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1話目


「愛されたいのね?」


 振り向いた先に、美しい女性がいた。


 なぜ、自分に聞かれているのかも考えられないほど、彼女の心は枯渇している。



 そのとおり、彼女は愛されたかった。

 なぜなら、彼女は誰にも愛されなかった。


 三歳歳上の姉は誰からも好かれる明るい人柄で、スポーツもできて、勉強もできて、お洒落で、センスが良くて、お化粧も綺麗で、どこにでも出掛けていく活発な人で、母からも父からも当然に愛されていた。

 一方で、彼女は両親が一姫二太郎を目指し、男子を切望されたにも関わらず生まれ落ちてしまった次女で、体も小さく、不器用で、平々凡々で、母からも父からも愛されなかった。


 彼女は人付き合いがうまくなかった。


 取り繕うということがとても苦手で、根暗で、学校では誰からも嫌われて相手にされなかった。放置してくれればいいものの、そういう人間達は常に嫌がらせをして彼女の心を刳り続けた。


 社会人になって、ようやく愛し合える人を見つけた。


 これで、この苦しい世界から家族から抜け出せる。

 やっと幸せになれる──と思いきや、結婚して、女児を産むと、男を産めと責められる。命懸けの出産に恐れをなした彼女が『もう無理だ』と断ると、『もう、いい』と棄てられた。


 子どもも奪われた。


 経済力のない女は子どもを育てるに値しないと、そう判断された。

 それでも彼女は子を愛していたから、どうしても諦めきれずに探し回った。誰もいないときを見計らって、ひっそりと会えた娘は、すっかり彼女を忘れていた。


 それでも、誰も彼女を支えなかった。


 母親は、お前が男を見る目がなかったのだと罵り、悪い男に引っ掛かった自業自得だと嘲笑い、慰めの言葉ひとつはおろか、呪詛のように馬鹿だ馬鹿だと繰り返す。


 父親は、売女と蔑みを込めた目で彼女を見た。

 姉は、見向きもしてくれなかった。


 彼女は誰からも愛されなかった。


 彼女は、誰からも愛されていないなら生きていても仕方がないと自死を選んだ。


 山奥に掛かる吊橋に辿り着いて眼下を望めば、橋の遥か下には激流の川がある。この高さでは、着水する衝撃で体が粉砕されるだろうと知っていた。

 いざ、死のうと橋の欄干を乗り越えようとしたときに、その女性は現れた。


「愛されたい?」


 美しい女性だった。

 長身で足が長く、伸びた黒髪は腰まである。ふわふわと風に揺れる総レースの黒ワンピースは妖艶な彼女にぴったりと似合っていて、夜の闇から生まれた魔女のように見えた。

 口紅が濃い紫色だからか、艶美な微笑みにうっとりしてしまいそうになる。


 彼女は、今しようとしていたことを後ろめたく感じて、咄嗟に欄干から手を離した。


「あ、あの……私、失礼させて──」


 踵を返した。

 このままでは彼女に取り込まれてしまいそうだった。

 けれど、はっと息を呑んだのは、振り返った先に彼女が既にいたからだ。


 そんな馬鹿な──?


 先まで彼女が立っていた場所を横目で見ても、彼女はいない。ということは、目にも止まらぬ早さで移動したに違いないのだが、俄には信じられなかった。音さえなかった。


「あなた、誰からも愛されなかったのね」


 長い爪の人差し指で頬をなぞられた。


 痛いところを突いてくる。ぐっと言葉に詰まると、女性の口角がにたりと歪んだ。


「いいわ、あなたを愛してくれる人をプレゼントしてあげる」


 女性の言葉が、よくわからなかった。

 そんな人をどうやって贈るというのだ。レンタル彼氏みたいな上辺だけの愛なんていらない。馬鹿にされたみたいで、悲しくなる。

 愛されたいだけなのに。


「その代わり、あなたの愛をちょうだい」


 女性の目を見つめていると、目眩がしそうだった。目の前で白目と黒目がちかちかと色を反転し続けているみたいな錯覚が見えて、頭がぐらぐらする。目を逸らそうとしても、逸らせない。


「私、人の愛を喰らって生きる魔女なの。あなたの穢れない愛を私にちょうだい。その代わり、次の人生であなたを愛し続ける男をプレゼントしてあげる」


 それは抗えない誘惑だった。


 愛が欲しい。愛されたい。なにがあっても自分を愛し続けてくれる人に出逢いたい。


「……本当に? それは、ほ、本当に、私を……何があっても、私を愛し続けてくれる人なんですか? 体も求めず、お金も求めず、男の子を産めなくても怒らない? 子どもを産めなくても怒らない? 笑わなくても怒らない? 気が利かないって、怒らない?」


 言うと、初めて魔女は哀れそうに眉尻を下げた。


「可哀想な子ね、あなた。その純粋さに、皆が調子に乗るのね、あなたを傷付けても大丈夫って。次の(せい)では強く生きなさい。あなたを傷付けようとする人間がいたら、立ち向かうの。俯かないで、睨むのよ。負けて死ぬくらいなら、最期まで睨んで殺されなさい。いいわね?」

「は、はい」

「じゃあ、愛は頂くわ」


 魔女は彼女の左手首を握って、口付けをした。

 ちくりとした痛みだけが走る。

 ぺろりと舌なめずりをした魔女は、どんっ、と彼女の胸を押した。


「ばいばーい」


 体がふわりとしてから、落ちているのだとわかる感覚がするまで彼女は魔女を見つめ続けていた。

 あっという間の最後だった。



◇◆◇◆◇◆



 それは意識の急浮上だった。


 深い深い沼の底に沈んで、すっかり眠っていた意識が覚醒して、思い出したように呼吸をする。凝り固まった肺腑がびしびしと音を立てて膨らんだ。


「……今のは?」


 女に押されて落下し、死んだ記憶。


 夢にしては鮮明にすぎた。


 あの落ちていく浮遊感。水面に叩き付けられる衝撃が、今でも体をびくつかせる。何千万本という針でいっきに刺されたような痛みが、背筋を寒くする。


 夢であると思いつつも、念のため無事であるか体を見回して確認すると、意外にも彼女は立っていた。眠っていたがゆえの悪夢だとばかり思っていたのだが、どうやら立ちくらみ程度のものだったらしい。


 そう、自分はグラフェンだ。


 平民のごくありふれた一家に産まれた三女。

 平凡な茶色の髪に焦げ茶色の瞳。身長体重も平均で、なんの取り柄もないグラフェン。嫁ぎ先もない、行き遅れ寸前の17歳だ。

 他と違うとすれば、目眩の中で見た魔女が口付けをした左手首に、蛇が林檎に絡み付いたような痣があるだけだ。しかしこれも、幼少期に暖炉で悪戯をしたがゆえの火傷だと両親から聞いている。

 こんな夢とは、なんの関係もない──はず。


「失礼ですが、体調でも?」


 声を掛けられて、おぼろげだった記憶がはっきりとした。


 そうだ、今は王位継承後、新王を披露するパーティの最中だった。街中の住民がお城に招待され、新たな王の誕生をお祝いする場所なのだ。


 ただし、それの3日目。


 初日は真の貴族達だけが呼ばれ、2日目は世帯主が呼ばれ、3日目にして乙女達が招待される庶民にしてみれば迷惑この上ない催しなのである。


 訊ねてきた給仕らしき男性に、愛想笑いを浮かべて首を振る。

 こんなところで医務室にでも運ばれたら、それこそ両親から大目玉だ。

 長女、次女だけでなく、四女の妹までもが嫁いでしまった今、三女のグラフェン本人よりも親が焦りまくっているのだ。

 グラフェンとしては、ずっと実家でのんびり暮らしてもいいと思うのだけれど、両親としては早く子を巣立たせてふたりだけのゆとりある生活を心待ちにしているらしい。


「それでは王子のご紹介です──」


 確か新王の息子は8人。

 つまり新たな王子は8人いるわけだが、平凡代表のグラフェンにはちっとも興味を持てる話ではない。彼らよりも、普段は味わえぬ王家専属シェフの料理のほうがグラフェンには重要だ。


 履き慣れない靴を鳴らさぬように料理へと近付く。

 これぞ早業と自負のある素早さで、料理を片っ端から一口ずつ頬に放り込んだ。


 はっと息を呑む。


「美味しい……ちょっと待って……なんなのこのクリーム……口溶け滑らかで濃厚な味」


 おかわりをしたいところだが、それはぐっと我慢だ。同じ皿に二度の手出しはご法度。

 あら? 今の手の動きは目の錯覚かしら?

 と、思わせるのが難しくなってしまう。

 さっ、と取って、さっ、と頬張る。

 これを守っていないと、瞬く間に乙女らしからぬ所業が知られるところとなってしまうわけだ。


 一通りの味を見たところで、王子の紹介も終わったらしい。


 料理に気を取られていなくても、貴族でもない平民達のいるところはあまりにも遠すぎて、人の多さもあり、王子の髪の色さえわからなかった。どうでもよすぎて笑えもしない。


 とりあえずのダンスタイムが始まったので、グラフェンは庭に出ることにした。





 庭には噴水と薔薇園があった。今は緑だらけの迷路だが、季節になれば色とりどりの薔薇が咲くらしい。


 月も見える晴れた夜空だった。屋敷の華やかな明かりが芝生を照らし、そこが夢と(うつつ)の曖昧な境界線に思える。風が吹いた。


 グラフェンは夜風が好きだった。


 冷たくもあり、髪の隙間を撫でてくれるような僅かに質量のある風が、心を落ち着かせてくれる。溜まっていた淀みが澄んでいく。

 給仕が気を利かせて持ってきてくれたホットティーを手に、ほっと息を吐いた。


「……早く帰りたい……」


 人付き合いの苦手なグラフェンは、やはり愛想笑いが苦手だった。楽しくない時間を過ごさなければならないのは苦痛で、億劫で、逃げ出したくなる。逃げられればいいのだが、マナーとやらがそれを許してくれない。2度あるダンスタイムが終わるまでパーティーにいなくてはならないなんて、どこの誰が決めたのかと不満をごちる。


「本当に余計なことをしてくれる……」


 自由参加の自由帰宅を許してくれればいいのに。そうしたら、そもそもここには来なかった。



「なにが余計なんだ?」



 びくっとした。

 ひとりしかいないと思っていたからこその独り言だったのに、それを聞かれた挙げ句、話に乗ってこられるとは。


 振り返ると、見知らぬ男が立っている。


 少し長めの黒髪に切れ長の目。

 日に焼けた肌に白いシャツ。ボタンがだらしなく開いているのにふしだらな色気を感じさせないのは、あまりにもピリついた彼の眼差しゆえなのか。

 風に攫われる髪を押さえながら佇む彼は、どう足掻いて見ても貴族の風格があった。


(貴族だ。失礼をしたら面倒に巻き込まれる……!)


 秘技、くしゃくしゃ笑い!


 愛想笑いを通り越した、挨拶笑い。

 人の良さそうな笑顔を貼り付けておけば、穏便にその場を切り抜けられると知っている。グラフェンは微笑んで、隠すように温かいカップを抱いた。


「いえ、なにも」

「ダンスはいいのか? 今夜だけは王子が誰とでも踊るらしいぞ」

「あ、へー……」

「知らなかったのか?」


 口が裂けても興味がなかったとは言えない。慌てて首を振って否定した。


「いえいえ、今宵はそのような光栄な日であるとは、もちろん承知しておりました。ダンスが始まっていたのですね、私ったら、まったく気が付きませんで──」

「嘘付け。ダンスが始まってから庭にきただろうが」


 笑顔が固まってしまう。


(えーと。どこからどこまで見てらしたので?)


 とは聞けないので、なんとか取り繕うことにした。


「ダンスが苦手で──」

「男がリードするだろ」

「ちょっと体調が──」

「食い過ぎたんじゃねえの?」


 えーと!

 どこから見てらしたので!?


 グラフェンはごほんと咳払いをして、カップの中にある紅茶で唇を湿らせた。言い訳を思い付くための時間稼ぎともいえる。


「行けば? 運命の人とやらがいるかもしれないぜ? 最愛の人を見付けられるチャンスだぞ」


 その単語はグラフェンにとって最も下らないと思うものの名だ。


「愛、ねぇ……」


 ふんっ、と鼻で笑ってしまった。


 愛なんてどうでもいい。

 愛ってなんだ?

 性欲?

 寂しさを埋めるため?


 相手がいなくなったらすぐに代わりを見つけるくせに、そんな人間達の心に愛なんて存在しない。あるのは、そのときの感情を満たすだけの欲だ。


 嘲笑を見た男が目を丸くした。


「お前、もしかして──」


 はっとした。

 まずい、なんて不躾な態度を取ってしまったのだろう。絶対に高貴な家系に決まっているのに、こんな無礼を働いてしまった。


「やはり体調が優れないようですので、失礼させていただきます」


 グラフェンは急いでその場を辞去した。

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