とおくのおおきなこおりのうえを
娘の小学校入学記念の短編です。対象年齢は中学生~高校生くらい…かな?
お段の長音の特例に関するアレを元に、異世界転生で内政チートの話を作ってみました。
隣の国が流行源の凶悪な新型肺炎に罹ってしまった。
ちゃんと気を付けてたさ。会社を挙げてね。でもお客様が「ウチも在宅勤務の準備をしなきゃ」と言い出したら、IT技術者として協力しない訳にはいかないよね。
在宅で手配は出来るが、設定の為には現場に出向かなきゃいけなくて。緊急事態宣言が出される直前だったんだよなぁ。そしてこのお客様、所在地がよりにもよって感染者数ダントツトップの大都市の中心だったからなぁ。
どうやらそこで感染しちゃったらしい。
夕方やたらと咳が出た。マスクもしてたし潜伏期間は最短でも1日以上と聞いてるから、まさかねぇと同僚と笑った。夜、帰宅する前に息苦しくて意識を失った。
気が付いたら見上げていたのは、見知らぬ、天井。また急激に息苦しくなった。次に気付いた時に見上げていたのは、もっと見知らぬ天井だった。
何だろう。薄暗いが、やけに重厚感のある装飾。少なくとも病院では無いな。どこだここは?
むくりと起き上がって周りを見渡すと、急に抱き着かれた。おいおい、痛いって、そんなに力一杯抱き着いたら。
「アル!ああ、アル!また会えたのね!!」
アル?誰だそれ?俺の事…?
豪華なドレスの色っぽい女性が俺に抱き着いて号泣している。向こうでは装飾過多の紳士が男泣きに泣いている。どう見ても看護師や医者ではないな。
見回すと、反対側にはローブを着た禿げ頭… じゃなくて剃ってるのかあれは?その禿げ頭が言った。
「で、君は誰だね?」
◇◆◇◆◇◆◇
どうやらこういう事らしい。
この紳士と淑女はお貴族様で、その末っ子が病死した。お貴族様ご夫婦は大層悲しんだが、そのとき反魂の秘術の噂を聞いた。それから手を尽くして反魂を使える魔術師を探し出し、逸る気持ちを抑えて数年の時間を準備に費やした。そして今日、術を行使。
どうやら成功したという事らしい。が、俺はそのアルじゃないんだけど、いいのかなこれは。そこの所を突っ込んでみた。そういうもののようだ。
反魂じゃないじゃん。魂の召喚じゃん。あ、そうですか。そういう事でご夫婦を始め御一家の皆々様にも御理解はいただいていると。とにかくその末っ子の姿形が動いているだけでも、たとえ中身が別の誰かであっても嬉しいと。
病んでると一言で片付けるのは簡単だけどさ。その末っ子君、皆さんの癒しになってたんだろうな。視点を変えると、それだけ厳しい生活環境であるという事か?ううむ大変な所に来ちゃったかも。
しかし俺のベッドの周りには厳つい兵士が剣を構えて待機してるし、魂の召喚なんていう魔法が存在するし、ここはいわゆる剣と魔法の異世界かな。部屋の内装や貴族の服は昔のヨーロッパ風味だし。これはもしかして異世界転生か?ううむ燃える!
…のは後回しだ。昂るテンションを抑えて、まず自分の立ち位置を確認しなければ。いきなり厳しい生活環境に放り出されてイジメられでもしたら堪ったものじゃない。
という訳で、ローブの禿げ頭に問われるまま、俺は自分の素性を正直に話した。こことは違う世界から来た事。向こうでは病気で急死したらしい事。自分の年齢は50歳だった事。
は?50歳が長生きですか?向こうじゃ下手すると折り返し地点だったんですが。え?そんな化け物を見るような顔をしなくても。
後は色々とこちらの常識を教わってからの方が良いような気がする。常識を擦り合わせておかないと、こうした少々の問答だけでもやらかしそうだ。それはローブの禿げ頭とお貴族様ご夫婦にも御納得いただけた。
それからはまずリハビリ。同時にこちらの世界の諸々を学習。先生はローブの禿げ頭。…しばらくしたら、何だか別の先生が付いた。どうやらメイドさんが見ていて、あまりにも偏った教育内容にストップが掛かったらしい。魔法の突っ込んだ話は面白かったのに。禁忌?知らんがな。
半年くらい掛けて、庭を全力で走り回れるようになった。体調不良や違和感も無い。こちらのおおよその一般常識も大体わかった。それで御一家+ローブの禿げ頭と対談の運びとなった。
◇◆◇◆◇◆◇
やはり俺は中世ヨーロッパ風で剣と魔法の異世界に転生を果たしたようだ。
俺が憑いた末っ子の名前はアルフレッド・ダウ・スフォリッツィ。スフォリッツィ家の末っ子、皆のアイドル。享年6歳。亡くなってから3年と少し、もし生きていれば今頃は10歳だった由。ちなみにアルの後に生まれた子も3人ほどいたが、みんな生まれて間も無く病没してしまったそうだ。
子供の死亡率が高いのは、こちらの世界では当たり前らしい。だから7歳になるまでは天使とか神の使途とか呼ばれる事もあるとか。アル坊やの場合は、人として認められる7歳のお祝いの直前に天に帰ったようだ。
この家はいわゆる辺境伯と呼ばれる、それなりに格の高い上位貴族との事。と言ってもそれは建前だけの話。実情は色々あるんだとか。
先々代が魔物討伐だか何だかで巨大な手柄を立てたけど、足を引っ張る有象無象に抗しきれなかった。王様の恩情で爵位だけは辺境伯に爆上がりしたが、賜った領地が北の果て。それ以来、代が替わっても、肩書だけ立派な貧乏貴族として蔑まれる立場だそうな。
小麦がロクに育たず、ライ麦で凌ぐような寒い土地。それすら育たず、僅かな雑草で山羊を飼う村もある。食べ物にも窮するような、本当に貧乏な領地。北部国境の守護職への俸給という建前で国から支給される小麦で飢えを凌いでいる。
…と言うのは表向きの話。領地の真ん中に大きな湖があり、ここは魚と貝が豊富で、食べ物に困った事はあまり無いらしい。海にも面していて、そっちからも魚介類が上がる。塩も充分だ。
またここより北方は巨大な森林地帯で、伐り出した木材を隣の領に売ればそれなりに稼げる。但し小麦の支給はやはり有難く、稼ぎは目立たない程度に抑えているとか。ちゃっかりしてるな。
貴族としては王族ともそれなりに親しく、また隣領とも友好関係を築いている。中央に出仕した際の冷たい目線さえ我慢すれば何の問題も無いとか。我慢は貴族の真骨頂と笑っていた。冬の寒さも大変なようだし、お貴族様と言ってもなかなかの苦労人のようだな。
俺は日本の現代事情を語った。
建前上、貴族はいない。王族に相当する一族はいるが、政治の実権は無い。
政治は平民の中から選ばれた者が行うが、選ぶのも平民である。その為に平民にも等しく教育を授ける。
食料は農民1人で20人分を生産している。そのため農民の人数は少ない。国民の5人に1人は事務員である。事務が出来るだけの読み書き算盤は、教育を通して国民全員に叩き込まれる。
おおよそ金さえ積めば、平民でも貴族に近い暮らしが出来る。国は食料ではなくて経済で動いている。
病気でも怪我でも、出産でも、そう簡単には死なない。医療や薬に必要な金は政府が負担していて、貧しい平民でも手厚い保護を受けられる。
病気予防の基礎知識なども国民に浸透していて、それも教育を通して叩き込まれる。
ここまででも、およそあり得ないほど驚かれた。魔法が無いと聞いてローブの禿げ頭はガッカリしていたが、魔法を使わない錬金術の話をしたら目を輝かせていた。
しかしなぁ。何だか疲れた顔で一族郎党全員集めて会議したいと言い出したのは参ったよ。縁戚関係にある他貴族にも今の話をして欲しいと言う。勘弁してくれよ。幾ら平民と仲が良い事で有名な辺境伯と言えど、貴族を否定するような社会を語っちゃうのは命懸けでしょ。
一応、今の社会が出来上がってきたのはここ70〜80年くらいの歴史の浅い話だとは言っておいた。うんそう、あなた達の曾祖父様が現役だった頃から始めて、不断の努力で前に向かった結果だよ。うんうん目がキラキラしてるね。夢があるのは良い事だ。
しかし何がそんなに良かったのかな?なるほど政治判断の責任を丸投げ出来るのが良いと。まぁそうだよね。ぼんやりしてれば領が勝手に発展するならこんなに楽な事は無い。
ふむ、その場合お貴族様はどうなさるおつもりで?捨て扶持貰って飼い殺されるなら本望?えーと、貴族の矜持とかそういうのは?何と言うか、大丈夫ですか?人生にお疲れではないですか?
◇◆◇◆◇◆◇
俺はとにかく褒める事から始めてみた。父様母様兄様姉様、メイドに執事に警護の騎士、馬番や庭師や料理人、出入りの商人に至るまで、顔を合わせれば褒めるように意識した。
最初は驚かれた。貴族たるもの簡単に人を持ち上げてはいけない、身分を何と心得る、と叱られた。けれど何だか屋敷の中が明るくなった気がする。いいんだこれで。続けていたら人気者になってしまった。
父様に頼んで領内の視察に同行させてもらった。というか視察を計画してもらった。良い機会だからと兄様達も一緒だ。ひと月かけて領内を隈なく見て回った。
いや驚いたね。豊かな領地じゃないの。誰だよ貧乏領地とか言ったの。
確かにね、真夏だというのにそれほど暑くなく、これが平年だと言うなら冬は寒過ぎるだろう。小麦が育たないのも理解できる。
しかし小麦の代わりにライ麦の畑が広がっている。ライ麦パンは黒っぽくて硬くて味が落ちるが、それを補う食文化がある。
領地の中央に広がる巨大な湖は魚介類が豊富。一部の魚卵の塩漬けは珍味中の珍味との事。キャビアじゃん!
黒パンを薄く切ってその上に、うそっ!!と叫びたくなるほどごってり乗せて。ああ、キャビアのスプーンに銀を使うのは野暮ってのは知ってる。木製を使うのが正しい。
そうか、そういう所が貧乏臭いとか言われちゃうのかな。ただでさえ王国貴族の価値観の中では魚料理は下に見られちゃうからな。
金ならどうなのかな?王様に使ったから他の貴族に使う訳にはいかないと。なるほど。色々面倒だねぇ貴族ってのは。良いんだよそういうモノの道理を知らない半可通なんか相手にしなくても。
さて、美味至上主義の日本人である俺は、現地の流儀に従っていただくとしようか。
美味い… 嗚呼…
いやそんな、美味いのたった一言でそんなに涙ぐまなくても。やだなあ、そんなに恍惚としてた?いやいや、やっぱり世界でも3本の指に入る超美味だと思うよ。え?土産?良いのかなこんなにいただいちゃって?
領の西は海に面していて、ここも魚介類が豊富。領主一家の行幸だってんで、ここでも気の粗い漁師連中にしっかり持て成されてしまった。
エビはまだしもイカやタコまで食べる文化があるのは驚いたよ。そしてカニ。
魚醤も作っているとの事。どうやら領主一家も御用達の美味の素らしい。そういえば毎日の食事も、少々癖がありつつもどこか懐かしい旨味があったな。正体はこれか。
しかし王国貴族御用達の料理には馴染まないらしいね。これも辺境伯が貧乏臭いと言われる理由の一つかも知れない。確かに独特の香りはあるけど。うーん、こんなに美味いのになぁ。
北から東にかけては大森林が広がっていた。松や杉や唐檜その他の針葉樹が中心だ。一応はこの辺りが国境という事になってるらしいけどね。その向こうには国が無いので、まぁいい加減なもんだ。木材や薪として伐り出して、根を掘り起こしたらその分国境が広がるってね。
その森の中も、鹿やら猪やら虎やら熊やら色々いるらしい。猛獣の他に魔獣もいて、こいつらは魔法を使ってくる怖い存在だそうだ。しかし体内に魔石を持っていたり、革は魔法を防いだり、用途は色々で狩りの対象となるらしい。
他にも薬草やらキノコやら、森は資源の宝庫だ。蜜蜂もいる。
今回も、偶然、森の入り口近くに蜜蜂の巣を発見。皆で大騒ぎをした結果、無事に蜂蜜と蜜蝋をゲット。蜂蜜は薄めて皆で飲み、残りは土産となった。
う~む。あわよくば内政チートと思ったけど、なんかもうこれ俺の出番なんか無いんじゃない?可愛い末っ子坊やの地位を活かした癒し担当のマスコットで終わっていいかな?中身は50のオヤジだけど。
と思ったんだがね。現代日本人として甘味が寂しいのは我慢ならない。俺は下戸でスイーツ男子だったし。そこで養蜂について聞いてみた。
養蜂と呼べる産業はある。しかし旧式養蜂だった。藁や草などで蜜蜂が入り易い籠を編んで、蜂が蜜を溜め込んだら煙で追い出し、巣を取り出して潰して絞る。
これでは効率が悪い。そこで近代養蜂の原理を提案してみた。
養蜂は教会の領分だが、この地の司教様はどうも中央と仲が悪いみたい。俺の話に司教様と領主様は黒い笑みを交わして修道院に研究を指示。増産分は中央には報告せず、司教様と領主様で山分けする事で話が付いたようだ。まぁほどほどにね…
それから半年後、上手くいったとの報告が届いた。さすが修道院は熱心だな、これも神への奉仕の一環か。その後はあっという間に大増産を果たし、領主一家の女性陣も大喜び。男性陣は蜂蜜を水で薄めて醗酵させて蜂蜜酒を作り、こちらも大喜びだった。
この一件は大きかった。領地運営に関して、俺の意見を求められる事が増えた。
次は植林を提案した。
大森林は無限に広がっていて今は無尽蔵に木を伐れる。しかし現代地球の歴史を知ってる俺は森林資源の枯渇が心配だ。実際、寒い時期に焚く薪として木を伐り続け、無駄に平地が広がっている感がある。
それに建材として価値の高い木は管理して作るものだ。曲がらず真っ直ぐで、上から下まで太さがあまり変わらない、節の少ない木材。自然林ではそういう木は出来ない。密集して生やした上で、少しずつ間伐し、頻繁に枝打ちする事で作る。
但し、成長の早い杉でも伐採できるまで最低40年、下手すりゃ100年は掛かる。こういう事は切羽詰まる前に手を打たないと。早速木こりに命じて研究してみるそうだ。決断と行動が早いなぁ。
食料増産の方法は無いかと聞かれた。豊かな領地と言ってもそれ程の余裕がある訳じゃないしね。そこで堆肥を提案してみた。
雑草や藁など捨てる物を集めて積み上げ、家畜の糞尿を混ぜる。人間の大便小便も大いに結構。と言ったら嫌な顔をされた。
これを時々掻き混ぜて空気を入れる。これが大事。すると醗酵が始まって60℃~70℃になる。この高温で寄生虫の卵も死滅する。そして雨に晒して酸性度を調整し、数ヶ月から数年経てば堆肥になる。
実際に命じてみたら案の定、糞尿を扱うから臭いし汚れるしで農民も嫌がったらしい。スラム街の貧民に金を渡してやらせてみるそうだ。
これが成功すると、実は食糧増産に留まらない効果がある。都市の下水事情の改善だ。人糞も使える事から、農村と都市の間で巨大な循環網が出来て、大量の排泄物を処理できる事になる。
実際に日本ではこのシステムのお蔭で百万都市・江戸でも極めて衛生的な環境を維持できた。こちらの世界ではトイレは川に流してそのままだ。まあ都市内は綺麗と言えば綺麗だけど、川の下流はね。特に小さな川だとね。察してくれ。
それと骨や魚鱗。これらを干して砕いて粉にする。あるいは鶏糞で堆肥を作る。こいつらはリン酸肥料になる筈だ。そして草木灰。カリ肥料になる。
これら窒素とリン酸とカリを組み合わせれば、かなりの増産を見込めると思う。今は何もしてないみたいだからさ。施肥の時期や量は研究が必要だけどな。うん、作物や土地の様子によっても違うから気を付けて。
肥料と共に気を付けたいのは、雑草をこまめに抜くとか害虫を退治するとか病気対策とか、日本人にとっては基本の作業だね。
但しこういうのは狭い土地に労働力を過密投入する事で増産する方法だ。この世界とは相性が悪い可能性もある。こちらは農地を広げる事で面積に比例する増産を果たす農業だからなぁ。
そうだな、輪栽式農業を提案してみるか。今は二圃式みたいだから。しかし輪栽式も簡単じゃない。大資本の投下とか幾つか条件がある。最終的には領主様の経営判断だな。
◇◆◇◆◇◆◇
ローブの禿げ頭が暇を持て余していたから、魔法を使わない錬金術の話をしてみた。
まずは状況把握。領主様を交えて石鹸について聞いた。
この辺りでは獣脂を原料に、竈や暖炉の灰を混ぜて煮込んで作るそうだ。農村で副業として作っていて、領としても奨励しているとの事。王都にもこの石鹸を卸しているらしい。値段は安く買い叩かれちゃうようだけども。何しろ獣臭いから。
ムフフ、それならイケるかも。ちょっと領主様も聞いて下さいよ。
西の海に行った時、珍しい野菜が出てきたよね。あれ、アッケシソウの一種だと思う。変わった草でね、塩水で育つんだ。そう、海水を被っても枯れない。っていうか海水じゃないと育たない。
そのアッケシソウを燃やした灰。ソーダ灰ってんだけど、これ、継続して大量に作れないかな?ついでに種も。アッケシソウの種からは油が採れるよ。確か食用だった筈だ。
アッケシソウの種はもう少し先になるそうだけど、灰はすぐに取り寄せてもらえた。
消石灰もヨロシク。これもすぐに入手。石灰は建築資材だし、領内でも産出してるからね。
ところで錬金術の装置やなんかはある?お、反魂の準備で色々やったのが地下室に丸々残してあると?いやいや証拠を隠滅しろって話じゃないんだ。この設備を利用したくてね。
さぁてやるぞ!
これ、本当に危険だから気を付けてくれよ。ソーダ灰を水に溶かし、そこに消石灰を混ぜる。白く濁るから、これを静置して沈殿させる。
この真っ白な濁りは石灰岩と同じ成分で、もっと純粋にしたものだ。おお、純粋という言葉に目が輝いてるな。気持ちはわかる。中二病的に心惹かれるモノがあるよね。
これを集めて弱い糊で練って固めると、黒っぽい石板に書く筆記用具になるぞ。
いや本題はそれじゃない。濁りを除いた液体の方。沈殿させて分離するのは時間が掛かるかな。濾過したい所だけど面倒臭いな。濁り汁のままでもいいか。
おっと指なんか突っ込んじゃダメだ。爛れるぞ。いやいや兵器にするんじゃない。化学兵器とかね、やめてくれよ。俺は兵器開発なんざゴメンだ。
高品質な石鹸も作れるんだけど、そうだな、今回は葉っぱを煮込んでみるか。
適当な広葉樹の葉っぱで厚いヤツを選んで数枚。30分くらい煮込んで流水で洗う。ほら葉脈標本になった。葉っぱの骸骨みたいだ。面白いだろ?
この性質を利用して、もっと実用的な物を提案したい。紙だ。俺はローブの禿げ頭と共に紙作りに精を出した。
さっきの液で木や草を煮て繊維だけを取り出し、木槌で叩いてほぐし、水に晒して簀桁で掬って乾燥させる。まずは品質を求めずにチャッチャと作ってみた。ローブの禿げ頭も面白がってくれたし、領主様も興味を示してくれた。
問題はここからだ。品質向上と大量生産、そして滲み止め。
えっとね、水に粘りを持たせたいんだ。繊維を水中に分散させるのと、紙の厚さを均一にするのが目的。でもトロロアオイなんて言ってもわかんないよね。うーん。
とにかく何か粘る物の中から紙漉きに向いてる物を手当たり次第に探すしかないか。野菜から海藻に至るまで、魚なんかの動物性の物にも手を広げて、とにかく何でも試した。
ここではローブの禿げ頭が実に良く働いてくれた。紙漉きがよっぽど気に入ったようだ。かつての弟子や研究仲間まで呼び寄せて手分けしていた。普通はこのレベルの術者がこんなに沢山集まる事は無いそうだ。
道具の方は、領主様に木工職人を紹介してもらった。皆で試行錯誤しつつ試作を繰り返した。
滲み止めは心当たりがある。明礬と膠を混ぜた礬水を塗ってみた。但しこれだと酸性紙になっちゃうんだよね。西洋史では澱粉糊を使った事があったようだけど、食べ物を使うのもなぁ。明礬だって他に用途があるし。仕方ない、これも探そう。
ついでにインクも作った。墨だ。煤を膠で練って乾燥させる。
煤なんざ煙突掃除で処分に困るって代物だし、膠も接着剤としてありふれてる。製作過程で体中が真っ黒になるのがナンだけどな。案の定、お付きのメイドが悲鳴を上げていた。
あ、屋根の石瓦を1枚もらえるかな?硯代わりにしてみよう。ペンは羽ペンだから、自分でどうにでも調整できる。
よしよし、羽ペンでそれなりに書けるようだ。色も濃い黒だし。上手くいったな。こんな方法で黒インクを作れるという事実にローブの禿げ頭達は興味津々。
このインクの特徴は、何と言っても安い事!この世界で普通の没食子インクはべらぼうに高いからなぁ。父様と兄様が涙を流して喜んでる。っていうか出入りの商人が目を輝かせてるんだけど、いいのかな領主様?
◇◆◇◆◇◆◇
俺は20歳になった。もちろん肉体年齢だ。中身?還暦だよ。悪いか。そして精神年齢は低い。悪いか。いや自覚はあるんだけどさ、直す気は無い。悪いか。…そうだな。悪いな。
色々提案した政策について。上手くいったものもあり、定着しなかったものもある。しかし総じて、領の経営は右肩爆上がりと言っていい。
今回は北の森の植林事業の経過を視察しつつ、日本式の炭焼きを提案してみた。
炭は日本が誇る優秀な燃料だ。馬鹿にしちゃいけない。炎を上げないので室内でも使える。薪より火力が強い。そして火持ちも良い。だから経済的にも優れている。
その炭を焼く為の炭焼き窯を、ここに作る。
地面を少し掘り、煙や水気の流れを意識した形を作る。レンガを積んで煙突と壁を作り、出来上がりの炭の大きさに切った木材をびっしり詰める。粘土を上に被せて槌で叩く。叩いて叩いて叩き捲る!表面に粘土の水気が滲んできてからが本番だ!大体3日から1週間くらい叩き続ける。
実は結構難しいんだよね炭焼き窯って。煙をスムーズに排出する大きさや形にはノウハウがある。
それに結構な高温になるしね。適当にその辺の赤土なんか使った日には熱で壊れちまう可能性がある。焼いてる最中にひびでも入ったら台無しだ。炭にならない。燃えるよ。まっ白に、燃えつきる。まっ白な灰に…
だからその耐火材量を探す所からやったんだ。いやあ参ったね。この世界、この国には、製鉄用の高炉も無ければ陶磁器を焼く登り窯も無い。高温が無いから高温に耐える材料も無い。だから自分で探すしかない。
気が付いたら10年経ってしまった。ここでもローブの禿げ頭達が大活躍してくれた。
そうやって今日も現場で忙しく働いてたんだが… 急に場がざわめいたと思ったら、作業場の村人から警護の騎士に至るまで全員がパニックになった。何だ何だ?
森の方に急に気配を感じて騎士が目を向けたら、尖った耳長の3人が白梟と白虎を従えて弓を手に立っていた、との報告が。
エルフが現れた!
ファンタジー定番のエルフを異世界転生後10年目にして初めて目にした俺の興奮を察してくれ。
とは言え驚いてばかりもいられない。とにかく話をしなければ。神話に名高いエルフを初めて目の当たりにしたこの世界の人々は、俺以上にパニクってて使い物にならない。一番最初に正気に戻った俺が対応するしかなさそうだ。
「こんにちは。今日は良い天気ですね。お茶でも御一緒にいかがですか?」
…初対面の相手をいきなりお茶に誘ってどうするよ。ナンパじゃあるまいし。しかも見目麗しいとは言え3人とも男だぞ。駄目だ、俺もまだパニクってるようだ。
キョトンとした3人は、しかし、ひとしきり笑った後に応えてくれた。
「そうですな、良いお茶があれば御紹介いただけますかな。しかし男性に誘われたのは初めてですぞ」
◇◆◇◆◇◆◇
王国貴族を持て成すのに定番の、どこどこ産の何とかティーではない。松葉を蒸して干した松の葉茶だ。これでも松の種類とか産地とか研究したんだぞ。
お茶請けはライ麦粉を鶏卵と蜂蜜と山羊の乳で練って焼いたクッキー。癖の強い材料をハーブの風味で纏め、松の実をアクセントに入れた自慢の一品だ。
要するにだ。こんな最高ランクの持て成しが必要な事態を想定してなくて、領主一家の日常普段のお茶セットしか持ってきてなかったのだ。
それでもメイド達が頑張って、野趣溢れるお茶の席という風情を作ってくれた。腐っても辺境伯家のメイド隊だな。流石である。
最初に俺が笑いを取ってしまったのは後々まで語り継がれる黒歴史になりそうで参ったが、しかし全員の肩の力が抜けて、終始和やかな会談となった。
どうやら植林事業に興味を持ったようだ。
エルフ達は森のもう少し奥の方に集落を作っているが、木々の伐採という形で生存圏を脅かす人間達を苦々しく思っていた。もう百年これが続いたら敵対も止む無しと。
ところがここへ来て森の木を増やすような素振りが見え始めた。軌道に乗るにはまだまだ時間が掛かりそうだが、自分達の使う分を自分達で賄おうという意識の変化は歓迎できる。
本来ならエルフとしては他種族との交流は避けたいのだが、この発案者に興味を持った。そこで使者を立てて接触を試みた。
…という事だった。
松の葉茶もクッキーも、とても気に入ってくれたようだ。あの森をこのような味で表現した事は見事であると。そこでこのレシピを提供し、返礼として領主一家をエルフの里に招待してもらう事になった。
この場で詳しい話をするのはちょっと怖いからな。既に色々と普通じゃない事をやらかしてるとは言え、どこに悪者の目が光ってるかわからん場所で大々的に俺の素性を発表するのは避けたい。
エルフ達に是非にと請われて、厚かましいとは思ったが一家全員でエルフの里に向かう事になった。父様母様、兄様夫婦、弟と妹。姉様達はとっくに嫁に出ていたし、兄様達も半数は独立していたから、辺境伯家の人数は少し減っていた。
森の入り口で馬車を降りる。小さな光がフワフワと沢山飛んでいる。俺は蛍みたいだとしか思わなかったが、皆は大喜びで追い掛けていた。どうやらこれが妖精らしい。
エルフの次は妖精か。異世界という場所は、10年経ってもまだまだ驚かされるな。
妖精達はフワフワと舞いながら森の奥へと飛んで行く。どうやら案内してくれるようだ。はしゃぎ過ぎて転ばないように弟と妹に注意しながら、俺達は妖精に導かれて森の奥へと足を進めた。
急に視界が開けた。何だか急に暖かくなった気がする。魔法の気配があると父様兄様が言う。もしかすると結界のようなものかも知れないな。
あまりの急な変化に驚いて里の入り口で佇んでいると、奥から着飾ったエルフが現れた。案内されて長の家に入る。
妖精王オベロンと、王妃ティターニア。2人を頂いて、その名の下に数多の妖精を使役するエルフ。圧倒的な上位者が顔を揃えたその場では、多少の魔法が使える程度の人間貴族など蛇に睨まれた蛙だ。人間の中では非常に優れた魔法使いであるローブの禿げ頭だって、この場に居ればきっと緊張で体を固くするだろう。
「先日は茶と菓子をありがとう。大変美味であった。教わったレシピを元に似たような物を作ってみたのだが、口に合うかな?」
…美味。溜息しか出なかった。圧倒的だ。松の葉茶は香りが高くて雑味が無い。クッキーにしても、ライ麦粉の代わりに栗の粉を使い、山羊の代わりにトナカイの乳を使い、鶏卵の代わりに魔鳥の卵を使い、蜂蜜もこのクッキー用に厳選し、風味を纏めるハーブもこの材料に合う物を選び抜いたそうだ。
皆で堪能していると、オベロンとティターニアは嬉しそうに頷いた。
それからは話が弾んだ。妖精やエルフからの人間の見え方、人間からのエルフ達の認識。時々は厳しい意見交換もあったが、エルフの使者(男)をナンパしてしまった例の件はやっぱり大笑いのネタになった。うん、俺の趣味嗜好が紛う方なく女である事はハッキリと明言しておいた。
そして人間と妖精の間に約定が結ばれた。辺境伯領は今後百年を掛けて林業を軌道に乗せる。その支援としてエルフが森林や樹木の知識を人間に教える。
「この地の森を守る限りにおいて、妖精王オベロンが力を貸そう。人間の国の王から森林伐採の命が下り、どうしても断れなかったら、独立したまえ。妖精王が後ろ盾になろう」
妖精王が後ろ盾となる証として、現在の辺境伯一家とその子孫は、妖精を使役する力を賜る事になった。その影響で魔法の力も強くなるとか。
やばい。やばいよこれ。妖精王に力を貰い、その後ろ盾で建国とか。俺を巻き込んで神話が紡がれてるよ。こいつぁ何が何でも林業を成功させなければ。
◇◆◇◆◇◆◇
領内でエルフの姿を度々見かけるようになった。
最初は大森林の近く、植林の現場だけだった。聞けば湖というものを見た事が無いと言うので案内した。
エルフの里にも池はあるから、魚は食べてるみたいだけど、魚の卵はやっぱり珍しかったようだ。最初はおっかなびっくり口にしていたキャビアだが、その味に感動していた。妖精王に献上したいと言い出して、漁師が涙を流して感激していた。
キャビアについては妖精王も感動したらしい。定期的に欲しいという話が来た。代わりに妖精茸をくれるとの事。これは滋養強壮に良いらしいんだが… よくわからんな。誰に聞いても知らないと言う。まぁ楽しみに待ってみるか。
届いた物を見てびっくりした。トリュフだぜ!
早速試してみたよ、茹で卵のトリュフソース掛け。料理人に教えて作ってもらった。やっぱり美味いねぇ。何てったって究極の一品だもんね。
ソースを作る時にフォン・ド・ヴォーですったもんだした。でも頑張ったぜ。仔牛の骨と香味野菜で出汁を作るって概念はまだ無かった。でも頑張ったぜ。俺のこだわりに料理人はおろか辺境伯も引いていた。でも頑張ったぜ。美食に懸ける日本人の情熱をなめんなよ!
それはそれとして。
釣り竿担いで魚籠を下げて麦藁帽子を被ったエルフの目撃情報が湖周辺から寄せられるようになった。その姿をどうしても想像できなかったので直接見に行った。
違和感がすげぇ…
どうしてこんな格好をしているのか聞いたら、仲良くなった地元の漁師に教わったという。その漁師に師事して釣りを勉強しているらしい。狩りに通じるモノがあってとても興味深いのだそうだ。エルフの里の池は小さいから、魚が欲しかったら手掴みで獲っちゃうんで、釣りはした事が無かったんだとか。
それにしたってアレだな。もうちょっとこう、ファッションとかさ。まぁいいか。
こうしてエルフとの交流が深まってきた、冬のある日。妖精王オベロンから急使として白狼がやってきた。力を貸して欲しいと言う。妖精が人間の力を借りたい事態とは何事かと思ったが…
エルフの里には栗の木が生えている。あそこは暖かかったからな、栗でもちゃんと成長して実を付けるんだろう。エルフや妖精達はその栗を主食にしているようだ。
その栗の木が何本か、病気で枯れてしまったらしい。
主食が減るのは由々しき事態。早急に栗の木を増やさなければならない。しかし成長して実を付けるまで時間が掛かる。桃栗三年柿八年、柚子は九年で成り下がる、って言う位だしね。
しかしそこは妖精王のお膝元。あっという間に成長させる魔法がある。但しそれには幾つか必要な物があり、協力してもらえないか、という話だった。他ならぬ妖精王の頼みだ。一も二も無く引き受けた。
内容は鬼灯と蟋蟀だ。それ以外はエルフ達で用意できるが、この2つだけは難しいと言う。よくわからんのだが、鬼灯は成長を促す魔法の触媒になるらしい。そして蟋蟀は土妖精ノームの化身なんだとか。
領の中には鬼灯を食用として確保している村があり、辺境伯の家にも届いていたはずだ。探したら10個ばかり出てきたので、すべて白狼に渡した。
蟋蟀の方は妖精王から賜った妖精使役の力を使った。冬眠中の所を無理に呼び出したから、少しでも暖かくしてやりたい。何か手は無いか?と白狼に相談したら、魔法で何とかなると言う。
モゴモゴ呪文を唱えたらホッペタの周りに小さな炎が纏わりついた。これと結界の魔法で、白狼の周囲は暖かくなるそうだ。
準備は出来た。
白狼は、鬼灯を袋に入れて咥え、炎を纏い、蟋蟀を伴って、冬の寒さで凍り付いた湖を通り、北の大森林に向けて歩き出した。
遠くの大きな氷の上を
鬼灯を十咥えた狼が
頬に炎を纏い
多くの蟋蟀と共に
通っていった
最後の詩は、お段の音を伸ばす時に「う」ではなくて「お」と書く言葉を集めた物です。ここに出てこない言葉は「う」と書くと考えてまず間違いありません。「王」は「おう」であって「おお」ではない、とか。
娘の小学校入学に際してカミさんが贈った物を見て、それと異世界転生と内政チートの三題噺を物してみました。いかがでしょうか?自分では面白いかどうかわからないので、ご意見ご感想ご評価等いただけると幸いです。
内政チートを仕込むには中世ヨーロッパ前期の終わり頃が舞台として都合良さそうだと考えていまして、その調査の成果を盛り込んでいます。現代日本の中学生~高校生が読むのに違和感があり過ぎる部分は敢えて変更してありますが。それを除いても設定の甘い所が山程ありますけども… そういったツッコミもお待ちしています。
2020/04/25
あらすじをあらすじっぽく修正。
2020/05/01
頬と炎を追加。その為の修正。
旧:
領の中には鬼灯を食用として確保している村があった筈だ。緊急でそれを供出させ、10個ばかり用意した。また妖精王から賜った妖精使役の力を使って、冬眠していた蟋蟀を沢山呼び出した。
急使の白狼は、鬼灯を袋に入れて咥え、蟋蟀を伴って、冬の寒さで凍り付いた湖を渡り、北の大森林に向けて歩き出した。
遠くの大きな氷の上を
鬼灯を十咥えた狼と
多くの蟋蟀が
通っていった
新:
領の中には鬼灯を食用として確保している村があり、辺境伯の家にも届いていたはずだ。探したら10個ばかり出てきたので、すべて白狼に渡した。
蟋蟀の方は妖精王から賜った妖精使役の力を使った。冬眠中の所を無理に呼び出したから、少しでも暖かくしてやりたい。何か手は無いか?と白狼に相談したら、魔法で何とかなると言う。
モゴモゴ呪文を唱えたらホッペタの周りに小さな炎が纏わりついた。これと結界の魔法で、白狼の周囲は暖かくなるそうだ。
準備は出来た。
白狼は、鬼灯を袋に入れて咥え、炎を纏い、蟋蟀を伴って、冬の寒さで凍り付いた湖を通り、北の大森林に向けて歩き出した。
遠くの大きな氷の上を
鬼灯を十咥えた狼が
頬に炎を纏い
多くの蟋蟀と共に
通っていった
2020/05/27
前書きを修正。
旧:娘の小学校入学記念に、短編を物してみました。(対象年齢は中学生~高校生くらい…かな?)
新:
娘の小学校入学記念の短編です。対象年齢は中学生~高校生くらい…かな?
お段の長音の特例に関するアレを元に、異世界転生で内政チートの話を作ってみました。