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2話目


 グラフェンの家は仕立て屋だ。といってもドレスを修繕するような畏まった店ではなく、服が大きすぎるから丈を詰めて欲しいだとか、逆に小さすぎるから肩幅を広げて欲しいだとか、破れたから、ほつれたから直してほしいだとか、そういった店だ。


 グラフェンは大概、仕立てたあとの洗濯を担当している。古い衣服は黄ばんでいたりするから、出来上がったばかりの白さを戻すためにサービスで洗濯をする。だから平民レベルとはいえ、それなりに客が絶えず儲かっている。


 パーティーの翌日、殿方とダンスもできなかった事実に両親は打ちひしがれていたが、翌朝にもなるとふっきれたようだった。豪快な人柄なのだ。(特に母が)

 いつも通り両親ふたりはあくせくと服の修繕に取り掛かり、グラフェンは庭いっぱいに張り巡らした洗濯紐に服を干していく。


 なにも不自由はない。

 元々無欲であるグラフェンは、この暮らしに塵一つも不満を抱いたことがなかった。自分が結婚をするだなんて想像もできない。


 子ども?

 無理無理。

 この世に愛なんて存在しないのだから、女ばかりが損をする妊娠出産を経て子どもを生むなんて、それこそ出産人形みたい。生理があるのも女、10ヶ月耐えるのも女、命を懸けて生むのも女、育てるのも女。

 男にいいように扱われる人形になるなんて絶対にいや。

 女だって自由に生きるべき。

 誰の世話もせず、自分ひとりのために生きたっていいはず。


 グラフェンはすべての服を干し終えると、満足そうに頷いた。

 いい出来だ。


「グラフェンーーー!!」


 そんなとき、中庭に母のダイヤが駆け込んできた。これまた平凡な茶色の髪と焦茶色の瞳で、グラフェンが引き継がなかったところといえば癖毛の部分だ。以前に比べると少しふくよかになったダイヤは、袖を捲った逞しい両腕をぶんぶんと振り回しながらグラフェンに突進してくる。


「なになになに!?」

「あんた、なにしたの!?」

「なにが!?」

「お城の! えっとね! だから! お城!」


 なにを言ってんだとは思いつつも、とにもかくにもよからぬことが起きたらしいのでダイヤが指差す玄関へ向かった。


 玄関前には通りが遮るように伸びているはずだった。

 向かい側にはパン屋があって、朝の看板を出す際に店主のおじさんと挨拶を交わすのが日課だった。


 だが、今はそのパン屋は見えなかった。


 豪奢な馬車が停まっていたからだ。

 王国のエンブレムが刻まれた白色の馬車は間違いなく城からの遣いだ。通りには、何事かと見物人が集まり始めている。


 グラフェンは圧倒されて馬車を見上げた。


「あんた! ナノホーン王子になにしたの!?」


 ダイヤが、呆然と立ち尽くすグラフェンの服を掴んでぐいぐいと引っ張った。声を落としてはいるが、その必死さは本物だ。


 王子?

 いや、王子なんかと関わった記憶はない。昨日は長ったらしい新王の話を聞いて、料理を食べて、庭に行って帰ってきただけだ。

 ダンスさえもしていない。

 誰かにぶつかったりも、調度品を壊してもいない。


 城から誰かがくるようなことをしでかしてなんかいない。


「知らない、知らない! 私、昨日は平和に終わったんだから!」

「じゃあ、なんでわざわざこんな大きな馬車でくるのよ!! 明らかにあんたを連行しようとしてるじゃないの!!」

「ええ!? でも、だって……!!」

「ちょっと勘弁してよぉ!」


 小声で抗議し合っていると、御者が恭しく客台のドアを開けた。

 中から現れたのは──


「あ、昨日の……!」


 どこからどこまで見られていたのかわからない、庭で言葉を交わしたあの人だった。黒髪に吊り目の、シャツのボタンを留めてなかった男の人。


(まさか、この人が王子?)


 グラフェンの反応を見て、ダイヤは肩を怒らせた。


「ほら、やっぱりあんたなにかしたんでしょ! この親不孝者!!」


 ばちん、と肩を叩かれる。物凄く痛い。

 記憶を遡るけれど、どう足掻いても罰せられるような行為をしていない。


「そ、そんなはず、ない、んだけど」


 むしろ、この人がナノホーンとかいう王子だとも知らなかった。そもそも王子の名前を8人とも覚えていないし、髪の色どころか顔も知らないのだ。


「さっさと罰を受けておいで! 洗いざらい喋っちまいな!!」

「ええ!?」


 じりじりと背中を押される。首だけで振り返ると、気の弱い父が玄関からほんの少しだけ顔を出して涙ぐんでいた。


 助けろや!


 目顔で訴えると笑って誤魔化された。なんて父なのだ。薄情者!


「ほら、行ってきなさい!」


 どんっと、とうとう母の全力で背中を押され、前につんのめった。このまま転んでしまうと思われたが、なんとそのナノホーン王子らしき人物がグラフェンを支えた。


 背後でダイヤが青褪めているに違いない。


 よもや王子に向かって娘を突き飛ばすだなんて、暴行といわれてもおかしくない状況だ。

 グラフェンもさっと血の気が引いて、体勢を立て直す。

 だがナノホーンは手を放してくれない。


「……え、な、なにか──」

「あんたを正式に妻に迎える」


 目をぱちくりとする。

 言葉の意味を理解するのに数秒、要した。


「つ、妻ぁ!?」


 この日、ダイヤとグラフェンの叫び声が街に轟いた。



◇◆◇◆◇◆



 ダイヤ達にはひとまず従者が説明をするとして家に残され、グラフェンは城へと向かうため馬車に乗せられた。


 もう家には戻ってこられないとだけ従者がダイヤへ告げると、ダイヤが目にも止まらぬ早さで荷仕度をしてくれたのだが、いかんせん包んでくれたものが大きすぎる。とてもじゃないけれど持っていけない。しかし母の思いやりであることは間違いないし、どうすべきかと困惑していると御者の計らいで、なんとか詰めた。


「ざっと説明させてもらう。



俺は女が嫌いだ」



 向かいに座るナノホーンは、長い脚をこれみよがしに組み換えてふんぞり返っている。


(……なに、こいつ)


 その態度だけでも腹立たしい。しかし、どうやら本物の王子ではありそうなので、秘技くしゃくしゃ笑いを使っておく。青筋がぴくつかないように意識するのがやっとだ。


「きゃーー!! 王子よ、王子ぃーー!! きゃーー!! 宝石よー! ドレスよー! きゃーーー!! 結婚してーーー!」


 わざと裏声にして、猫の手に真似た手をぷらぷらとさせてみたりして、女の真似をしているのだろうけれど、女を馬鹿にしているようにしか見えない。

 物真似はまだ続いた。


「アタシが結婚するのヨ! やだ、アタクシよ!!」


 真似事が終わると、冷めたようにさっと真顔に戻って吐き捨てた。


「くだらねえ。反吐が出る。俺は今まで一度も女を好きになったことはねえし、傍に置いておきたいと思ったこともねえ。むしろ邪魔だ。あんた、欲しいものはあるか?」

「へあ? 欲しいもの? いえ、特には」

「ドレス、宝石、化粧品、帽子、手袋、靴」

「いえ、いらないです」

「子どもは?」

「いらないです」

「パーティーは好きか?」

「いえ、特には」

「あんた、俺のフルネーム言えるか?」




(……終わった……)


 グラフェンは笑顔を貼り付けたまま、頭をフル回転させた。

 名前、名前、名前?

 王家は代々、国の名前をファミリーネームにしていたはず。ということは、ここはカーボニル国だから、名前はナノホーン・カーボニルであることには違いない。だが、ミドルネームが絶対にある。


 ミドルネームなんて知らんぞ……!


 昨日の紹介のときに言ってた?

 ちょっと思い出して。私、なにしてたのそのとき!

 ……え!

 本当?

 王子本人を目の前にして名前を答えられないって有り得る?


 有り得る事態になってしまった。

 笑顔では切り抜けられそうにもないが、先にナノホーンが笑い出してくれた。


「ほらな、答えられねえ。あんた、男に興味ねえんだろ?」

「……はははは」

「それがいい。俺は好き勝手に遊びてえが、早く結婚しろと周りがうるせえ。見合いは無理だと拒否し続けてきたが、年齢的にもそろそろキツい。そこでだ、互いに興味ねえ者同士、手を組まねえか?」


 これは雲行きが怪しくなってきた。

 ナノホーンが人差し指だけで手招きする。秘密の話があるようだ。従って、耳を傾けた。


 開くどい顔でナノホーンが耳打ちしてくる。


「契約結婚しようぜ」

「契約……?」


 小声で問い返すと、ナノホーンは背凭れに体を沈めた。


「そう。俺はとやかく周りからごちゃごちゃ言われんのを止めたい。あんたもその年齢で嫁ぎ先がねえのは針のむしろみたいなもんだろ? 互いに周りを黙らせるための仮面夫婦だよ。結婚しちまえばあとは自由。干渉しない。触れない。どうだ」

「どう、と言われましても……」

「実家に仕送りもしてやる」

「わお。しかし……」


 心配なのは子どもだ。

 結婚をすれば、この国では当然、子どもはいつだと言う話になる。王子ともなれば男子を望まれるだろうし、逆にプレッシャーが掛かるのではないだろうか。気楽な実家暮らしのほうが蠱惑的である。


 その考えを見透かしたのか、ナノホーンが言った。


「子どもは考えなくていい。俺は八男。つまり王位継承は8番目だ。まず、順番は回ってこねえし、世継ぎなんてとっくに兄貴の嫁が産んでる。誰にもなにも言われねえ」

「それは、なかなか魅力的なお話ですね」

「どうだ、乗るか?」


 自宅での両親からの小言を考えると、これ以上ないほどの儲け話だ。自分の教養のなさが不安の種ではあるが、まあ、そこはなんとかなるだろう。笑っときゃいいのだ。


「もちろんです」


 差し出された手を握り返した。


 ほらね、魔女様。

 愛なんて、ないんだよ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 炭素の同素体で草www 先が楽しみですwww
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