インタビュー補遺/使われなかった部分/人類の範囲について
この話にはもう少しだけ続きがある。
空子が消え、人類全体が部分的に消え、空子の十五年後に秋山清歌――秋歌和尚――が消えた。
その清歌のアーカイブには、まだ他の映像がある。
実際に行われたインタービューのうち、映像に使用されなかった部分。
空子が言う《極楽往生》とはなにか、空子自身の言葉で端的に語っているが、ドキュメンタリのディレクターが気に入らなかったので使われず、世に出なかった部分である。
◆Interview◆
~矛盾があるように思います。ランダムで順番ならば、順番の前に死んでしまう人などもいそうですが~
《人類全体》と言った時に、各個人の単純な合計を意味していません。
数学では、変数を伴った関数で集合を表現することがあると思いますが、そういった意味合いでの全体です。《人類全体》を表現するとしたらいわゆる境界条件の設定が非常に複雑になりますし、ほとんど例外に当たるようなフリンジも確認する必要がありますので、口で言うほど簡単な内容ではありませんけれども。
……もちろん人間は関数ではないのでずいぶん荒っぽい表現かもしれませんが、人類とはそうしたものです。
~関数……ですか? 動物も含まれているといいますし、なんというか人間を非常に粗末に扱っているような気がします~
例えが悪かったかもしれません。可能的全体について表現したかったのですが……。
人類には固有の広がりがあって、その全体を捉えることが《人類全体》を捉えることである、というのがここで言いたいことなのです。
もちろん一組の関数として人間を捉えるわけではないのですが、個別の人間を集積して行って全体にするわけではないのには違いありません。
人口統計を行うにあたって、一人づつ指差し確認をするわけではないというのに近いことです。
もう一度繰り返しになりますが、各個人の単純な合計ではありません。
しかしながら、人類全体には各個人の合計は内包されています。
~そうでしょうか? 「人類」といえば生物の種類ですから、つまりすべての固体の合計であるように思いますが~
また定義の問題ですね?
定義について話し合うのは苦手ですが、この場では定義についての話をしましょう。どちらかと言えば常識的な話ですから。
……いま、ここでは定義として「人類」というのをどのように捉えるかという問題なわけですが、私の発言における《人類全体》は生物の種類について言っているわけではないのです。
人類のすべての個体もそうですが、人類をそのように育んできた環境と、人類がそのように暮らしている生活空間と、人類がそのように積み上げてきた成果物のすべてなど、「人類」に関わるかなり多くのものを指して《人類全体》と呼んでいるのです。
先程は《人類知性》という言葉で申し上げましたが、人類の積み上げてきた歴史、言語、宗教、科学、技術、芸術、社会、それから友情や愛情、などなど、そういった全てのものは、現在生きている生物としての人類のすべての細胞やすべての原子を合計しても、結果として導き出すことはできません。
大きなところで言うと、現人類の成立に地球の存在は不可欠ですが、今現在姿を消して不在にしている地球そのものは、現在の太陽系の人類すべての合計だけからでは析出できません。単純に質量だけでも足りない。
そしてその全てである《人類全体》を、《極楽浄土》に放った時に《人類全体》、地球を含む《人類全体》として形を取り戻すように抜き出してゆく出来事が《極楽往生》なのです。
=補遺映像 END=




