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17話目


 ナノホーンは、ただ、ふらふらと道を歩いていた。ひたすらに止めどなく足を動かしてはいるけれども、頭の中はずっと昨日の夜のことばかり考えている。


 もっと、したい。

 もう、したくない。


 その二極化する感情に折り合いがつかなくて、とにかくひとりになって考えたかった。


 グラフェンと触れ合いたい。もっと親密になって、一生ずっと離れたくない。

 グラフェンを傷付けたくない。一生ずっと一緒にいたいから、嫌われるようなことをしたくない。


 それに、自分が性に翻弄される男だとは思いたくなかった。


 制御できる。

 制御できる。

 欲求をかき消すだってできるはず。


 今まで一度も性の欲望を感じたことがなかったのだから、今までできたのだから今日からもできるはず。


 それなのに足が城に向かないのはどうしたことか。

 今もグラフェンはひとりで退屈しているに決まっている。この3ヶ月で覚えた単語で簡単な本なら読めるだろうから、死ぬほど暇を持て余すというほどではない。けれど、早く帰ってやらないと。


 俺が()()だった。


 幼少期に貴族のなんたるかを教え込まれたあと、ナノホーンは放置されていた。いつも時間が早く過ぎるのを祈っては、変わらない陽の角度に嫌気がさして不貞寝して、夜になって目が覚めて眠れなくて、泣きたくなる。だから夜遊びで賭博に勤しんで、余計に家族から疎まれる。


 だれか迎えにきてくれないだろうか。

 この時の流れから忘れ去られてしまった城の中から、俺を助け出して欲しい。

 誰でもいい。天使でもいいし、悪魔でもいい。


 とにかく、もうひとりは嫌だ。


 だからグラフェンは、手放したくない。

 地獄に舞い降りてくれた、たったひとりの人なのだ。

 夜遊びするための人形のつもりで結婚したのに、結婚して以来、夜に出歩いた試しがなかった。


 グラフェンに触れたい。

 グラフェンに嫌われたくない。


 どうすればいいのか、ナノホーンは行き詰まっていた。


「おい」


 そこへ声を掛けてくる男があった。見ると、キッチンコートに上着を羽織っただけのデルタフェがいた。買い出しに来ているのだろう。両手には食材が大量に詰め込まれた袋がある。

 この男は王子を敬うという気持ちはないのだろうか。不遜な態度で、そのくせグラフェンにはでれでれと甘えるから気に食わない。


「変装なんてして、なにしてんだよ」

「王子だって街を歩く。なにか用かよ」

「グラフェンの傍にいてやらないのか?」


 この男の口から出るグラフェンの名が憎い。だれにも呼ばれて欲しくない。


「シェフになんの関係があんだよ」

「……知らないのか?」

「なにが」

「執事だよ。今日からだろ」

「なにが」


 言うと、デルタフェは目を見開いて「本当に知らないんだな」と、まどろっこしく呟いた。腹が立つ。ただでさえ自分の気持ちに整理がついてないのに、これ以上、考えさせる要因を与えないでくれ。


「グラフェンの専属執事を雇ったって話。グラフェンは庶民出身だから、サポートはしっかりしてる奴のほうがいいだろうって、ベテランの34歳の男。確か、名前はセレンだったかな。少し前から募集してたんだよ」

「募集? いつから?」

「パーティーが終わって、すぐくらいかな。二人の人気が急上昇しただろ? それでようやく、8番夫妻にもきちんと公務してもらおうって城内で決定して、執事を募集したんだ。いの一番に手を挙げたのが、そのセレンって話だぞ」

「どうせ王家に仕えたい売名行為だろ」

「違う。なんでも、グラフェンと同じ痣を持っている、自分はグラフェンを心から愛する、一生を添い遂げる執事に相応しいとかなんとか熱弁して、満場一致でセレンに決まったらしい」


「痣?」


「そう。ほら、グラフェンの左手首に変な痣があるだろ? 蛇と林檎みたいな」

「蛇?」


 そんな痣、あっただろうか。グラフェンは長袖を好んだし、二人でいるときはいつもグラフェンの顔ばかり見ていたから、よく覚えていない。


「旦那の癖に嫁の体も知らないのかよ……」

「うっせえな」

「とにかく、まるきり同じ痣がセレンにもあるんだと! 先週くらいには城に引っ越してきて、今日からグラフェンに就くはずだぞ」


 確かに執事がいたほうがなにかと便利なのだろう。二人だけでは、激増しつつある公務を捌いていけない。

 デルタフェは呆れ顔で言った。


「あのさぁ、わかってる? 心から愛するとか言ってる頭のおかしい奴と、グラフェンは今ふたりきりなんだぞ? なにされるかわかんねえんだから、さっさと行けよ」

「執事が、まさか」

「男ってのはそういうものだろうが! あんたがいると思って買い出しに来てんのに、あんたが行かないなら俺がグラフェンのところに行く」


 男って、そういうものなのだろうか。

 嫌がるグラフェンを組み伏せて、泣いても嘆いても無理矢理に体を開かせて貫こうとするものなのだろうか。

 グラフェンの金切り声が聞こえた気がした。

 ぞっとした。

 気付けば、ナノホーンは駆け出していた。


 グラフェン。

 グラフェン。

 グラフェン。


 朝も昼も夜も、ナノホーンの頭の中はグラフェンでいっぱいになってしまった。



◇◆◇◆◇◆



 すっかり二人のものになったグラフェンの部屋に飛び込むと、グラフェンはひとりでソファに座り、ミルクティーを飲んでいた。突入してきたナノホーンに驚いて、目を見開いている。

 ナノホーンは、今朝までの自分の態度など忘却の彼方に吹っ飛ばして、グラフェンに駆け寄った。


「大丈夫か?」

「はい。特には……。ナノホーンさんこそ、どうされました? こんなに寒いのに汗が」


 自分の額を(ぬぐ)おうと伸ばしてくれた左手を取る。長袖を捲ると、確かに痣があった。


「これと同じ痣を持つ奴が来ただろ」

「はい。……どうしてそれを?」

「なにもされなかったか?」

「特には……。本当にどうなされたんです?」

「いいから、ちゃんと答えろよ。なにもされなかったか?」


 グラフェンはほんの一瞬だけ、きょとんとした。けれどすぐに微笑んで、小さく頷く。


「大丈夫でした。なにも、嫌なことはされませんでした」


 その言葉を聞きたかった。

 ばくばくと収縮と膨張を繰り返していた心臓が痛いくらいで、ナノホーンは胸を抑えながらずるずると床にへたり込んだ。


(デルタフェの奴……いつか絶対ぇ殴る)


 妙な不安を煽りやがって。


「大丈夫ですか? 胸が痛いんですか?」

「……大丈夫だ。グラフェンが無事なら、問題ねえ」

「とにかく座ってください。今、冷たいタオルを──」

「いいから、どこにも行くな」


 ちょっとの間だけでいいから、動かずに傍にいてくれ。そうすれば、自分は驚くほどの速さで回復すると知っているから。

 握った掌から、安穏が流れ込んでくる。

 ふう、と息を吐くと、不思議なくらいに心臓がのんびりとした。


「あの男はどうした?」

「とりあえず、控えておいていただきました。いきなり執事といわれても困ってしまって……それにナノホーンさんに確認しないとと思いまして」

「確認って、なにを?」

「セレンさんが『いてもいいか』です」

「俺は二人がいい。二人だけで、ずっといたい」


 言うと、グラフェンはまた驚いたように目を大きくした。

 素直な言葉をナノホーンから聞くのは、どうにも慣れていないらしい。グラフェンは心配そうにナノホーンの顔を覗き込んでは、首を傾げている。


 可愛い。


 仕草も表情も、全部可愛い。

 ナノホーンはグラフェンの頬を掌で包んで、顔を寄せた。


 昨夜がフラッシュバックする。


 また、歯止めが効かなくなる。


 唇に触れるか、触れないか。寸でのところで自制心を働かせたナノホーンは、吸い寄せられた唇を止めて距離を取った。

 苦笑して、包んだままの手の親指でそっとグラフェンの唇をなぞる。


 それだけで、あの柔らかさを感じた。


「執事を雇うのはお断りしますね。二人で、のんびり過ごしましょう」

「それがいい」


 ナノホーンは頷く。

 二人の世界は二人だけのもの。

 誰にも壊せるものではない。

 そう信じていた。

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