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15話目


 夜中に王からの指令を伝えられたナノホーンは、怖くて堪らなかった。


 そんな行為をしたら、グラフェンがいなくなってしまう。


 グラフェンと過ごしてみてわかったが、グラフェンは誰に対しても気さくに話し掛ける人柄で、そこに男女の隔たりはない。庶民の出身ともあって、接客や横の繋がりを大切にしてきたからなのか、敵を作るタイプでもない。


 逆に、あまり人に関心がないとも言えた。


 結婚をするからと無理矢理に城へ連れてきたが、今日まで実家に帰りたいとも親に会いたいとも、誰かに会いたいという類の発言を一言も発していない。


 人との関係に執着を持っていない。


 こっちが駄目なら、もういいや、そうして流れに流れていく。


 嫌われたら、グラフェンはそんな兆候も見せずにゆらりと流れてしまうだろう。


(嫌だ)


 それだけは絶対に嫌だった。

 初めて一緒にいたいと思える人に出会えたのだ。絶対に手放したくない。だが王に歯向かうのも、良案とは思えない。


 ナノホーンは考える。

 どうする。どうすればいい?


「ナノホーンさん」


 はっとした。気が付くと、目の前にグラフェンが立っていた。つい、考え事に集中して、廊下の真ん中で突っ立っていたみたいだ。


「どうかしました?」


 とてもじゃないけれど、言えない。王からの指令を伝えれば、自分はやはり子どもを産むための道具なのかと疑われてしまう。そうじゃないと言っても、きっと聞いてはもらえない。


「なんでもねえよ」

「こんな時間に陛下からの呼び出しでしたし、なにか、よくないことでも?」

「いや。なんだ、迎えにきてくれたのか?」


 真相を隠そうとして茶化してみた。けれど、それはグラフェンには通用しなかった。


「そうです。心配になったもので」


 ナノホーンはぐっと唇を噛んだ。グラフェンはいつも素直に気持ちを伝える。恥ずかしげもなく言ってくれるから、ナノホーンはいつもそのたびに心をぎゅっと掴まれる羽目になる。


 心配してくれたのか。


 そう言って、ありがとうと伝えられたら、もしかしたらグラフェンは自分からの愛を少しでも感じてくれるかもしれないのに、自分という男は、いつまでも素直になれないでいる。


「戻ろう」

「はい」


 二人で部屋に戻ってくると、なにかを察したのか、グラフェンは寝転がらずにベッドの上に座った。それが、けして淑やかとはいえない座り方だからナノホーンは頬が緩んでしまう。胡座だ。


(こういうところが)


 ナノホーンも逃げられやしないと諦めて、ベッドの上で向き合う。深く腹から息を吐くのは、拒絶を恐れてのことだった。


「俺は、あんたを失いたくない」


 言えた。

 一言が言えると、次からはすらすらと出てきた。


「だから、あんたの嫌がることはしたくない。けど、もしかしたら、そのせいで俺達にひどいことをする奴らが出てくるかもしれない。それでもいいか?」

「はい、大丈夫ですよ」


 けろりと答える。

 事の重大さをわかっていない。国が相手になるのだ。自分達だけでなく家や家族にも被害が及ぶかもしれない。


「両親が傷付くかもしれねえんだぞ」

「はい」

「家を潰されるかもしれねえ」

「はい」

「家族をネタに脅迫されるかもしれねえんだぞ、わかってるか?」

「はい、一応は。ただ、ひとつだけ聞いておかなければならないことがあります」

「ああ。なんだ?」

「私の嫌がることってなんですか?」


 正直なところ、口に出すのも憚られる。女性とまるきり接してこなかったナノホーンにとって、性は禁句(タブー)だった。気持ち悪くて、背徳的で、祝福されない、歓迎されない行為。汚れきった欲望だけのぶつかり合い。しかもそのくせ、子を宿したとなると掌を返して拍手を贈られる矛盾した行為の権化。


「……どうしても言わなきゃ駄目か」

「できれば。嫌がるかどうかは、私が決めます」


 グラフェンは強い。

 これまで何度もその強さを目の当たりにしてきた。


 ナノホーンは小さな声で打ち明けた。


「……子ども……作れって……」


 情けない。

 幼子がしでかした悪さを親に謝るときみたいな声だ。成人した大の男が出す声ではなかった。

 上目でグラフェンを窺い見ると、案外、驚いた顔をしていない。


「やはり、そう言われますよね」

「けど、俺達の契約はそもそも()()()()ことはナシって話だった。あんたに無理強いはしない。王は俺がなんとかするから──」



「試してみましょう」



「……は????」




 グラフェンは思い付いたように手をポンと叩いた。


「お恥ずかしながら、私はこれまで男性とお付き合いしたこともございませんし、男性を好きになった経験もございません。だから私はそれらの行為がどういう気持ちになるのかわかりません。もちろん性の捌け口にされて、子どもを産むのは気が引けます。でも試しもせずに嫌だと跳ね除けて、要らぬ危害が周囲に及ぶのは愚行というもの。自分だけならまだしも、周囲も、となると話は変わってきます。嫌だったら嫌でやめて解決策を探ればよいですし、嫌でなければ解決です」

「あんた、馬鹿か? もっと自分を大事にしろよ」

「え、自分を?」


 グラフェンは、どうやら自分すら愛していないらしかった。


「でも……試さない理由がないですよね。夫婦ですからそういった行為をしたところで貞操観念がどうのと責められるわけでもないですし、周りの被害を抑えられますし」

「あのなあ──」

「あっ、まさか私とはしたくない……?」




「したいよ」



 あっと思ったときには、もう答えてしまっていた。


 自分でも驚いた。考えるより先に言ってしまっていて、手で口を覆っても言葉は戻ってこない。

 グラフェンの予想だにしない反応のせいか、嫌がることはしないと宣っておきながら、ついつい本音が溢れてしまったようだ。

 ここまできたら嘘をついても無駄だと、ナノホーンは俯きながら繰り返した。


「したい」


 夜闇に溶ける言葉は、甘ったるくて体がむず痒くなる。

 グラフェンはなにも応えない。上目で見ると、優しげな表情を向けてくれていた。


 月夜に照らされたグラフェンは美しかった。


 青白くて儚げで、それでいてとても優しい。さらさらとした髪が華奢な肩を隠して、その体を見たいと思った。


 ナノホーンは手を伸ばしていた。

 グラフェンの頭を撫でるようにして引き寄せて、唇を寄せて、そっとキスをした。


 あたたかくて、やわらかくて、いとしくて、あたまがくらくらした。


 触れ合うだけのつもりが、唇を()む。開いた唇に舌を()れると、グラフェンの舌があった。


 あつくて、きもちよくて、いとしくて、離したくなくて、もっと近付きたくて、ナノホーンはいつの間にかグラフェンを押し倒していた。ベッドに縫い付けるような力強さでグラフェンにキスの雨を降らすナノホーンは夢中だった。


 いとしくて、いとしくて、たまらない。


「待っ──」


 離れたくない。

 もっと近付きたい。

 いつまでも味わっていたい。

 もっと深くで繋がりたい。

 高まるグラフェンの体温が余計にナノホーンを欲情させた。グラフェンの熱い吐息さえ、ナノホーンにとっては媚薬に等しかった。


「ちょっ……」


 なにも考えられなかった。

 ただ貪りたくて、すべてを奪ってしまいたくて、頭が真っ白になる。


「ナノホーン!」


 はっとした。


 グラフェンの潤んだ目と視線がかち合う。


 彼女の衣服は乱れていた。

 ベッドの上にちらばるグラフェンの髪は妖艶で、まるで蝶を誘惑する美しい花弁のようだった。露出した肩は華奢で、けれど乳房は豊満で、ナノホーンの掌はなぜかその乳房に置かれていた。


 本能だったのかもしれない。


 キスだけのつもりが、グラフェンの首筋にはいくつも赤い痕が残されていて、噛んだ痕があって、唇がひりついた。


 紛れもなく、自分がしたことだった。


 愕然とした。


 自分は、そこらの男とは違うと思っていた。女性を組み敷いて無理矢理に己の快楽に巻き込む蛮行など無縁だと信じていた。


 それなのに、どうだ。



「え……ごめ……悪い……ちょ、待った」



 信じられない。

 グラフェンを失うのを厭って、絶対に体など重ねないと決めていたのに、いざ触れると(たが)が外れて見境がなくなる。


 そのくせ、荒く上下するグラフェンの胸を見てまた体が熱くなる。


(これじゃ(けだもの)だ)



「ナノホーン」

「ごめ──こんなこと、するつもりじゃなかった、違う」


 ナノホーンは完全にパニックに陥っていた。


「大丈夫、大丈夫ですから」

「本当だから。するつもりじゃなかった、本当に違うんだよ」

「わかりました。大丈夫ですから、落ち着いて」


 グラフェンの細い腕が伸びて、温かな掌でナノホーンの両頬を包んだ。諭すように言った。


「少し、驚いただけです。ただ、まだ少し、ゆっくりでもいいですか。初めてなもので、動揺のほうが大きくて」

「わかってる、わかってるよ。わかってるはずなんだ」

「大丈夫。嫌ではありませんでした」


 そう言って、グラフェンはほんの少しだけ体を起こして、今度は彼女からキスをしてくれた。優しい、触れるだけのキスだった。


 それだけで、ナノホーンはどっと安堵した。


「怒ってないか」

「ええ」

(きら)ってないか」

「はい」

「どこにも行かないか」

「もちろん」


 よかった。

 本当によかった。

 グラフェンがいなくなったら、もう生きていけない。

 それほどに、ナノホーンにとってグラフェンの存在は大きくなっていた。


 二人はどちらともなく寝転んで、静かに眠りに落ちた。手は繋がったまま。ナノホーンがどうしても離したくなかったのだ。



 自分では()められない。



 ナノホーンは自分の一面を知って、怯えていた。

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