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11話目


「これは完璧に俺がミスった」


 ソファにふんぞり返って天を仰ぐナノホーン。

 やらかしてしまったと手で目を覆うけれど、これは紛れもなく現実だ。


 そのナノホーンの膝には、頬を紅潮させて眠るグラフェンの頭が乗っている。

 ワイン瓶2本をぺろりと飲み干した彼女は、完全に酔っ払って寝落ちしてしまった。


 飲ませすぎた。


 葡萄の味がどうのこうのという話が白熱して、ついつい酒が進んでしまったのである。料理を完食したのはさすがとも言うべきだが、もう食べられない、と呻きながら膝に頭を乗せてきたときにはどうしようかと思った。


 グラフェンは口を薄っすらと開けて、すやすやと眠っている。

 その頬を撫でてみると、僅かに体温が高かった。


(この女は本当に警戒心がなさすぎる)


 いくら自分が女嫌いだからといって、男の膝を借りて眠るやつがどこにいるのだろうか。なにをされてもおかしくない状況だというのに、どういう神経をしているのだ。


 ただし、ナノホーンはそういった行為をしない。

 万が一にでもグラフェンが目覚めて、愛想を尽かされて城を出られたら困ってしまう。


 そう、困るだけだ。

 妻役がいなくなったら、また探さなくてはならないから困るだけ。


 そのはず。


 グラフェンを見つめながら、髪を撫でた。

 さらさらと流れるこの髪の柔らかさは女性特有なのだろうか。


 ナノホーンが物心つく前には既に1番夫人がいて、城内を牛耳っていた。1番夫人には散々な目に合わされたせいで、女とはほとんど接してきていない。街中でそういう店を見掛けたとしても、なんの魅力も感じなかった。むしろ怖くて逃げた。あんな女達がうじゃうじゃいるかと思うと、ぞっとした。


 女嫌いというか、女性恐怖症に近かったのかもしれない。


 男の明らかな嫌がらせには、まだ耐えられる。それこそ繰り返されるストレス発散の道具にされて殴られるのは、どちらかといえば得意なほうだった。腹にぐっと力を込めていればいつか終わる。


 だが女の陰湿さは、どうも精神にくる。


 邪悪な眼差しや、痛いところを突いてくる虐め、心を抉る言葉の鋭さは男の比ではない。しかも集団になってその行為を正当化する傲慢さには、途方に暮れるほどだった。


 ナノホーンを殴る行為に後ろめたさを持っている兄達はいるが、自分達の行いが(あく)であると自覚のある女は、ナノホーンの周りにはいない。だから、性欲なんてものが消失するくらいに女が嫌いになった。

 それでも王子として結婚を求められるのだから拷問だ。


 グラフェンを見付けたのは奇跡だった。


 あのパーティーの日。

 王子ひとりひとりの紹介がなされていたのにも関わらず、ひとりだけまったく注目していなかったのがグラフェンだ。遠くからでは、顔の向きが大衆と違うのがよくわかった。というより、皆に倣って前を向いているのだけれど、若干、違う方向を見ていた。それが必死に横目で料理を眺めているのだとわかると、もう目を離せなかった。

 あの料理に手を伸ばす早業といったら。

 ナノホーンは思い出して、ぷぷっと笑ってしまった。


 グラフェンは自分に興味を持っていない。

 好感も、その逆も持っていない。


 それは実にナノホーンが求めていた人材であったし、なおかつ、かなり稀有な存在だった。ダンスの時間になって、それは確信に変わった。誰とも踊らずに、ましてや自分が王子であるとも気付かないグラフェンが輝いて見えた。


 結婚は賭けに出たが、承諾してくれたときはほっとした。もう、これで呪縛から解き放たれる。恐ろしい女と結婚させられる恐怖に怯えて暮らさずに済むし、結婚を急かされずに済む。


 あとは勝手に過ごせばいい。


 関わらず、知らずを貫いて、表向きだけ夫婦であればいい。

 グラフェンが女達に虐げられようが、あとはどうだって構わなかった。


 それなのに、どうして守ってやらねばと思うのか。


 ダイニングの扉越しに聞こえてくる、女達がグラフェンに向けた言葉の刃が、まるでナノホーンを刺しているみたいに痛くて痛くて堪らなかった。申し訳なくて、どうしようもなかった。


 あの場から連れ出してやりたくて我慢できなかった。


 この感情はなんなのだろう。


 こうしてグラフェンの頬を包んでしまいたくなる掌は、どこか壊れてしまったのだろうか。


 ナノホーンはグラフェンの柔らかな頬を大きな掌で包み込んだ。その温もりは抱き締めたときの感覚を思い出させる。簡単にすっぽりと覆えてしまう華奢な体だ。


「くすぐったい……」


 寝言も微笑ましい。

 そろそろ放してやるかと頬から手を離そうとすると、だが、それは叶わなかった。


 グラフェンがその手を握ったからだ。


「……あったかい」


 そのくせ、すーすーと寝息を立てている。


(なんなんだ、こいつは……!)


 胸がぎゅうぎゅうと締め付けられて痛いくらいだ。誰に鷲掴みにされているわけでもないのに、きゅっと胸が鳴る。これ以上はよくないと思って手を離そうとするのに、寝惚けているくせにグラフェンの力は強い。


「放せよ」


 けれど、そう言うくせにナノホーンの口調も優しかった。情けなくなるほど、優しかった。


 そのときノックがした。


「入れ」


 努めて威厳のある声音で言った。

 入ってきたのは、デルタフェだった。皿の回収にでもきたのだろう。ソファにいるグラフェンの姿を見て、目のやり場に困っているらしいところが妙に腹立たしかった。


「持って帰ります」

「ああ」


 やはり皿の回収だった。侍女にやらせればいいものを、わざわざ人の目を盗んで自分で来たということは、グラフェンから料理の感想を聞きたかったのかもしれない。

 ただ、残念ながらグラフェンは眠っている。

 皿とグラスをワゴンに乗せて踵を返そうとすると、音に気が付いたのか、膝の上でグラフェンが瞼を持ち上げた。虚ろな瞳を巡らせてデルタフェを認めると、重そうに腕を上げて皿を指差した。体を起こす力は残っていなかったようだ。


「それ……」


 声が聞こえて、デルタフェが肩をびくっとして振り向いた。グラフェンが起きたとわかると、あからさまに嬉々としている。


(なんか腹立つ)


 じと目でデルタフェを睨むが、デルタフェはナノホーンなどまったく視界に入っていないらしい。


「どれ? これ?」

「それ、まだ食べ終わってない……」

「全部食べてあるけど」

「んあ? あ、そっか、食べたわ……美味しかったよ……温かかった」

「本当?」

「うん……全部、美味しかった……ぜんぶ……」


 そう言い残して、また睡魔に引き寄せられたようだ。ぐらりと落ちていくグラフェンの腕。


「あっ」


 デルタフェが手を伸ばしてグラフェンの腕を受け止めようとした。


 けれど、それが失敗に終わったのはナノホーンが一瞬早くグラフェンの手を握り止めたからだ。デルタフェから遠く離すように、さっとグラフェンの胸の上に手を戻してやる。


「グラフェンのことは俺がやる」


 その牽制はどういう意味なのか。自分でもよくわからない。それでも悔しそうなデルタフェを見ると、若干の優越に浸れた。

 グラフェンに()れさせないことで、なぜ自分が喜んでいるのか、理解が追い付かないのだが確かに自分は喜んでいる。


(まあ、そのうちわかるだろ)


 いつか自分の気持ちの正体がわかるはず。


「こんな状態だから、夜飯は軽いものを作っておいてくれ」

「……俺、あんたのシェフになったつもりはないんだけど」

「……はぁ!?」

「グラフェンの言うことだけ聞くから」


 言い逃げとばかりにそそくさと部屋を出て行くデルタフェの背中を見送ってからしばらく、ナノホーンは呆気にとられていた。

 さっきの優越はどこへやら。今度は不可思議な焦燥が小さな火種となって燻り始めている。


「どうやら、俺の奥さんは目を離さねえほうがいいらしい」


 苦笑混じりに言うと、膝の上でグラフェンが寝返りを打った。

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