いから、体力がないから、だからこんなにも侮辱されるのだろうか。



 ああ、やはり愛なんて不要だ。



 愛を持てるはずのこの男が愛を疎かにするのだから、愛のない自分が愛を持ったところでまた蔑ろにされて傷付く。


 この男のように、どんなに愛を持つ人間達にやめてと言っても、やめてくれない。


 けれど、ナノホーンは?


 ナノホーンは、やめてくれたではないか。

 嫌なことはしたくないと、やめてくれたではないか。


 それは愛なのか?

 大切にされているだけ?


 わからない。

 愛ってなに?


 大切と、愛と、なにが違うの?


 愛って、どういう気持ちだったっけ。


 思い出せない。


 思い出せない──……。


 いっそ舌を噛み切って死んでやろうかと思った、そのときだった。





「どうやら蛆虫が紛れ込んでいたようですね」



 ひゅっと風が走った。


 一瞬、なにが起きたのか、わからなかった。


 それは、サーベルの切っ先が宙を裂いた音だった。


 第7王子が頭を抑えながら振り返る。だからグラフェンも同じほうへ視線を向けた。



 そこにはセレンが立っていた。


 セレンの顔は『無』そのものだった。


 いつもの冷静な顔でもなく、なにかを考えている真剣な顔でもなく、ただの無。


 手には細長いサーベルが握られていて、切っ先に血が滴っていた。


 王子の血だ。


 どうやら、峰で殴り付けたらしかったが、あの鋭利さではそれ以上の威力があったはずだ。その証拠に、王子の頭から血が流れている。


 どす黒い血だ。


 まるで王子の人格のように粘り気がある。


「おま……だれだ……?」

「執事のセレンと申します」


 途端、王子が大仰に驚いてみせた。


「はあ!?!? 執事のくせに、王子の俺に! こんな……! 俺は7番だぞ!? 8番より偉いんだぞ!? こんな、こんな8番の女よりも……!」

「よく鳴く蛆虫ですね」


 セレンは高らかにサーベルを振り上げると、そのまま王子に叩き付けた。


(殺すの……!?)



 凄惨な結末を想像して、思わず息を呑んでしまう。


 だが、王子の脳天を割る寸前でぴたりと止めた。


 しかし、それだけで王子は恐怖のあまり気絶したようで、ぐらりと床に倒れ込んでしまった。


 静寂と平穏が戻ってくる。セレンがすぐさまグラフェンの目前に膝を付いてくれた。


「グラフェン様、遅くなりました」



 それは、さながら王女に(かしず)き、忠誠を誓う騎士のようだった。

 セレンはふわりと自分の上着をグラフェンに掛けてくれた。上着をぎゅっと握り締めると、ほのかに甘い香りがする。

 なにかを言わないと。グラフェンは迷った結果、侘びた。


「すみません……こんなことになってしまうなんて……」

「グラフェン様、どうか、わたくしをお叱りください。あなたをお守りすると誓いましたのに、こんな思いをさせてしまいました。片時も離れるべきではありませんでした」

「いえ……そんなことは……私のせいで……」


 むしろ、自分も迂闊だった。デルタフェがせっかく『一度では気が済まない奴らだ』と言ってくれていたのに、ひとりで動き回ってしまった。セレンの作業が終わるのを待って、共に行動するべきだった。


 自分が悪いのだ。


「なにを仰りますか。すべてはこのクズの……いえ、わたくしこそ浅はかでございました。わたくしは、なんと、愚かなことを……」


 グラフェンがセレンの上着を握る手に、セレンは手を重ねてくれた。


 気付かぬ間に、震えていたらしかった。


「どうぞ、お叱りください。さもなくば、グラフェン様が落ち着けますよう、わたくしを使ってください」


 使う?

 使うって?


 意味がわからないでいると、セレンはふっと微笑んだ。

 次の瞬間には甘い香りに抱きすくめられていた。セレンの香りだ。


「申し訳ありませんでした。もう、お傍を離れません」

「セレンさん」

「本当に申し訳ありませんでした」


 抱きすくめるセレンの体も、グラフェンと同じくらいカタカタと震えていた。


「セレンさん……?」

「怖かったのです……もう少し、このままで」


 私も怖かったと、グラフェンは素直に言えなかった。

 言ってしまったら、泣いてしまいそうだった。

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